2006年10月 南アルプス、甲斐駒黒戸尾根、仙丈、鳳凰三山縦走報告
                        その3
   高瀬正人

                                2006年 10月6〜10日
10月6日(金) 曇りのち雨

○なんと、登山口に長野県警のパトカーが
 出発を2日も延ばしたのに、中津川より雨。木曽路は雨の中。ゆきかう人はみあたらず。寝覚めの床も寂しげなり。楽しみにしていた山並みもみゆるはずなし。

 塩尻より中央東線の普電で日野春へ。予約していた地元のタクシーで登山口の竹宇神社尾白駐車場へ。見ると人影もなく、寂しげな駐車場に長野県警のパトカーが。タクシーを降りる私をロッジ尾白荘から、ずーっと注視している。

 むむ、事件か?それとも遭難か?登山情報を得るため、また、もしロッジが借りられれば、雨宿りをともくろんだ私は、そのロッジにむかった。「今から、登られるのですか?本日は荒天のため登山禁止、入山規制をしています。ご協力を!」年配の警官にそう告げられた。「もちろん今日はここまで。明日、天候の回復を待って入山します」。そういいながら、ザックから登山計画書を引っ張り出し、手渡した。登山計画書を直接警察に渡すとは、初めての経験である。これで万一遭難しても、万々歳である。

もう一人のまだ若い警官と台風情報やら、世間話をしながら、このロッジのおかみと交渉し既にオフのバンガローを借りることにした。このおかみ、愛想はあまりよくないが、人は良い。茹でたジャガイモを5〜6個ビニール袋に入れて私にくれた。このじゃがいもが後に貴重な食糧となるとは、思いもしなかった。

            
                     尾白登山口駐車場

コースタイム
 JR大分7:45〜新幹線〜中央線日野春15:56〜タクシー尾白登山口16:30


10月7日(土)くもりのち雨、稜線烈風

いざ出陣、目指すは黒戸尾根
 雨は夜中の10時頃やんだ。単独、初日の夜はいつものとおり期待と緊張で眠れない。

 5時、まだ暗いロッジを出発。駐車場にはいつの間にか車が数台あり。1990年7月に黒戸を登られた、皇太子殿下登山記念碑を横目で見ながら、まずは、竹宇駒ケ岳神社に安全登山祈願参拝。すぐそば、尾白川にかかる吊橋をわたる。ヘッドランプの明かりでは川底はさだかではないが、上流の黄蓮谷、本谷より、数日来の大雨が濁流となってすごい勢いである。思わず身を引き締める。渡り終えると、いよいよ待望の黒戸尾根の始まり、十二曲がりである。先は長い。あわてず、焦らず、じっくりこの尾根を楽しむべし。

ようやく、ここまでこれた あふれる涙
 十二曲がりはいきなりの急登だが、樹林帯の良く整備された、良く踏み込まれた登り易い道だ。あたりは少し明るくなってきた。静寂の中に、私の靴音だけが響く。重量20`のザックの重みを確かめながら、集中する。

 ふと、なぜだか、熱いものがこみあげてきた。涙が頬をつたう。ようやくここまでこれた。3月に長女の結納、5月には祖母、傾の1日完全縦走、6月、この南ア、甲斐駒黒戸を計画、トレーニングを始めた矢先に、思いがけない落石事故に遭い、右胸肋骨2本、肩甲骨骨折、右肺気胸で2週間の入院、更に通院、完治までのリハビリ養生に2ヶ月を要した。

甲斐駒は無理か?とも思われたが、私はどうしても行きたかった。入院中からスクワットやら、階段昇降等のトレーニングに励んだ。9月は長女の結婚式、残された日は10月しかない。10月8,9日の連休に照準を合わせた。8〜9月、由布岳、九重へのボッカを3回、少しずつ体力も回復し、ようやく黒戸を登れるという自信がわいてきた。

 タイミングというものはとても重要だ。自分の気持ちが熟した時に一機に目標を遂げないと、目標が逃げてしまう。さまざまな困難を何とか克服するのは、自分自身の情熱しかない。いま、小さな夢をかなえて、ここにこうしていることがどんなに嬉しいことなのか。この涙をかみしめながらそう思った。

。(つづく)

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