トピックス&行事報告

ヒンズークシ8ミリ映像 再び世に出る(2020.12.27)
 
12月21日付け掲示板への松田さん書き込み:「今朝の新聞のトップ記事に『大分の偉業後世に』とコー・イ・モンディ遠征記録8ミリフィルムをDVD版ドキュメント作品に再編したと経緯が書かれていました。加藤さんや尾登さんの写真つきです。慌ててのスマホ撮影ですので新聞のしわやピンの合わせが悪いのはご勘弁を。」

松田さん、加藤さんらのヒンズークシ遠征の新聞記事、早速の紹介ありがとうございます。長く埋もれていたコー・イ・モンディ峰登頂の貴重な8ミリ映像があらためて陽の目を見て、既に故人となられた矢野真隊長、西諒さん、梅木秀徳さんも草葉の陰で喜んでおられることと思います。

ついこの間ヒンズークシ登頂40年の記念祝賀会が開かれたと思っていたのに、あれから15年、光陰矢の如しを実感するばかりです。

おゆぴにすとの多くが、歳を取りました。しかしながら、体が動く限りは、諸先輩方ほどのことは出来なくても、山に関わり続け、臆することのない山登りを少しでも実践しなければ、と改めて思った次第です。 (挾間)
  ※写真をクリックすると最大化します

リメイクした
ヒンズークシ8ミリ映像鑑賞(2020.10.31)

 10月31日午後3時半から、大分市アートプラザの自遊展にて、1965年(昭和40年)大分ヒマラヤ遠征委員会によるヒンズークシ遠征の記録映画の上映会が開催された。映像の元になったのはヒンズークシのコー・イ・モンディ峰遠征隊員の一人、故・梅木秀徳氏が中心となって撮影した8ミリ映像であり、これは15年前ヒンズークシ遠征40周年記念行事の際にも上映されたもの。残念なのは音声がなく無声映画のような感じであったこと。

 今回上映されたドキュメンタリー映像は、この8ミリ映像をベースに遠征隊の隊員で、この自遊展の主催者でもあり、かつ日本山岳会東九州支部長でもある加藤会長が、分大山岳部の後輩かつ元テレビ局のフリーランス記者兼ディレクター・尾登氏の協力を得て、当時の隊員の肉声やナレーション(下川夫人)、それに聞き手役(尾登氏)などを加えて、再編集して完成させたもので、大分県内の岳界の一部にも声をかけたもの。

 この上映会のために当時の遠征隊の最年少登頂隊員であった江藤さんも静岡から駆けつけた。また、おゆぴにすとの面々も、加藤会長のほか北九州市から遠来の栗秋、それに塩月、高瀬、挾間会員などが久々に顔をそろえた。

 約45分に編集されたビデオには、まず凱旋パレードから始まり、出発の様子、1965年当時の平和なアフガニスタンの様子、キャラバン、アタック、登頂、下山時のアレキサンダー大王が通った道を復路に採ったことなど紹介され、約80人ほどが聴き入り、終了後は加藤会長の挨拶、江藤隊員の熱き想いや感想が披露され、2時間があっという間に過ぎた。

 終了後は場所を都町の「重箱」に移して、その後さらに深夜まで熱く語った。
 なお、このヒンズークシ映像は11月21日に開催予定の日本山岳会東九州支部創立60周年記念行事でも上映される。
 大分大学経済学部の同窓会である四極(しはす)会が開催する芸術文化展。因みに四極会は、高崎山の別称でもある四極(しはつ)山に由来するとか。

  
  凱旋パレードの様子を食い入るように(左)、挨拶をする加藤会長(右)

  
 「重箱」にて左写真中央は江藤さん、左は大分緑山岳会会長の安東さん。

     
     話は尽きずとうとう三次会まで。財布を落とした人も居たな・・・歓楽街都町で落とした高額現金でも、
       ちゃんと数日後には手元に戻る。さすが、大分県。(写真右から2番目はひこさんクラブの河野さん)


鈴木君を囲んで(2020.2.15)
     
親族の結婚式出席のため帰分した鈴木会員との旧交を温める場が2月15日、大分市内の小料理屋「重箱」にてもたれた。

まずは鈴木会員の近況:金剛山登山400回突破、金剛練成会の皆さんとさらに回数を積み上げており、日本百名山も残すところあと7山をここ数年のうちに達成したいとか。この夜は別行事でたまたま来店された坊がつる賛歌の芹洋子さんも飛び入り参加で盛り上がりました。

会員の一言コメント
加藤会長:「久しぶりでの鈴木君との会食楽しい一時でした。金剛山の会、参考になりました。まだ頑張って続けてください。最後は芹洋子さんの応対で失礼しましたがお会いできてよかったでしょう。芹洋子さんは、4月25日聖火ランナーとして九重町を走るそうで大分が2番目のふるさとだと言っていました。」

塩月会員:「完登間近い日本百名山達成の吉報を楽しみにしています」

松田会員: 鈴木氏へ「金剛山の主としてなるべく今後の活躍を期待しています、そのためにも健康が一番ですよ。神のご加護を」、「あれだけの酒で気分が悪くなりフラフラで帰宅した自分が信じられません。吉賀の桜園を愛でる会はしっかり吉賀と打ち合わせして案内します、乞うご期待を。足腰ヨタヨタ心臓バクバクの松田拝」
芹洋子さんとツーショットでご満悦の鈴木会員

おゆぴにすと新年懇親会第2弾(2020.1.1213)


 1月4日の新年会第一弾に来られなかった人とも旧交を温めたいとの加藤会長の強い思い入れもあり、前回から引き続いて参加の加藤、高瀬、挾間に加え、渡邊(塩地)さん、西梓嬢や久留米方面から小竹さん、北九州から栗秋も、湯布院は茶畑荘に駆けつけ総勢7名。

何しろ、おゆぴにすとの皆さん、結構な御年になり、出合いの11年、1回1回が大変貴重なのだから。仕事や家庭の都合で「皆の元気な笑顔を一目だけでも」と開宴前わずか1時間のために馳せ参じた“ほえ(保恵)さん”は剱岳の想い出などひとしきり話したのち、差し入れを置いてそそくさと帰っていった。

で、本番の新年会第2弾は湯の岳庵にて。ここはおゆぴにすとには似つかわしくない“高級和風レストラン”であり、始めはしめやかに厳かに、しだいにテンションが上がったが、そこは節度ある大人の振る舞いを何とかキープしての約2時間、退席の折、隣席に軽く会釈をすると「羨ましいほど楽しそうでしたね」と返ってきた。

さて、宴の続きは茶畑荘で。何と言っても主役は小竹さんかな。加藤会長秘蔵の大分登高会アルバムでかつての日々を懐かしみながら、もうすでに故人となられた西さんの話題などに日付が変わる頃まで花が咲いた。 挾間、高瀬、栗秋の“当時の若手会員”(いつまで経ってもいっこうに歳の差が縮まらない!)は聞き役に徹した。翌日は、加藤、挾間、栗秋は登山口付近にメガソーラー建設の大規模工事が進行中の福万山山麓へ状況視察へ。

お雑煮などの食材や焼酎つまみや過分なご厚志を差し入れしてくれた皆さんにお礼申し上げます。次回はプロジェクターなど準備して盛り上げんといかんかな、などと思っております。(挾間 記)

おゆぴにすと新年懇親会(2020.1.4)
  

 年末“今日も快調”さんから、「昔の仲間(元大分登高会とおゆぴにすと)と久しぶりに一献!」と呼びかけがあり、正月明けの4日となるも、快調さんご用達の重箱が6日からの営業と判明し、都町の「焼き鳥まるちゃん本店」となる。しかし正月気分も抜けず皆さん多忙か参加者が少なく多少寂しい新年会となった。

 快調さんに塩月さんはひこさんクラブの恒例三社詣りと高崎山山頂での雑煮会の帰路別府で温泉入浴からの帰路参加。参加者の近況は下記の通り。

 加藤快調、相変わらず日本山岳会東九州支部長の重責に損保保険業務と老いを全く感じさせない。塩月氏快調の関係する南蛮コーラスや詩吟に山登りとこれまた元気。狭間氏、長年勤務した
S化学を退職し某短大の園芸学部で教えているのと未だ壁を登り元気はつらつ。高瀬氏、Hワークで再就職支援活動の現役、山も現役。丹生氏、難病の奥様を抱え介護に地区の交通指導員、中学校のSテニスの指導員、地区のお宮の総代他と多忙、昔から酒も飲まなくとも酔った人との付き合いは変わらず。紅一点の染矢嬢、17年飼っていたネコちゃんに死なれ多少落ち込んでいたが、長年の体調不調から解放され元気である。松田は今や病の総合デパートで酒もなめる程度でいつまで生きながらえているか些か不安。

 なお、宴席で、今月12日に福万山登山ののち湯布院の快調さんの関係する別荘(茶畑荘)に泊まり湯の岳庵で豪華料理を食べる会のお誘いがある。栗さんが北九州から参加予定。高瀬、狭間両氏も参加表明。まだ参加者募集中。

 そのほか特記事項。
2月大阪から鈴木君が親族の結婚式で15日来分予定。都町で一献とも盛り上がる。100名山登頂もあと数座とか(残りは北海道の山らしい)。

◎酔った勢いで安東信市氏に電話して懸案事項の安東家の桜園を観る会を、今年は実施を確約を取り付けた。

*梓と会話中、西孝子さんと偶然会話。耳が遠いようだが声を聴いた範囲では歳相応な感じで、

{もしもし西です・・・・・元気してますよ・・・・}

最後に、参加を呼びかけするも都合がつかず欠席者は下記の通り
佐藤和彦氏:45日役場で夜勤の為欠席
内田憲男氏:携帯メール使用不可電話連絡が3日で都合付かず欠席、本当は夜釣りとか。
西梓嬢:当初は参加OK。ライオンキングの予約を失念しており欠席。
三苫美恵子嬢:都合付かず欠席
筒井嬢:喪中につき欠席
渡邊保恵嬢:都合つかず欠席
守屋美代子嬢:都合付かず欠席

次回の桜を愛でる会は早く企画し多くの仲間の参加を集いたい。
声かけ要検討:姫野氏、矢野氏、緒方安東氏、別府山本小田氏、小竹嬢 他
高齢化が進み今後の懇親会等は昼間ランチで一献会が良いのではとの意見もあった。
          (以上 写真と報告は“やっせんぼ”こと松田でした)

鈴木会員、日本百名山もあとわずか(2019.12.14)

 湯坪の定宿・遊雀荘におゆぴにすと4名が集まった。忘年会を兼ねてだが、鈴木君が九州に残した最後の百名山、開聞岳登山のため大阪から来九。お付き合いで同行した挾間兄と12日に高隈山、翌 13 日は開聞岳に登り、九州最後の夜を湯坪温泉泊としたので、高瀬&栗秋も遊雀荘に馳せ参じて旧交を温めた次第。

 折角の機会なので挾間兄が機材を運びこんで映写会も挙行。メインの出し物は数年前(7〜8年前) に加藤、高瀬、挾間らが関わった九重山遭難碑復旧工事のドキュメンタリービデオ((元テレビ西日本のディレクター尾登憲治氏が中心となって2015年制作した「蘇えった鎮魂の碑〜九重連山初 の遭難事故〜」)。余興として鈴木君の利尻山、南アルプス赤石山系山行のスライドや栗秋の台湾・玉山、北アルプス表銀座縦走に先月の大崩山のスライドも説明を加えながら映写会を執り行った。

 小宴(忘年会)は映写会を挟んで18時から20時過ぎまで。以降も映写会を続行、そして自室に戻って各人の来年の目標なども語り合ったが、関心の高かったのは高瀬&鈴木両兄の健康管理に関することや、これからの人生の行き方など(はっきりは覚えていまへん!)。名残惜しくも 0 時を回ったのをおぼろげな がら確認して自室でのトークイベントもお開きと相成った。

   (以上報告と写真:栗秋)
 


加藤会長が福岡で6月30日記念講演を予定(2019.6.1)
 
詳しくは ⇒ こちら
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喜楽庵で昼食会(2019.2.14)

 大寒お見舞い申し上げます。
2月に入りましたが皆さま如何お過ごしでしょうか。
さて前々から吉賀さんからの提案で「昔の仲間で気のあった友と美味しい食事をしよう」との話がありましたが何せ呼びかけ役の松田が体調不調で延び延びとなってしまい誠に申し訳ありません。なんとか体調も回復?傾向で少しは動けるようになりました。
 つきましては下記の内容で食事会を行いたく存じますので皆様のご都合や意見をお伺いしたくご案内申し上げます。

2月14日(木) 12時頃から約2時間半程度
場所   臼杵市 喜楽庵 (現地集合現地解散予定)

(世話人松田さんから)昨日は無事帰宅できたでしょうか? 数年ぶりに酒を飲んだのでフラフラで帰宅しました。
次回は安東桜園での花見ですね、楽しみにしております。
昨日の画像を添付します、では3月までお役目気張って下さい。
今日も脚腰が痛む松田でした。




おゆぴにすとHP開設10周年記念のつどい(2012.2.14追加)

    

 由布市湯布院の茶畑荘で2月4日に開催しました。今回は加藤、塩月の年長組が宿の手配、食材の調達、炊事等サービス一切を買って出てくれ、編集部の、この10年を労っていただきました。多少気まぐれの感は否めませんが、どうにかこうにか続けてこられたのも会員の皆さんあってのことですので、これを機会にさらなる充実を図りたいと決意新たな編集部一同でした。一夜明けた翌2月5日は余勢をかって、記念登山として立石山北東尾根891メートルのピークへ。

 参加者:加藤、塩月、松田、大平、荒金、高瀬、栗秋、狭間

→関連記事「おゆぴにすとHP開設10周年記念宴会IN由布院と前後行状の記

坊がつる雪見酒(2012.1.28追加)New

    

 今年最初の公式山行「坊がつる雪見酒」を1月21~22日に挙行。昨年も皆さんに広く呼びかけたが結局、栗秋、狭間両会員の二人、大雪・厳寒の中、決行となった。今年は5名(加藤、塩月、狭間、高瀬、栗秋)の参加。テント、食糧のほか酒、焼酎、ビールを担いで、長者原よりいざ!坊がつるへ。あいにく、寒が緩んだ時期に運悪く当たったが、シャーベット状の雪を踏みつつ坊がつるを目指した。(写真:雨ヶ池コース最初の休憩ポイントにて)

 坊がつるの少しはずれにテント2張りを設営後、法華院温泉へ。熱い湯を堪能した後、ビール不足分を買い足しテント帰着後すぐに開宴、17時過ぎ。キムチ鍋、月桂冠1.8リットル、焼酎いいちこ1リットルと霧島0.5リットル、ビール缶12本5.1リットルで雪見酒は盛り上がり、午後8時過ぎにはお待ちかね加藤替え歌600選。・・・今宵の坊がつるのテントは10張り程度。以前のように次から次へと歌詞がポンポン出るわけでもなく、それぞれ立派な大人たちなので周りへの遠慮もある、替え歌の主役・加藤会長は、今日は山のいで湯愛好会会長という、品格をさほど問われなくてもよさそうな立場での参加だが、何といっても日本山岳会東九州支部長の肩書が邪魔をする部分もある。それでも得意のハーモニカで勢いをやや挽回、一同それなりに雪見酒を堪能した模様。マイナス10℃以下の厳寒を想定しこの日のために登山道具を買い足した塩月会員には、せいぜいマイナス2,3℃の坊がつるの夜は、少々期待外れではあっただろうが、その分よく眠れたはずだ。

       

 まあ、替え歌の盛り上がりがイマイチだったことと、このメンバーにして、持ち上がった酒類に残存量が出たあたり、年のせいにせざるを得まい。それでも万年青年の輝きに少しも衰えがなかったこと、この雪見酒が今後も定例行事となることを確認して、「坊がつる雪見酒」の報告としたい。


おゆぴにすと新年の抱負を語る(2012.1.9追加)
  

 1月6日夕、市内都町の神楽茶屋にて新年会を開催。

 冒頭加藤会長「今年はおゆぴにすとHP開設10周年、それに続き山のいで湯愛好会創立30周年など当会にとっては節目の年であります。私個人的には昨年日本山岳会東九州支部長に就任し、支部改革を実行してきました。各種の行事もその一環であります。また、古希という節目の年を迎え、本当は記念すべき誕生日を海外の山で迎えたかったのですが準備不足でかないませんでした。そのかわりのつれあいとの北京旅行は良い思い出ができました。まあ、いろんな意味で今年は節目の年になると思いますので、皆さん今年も共に頑張りましょう」の挨拶。塩月さんの乾杯発声で宴に突入。乾杯に続く歓談では、HPに載った『大分登高会の青春群像』がひとしきり話題に、・・・高並、矢野鉄、美人4人娘、佐藤(和)、安東、塩地→スワロー→鈴木、各人の会員№などなど次々に。

 喉も充分湿ったところで参加者全員に近況と今年の抱負を語ってもらった。以下のとおり。

高瀬:
「昨年末ごろから体調が復調してきました。今年は復活の年にします。今年は悲願の前穂北尾根に登ります。皆さんも行けるところまで一緒に行きましょう。仕事は今、遺跡の発掘調査など季節限定ではありますが、なかなか興味深くやっております」

大平:「今年の目標は19回目の出場となる菜の花マラソンをまず完走、次にこのところリタイア続きのウルトラマラソン(阿蘇スーパーカルデラマラソン100Km)を何とか完走したい。仕事の方は、そろそろ今年あたりで店じまいを考えています」

松田:
「今年は(病み上がりの)女房を元気にすることがまず一番。女房あっての我が家、私ということをこれほど感じたことはありません。それから、大分と薩摩をこのところ随分長いこと往復の日々でしたが、薩摩の灰(へー、桜島の噴煙)にも踏ん切りをつけたいと思ってます。決心がついたということです。それにしても桜島の昨年だけで1000回近い爆発・・・あのエネルギーを原発除染などに有効利用できんもんかねえ。おゆぴにすとの行事、近場以外のものは当分出れないけど、気持ちは常に皆さんと共にあり、です。」

塩月:「昨年は日本山岳会に晴れて入れてもらいました。会員番号14952番です。昨年末12月3日に皇太子殿下御臨席(一般会員として)のもと開催された日本山岳会に初めて出席し、殿下の眼の前で新入会員として紹介される、身に余る光栄を味わいました。登高会の経歴のない私ですが、こうしておゆぴにすとの皆さんの仲間入りをさせてもらい、美味しい酒を共に飲み、味わい嬉しい限りです。ひとえに会長始め皆さんのお陰と感謝しております。それから会社定年後初めて名刺をつくりました・・・このうれしさを分かち合ってください(参加者に日本山岳会会員、山にいで湯愛好会会員、ひこさんクラブ会員と書かれた名刺を嬉しそうに配る)。高瀬さんから先程話のありました北尾根にも参加しサポートしたいと思ってます。それも含め、今年もおゆぴにすとの全行事に参加するつもりです。」

吉賀:「60歳を期に、嫁さんとの約束でもあった嫁さんの実家の姓を継ぎました。皆さんとの関わりはこれまでどおりでお願いします。また、昨年末をもって30数年勤めてきた会社との縁も完全に切れました。まあ仕事は今後新たに考えますが、しばらくは吉野月形の‘桜の園’計画を完成に向けてにわぴにすとに専念・努力します。これまで7年かけて雑木、竹林を整備してきました。ヒマな時は毎日朝から晩まで山に入り重労働の日々でしたが、いよいよ皆さんに披露できるところまで整備が進んで来ました。このところは朝起きたら、周りが観たらびっくりするようなかっこうして山に入る日々です。また一切の仕事(職)を辞めたのを機に嫁さんと海外旅行など考えています。桜の園はまた、連絡します。」

狭間:「今の会社もこの春で4年満了です。在宅勤務の利点を最大限に活かして山登りにも繋げてます。といっても仕事はちゃんとやってますけど。このところ特に剱岳のことが強く頭の中を占めるようになりました。剱岳のことを考えると、ここに同席している吉賀、高瀬、事故処理に奮闘した松田さんに足を向けて寝れない思いなんです。ここ数年剱岳を取り巻くように北アを縦走してきて、いよいよ剱岳だけに登る気持ちの準備が整ってきたなという感じです。37年前、早月尾根から剱岳に入山、剣尾根R4で転落、吉賀、高瀬ほか仲間に交替で担がれた(三ノ窓コル~長次郎コル~長次郎雪渓下降~剣沢~雷鳥沢~室堂)日以後、ある意味では時間が止まってしまったって感じです。今度は長次郎雪渓から剱岳を経て早月尾根を下る・・・そうすることによって時間を取り戻す・・・今そういう気分です。お付き合いをよろしくね。(・・・しばらく37年前の剱岳事故の話題の後最後に)・・・今まで吉賀リーダーが救助ヘリを敢えて断ったとばかりてっきり思い込んでいましたが、今日の話の経過から、それは私の勝手な思い込みであったことが分りました。いや、断ったことそのものも吉賀リーダーの山岳会のあるべき姿に対する思い入れの結果ということで、『さすがだなー』と内心思っていたくらいのもんです、『いっそここから一気に富山まで運んでくれたらどんなにか楽だろうに』と思ったのも事実ですが」

加藤:「冒頭の挨拶でも言いましたように1月1日をもって古希を迎えました。今まで年齢を記入するときに6から始まっていたのに、7から書き始める・・・これが大きいんですね。それで明日は私の長いおつきあいの十二支会の登山のため岡山に行きます。古希を祝ってもらえるんです。10年前エベレストトレッキング、今回キナバルは申し込んだけど枠いっぱいでダメでした。それで女房と北京旅行にしたわけです(北京みやげを皆さんに配る)。実は最近我が家ではテレビを止めました。しかしたまたま北京滞在中に『エベレストを撮る』を観て、あれは良かったですね。たばこ→麻雀→ゴルフと止めてきましたが、今回テレビを止めた・・・9時に寝て午前3時に起床、NHKラジオ深夜便はなかなか良いですね。お陰で24%の節電にもなってます。東九州支部改革にも着実に取り組んでます。それから、坊がつるのあせび小屋のことですが、九州の山の原点と思ってます。この小屋について何故かおゆぴにすとの反応が、特に編集長の反応が弱いんです。いっぺん皆で泊まってみましょうよ。最後に今年は山のいで湯愛好会創立30周年ですね。過去の資料をひも解いていたら、『大分100湯』の古い選定案が出てきました。これをベースにあらためて大分100湯を本にする、あるいはHPに載せてはいかがか、皆さんに真剣に考えてもらいたいですね」


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