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会友・栗秋正寿氏ファミリーの素顔に迫る!(2003.11.22追加)
 マッキンリー冬季登頂の講演をお願いした1998年以来、当会の会友として親しくお付き合いいただいている正寿氏ですが、その素顔や最近娶った新妻のことなどは会員諸氏には意外と知られていません。先日、西日本新聞に掲載された正寿ファミリーの記事を以下に紹介します。(以下11月16日付け西日本新聞朝刊記事全文)

来年1月にもアラスカへ旅立つという栗秋正寿さん。左は妻の聖子さん

・・・妻の待つ家に帰ってこそ・・・
「この景色を見せてあげたい」

 「ちょっと行ってくるね」「じゃあね」。毎冬、北米アラスカの山々に登る栗秋正寿さん(31)=福岡県田川市=は、空港で見送る妻聖子さん(30)とそんなやりとりを交わす。聖子さんの両親の強い反対に遭いながらも、昨年末に結婚。直後の今年一月にもアラスカ入りした。ただ、遠征の最終目的地は妻の待つ自宅の玄関に変わった。「肉親だけでなく、僕の命は彼女の両親や祖父母のものでもある。登頂より、みんなのもとへ無事に帰るのが目的」と語る。 (文化部・松前陽子)

 「間違っていたらごめんなさい。私は八年前、ライブハウスでバレンタインデーのチョコを渡した者です」。一九九八年九月、北米大陸最高峰のマッキンリー(六、一九四メートル)に登頂後、新聞に紹介された正寿さんのもとに一通の手紙が送られてきた。送り主は聖子さん。

 二人は高校は別々だが同学年。バンドのギタリストとして文化祭などで演奏していた正寿さんを聖子さんが見初め、二年生の時、ライブハウスでチョコを渡し、走って逃げたことがあった。

 それから八年。手紙を機に交際が始まったが、結婚への道はなだらかではなかった。

 「山の旅人」を登山哲学にしている正寿さんにとって、頂上は目的地の折り返し点にすぎず、無事、自宅の玄関に立って完結する。行動の自由が制約されないようにとスポンサーは付けず、遠征費は講演や原稿執筆料などでまかなう。登山家として次第に名は知れるようになったが、経済的には安定しにくい。

 平凡でも安定した暮らしを娘にさせたい聖子さんの両親は、二人の結婚に猛反対だった。「何か話したいとき、山に行っていれば電話もできないけど、それでもいい。春は必ず帰ってくるから」と必死に訴える聖子さんは、両親との口論が絶えなくなり、家を出てしまった。見かねた祖母が間に入り、「聖ちゃんがよかったら、それでいいじゃないか。幸せになればいいじゃないか」と両親をなだめたという。

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 正寿さんは毎年一月から四月すぎまでアラスカの山に登り、聖子さんのもとを離れる。だから、国内にいる間は「二人の時間を大切にしたい」と、年間四、五十回の講演は可能な限り日帰りを心がけている。

 自宅オフィスで雑誌の原稿を執筆したりする合間にも、「活動を理解してくれているから」と、大学の助手として多忙な聖子さんに代わり、家事を担当。掃除、洗濯、料理と何でもこなす。そんな正寿さんに、今では、聖子さんの母から料理のレシピなどを教える電話が時々かかってくるようになった。

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 今年の八月、二人は遅くなった新婚旅行の行き先にマッキンリーの登山基地を選んだ。毎冬、正寿さんが一人で暮らす一帯。軽飛行機で到着したその地は、空気が澄み、巨岩がそそり立つ氷の世界。聖子さんには、見るものすべてのスケールが違った。

 「大自然を前にして、彼がなぜ来たくなるのかよく分かった」と聖子さん。ただ、「こんな広いところに一度入ってしまったら、もう捜せない。元気に帰ってくるか、二度と帰ってこないかのどちらか。覚悟ができました」と語る。

 それでも、聖子さんは結婚して安心感を得た。安否情報の一報は家族に届くからだ。「彼の情報は一番早く知りたい。離れていて何もできないかもしれないけど、確実に知りたいんです」

 冬のアラスカでは、オーロラが闇夜を染める。緑白色、黄色、朱色…。その神秘を独り占めするとき、正寿さんは六千キロ離れた聖子さんを思う。「この景色を見せてあげたい。ドラえもんの『どこでもドア』で連れてこれればいいのに」



おゆぴにすとHP、西スポ紙に紹介さる
(2003.11.1追加)
 
西日本では比較的メジャーなスポーツ紙・西日本スポーツ10月29日版の連載記事‘トク得ホームページ’で、当山のいで湯愛好会のホームページが紹介された。内容は以下の新聞切り抜きのとおり。編集部に直接取材があったわけではなく、記事内容はすべて向こう任せだっただけに、編集長としてはどんな記事に仕上がるのか、少しヤキモキしたが、内容は、当HPの本質に迫るほどではないにしても、あまり的はずれでもなく、可もなし不可もなしといったところか。

 紙面を大きめに割いて頂いたことには感謝せねばなるまい。

 西スポといえば、駅やコンビニなどどこでも買える、発行部数の多いメジャーなスポーツ紙。そこで気になるアクセスカウントの伸び具合であるが、掲載後数日間微増しただけで、期待したほどではなかった。この新聞の購読者層と‘おゆぴにすと’ではミスマッチということかな?・・・・。

  

挾間選手3年ぶり復活の激走
(2003.10.21追加)
 去る10月19日、読売新聞西部本社主催にて大分県国見町で開催された’03デュアスロンジャパン国東半島国見大会に参加した挾間選手がショートディスタンスの部(47km)で見事総合9位に入賞した。日中汗ばむほどの秋晴れの中、西日本各地から集まった‘精鋭’37名が午前9時に一斉にスタートし、秋の国東路をひた走った。第1ラン5.5kmをやや自重し24分(17位)でまとめたのち、得意のバイクでオレンジロードの激坂31kmを猛烈に追い上げ8位(バイク所要1時間11分少々)に躍り出るも、第2ラン(7.5km)の前半に‘ガラスの膝’がまたまた謀反を起こしズルズルと後退。しかしバイク時の貯金のお陰で、後方の追い上げをかろうじて最小限にとどめ、並み居る若者達を押さえ堂々総合9位(2時間15分7秒)でゴール。

 この大会には2000年の大会まで3回出場し、すべてシニア部門を制していた挾間選手としては、当然シニアV4と思いきや、隣県福岡から参加の、とんでもない‘スーパーおじさん’2名にシニアの上位をさらわれた。意外な伏兵に副賞の車エビをさらわれたかっこうの挾間選手、「世の中、上には上がいるもんだ」とぼやくことしきりであった。

          

星生倶楽部に露天風呂完成(2003.8.29追加)
 栗秋会員の便り:題して「愉しかり! 山のいで湯」(8.28メール受領) 
 九重・長者原は西の小池に位置する星生倶楽部に待望の露天風呂が完成した。しかしありていに言えば、温泉リゾートに露天風呂はあまりにも定番過ぎて、今更追随する必要があるのか。話題性もさしてあるまい。と今春、工事が始まったと聞き及んでからの思いであった。と言うのもこの高原リゾートにはロケーションの秀逸さを誇ればいいのであって、某ウィスキーのキャッチコピーみたいに「何も足さない、何も引かない」を基本理念とすべきではないか、とつねづね思い温めていたからである。となれば、そこに立つ人工の類は必要最小限に、ただひたすら地味さを競う方が世の流れに合っているし、ナチュラリスト(栗秋のこと)としてはトーゼンの感情を述べたまでである。

 ところが初見参の末、目論見はあらかた外れた、と言ってもいいと思う。宿から沢筋へ下ると、突然の森に出合う。その傾斜地をうまく活用したその造りは傍からはまったく見取られないし、ずんずんと森に包まれて湯を目指すのは一種の快感である。そもそもこの西の小池一帯は泉水山の裾野を構成するのびやかな草原である。その印象からすると、その間際にこんなに深い渓流を持った森が存在すること自体興奮に値する。なるほど写真で分かると思うがずいぶんと広く、その造りは地味ではない。いやむしろやたら岩風呂を強調し過ぎるきらいありで、周りの植栽や風情は新興の露天にありがちなトーンだと言っていい。しかしだ。すぐそばを流れる渓流と周りの森がそれを差っぴいて余りあるのだ。ほてった身体を渓流にさらし、また湯に浸る。真夏の冷たすぎる渓流、そして高原のたたずまい。山のいで湯とはかくありなん! との思いが、ボクの唯一の夏休みを色濃く彩どる。この湯を語らずして無為の時を経る方法を今、思いつかない。

           

時の人−会友・大平氏、エベレスト報告に大忙し(2003.7.23、7.26写真追加更新)
 東京農大隊のエベレスト・ローツェ環境登山隊に副隊長として参加し帰国した大平氏は、このところ関係機関への帰国挨拶、登山報告に多忙である。地元紙・大分合同新聞社への挨拶・報告に始まり、大分信用組合ロビーでの登山・装備展の開催(8月20日まで)、FM大分での対談のほか、本日夕方5時からNHKに生出演した。29日にはTOSの午前11時の番組にも出演予定である。

 加えて、広瀬知事からも直々にお声がかかり、写真のようなツーショットが実現した。「日頃から登山には格別の思い入れがある知事さんらしく、熱心に耳を傾けてくれた」(大平氏談)。

 こんなわけで、今ではすっかり‘時の人’になってしまった彼、「2ヶ月以上も休業してたのに、なかなか仕事に専念できん!」と愚痴もポツリ・・・。会社は大丈夫?大平さん!。それよりも、エベレストの石、ほんの小さなかけらでもいいからこっちにも・・・。

   
     大分県信用組合でのエベレスト登山・装備展(好評につき8月20日まで期間延長)


  
        5月23日、NHKに生出演(ちょっと緊張の面持ちだが次第に口は滑らかに)


大分県庁ホームページに掲載された写真と記事(全文)
7月4日 エベレスト登山参加の大平さんが訪問「東京農大登山隊の副隊長としてエベレスト登山に参加した 大分市の大平展義さんが、知事を訪問され記念にエベレストの石が贈られました。零下20度下での苦労話、チャレンジすることの大切さなど、登山好きの知事と会話が弾みました。エベレスト登頂記録写真展が県信用組合本店で7月31日まで開催されています。」
 
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