2003年後半へ

東京農大隊大平展義氏エベレスト帰国報告(2003.6.24)
 東京農大エベレスト・ローツェ環境登山隊の副隊長としてこの3月から遠征していた大平さんがこの程元気に帰国した。6月20日大分市都町「母家」に、大阪から駆けつけた松田会員をはじめ‘おゆぴにすと’など山仲間が集い、大平さんを囲んでエベレストでの奮闘ぶりに耳を傾けた。大分を出発時、今回の遠征に対する並々ならぬ決意のほどを語った氏らしく、今回はアタック隊のメンバーとして全員登頂を目指した。惜しくも諸般の事情から8,600m地点で断念せざるを得なかったようだが、「ローツェ(8,516m)を足下に見たことで踏ん切りがついた」という言葉に充分説得力があった。氏の果敢な挑戦を真摯に受け止めようぞ、‘サロン派おゆぴにすと’諸君!。

   
              母家の玄関にて(このほか高瀬、塩地も)


「壮行会の時、おゆぴにすと会旗を誰からも託されなかったので、自分で用意し秘かにポケットに忍ばせていたたんだ」と怪気炎。・・・恐れ入りました。


   


祝・高瀬会員初孫誕生(2003.6.8)
 
一昨年12月おゆぴにすと6人衆が「父の友人」として披露宴にも出席した高瀬家の次女麻里ちゃんが6月3日、無事出産した。詳細は不明だが、喜びを押さえきれない、おじいちゃん・高瀬が、さっそく編集部宛に初孫のデジカメ写真を送信してきた。「うん、あんたの孫に間違いない!」と周囲の祝福の声。で、おゆぴにすとF2として産湯はどこにするかちゃんと考えているだろうね、おっちゃんよ!

           

祝・
東京農大エベレスト・ローツェ環境登山隊エベレスト登頂
(2003.5.24)
 会友・大平さんらの率いる標記登山隊が5月21日午前1時(現地時間21日午後10時)ごろ、登頂に成功した。ちょっと残念なのは、三浦雄一郎氏の最高齢登頂と重なったことで記事の扱いが、そっちばっかり目立ったことか・・・。でも、合同新聞ではちゃんと扱ってくれてました。(詳細は以下の大分合同新聞5月23日朝刊記事を参照)

 
  

東京農大エベレスト・ローツェ環境登山隊副隊長の大平展義氏からの便り
(2003.4.21)
 
上記遠征隊員で当山のいで湯愛好会の特派員でもある会友・大平氏から以下のとおり葉書が届いた。環境登山隊は4月16日現在、引き続きC2へ荷上げ+高度順化中である。氏も元気な様子とお見受けした。大平氏に励ましのメールを送ろう。
メールはこちらへ→応援メッセージ

        

加藤会長の大分百山完登が地元紙を飾る!
(2003.4.15)


        

栗秋副編集長 博多転勤激励会
(2003.3.24)
 
これまでおゆぴにすと活動の記録係を一手に引き受けていた栗秋副編集長が、定期異動で博多の本社へ栄転することになり3月15日、急遽身近なごくうちわの激励会を大分市内のセンチュリー大分ホテルで行った。宮仕えの悲しさか、五十路に入ってのアウトドアライフ構想の思惑が外れた彼、すっかり意気消沈(???・・・・そうでもないか)。いや、本人よりも、彼を取り巻く一部のパートナーに、大袈裟に言えばその人生設計にさえ少なからぬ影響を与えたことは確かでしょう。まっ、しかし、彼にとってはテリトリーの範囲でもあり、これまでと大して変わりはないとの見方もある。
  


会友・大平展義氏 エベレストへ挑戦
(2003.3.8)
 
当山のいで湯愛好会の古くからの会友である大平氏(新聞写真参照)がこのほど、東京農大エベレスト・ローツェ遠征隊の副隊長としてヒマラヤ遠征することになり、今月中旬出発する。氏としてはナンガパルバット以来のbig exspeditionとなる。去る2月28日夕、出発準備の慌ただしい中、ごく内輪の激励会を大分市都町の「母屋」で開催した。その挨拶の中で、「この遠征は自分(の登山人生)にとってきわめて重要な意味を持つ」と、普段にこやかな大平スマイルを絶やさない氏としては、いつになく決意に満ちた表情で語ったのが印象的であった。悲願達成を祈ろう!
      

激励会の様子(有川氏のケイタイで撮影したもの、参加者:大平、加藤、有川、塩地、荒金、吉賀、高瀬、挾間)



加藤会長、念願の大分100山全山完登
(2003.2.22)
 
大分百山の選者の一人でもある加藤さんが、幼少時九重の山々に親しんで以来50有余年かけてこのほど、大分百山を全山完登した。大分百山は20年前に選定されて以後、2度の差し替えがあっているので実際には110山登ったことになる。2月22日、奥さんや古くからの山仲間が同行した日田市の大将陣山(909.8m)をもってこの快挙となった。その日夕刻、12名が九重町長者原に集い、大阪の松田氏から届いた祝いの酒を傾けながらね共に祝った。加藤さん曰わく「『百の頂に百の喜びあり』というが、それに加え、百の思い出と百の仲間を得た」と。これらの紀行は今後、当ホームページで紹介する(参加者:加藤夫妻、塩月夫妻、宮崎夫妻、宮崎、吉賀、高瀬、栗秋、えーっともう一人写真一番手前の若い人、それに筆者・挾間)。


                星生倶楽部での祝宴

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