主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・2003.1 〜 2003.12(未定稿)

1月2日(木)  ’03初夢 モンゴルの草原をMTBで疾走する
 マウンテンバイク(MTB)を初めて手にしたとき、峠や源流地帯を思う存分駆けてみたいと思ったし、実際そうしてきた。もう一つは、天空に連なるような大地を騎馬民族のように駆けてみたいとも思ったことである。新年を迎え今年こそはという折りもおり、S君から耳寄りな話が届いた。

 なんでも、伏魔山山麓に正月三が日の間だけ忽然と姿を現す広大な大地があるという。天気次第ではMTBの格好の遊技場になるが、運が悪いと深雪でラッセルを強いられ、さらに運が悪ければ融雪による全身ドロンコ状態は免れないらしい。したがって、MTBを思う存分楽しめるのは数年に一度あるかないか、しかも千載一遇のチャンスは天気の状態からみて今日をおいてほかにはないという。

 目覚めて窓外に青空が覗く朝、S君に電話を入れ新春初ライドの仲間入りを快諾された僕は、愛車ジャイアントを車に積み込み、この未体験ゾーンへの期待と不安を膨らませながら指定された集合場所に向かう。(本文参照)
 (参加者) 挾間、外2名
  ’03初夢 モンゴルの草原をMTBで疾走する  挾間 渉


2月1〜2日(土〜日)
 厳冬、涌蓋山紀行
 ひょんなことから、いにしえの我が山の会“大分高登会”に一時期籍を置いた岳友、I 女史と新雪の涌蓋山を歩くことになった。もちろん夜はくじゅう・星生倶楽部に投宿して湯三昧の果ての雪見酒を楽しもうという算段である。ところがI女史、同じ山の会に所属していたとはいえ、短期間の在籍ゆえ山行を共にしたことはなく、ショージキなところ殆ど記憶になかった。さて豊後中村駅で待ち合わせて恐る恐る山行を開始してみると、断片的にではあるが、だんだん昔の思い出もよみがえり、エンジン?がかかってきたのだ。(本文参照)
 (コースタイム)2/1 大分8:15⇒(車・松ケ丘発 東大道〜豊後中村駅経由)⇒筋湯温泉駐車場10:20 31→ひぜん湯10:39 42→涌蓋越11:53 12:01→涌蓋山12:47 13:02→涌蓋越13:30→ひぜん湯14:21→筋湯温泉駐車場14:30 45⇒(車)⇒星生倶楽部15:00(泊・大宴会)
2/2 星生倶楽部11:00⇒(車・吉部〜由布院経由)⇒大分12:45
(参加者) 挾間、栗秋、I 女史(会友)
 厳冬、湧蓋山紀行 

2月11日(火) 加藤御大、大分100山達成目前! 県南・場照山へ支援山行の巻
 加藤さんの大分100山完登まで秒読み段階になってきた。残すところ県南の桑原山、場照山、それに日田の大将陣山の三山のみである。ならばせめて一つぐらいはお供しなければなるまいと思い、場照山行にお供することとしたが、この山域はボクにとっては、ほとんど手付かずの未開拓ゾーンであったのだ。その意味では、これから県南の山々を攻める足掛かりとしても是非登っておかなければならない、橋頭堡(きょうとうほ)としての山と位置付けた訳である。

 もちろん山里のいで湯をからませれば、もっとよろしい。となれば帰路多少の回り道にはなるが、加藤の勧めもあって、本匠村の“牧山の湯”へと足を延ばした。純然たる民間の経営ではあるが、山間の渓流沿いに湧く簡素な造りの湯屋は、湯上がりの休憩室も自由に使えて小宴会にも願ったりのシチュエーションに、思わず笑みもこぼれようというもの。(本文参照)
 (コースタイム)2/11 大分8:10⇒(車・松ケ丘発 東大道〜上野ケ丘〜R10〜佐伯経由)⇒黒沢ダム9:35 40⇒(車・播磨谷林道〜鳴水谷林道経由)⇒場照山登山口10:10 24→場照山11:05 23→登山口11:52 12:00⇒(車・佐伯まで往路を引返す)⇒本匠村・牧山の湯13:00 14:50⇒(車)⇒佩楯山(はいたてやま)15:24 30⇒(車・野津〜R10経由)⇒大分16:50
 (参加者) 加藤夫妻、挾間、栗秋 
  加藤御大大分百山、県南・場照山へ支援山行の巻 

2月22〜23日(土〜日)  加藤会長の大分100山完登記念式典 IN 星生倶楽部
 あと一山を残し大詰めを迎えた加藤会長はついに22日、日田の大将陣山に夫人ら総勢7名で登り、念願成就となった。そして その足でくじゅうは星生倶楽部へ直行。大分100山完登記念式典を華々しく挙行した。

 さてその冒頭の挨拶で「最近登山は裏山に始まり裏山に終わるの境地に辿りついた」と話しており、100山完登の喜びを「深田久弥さんが、“100の頂に100の喜びあり”と言っているが、これに加えて100の思い出、100の仲間有り」だと思うと率直に語った。更に今後の抱負を尋ねると「まだまだ県内には未踏峰も多い。これらに足跡を残して、郷土を再認識したい」といつになく紅潮した面持ちで語るのを見ると、情熱はとどまるところを知らないなぁと思うのだ。還暦を経てますます血気盛んな加藤会長に周りも元気を貰った大宴会(記念式典)であった。翌23日は帰途、下湯平温泉(しあわせの湯)にも入湯。
 (参加者) 加藤夫妻、塩月夫妻、宮崎兄夫妻、挟間、吉賀、高瀬、宮崎、栗秋、木下
  トピックス 2003年前半 

5月2〜5日(金〜月)  屋久島紀行
 念願の屋久島・宮之浦岳を踏む山旅に加藤会長夫妻をはじめ夫婦2組+島の森林管理所の腕利き係官がガイドで付き(実は河野夫人の実弟)、総勢7名の殿様登山?だった模様。安房をベースに3日は屋久杉ランドを経て淀川登山口まで車。ここから淀川小屋〜花之江河〜宮之浦岳を往復8時間30分かけて楽しんだ。翌4日は宮之浦歩道ルートを車で稼ぎ、縄文杉まで登る。帰途、白谷雲水峡にも立ち寄り、屋久島の一部ではあるが、世界遺産の名にふさわしい島の大自然を堪能した。おっと、山麓のいで湯にもキッチリと浸ったぞ。一つはモッチョム岳を仰ぐ南面の尾之間(おのあいだ)温泉共同湯。二つ目は宮之浦地区に近い楠川温泉。いずれも素朴さを失わないいい湯だった。(本文参照)
 (参加者) 加藤夫妻、宮崎兄夫妻、河野夫妻、他1名
  屋久島紀行 

5月4〜5日(日〜月)  束の間のくじゅう( 星生倶楽部)に遊ぶ
 3月の博多転勤以来、環境は激変した。慣れぬ仕事にオフタイムも常に宿題が頭から離れず、なかなかリフレッシュできない。ここは思いきって山のいで湯へ直行だい!と勇んでくじゅうを目指した。名古屋からの客人を交えての大宴会を目論んでのことだが、それはともかく星生倶楽部の温泉はいつもながらしっとりと癒すように我が身を包み込んでくれた。あぁ、願わくば無粋な電話なんぞかかってこないでおくれ!
 (参加者)栗秋、須股、他1名

5月24〜25日(土〜日)  おゆぴにすと、肥前の奇峰と湯巡りに嵌まる!の巻
 ロマネスク高瀬のたっての希望で肥前国を旅した。もちろんこだわり挾間も加わってのトリオ行脚だが、計画はあってなしがごとく。唯一の了解事項は佐賀・長崎県境に聳える虚空蔵山(こくぞうさん・609m)周辺にて野営して、翌朝こやつに登ろうと申し合わせただけであって、まったくの行き当たりばったりの体で旅は始まった。(本文参照)
 (コースタイム)5/24 JR武雄温泉駅にて合流16:30⇒(車・武雄市内で買い出し)⇒嬉野17:40(嬉野彷徨・轟の滝公園〜嬉野温泉元湯入湯〜茶畑ロード周遊〜広河原キャンプ場偵察など)⇒嬉野・立岩展望台20:00(泊・小宴会)
5/25 嬉野・立岩展望台9:10⇒(車・川棚町経由)⇒上木場登山口10:12 26→(木場新道経由)→虚空蔵山11:10 28→岩屋登山口11:47 50→(林道を歩く)→上木場登山口12:13 18⇒車⇒嬉野温泉・シーボルトの足湯入湯12:45 13:15⇒武雄13:30〜50(御船山周辺彷徨)〜御船ヶ丘梅林登山口13:57→御船山14:17 15:09→登山口15:25 32⇒車⇒武雄温泉・蓬莱の湯入湯15:37 16:30⇒(車)⇒JR武雄温泉駅にて解散16:35
 (参加者)挾間、高瀬、栗秋
  おゆぴにすと、肥前の奇峰と湯巡りに嵌る!の巻【前編】

  おゆぴにすと、肥前の奇峰と湯巡りに嵌る!の巻【後編】

7月25〜26日(金〜土)  慌ただしく、くじゅう(星生倶楽部)を巡る旅
 あぁ、今回もくじゅうとは名ばかり。唐津での現場討論会に出席して、午後は博多で神妙に会議、結論を誘導しつつ手短に取りまとめ、夕刻星生倶楽部入り。某市会議員の当選祝賀大宴会が目的なり。夜中に温泉だけはゆるゆると浸ったが、翌26日は午前中から小倉で会社の退職激励会に呼ばれており、朝8時前には高原の冷気を裂いてくじゅうを後にした。まったく慌ただしく、もったいない旅だったぜ。
 (参加者)栗秋、他5名

7月31日〜8月2日(日〜火)  富士山登頂報告
 読売旅行の団体ツアーに加藤他4名の熟年おじさんが参加して登頂を目指した。先ず初日は冨士吉田5合目登山口から15:05登山開始。7合目の鎌岩館に18:30に到着して宿泊。翌1日、小屋からご来光を拝んだ後、6:00に出立。山頂には昼過ぎ12:40の到着。しばしまどろんだ後希望者はお鉢巡りへと促されたが、もちろん我々は当然の行動だ。最高点の剣ケ峰には14:20着、「日本最高地点3775.6m」と標記された標柱有り。二等三角点と絶頂からの展望を愛でながら、しばし滞在しただけですぐ行動開始。団体行動は気ぜわしいのだ。この日は8合目の太子館に17時過ぎに到着してこれまで(泊)。3日目はゆるゆると5合目登山口まで。天候にも恵まれ、まずまずの山旅であった。(本文参照)
 (参加者) 加藤、塩月、他3名
  富士山登頂報告  加藤英彦 

8月3日(日)  第18回門司港ミニミニ・トライアスロンに出場
 今年出場した唯一の三種目レースがこれ。水泳はお馴染み門司港は和布刈(めかり)公園の塩水プール300m、続いて5kのランニングで太刀浦コンテナ埠頭まで移動?して埠頭の周回コースを5周10kのバイクで幕。バイクとランの順序が違うのはプールから自転車を自由に走らせることのできる治外法権のコンテナ埠頭まで公道に拠らなければならないこと。もちろん18年前の第1回大会からこの仕様で営まれており、常連に違和感はなかろう。

 で、トライアスロンと言いながらもカテゴリーが多岐にわたっているのが、この大会の特徴である。つまり一般的な三種目連続競技は我々Aコース35名のみであって、その他大勢はリレー形式の出場者。しかもリレーも経験や力量?によってB.Cコースと分かれており、距離も短いので、ちょっとした思い入れで大会に参加することができる。まるでお手軽な市民マラソン大会のノリであって、そのことをみんな知っているのでお祭り気分のレースと言われる所以であろう。

 さてレース概況は如何か?となると、第一スタートの我々Aコースのスイムの部は50m、 8コースのプールに、35人が同時スタートなので混雑は避けられない。コースロープもなにもないので最初の50mまではまだしも、折り返してからは正面衝突の可能性をはらみながら、大胆かつ細心の注意を払って進むことが肝要なのだが、ボクの身にはそれ以前の大問題が降りかかってこようとは。つまり号砲と同時に壁を蹴った途端、日頃のエクササイズ不足か左脚が攣ってしまい、スタート後わずか3mで立往生してしまったのだ。プールサイドの係員からは棄権を打診される始末で、不安と戸惑い更には情けなやの心情が入り交じり、先々が思いやられた。

 それでも何とか左脚をだましだましあしらっての6往復、300mを終え、這々の体で上がったが、水面にはわずか2〜3人しか残っていなかったのだ。まぁしかし棄権だけは免れたので、よしとしなければなるまい。そしてランは早足ていどの巡航速度がやっとで、低いレベルでの抜きつ抜かれつは難儀そのもの(それでも差引き6〜7人はかわした筈)。

 炎天下の5kの何と長かったことか。加えて借り物の自転車はフレームサイズが小さ過ぎて、窮屈なフォームでは心拍数は最後まで上がらないままゴールを迎えたが、おっと持ち主のM兄には感謝こそすれ、不義・不平を申し述べてる訳では決してありません、平に平に。ともあれ、短いながらも久方ぶりのトライアスロン、それなりに充実感は味わったし、春先からのストレスも幾分なりは発散できたものと思っている、うんうん。で今回は全く順位には頓着なかったが、22位/32人(完走者)の結果は何とコメントしようか迷うところである。
 (参加者)栗秋、その他大勢

8月23〜24日(土〜日)  くじゅうに新名所誕生! 星生倶楽部の露天風呂入湯印象の記
  この夏はじめての夏休みをくじゅうで過ごすこととした。とは言っても土日の一泊安直旅行であるが、とにかく時間のゆるすかぎり、のんびりと湯に浸ろうと心に決め、いつもの星生倶楽部へ。ところが新たに露天風呂が完成していたのだ。以下、その印象記である。

 「九重・長者原は西の小池に位置する星生倶楽部に待望の露天風呂が完成した。しかしありていに言えば、温泉リゾートに露天風呂はあまりにも定番過ぎて、今更追随する必要があるのか。話題性もさしてあるまい。と今春、工事が始まったと聞き及んでからの思いであった。と言うのもこの高原リゾートはロケーションの秀逸さを誇ればいいのであって、某ウィスキーのキャッチコピーではないが、「何も足さない、何も引かない」を基本理念とすべきではないか、とつねづね思い温めていたからである。となれば、そこに立つ人工の類は必要最小限に、ただひたすら地味さを競う方が世の流れに合っているし、ナチュラリスト(栗秋のこと)としてはトーゼンの感情を述べたまでである。

 ところが初見参の末、目論見はあらかた外れた、と言ってもいいと思う。宿から沢筋へ下ると、突然の森に出合う。その傾斜地をうまく活用した造りは傍からはまったく見取られないし、ずんずんと森に包まれて湯を目指すのは一種の快感である。そもそもこの西の小池一帯は泉水山の裾野を構成するのびやかな草原である。その印象からすると、その間際にこんなに深い渓流を持った森が存在すること自体興奮に値する。なるほど写真で分かると思うがずいぶんと広く、その造りは地味ではない。

 いやむしろやたら岩風呂を強調し過ぎるきらいありで、周りの植栽や風情は新興の露天にありがちなトーンだと言っていい。しかしだ。すぐそばを流れる渓流と周りの森がそれを差っぴいて余りあるのだ。ほてった身体を渓流にさらし、また湯に浸る。真夏の冷たすぎる渓流、そして高原のたたずまい。山のいで湯とはかくありなん! との思いが、ボクの唯一の夏休みを色濃く彩どる。この湯を語らずして無為の時を経る方法を今、思いつかない。」

 と興奮気味に記してみたが、臨場感をうまく伝えきったかどうか、はなはだ心もとない。おゆぴにすと諸兄は、先ず体験してみることが肝要であろうぞ。
 (参加者)栗秋夫婦、栗秋の姉夫婦
 トピックス 2003年後半 

8月30〜31日(土〜日) 忘れないよ! この夏の大島アクアスロン
  玄界灘に浮かぶ宗像郡大島村で夏の終わりにアクアスロンがあるという。玄海T.Cの練習会として催すらしい、と門司えすかるごのM兄。食通でもある彼の口をついて出たのは、「大島の海鮮旅館で一泊、海の幸食べ放題、もう食えねぇと夢を見つつ、翌日は練習会を楽しもう!」と何とも魅力的な提案であった。すっかりサロン派アスリートへ転向してしまった?己にとって、う〜んスイム&ランはともかく、大島というロケーションと海の幸三昧の一泊大宴会ツアーには大いに食指が動いた。もちろん初めての島であり、一昨年には島の中央に天然温泉が湧いて活況を呈している筈である。初見参の島と温泉、そして現地調達の活造りとあらば垂涎の的ではないか。さてその顛末は? (本文参照)
 (参加者) 栗秋、他5名
 わすれないよ!この夏の大島アクアスロン

9月21日(日)  初秋・二日市温泉と天拝山麓を歩く
 福岡県で一番歴史のある温泉は何処? ちょっとその道に詳しい者なら、即二日市温泉と返ってくる筈である。博多から筑後・豊後・肥前などに向かう街道の要衝にあったことも手伝って二日市温泉は大いに栄えたが、それもそのはず。現在の温泉ブームからは信じられないことだが、福岡県の温泉は100年前までこの二日市温泉しかなかったのだ。それは、今みたいに掘削技術が無かったこともあるが、何よりも「二日市温泉」というブランドが当時の人々の間に確立していたことも大きかった。盛時には川を挟んで30近い宿が軒を連ねていたという。

 だが、鉄道網の整備と共に旅行者が宿場として利用する事も無くなり、隆盛は過去のものとなって久しい。それゆえ往時のたたずまいを確認したいし、未入湯の湯ゆえ、南福岡に転居してこのかた目と鼻の先にあるこの温泉が気にならない方がおかしかろう。てな訳でまだ残暑厳しい中、奥方と探索に出かけた。JR二日市駅までは南福岡から快速でわずか7分、車窓をのんびりと眺める余裕はない。更に駅からは徒歩約10分で温泉街だ。

 伝説によると、653年(白雉4)、次田郷(すいたのこおり)と呼ばれたこの地で、藤原登羅麻呂という人が疫病にかかった娘のため薬師如来に祈ったところ「紫の雲がたなびく下に温泉があるので湯あみさせよ」とのお告げを受けた。そのとおりに温泉が見つかり、娘の病気が全快したという。江戸時代には黒田藩主のための御前湯も設けられ、その名は市営の公衆浴場として残っている。

 またすぐ近くには「博多の湯」という銭湯風の湯屋と「バーデンハウス」という名の割りにはしもた屋風の二軒の公衆浴場もあり、この温泉町の核を成している。ところで我々はどこに入ろうか、と思案する間もなく、我が奥方は御前の湯へ。あくまでも比較の話だけど一番こぎれいな建物だったのがその理由。さもありなん。まぁしかし中は普通の銭湯の趣で風格やいにしえを忍ぶ造りではないが、アルカリ性単純泉が肌にやさしく、しっとりとまつわりついた。先ずは良しとしよう。

さて湯上りに腹ごしらえと街をさまようも、なかなかめがねに適う庵なしで温泉街を西へ。九州道をくぐると、里山の趣だ。少し上ると溜め池があり、天拝歴史自然公園へとつづく。芝生広場や植物園に東屋も点在して家族連れが多く、近場のピクニックに最適なシチュエーションといったところだろう。

 一方、ここで行き当たりばったりハイクでの新発見があった。位置的にこの里山の連なりが天拝山になることは想定できるところだが、この登山口に飛鳥時代に蘇我氏の手で建立されたと伝えられる、九州最古のお寺、武蔵寺(ぶぞうじ)があった。さして広くはないが、境内には樹齢1300年の藤が風格を漂わせている。さぞ見頃の五月には山里の景に見事に映えるに違いなかろう。

  で本題の昼食は武蔵寺から少し下ったところ、旗に導かれて集落の一角、手打ちそばの「一作」を訪ねた。地鶏そば、おろしそば、エビスビール1本と注文はシンプルながら、周りの造形を愛でるように食する。雰囲気も美味の要素だ。あたり一帯はひなびた集落が点在して竹林や雑木林が風にそよぐ。何とも言えぬ田舎のたたずまいが、すぐそばの二日市温泉街とは別世界の感あり。、初秋の風に酔いながらのぶらり旅も悪くない。
 (参加者)栗秋夫妻

10月5日(日)  篠栗四国霊場八十八ヵ所巡りの番外札所・若杉山に登る
 週末を利用して娘宅(門司港)へ泊まりに行った帰り、篠栗に立ち寄った。挾間との若杉山〜宝満山早駆け走を翌週に控えて、若杉山への登路を確認しておくのが目的。もちろん未知の山域でもあり、スタート地点でモタモタしたくはないからね。先ずはJR篠栗駅構内の観光案内所で篠栗四国霊場八十八ヵ所札所巡りのマップを貰う。若杉山へのルートはこのマップで一目瞭然。楽園を経て奥の院までは車道が延び、ここから山頂までは20分の歩程。登りは楽園方面へ少し回り込んだ林道から登山道へと取り付き直接大祖神社上宮(山頂)へ。

 ここは八十八ケ所巡りでは番外札所だが、参拝者は多く、山上の茶屋も賑わっている。三角点のある山頂は東へ100mほど尾根を辿った、マイクロウェーブ中継塔のある丘。ここでも数組のハイカーがおもむろに弁当を広げて憩いの最中だ。しかしお茶とのど飴ぐらいしか持たぬ我々に長居は無用、三郡山への縦走路をしっかりと確認して、復路はくだんの中継塔を保守するための車道(コンクリート道)をまっしぐらに下ったが、いずれも周りは杉の巨木が圧倒的迫力で立ち競っている。

 う〜ん、この鬱蒼とした森があってこそ霊験新たかな気分に成りえるし、若杉山の魅力はこの森抜きには語れないと思うのだ。先ずはそんな印象と同時に、奥の院の茶屋で食った350円のうどんも博多湾を見下ろしつつの景観味と霊験味が加わってすこぶる美味かったことを記しておきたい。
 (参加者)栗秋夫妻

10月11日(土)  おゆぴにすと二人、余裕と意地の若杉山〜三郡山〜宝満山早駆け走の巻
 南福岡へ転居した栗秋はこのかた世俗事にかまけてエクササイズの方は隠遁生活者の如く、すっかり縁遠くなってしまった。この間山行も挟間&高瀬両兄に誘われた、肥前の山といで湯行(虚空蔵山、嬉野温泉他 5/24〜25)のみであって、我が半生を眺めるにこの5ケ月余りの活動況は氷河期と例えておかしくなかろう。ただこの状況を諦めつつ受け入れていた訳ではなく、チャンスとあらばそろそろ低山歩きぐらいは再開せねばならぬと、思っていたころあいに挟間から一本のメールが届いた。

 内容はデュアスロン国見大会(10/19)の前哨戦として、筑豊は福智山周辺のランニング登山を企画したい。よって地元支部はこれをサポートして、具体的な肉付けを図られよ!であった。しかし福智山塊はちょっと遠いし、ランニング登山なんて恐れ多いが、まるっきり無視も出来ない。福岡の山に不案内な彼に頼られているとすれば、一肌脱ぐしかあるまい。(本文参照)
 (コースタイム)博多駅8:40→JR(福北ゆたか線)→篠栗駅8:59 9:00→タクシー→荒田高原9:12 19⇒奥の院出合い9:36⇒若杉山9:46 50⇒ショウケ越10:13 17⇒鬼岩谷山10:40⇒砥石山10:51 54⇒前砥石11:03⇒三郡山11:43 57⇒長崎鼻12:22(I女史と合流&昼食) 39⇒仏頂山12:44⇒宝満山12:54 13:05⇒二合目水場13:35 44⇒竃門神社14:10 20→車→西鉄大宰府駅14:28 40→NR(大宰府線)→西鉄二日市駅14:46 48⇒JR二日市駅15:00 01→JR(鹿児島線)→博多駅15:28
 (参加者)挾間、栗秋
 おゆぴにすと二人、余裕と意地の若杉山〜三郡山〜宝満山早駆け走の巻 

10月13日(月)   玖珠・切伐山ヒルクライム
 一昨日若杉山〜宝満山、全行程16Kのランニング登山を敢行。そのツケは確実に回って、昨日から大腿部の筋肉痛で日常の歩行も難儀であった。さて脈絡もなく、故あって本日は玖珠の妻の実家で目覚める。曇天で今にも降り出しそうだが、本降りにはなるまい。ガスに頂上は隠れているが伐株山とも久しぶりに対面だ。ならばリハビリを兼ねてMTBでこやつにヒルクライムで挑もう(大袈裟過ぎる?)と、唐突に思いついた。

 クルクルとペダルを回すだけなら身体上は全くノープロブレムであって、標高差430m、往復(周回コース)約10kは心肺能力を問うだけのエクササイズである。さて麓までおよそ1kは平坦でポタリングの趣きだが、取付きの下横尾集落からは一気の急坂がはじまる。こうなれば軽いギヤでクルクル回すことしか思いつかず、頭の中はカラッポ。汗はかくがこれが尊い。

 上るにつれ霧雨に変わったが、30分を要した、人っ子一人いない頂はガスの中で、もちろん展望は望めず滞在は1分。下りは憩いの森キャンプ場へ取ったが、この間車には一台も合わず(もちろん登山者にも)、森の中の豪快なダウンヒルを一人占めしてその醍醐味に興じた。おじさん(ボクのこと)は少年に還ったつもりだっが、跳ね上げた泥・雨水でシャツもパンツも真っ黒。帰宅後、奥方からは少年のように怒られたぞい。うんうん
 (参加者)栗秋

10月19日(日)  挾間選手3年ぶり復活の激走!
 読売新聞西部本社主催にて大分県国見町で開催された’03デュアスロンジャパン国東半島国見大会に参加した挾間選手がショートディスタンスの部(47km)で見事総合9位に入賞した。日中汗ばむほどの秋晴れの中、西日本各地から集まった‘精鋭’37名が午前9時に一斉にスタートし、秋の国東路をひた走った。第1ラン5.5kmをやや自重し24分(17位)でまとめたのち、得意のバイクでオレンジロードの激坂31kmを猛烈に追い上げ8位(バイク所要1時間11分少々)に躍り出るも、第2ラン(7.5km)の前半に‘ガラスの膝’がまたまた謀反を起こしズルズルと後退。しかしバイク時の貯金のお陰で、後方の追い上げをかろうじて最小限にとどめ、並み居る若者達を押さえ堂々総合9位(2時間15分7秒)でゴール。

 この大会には2000年の大会まで3回出場し、すべてシニア部門を制していた挾間選手としては、当然シニアV4と思いきや、隣県福岡から参加の、とんでもない‘スーパーおじさん’2名にシニアの上位をさらわれた。意外な伏兵に副賞の車エビをさらわれたかっこうの挾間選手、「世の中、上には上がいるもんだ」とぼやくことしきりであった。
 (参加者) 挾間
  トピックス 2003年後半

10月24日(金)  皿倉山〜福智山ランニング登山
 先日(10/11)の若杉山〜宝満山早駆け走を余裕の走りでこなした挾間の鼻息は荒い。というのも若杉山〜宝満山はあくまでも助走に過ぎず、取り敢えずの本命はこのJR八幡駅〜皿倉山〜福智山〜牛斬山〜JR採銅所駅とつなぐ総延長35km、累積標高差2500mとしていたからだ。こだわり挾間、面目躍如の大スペクタクル活劇の全容はじっくりと本文をご覧戴きたい。
 (参加者)挾間
 皿倉山〜福智山 ランニング登山

10月26日(日)  コスモスの島・能古に遊ぶ
 久しぶりに暦日単位で休めそうなので、夫婦で博多湾に浮かぶ念願の能古島へ行った。思ったより丘陵だらけのこの島の北端には、「能古島アイランドパーク」という植物公園があり、今が盛りのコスモスやサルビア、ベコニア、マリーゴールドなど秋の花が満開なのだ。そしてこれを目当てに福岡市民は安・近・短ののりで押しかけると言う図式かな。船着場からは臨時バスが待ち構え、満員の客を乗せて、のんびりゆるゆると丘陵に上がり、公園を目指す。照葉樹のトンネルを抜けたり、木々の間から見る博多湾を眺めたりと、車窓からの風景に飽きることはない。暑くも寒くもないこの時期はバスも最高の稼ぎ時なのだ。

 さて10分ほどで着いた公園は広大な丘に大勢の観光客がそちこちに広がり、まさに秋の雰囲気を楽しんでいる。たまには季節の移ろいを肌で受け止め、感性を磨くために草花を愛でつつの散策も悪くないか、うんうん。 (傍から見れば女房サービスと言うこともできる) 

しかし前述のように、この時期福岡近郊ではチョー有名なコスモス島だからして、悩みもある。人、ひと、ヒトの波が絶えず、船も島内のバスも公園の入園も長蛇の列の順番待ちとあっては、いささか人に酔い、疲れを覚えたことも事実。まぁそれを割り引いても今が旬の一面コスモスの鮮やかさや、復路、植物園から船着場まで約4kの自然探勝路のハイキングはヤブツバキ、タブノキなど照葉樹のトンネルを潜り抜け、博多湾から玄界灘へと広がる海の青さと、糸島半島の山々を垣間見ながら、心癒される一級のコースだったね。このことは島の名誉のために是非記しておこう。
 (参加者)栗秋夫妻

11月9日(日) 比良山系・武奈ケ岳登山記
 大分上野丘高校12期生の同窓会(43年前の卒業だって!)が、11月8〜,9日の日程で関西支部の主催により滋賀県大津の琵琶湖にて開催され、その翌日の行事として登山会を加えていただき参加者を募ったところ、合計10名の参加となった。目指すは比良山系の雄、武奈ケ岳である。(本文参照)
 (参加者)加藤、木下他8名
 武奈ヶ岳(1214m)登山記

11月15〜16日(土〜日)  骨休め IN くじゅう(星生倶楽部)
 今年6回目のくじゅうは全て星生倶楽部が絡んでいる。と言うより目的が星生倶楽部なので、今やくじゅうに行くということは、この湯宿に泊まるということに他ならない。そして今回は5月の「肥前の山旅」以来の高瀬と、初見参の義母の取り合わせも新鮮?。

 例によって露天風呂にのんびりと浸った後は鴨鍋を肴に、高瀬持参の地酒をかっ食らう。うんうん、なかなか、晩秋の冷え冷えした高原の夜にあっても、我が心はあったかく癒され、ゆるゆると過ぎていく。この時の流れが尊いとしみじみ思いつつ、今年を振り返ってみると、何と山行目的で訪れたのは2月の涌蓋山行のみではないか。その意味ではサロン化の度合いを深めている最近の傾向に、この湯宿は深く関わっていることは否定できないぞ。う〜ん、しかしこれが我がおゆぴにずむの実態とあらば、抵抗する意気地はなく、甘受するしかなかろうて。
 (参加者)高瀬、栗秋夫妻、義母

11月30日(日) 第21回門司港レトロマラソンは実力どおりだったぜの巻!
 今年最初で最後のロードレースがこの門司港レトロマラソンに落ち着いた。依然、両足踵の故障を抱えたままだが、レース本番ぐらいはおとなしくしてくれるだろうとの期待を滲ませながら、そして特筆すべきは奥方を応援役で伴なっての参加だ(前日娘宅に泊まって帰りの道すがら、ちょっと寄ったと言った方が的を得ている?)。

さて例によって“門司えすかるご”御用達控所、門司港運(株)オフィスをベースに、先ずは(己の)踵へのご機嫌伺いがてら、ウォームアップランに努める。オフィスからからR199沿いに南下して葛葉のナフコまで往復3.5kで汗は充分、スピードはいっこうに上がらなかったが、すぐにでも臨戦態勢は整ったつもりだった。

そして定刻の5分前に、スタート地点の西海岸埠頭へ赴くと予想どおり1700名にも及ぶ老若男女の群れで溢れかえっており、少しだけ未練は残しながらも最前部に潜り込む度胸は持ち合わせなかった。結局、わずかな隙間をこじ開けて中段に落ち着いた訳だが、この時すでに自分の心中は、せめぎ合いに負けていた、と言えよう。何故ならこの人数での中段スタートは、押し合いへし合いで序盤を遊ぶことになり、勢い中庸な走りにならざるを得ないことを知った上での選択だったのだ。

さて定刻、9時50分の一斉スタートは、案の定のっけから右往左往、10モード走行の如く。例によって西海岸の埠頭を2周回(2k)して門司港レトロ街へ繰り出し、海峡プラザの裏を回り込んだ3k地点では既に14分を要する始末。そろそろ本気で?走らないと後が無いぞ、と言い聞かせてもみたが、心拍数、スピードとも劇的に上がる筈がなかった。せいぜいもがいてもキロ4分20秒がいいとこで、これ以上我がエンジンや動力伝達系のパワーアップは望むべくもなかった。つまり、己の限界点をあっさりと認めざるを得なかったということ。その意味ではこの春以降、劇的な練習量の減と故障のツケを如実に思い知らされた道中となったが、それでも何とか全体の流れに乗って最後まで走れた現実を尊ぶべしであろう。

そしていつもならゴール直前は目一杯の走りで飛び込む習癖も、今回は淡々としたレース運びを締めくくる意味で、ごくごく控えめにゴールラインを踏んだが、都合44分56秒の意味は今年のエクササイズ環境を示唆する数値として妙に説得力があった、と我ながら納得した次第である。ちなみに順位の方は年代別で161位/約700人(40〜59才男子の部)と、いつもながら底辺拡大を目指す市民マラソンの趣旨をよく理解されたジョガーがたくさん集まった結果に他ならない。その意味でも大いに敬愛すべき大会なのだ。
 (参加者)栗秋、その他大勢

12月7日(日) 椎原温泉、背振山直下の深山幽谷が福岡市内あった! の巻
 会社の水泳部の忘年会で早良区椎原の割烹旅館へ行った。早良区とは言っても、油山を北に見る背振山脈直下の深山幽谷の地にあって、アルカリ性単純泉が湧く山のいで湯なのだ。椎原温泉・はるみ荘と名乗るが、ここの桶風呂が良かった。宴会前に一風呂と軽い気持ちで入ったところ、小鳥のさえずりと冬枯れの木々の葉音を窓外に聞き、ぬくぬく、ぬめぬめとした湯に浸ると、俗世間の憂いとストレスはすべからく吹っ飛んで、まっことキモチ良がいいのだ。人生の妙味とはこんな一断面を言うのかも知れぬが、ゆるゆるふつふつと思いつつしばしまどろんだ。まだまだ身近なところに思わぬ所あり。閑雅なる休日は時の経つのも遅く感じられたぞい。
 (参加者)栗秋

12月20〜21日(土〜日) 県南の山旅、扇山〜石槌山〜背平山〜元猿山〜高平山〜仙崎山
 所属するもう一つのクラブ・大分クレージートライアスロンクラブの忘年会が久し振りに催されることになった。県南のメンバーの提案であり、場所は蒲江町の民宿。日頃なかなか県南に足を伸ばす機会の少ない我が身としては、前々から気になっていた山や、一度は足跡を残してみたいと思っていた峠・林道などのこともあり、この機会に表題の‘県南の山旅’を計画した。

 気がかりなのは、忘年会の提案者・地元佐伯市在住の前田君の「狩猟解禁に伴い、林道は当分お休みです」とのひと言。薮こぎをも辞さない低山徘徊派やMTBライダーにとっては、冬枯れのこの時期こそが活動に最も似つかわしい。「案ずるより生むが易し」、とにかく行ってみよう。(本文参照)
 (参加者)挾間
   県南の山旅(前編)扇山〜石槌山〜背平山  

   県南の山旅(後編)  元猿山〜高平山〜仙崎山 

                                           (文責:栗秋)


おゆぴにすとホームページ2003年掲載記事一覧(掲載順)


’03初夢 モンゴルの草原をMTBで疾走する  挾間 渉

小表山と酒利岳 冬枯れの山道散策  挾間 渉(2003.1.6追加)

温暖化SOS アラスカ発  栗秋正寿(2003.7.8写真追加) 

加藤御大大分百山、県南・場照山へ支援山行の巻  栗秋和彦(2003.3.8追加)

厳冬、湧蓋山紀行  栗秋和彦(2003.5.1追加)

「オーロラの音幻か」〜神秘の光に畏敬抱く〜  栗秋正寿

屋久島紀行   加藤英彦(2003.5.24追加)

おゆぴにすと、肥前の奇峰と湯巡りに嵌る!の巻【後編】  栗秋和彦(2003.6.18追加)

おゆぴにすと、肥前の奇峰と湯巡りに嵌る!の巻【前編】  栗秋和彦(2003.6.7追加)

富士山登頂報告  加藤英彦(2003.8.27追加)

望岳雑感  挾間 渉(2003.9.26)

わすれないよ!この夏の大島アクアスロン  栗秋和彦(2003.9.28)

おゆぴにすと二人、余裕と意地の若杉山〜三郡山〜宝満山早駆け走の巻  栗秋和彦
(2003.11.2追加)

皿倉山〜福智山 ランニング登山 狭間 渉

会友・栗秋正寿氏ファミリーの素顔に迫る!(2003.11.22追加)
 
(西日本新聞2003年11月16日付け朝刊「生活・ヒューマン 家族」より)

大分市の新しいトレーニング場(2003.12.16)New!

武奈ヶ岳(1214m)登山記
  加藤英彦(2003.12.20追加)

県南の山旅(前編)扇山〜石槌山〜背平山

県南の山旅(後編)  元猿山〜高平山〜仙崎山

【連載記事】 ジャヌーへの挑戦 第1〜23回  吉賀信市(2003.3.19〜12.22更新)

トピックス 2003年前半

トピックス 2003年後半

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