鶴見岳北谷今昔(2016.2.1更新)
  鶴見岳北面一帯の谷は、北谷と総称され、桜谷、滝ノ谷、(個称としての)北谷、地獄谷などから成る。いずれの谷とも急峻なガレ場だが、積雪が覆い尽くしたときにのみアルパインの格好の遊技場となる。
 
 一方、無雪期はどうか。現在では、この谷の上部の岩場を目指す“もの好き”など恐らく居ないであろう。
 しかし昭和40年代あるいはそれ以前、阿蘇鷲ヶ峰の岩場が九州の岩登りの中心にあった頃、カネも車もヒマも大して持ち合わせていない大分の若者は、“登攀の対象にならない”かもしれないこの谷の上部をも、岩登りの対象にしていた。

 そして昭和40年代半ば、正確には昭和46年7月10日、鞍ヶ戸山北面直下に安東洋一・佐藤和彦両会員により新ルート(3ピッチ)が開拓された。しかし、登攀記録そのものはほとんど残っておらず、わずかに会員同士の口伝により、その後第二登、第三登が行われたらしいことが、その後の大分登高会会報「登高」の山行記録から読み取れる。

 しかし結局のところ、この鞍ヶ戸山頂直下の大分登高会ルートが世に出ることはなかったように思う。
 北谷に登高会としてどう関わったのか、とりあえずのところ「登高」にある、北谷関連の山行記録(縦走は除く)を以下に列挙する。

 なお、前述したように表中の「北谷岩登り」とあるのは、佐藤和彦会員からの私信により鞍ヶ戸山頂直下の岩場と判断した。
 また、当時我々が読んでいた“硫黄谷”は、現在では、蒸気噴気口付近に突き上げる“地獄谷”を含んだ一帯の谷を指している。
                            (写真は2014年2月JR日豊線の車窓から撮影)

鶴見岳北谷の登攀記録(大分登高会1971以降分、大分登高会会報「登高」より抜粋)

1966.1.29   北谷滝の谷 西、矢野、三浦、中塚
1966.6.26   北谷滝の谷 姫野、矢野、松田、小竹ほか

1971.7.10-11 北谷 岩場新ルート開拓
1971.10.14   北谷岩登り 吉賀、佐藤、小西 
1971.10.24  北谷岩登り 井上純、佐藤
1971.12. 5   北谷岩登り 小西他
1972. 2. 6   北谷     小西、挾間、御手洗

1973.1.27-28 北谷     挾間、杉崎、吉賀
1973.7.21-22 北谷岩登り 佐藤、挾間、桂、安部、丹野
 鶴見山北谷 佐藤和彦 「インドア合宿の打ち上げとして鶴見岳北谷からの放射状登山を山行計画としていたが、参加者が少なく、又、リーダーも前日に急に私に決まり、放射状登山をするかどうか迷ってしまった。…」以下→こちら
1974.1.26   北谷(滝ノ谷、硫黄谷) 松田、小田、嘉島、挾間、杉崎
1974.1.26   北谷(硫黄谷側壁) 挾間、杉崎

1977.1.30   北谷(滝ノ谷) 佐藤清、守谷、桂、栗秋

真冬の鶴見岳北谷  挾間 渉(1990.1.27)

 1月27日。雪がちらつき、御許山や由布、鶴見の連山が雪化粧をすると何だか落ち着きがなくなる。血が騒ぐというのだろうか。

鶴見岳北谷滝の谷右俣(2013.12.28)

 鶴見岳の北面のいくつかの谷は、桜谷、滝の谷、地獄谷などと称され、急峻さと身近さにおいて



地獄谷(2013.2.13)


 ‘14厳冬 鶴見岳 地獄谷(2014.2.13)

 厳冬の別府アルプス(鶴見連峰) 私にとって今冬3度目の入渓。幡手さんにとっては数日前の山渓登山教室からわずか2日後の入渓。
 '14厳冬鶴見岳北谷 豪雪の滝ノ谷(2014.2.15)
 厳冬の別府アルプス(鶴見連峰)地獄谷を終えて興奮冷めやらぬ、わずか2日後、再びというか今冬4度目となる鶴見岳北谷。



地獄谷(2015.1.4)
'16厳冬 鶴見岳北谷 滝ノ谷左俣(2016.1.26)New!
“滝谷”と“滝ノ谷”について
 筆者の周囲の山仲間と話をすると、これから述べる“滝ノ谷”では話が通じなくて“滝谷”の方が通りが良い。しかし、筆者が若いころこの谷は“滝ノ谷”と呼ばれ、鶴見岳北谷と総称する、