鶴見山北谷
                            佐藤和彦

 インドア合宿の打ち上げとして鶴見岳北谷からの放射状登山を山行計画としていたが、参加者が少なく、又、リーダーも前日に急に私に決まり、放射状登山をするかどうか迷ってしまった。結局、出発前の挾間、中上の「岩登りをしましょう」という言葉に動かされ出発した。

 岩登りは、例会山行では初めての鞍ヶ戸頂上直下の岩を登ることに決め、2時間ヤブコギをして取付きに着いた。

 岩登り組はトップ・挾間、セカンド・桂、ラスト・中上とした。佐藤、安部、中上は岩登りを2時間ほど見て、稜線に出る予定でいた。

 事故の起きたのは最終ピッチの4ピッチ(普通ルートで3ピッチ目にあたる)目である。トップの挾間はルートを少し左の方にはずれハーケン2個を打って、登っていた時である。中上の「アラー」という悲鳴におどろき岩をふりむくと、トップの挾間がすごい勢いで落ちた。一度草付きでバウンドして、それから1回転して20m程落ち、ようやく桂の確保で止まった。ハーケンが2個抜けた。止まった所は傾斜が約55度位でゆるやかな所であった。4m程右下に岩峰が出ていたので、桂の確保でザイルにぶら下がりながら、岩峰の頭に逃げた。

 私は挾間の所に行ったが。わりあい元気で安心した。それでも精神的に参っており「もう登れない。」と言う。手をひどく打ったらしく自由がきかない。全身ズタズタという感じで事故の恐ろしさを知る。

 ラストの中上を桂の所まで登らせ、懸垂下降をさせる。

 少し休ませ、食事をとり、気が落ちついた所で下山開始。幸いゆっくり、自力で下山できた。
(事故の報告の詳細は挾間より次号に報告) おわり (「登高」82号、1973年8月)



        事故報告 鶴見岳北谷
                                        挾間渉

 前号で佐藤より事故の経過が語られているので、原因登について自分なりに反省してみたいと思う。

 岩場は鞍ヶ戸山頂直下の北東側にあり、すでに前会員のAさんや、佐藤らにより初登されている。傾斜は緩やかであるが、極端にもろく、3P終了までにボルト3本、ハーケン7本が打たれておるが、ハーケンは全くきいていない。技術的には阿蘇の北稜よりやや難しい程度だが、岩のもろさは一級で、「登攀の対象にならない」(西代表談)、とも言われるほどのところで、オーダーはトップ・私、桂、中上の順であった。

 4P目に最初に横ハーケン、その2メートル上に縦ハーケンを打った。部分的にかぶり気味だったので上のハーケンを使って吊り上げを行なったところ、ハーケンが抜け、もろに3メートル落ち、ショックで2本目も抜け、セカンドの距離の倍だけ(14〜15メートル)落ちたところで最後のボルトで止まった。ハーケンがきいていなかったことに加えて、横ハーケンにテコの力が働いて、強引にねじ曲げられて抜けたことがあとで判った。

 これまでゲレンデオンリーの登攀で、既成ルートばかり登り、ハーケンを打ったことがなかったため、ハーケンがどの程度効いているのか分らないままに、安易にハーケンに頼ってしまったことが一番の失敗だった。又、岩登りの基本はあくまでもフリークライムであるということを忘れ、これまでハーケンを頼りに腕力による強引な登り方をしていたこと…事故は起こるべくして起こった。まさに自業自得とはこのことである。

 さいわいにも、ケガの方は、方々を強打したわりには大したことなく、左腕にひびが入った程度で済んだ。ザックにシュラフが入っていなかったら、自力で下山できたどうかわからなかった。 (おわり) (「登高」83号、1973年9月)