真冬の鶴見岳北谷  挾間 渉

 1月27日。雪がちらつき、御許山や由布、鶴見の連山が雪化粧をすると何だか落ち着きがなくなる。血が騒ぐというのだろうか。雪が少ないと思っていた今冬、本格的寒波とともにまとまった量の積雪がみられ、鶴見岳北谷もアルペン的風貌に様変わりした。さっそく2〜3人の岳友に声をかけてみたが相手にしてもらえない。この次、この次・・・・・・で何度シーズンを棒にふったことだろうかと思うと、居ても立ってもいられない。

 九州の山ではドカッと降ったら即実行しなければだめだ。正月以降は仕事で週末、祭日すべて動きが取れず、吉野の梅を見たいという女房、野山で草スキー楽しみにしている子供達のことも気になるが、1月の最後の連休の1日くらいは仕事のことも忘れて・・・・・・と思いながらも溜まった仕事を前に書斎に閉じこももっていると、栗秋から「どっか浸りに行こうか」との誘い。永田先生を交え堀田の露天風呂に案内してもらう。

        
                  堀田温泉・夢幻の湯

 堀田付近から鶴見岳を仰ぎ見ると、積雪量はまずまず。露天風呂そのものを堪能しきっている二人を尻目に、気分は既に北谷にあり。「決断と実行」が肝腎だ。そうと決まれば、北谷林道入り口までのアプローチの雪の状態が気になる。当然、帰路は回り道しての偵察行だ。

 翌1月28日。6時30分起床。晴。昨夜の晴天による放射冷却で気温はかなり低い。北谷のアイスバーンに期待しながらも、「所詮は九州の山」とアイゼンは置いていくことにし、7時にマイカーで我が家を出発。今日の出で立ちは、久しぶりに手入れした愛用の登山靴(モデルコンタミヌ、S47購入)、子供に庭で鍬替わりに遊ばれた錆びたピッケル(サッポロカドタ、S47購入)と大体大分登高会時代風、装備はと言えば、持ち主のなりとはややそぐわぬカリマーのアタックザックに、中身は幸いにも購入以後6年間一度も使用したことのないツェルト、羽毛200gの軽シュラーフ、セーター、500ccのテルモス、軽食、非常袋、その他と、はっきり言ってやや持ちすぎ。それというのも、昨秋の立山での中高年パーティの大量遭難を意識して「単独の、それも真冬の山の場合、いざという時、2〜3晩のビバークに耐える装備を」と考えたからである。

 さて、日曜日の早朝のこと、わずか35分で登山口となるロープウエイ下の「境川治山施工地入り口」の標識のある北谷林道入り口に着く。鶴見山腹に開かれた林道を、右手に別府湾を見下ろしながら北斜面へとしだいに回り込む程に積雪が多くなる。

 鶴見岳北面の急峻な谷は、この林道の手前から境川第1支渓、第2支渓・・・・・・というふうに砂防堤工事のために付けられた名称が各支渓の入口に標示されている。しかし、これとは別に古くから岳人の間では、例えば第1支渓は桜谷、第2支渓は滝の谷、第4支渓は地獄谷というふうにそれぞれ呼称され登攀の対象として親しまれてきた。この谷の呼称には、山岳会によってまちまちの部分もあるが、ここでは地元で地域研究を続けている二豊山岳会に敬意を表して同会の呼称に従うことにする。私の登高会時代は、この北谷の中で、特に滝の谷と地獄谷(我々は硫黄谷と呼んでいた)に親しんできた。

        真冬の鶴見岳北谷
                  鶴見岳北谷(正面が地獄谷)

 今日の目的の谷は、地獄谷である。林道から境川第4支渓(地獄谷)に入ると、4つの砂防堤を越えたところでまず大きな壁により谷は左右に仕切られる。この壁は鞍ヶ戸U峰付近から派生した尾根の末端であり、これより右は全体としてカール状で鞍ヶ戸V峰北壁のアプローチとなる。ついでながらこの北壁および谷を前にすると、転落と満身創痍の下山となったかつての日の苦々しい記憶が甦ってくる。一方、左側の谷は急峻なガレ場であり、崩壊がひどく積雪期においてのみ、その魅力を十分発揮する谷である。もちろん、本日ピッケルを持参したのもこの左側の谷を攀じらんがためである。

 壁を左に回り込んだあたりから、雪が程よくクラストしたルンゼに入り、キックステップで急斜面を登高すること30分、積雪期の登攀を最も体感できるひとときののち、この付近から谷は噴煙口、最低ギャップ、鞍ヶ戸T峰付近などへ出口を求めて、さらに細分化されていくが、単独行のこと故、かつて経験のある一番右すなわち鞍ヶ戸T峰目がけての沢を詰めることにする。

 すぐに2〜3の小滝を乗っ越すと雪が柔かく膝までのラッセルとなり、さらに登るとかつてローソク岩と勝手に命名した、見覚えのある顕著な岩峰により、沢はさらに仕切られている。この付近では上部から落ちてきたと思われる雪塊のデブリがあり不安がよぎる。この顕著な岩峰からルートを右に取れば急登の後、シャクナゲ尾根に出ることは15年前の記憶ではっきりしている。家に残してきた予定ルートにもそこを登るよう書き記してきた。

         
                     ローソク岩

 しかし、見上げると左の、雪をかぶった急なルンゼが実に魅力的であり食指が動く。予定外ではあるが、ここから上部は未知のルートを取ることにする。急斜面の直登は、古い雪が凍り、その上に新雪が覆うといった状態で、ズルズルと何度となく滑り、必要以上のアルバイトを強いられることになる。アイゼンを持ってこなかったことを悔やむ。小滝を、雪の中からわずかに飛び出た小枝に掴まりながらやっとの思いで乗越し、急なルンゼをなおも直登すると、岩壁に行く手を阻まれて万事休す。

 もう稜線は近いと思うと後戻りする気にもなれず、止むなく右手の草付きの痩せ尾根を回り込んで、そのまま尾根を直上すると、すぐに緩傾斜、膝上のラッセルとなり鞍ヶ戸T峰付近の稜線に飛び出し本日の核心部を終える。あとは縦走路を重い足取りで鶴見岳山頂へ。ルンゼでのキックステップ、アイゼンを持参しなかったこと、稜線付近でのラッセル、日々の心掛けの悪さ等で思いのほか消耗し、山頂に着く頃には、批判の対象でしかないはずのロープウエイの有り難みを知ることになった次第。(コースタイム 境川治山施工地入口7:35〜54→境川第一支渓=桜谷8:40→境川第四支渓=地獄谷9:30→右俣と左俣の出合の岸壁基部10:30→ローソク岩11:15→シャクナゲ尾根12:10→縦走路12:45)
(平成2年1月28日)

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