'14新緑の石鎚山 残雪とアケボノツツジと

                         面河尾根からの石鎚山(2014.5.17)

 期間: 2014年5月17〜18日
 メンバー:幡手、松井、二宮、河室、梅木、北山、狭間(以上7名、大分緑山岳会6月定例山行)

 コースタイム:2014年5月17日 晴れ 国道九四フェリー佐賀関港7:00⇒三崎港8:10⇒面河11:10
 先発組5名は11:20スタート。後発組・運転手2名は車1台を土小屋にデポするため往復。12:20スタート。面河山頂上付近14:45→愛大小屋15:25→石鎚山頂上山荘16:50
5月8日 晴れ 5:24〜6:23天狗岳〜南尖峰往復→石鎚山頂上山荘7:31→二の鎖元小屋分岐7:48→土小屋8:50(面河登山口まで車回収のため往復)〜9:55→本隊と合流10:02⇒子持権現山下部10:30→子持権現山山頂10:52→子持権現山下部11:20⇒シラサ峠Cafe⇒御来光の滝展望所12:30〜13:10⇒三崎港16:15〜16:30⇒佐賀関港17:40


 石鎚山登山を少しばかり振り返る
 石鎚山系に入るのは通算すれば、数えて20数回目だろうが、面河道からのそれは直近でいつ頃だったろうか。いろんな記憶が重なり合って前後関係が不明瞭になってきているのは、加齢によるものか。

 おぼろげな記憶の糸を辿って行くと、どうも平成6年(2004年)の秋、つまり20年ほど前のことだと気がついた。その時は、まさに“錦秋の石鎚”を心ゆくまで堪能し、しかも好天に恵まれ学生時代以来となる堂ヶ森までの縦走、まさに石鎚山系の深奥に身を置くことができた。それは、ついこの間のことのように思っていたが、もう20年も前のことか・・・。

 一方で昨年、表参道・成就社からの早春の氷結した北面では、パーティの一人が初芽成(ういがなる)谷へ「あわや転落」など冷や汗ものの体験が記憶に新しいところだ。

 今回は緑山岳会の定例山行ということで、自分が企画する側ならばいくつか食指の動くコース設定も考えられたが、パーティ全体的な年齢層やこの山域が初めてというメンバーにも考慮して、最大公約数的なコース設定となったのは世話人の幡手さんにとって止むを得ないコース設定だったろう。

              
              早朝の石鎚山弥山山頂にて大分緑山岳会のメンバー(2014.5.18)

 石鎚山のアケボノツツジのこと
 面河道はこれまで1, 2, 7, 8, 10, 11, 12の各月に歩いたことはある(ただし、2月の厳冬期は敗退)が、5月中旬後半のこの時期に歩いたのは初めてのことで、この時期、標高1700mから上でアケボノツツジが見頃とは、というか今回歩いた面河道〜土小屋〜子持権現山のコースにこれほどアケボノツツジが多いとは、恥ずかしながら初めて知った次第。

    
       石鎚山頂上直下のアケボノツツジ群落         子持権現山山頂で御満悦の二人

 昨年はゴールデンウィーク後半にアケボノツツジと別子銅山産業遺跡を訪ねての赤石山系が、読みが浅くアケボノツツジは少し早すぎて空振りに終わり再訪することを考えたりしていたことを思えば、何も西赤石だけがアケボノツツジの宝庫というわけではない、ということを今回初めて知った。

 加えて、ここ数年のアケボノツツジ観賞登山では、アケボノツツジそのものの花着きが疎らな感じでやや欲求不満であっただけに、子持権現山山頂のアケボノツツジ群落は木々のどれもが花弁がぎっしりと燃え上がるような様は圧巻で、本来のアケボノツツジの姿に待望久しくやっと巡り合えたという感じだ。

 愛大小屋のこと
 学生時代以来、面河道からの石鎚登山では何度もお世話になった旧愛大小屋は老朽化と台風等による損壊のため取り壊され、8年ほど前(平成18年)に立て替えられたことは知っていたが、なかなかこの眼で確かめる機会がなかった。初めて訪れた新愛大小屋は想像したとおり、部屋の中はこじんまりと整っており一般に開放されているわりには、こぎれいで利用者のマナーの良さを想像させられた。同行のメンバーの中から誰とはなしに「石鎚山を始め愛媛の山には愛大小屋と名がつく山小屋が多いですね。それに面河道の小屋は寝具やストーブなどまで整っていて」と驚きの様子だった。

             
                  1994年当時の愛大小屋の前で

        
                  現在の愛大小屋(写真左は愛媛大学HPより)

 愛大を母校とする筆者はこの面河道の愛大小屋のほか、皿ヶ嶺竜神平愛大小屋、堂ヶ森愛大山内小屋、四国カルスト地芳峠愛大小屋に学生時代一夜の宿を乞うことが多かった。そしてこのような小屋を母校の諸先輩・先達の皆さんが建てたのかと思うと、密かな自慢でもあった。これらの山小屋が今日まで維持されてきたのはひとえに、愛媛の山岳の魅力、地域の理解、大学のパワー、登山者の熱意とマナーによるところが大きいと、あらためて感じた。それとともに気象変動が大きくなり、社会的には法規制などが厳しくなった今日、いったん老朽化してしまうとなかなか立て替えはままならない部分があろうと推察されるだけに、これらの山小屋が一日でも長く登山者を見守って欲しいと思うものである。

 残雪と登山道の崩壊
 今年の冬は例年になく雪が多かったようで、面河道や北面にはこの時期でも結構大きな雪渓があり沢の横断に気を使う場面があった。積雪や雪崩だけでなく、おそらくここ数年の記録的な短時間豪雨の結果もたらされたであろうことは疑う余地がない。特に、面河山〜西冠岳直下、本峰北面に設えられた桟道が寸断される箇所が数多く、このままでは思わぬアクシデントが懸念される。今後の修復が期待されるところだ。

   
       崩壊した桟道に神経を使う(西冠岳直下)                   北壁直下の雪渓

 終わりに
 石鎚山は筆者の登山のある人生を育んでくれた山である。石鎚を想い、石鎚に育てられて積雪期の伯耆大山、北アルプスへ飛躍して行った。それなのに、まだ厳冬期の面河道に山頂まで、あるいは天狗岳北壁にトレースをつけていない…そんな思い入れのある山なのに、だ。それだけに、これからも体力の続く限りこの山を訪れたい。それに天狗岳のてっぺんから北壁を見下ろしながら、この1年のクライミングトレーニングの成果は、この北壁に今ならザイルのトップに立ってトレースをつけられるかもしれない、と大真面目に思う気持ちにさせた。眠っていたというか封印していた闘争心を呼び覚ましてくれたのだ。今回はその意味でも意義ある石鎚詣であった。

参考:
2013年春 石鎚山
「憧憬の石鎚山」

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