2013年春 石鎚山

定年退職後の第二の職場もあと10日ほどで5年を満了する。どこの職場にも山好きは居るものだ。そして類は友を呼ぶ。昨年あたりから会社の中堅社員との登山交流も具体化してきた。九重中岳、富士山、影信山〜高尾山縦走、等々と続いた。そしてこの度、開発・マーケティング部約30名が一堂に介した四国・松山・道後温泉での会議後、3名による“西日本最高峰石鎚山登山隊”が結成された。

 もちろん私としては、この時期の石鎚山北面の頂上直下の厳しさは知らないわけではない。家庭もあり、扶養の義務もあり、会社の中での立場・将来性なども考えれば、中堅どころを軽々には、この時期の石鎚に誘うことなど思いもよらない、というのが本当のところ。会議終了後の石鎚春山行は、あくまでも単独での企てとして静かに密やかに準備・万端進行していた、つもりであった。

 しかし結局のところ、今初夏の「北海道日高山脈カムイエクウチカウシ山遠征隊」メンバーによる第一次合宿の位置づけとなってしまった。

 3月19日 午後4時、松山〜西条〜新居浜と場所を移しての、愛媛県での2日間にわたる今出張も松山空港で解散。秘かにデポしていた我が愛車で一路西条〜登山口へ。この日は豚・鶏鍋の食材を買い込み、ロープウエイ下谷駅手前のロッジへ。布団も、バスルームも、キッチン、こたつ、ガス、食器などすべて揃っている、こんな格安施設があるなんぞ知らなかった。今後とも石鎚山の登山基地として活用しよう。

 さて、このロッジでの夜は主として、来るべく日高山系カムエク登山計画の骨子案を練ることにあったが、それよりも日高の山への認識の共有、アルピニストとしてのパートナーシップの醸成におかれ、結果、恵比寿ビール6缶、大吟醸酒、ワイン各1本を空にした。

 3月20日 パン、スープ、果物、コーヒーのゆっくりとした朝食を済ませ、下谷駅駐車場へ移動。何せロープウエイの第一便は8時40分なのだから、逸っても致し方ない。

 約8分の所要で標高430mから一気に1280mの成就駅へ。第一便の乗客は予想に反して我々3人のみ。スキー場は3月の第一週で早々と閉鎖したらしいし、今日は石鎚山頂付近は雪だが下界は雨との気象予想。それにしても、先週末(3月15日)の伯耆大山はピッケル、アイゼンの世界なのに完全重装備の老若男女多数だったのに…、すでに前夜から成就社に上がっているのか、それとも日帰りなのでゆっくりしているのか、人っ子一人居ないとは、うれしいような不安なような。この日に備えてネット上、成就社ライブカメラで遠望した石鎚北面はそれなりの気合いを入れてかからねば、と思わせるほどの積雪で覆われていた。

              
                   西日本最高峰石鎚山登山隊の3名

 さて、成就社で祈願ののち人里との結界となる‘神門’をくぐり、いよいよ石鎚山北面〜弥山山頂に向けてスタート。曇天の中、気温7℃ほどで暖かめなのが気になる。八丁への緩やかな下りから前社森 (ぜんじゃがもり)への上りでは最近山に目覚めたS君や、学生時代‘北の山’に青春の血を滾らせたH君へのこの山の登山案内に余念がない。私はと言えば、石鎚を語ればアドレナリンも放出され舌好調といったところだ。

 天候不順のため景色を楽しむでもなく、ただ黙々と登って行く二人であった。S君は西日本最高峰、日本百名山の頂を踏むことを目的に寡黙に頂を目指す。一方、奥深い北の山を登山の舞台にしていたH君にとっては西日本最高峰といってもあまりピンとこないらしく多少高をくくっていた、というのが本人後日談。

 さて、話を元に戻し、前社森の‘試の鎖’付近からは少しずつ積雪量が増してくるが、案じていた雨が降り始め、上るほどに雨足が強くなったので、鎖を避けトラバースする。前社森の小屋で雨具をまとって気合を入れなおす。

 夜明(よあかし)峠から先は完全に雪道となるが、ほどよく軟らかいため歩きやすく順調に高度を稼ぐ。が、三ノ鎖の鳥居手前で仰ぎ見た北面の積雪量に気を引き締め直し、アイゼンを履く。積雪は50cm〜1mくらいか。三ノ鎖基部付近から西面に回り込むように上がって行くが、ここは急峻な初芽成(ういがなる)谷上部に当たり、コースの要所には今では上り下り専用の鉄骨桟道が設えられている。唯一の心配は、この桟道が雪に埋まっているか、そうでなくても氷雪に寸断されているかであったので、「アイゼン必携」と二人に念を押していた。S君は「この日のために6本爪を買いました」、H君は「とりあえず軽アイゼンは持っていきます。それで手強いようであれば潔く諦めます」と。

 果たして、桟道が埋まるほどではなかったものの、桟道のない部分にはもちろん用心に越したことはないが、それよりも桟道に積もった雪はいったん融解後にブルーアイス化しており靴底のエッジを受け付けず危険極まりない状態であった。先週末の伯耆大山で4本爪アイゼンにダブルストックで臨んで登頂断念という忸怩たる思いをした僕は、今回は12本爪アイゼンとピッケルという万全の備えで臨んでいたので、当然のごとくこの難所では先頭で氷結部分を後続のためにステップカットしながら進んだ。

 そしてこの難所で一番の急峻な雪面から桟道に移る場面で、ピッケルを振るう右腕に乳酸が溜まりはじめていたので、「ここは、心もとないアイゼンを履いた後続のためにもう一つ足場があった方がよいかな」と思いつつも、12本爪の威力のためか僕自身が不便を感じなかったこともあり、結局ステップ1個分手抜きして桟道に飛び移り、先に歩を進めた。

 「凍りつく」ということ
 その直後、「アッ、アアッ!!」と後方にただならぬ声を聞き振り返った。H君が仰向けになり、身体下部半分が桟道から宙に在り、S君が背中付近をがっしりと掴んでいるといった状景…僕はその一瞬何が起こったのか、まだ進行形なのか、危機的状況が収まった直後なのか咄嗟に判断できず、直ちにその場に近寄るでもなく、立ち止まったまま、状況を認識できずにただただ呆然と眺めている…‘一瞬凍りつく’というのはこういう状況なのか。我に返りその場まで戻った時には、H君は桟道の手摺に掴まりS君の助力もあり身体をせり上げながら、体勢を整え直しどうにか事なきを得ていた。事態は収束したのだ。やれやれである。

 蛇足ながら、この場所は、よりによって初芽成谷の最も急峻な箇所であり、下部には滝(この時期までなら氷瀑)もあり、もう40年以上も前、ここの下部でアラスカ遠征のための訓練をしていた松山商科大学パーティの4人が雪崩とともに叩き落され落命したところだ。ともかく何事もなくてよかった。

                
                         石鎚山北面 頂上目指して

 しばらく急な雪面を登高したのち石鎚詣での裏参道・面河道との合流点に出た。この付近からの天狗岳北壁は圧巻なので是非とも二人に見せたいのだが、あいにくのガスと雨。さらにしばらく登って、アイゼンを付けてから約50分の所要で頂上稜線に出る。拍子抜けするほど南側には雪がない。風雨に打たれながら12:09に3人無事弥山山頂に立つ。

 S君は例によって自身のフェイスブックに載せるため戸畑高校校歌を強風に抗いながら大声を張り上げて唄い、傍らのH君がそれを動画撮影している。私は、以前在ったはずの頂上避難小屋を探すが、どうも避難小屋の在った場所には上宮が建設されているようであり、この上宮の土台部分の一角にわずかな避難スペースが設けられているのに気づく。窓もなく扉を閉めると真っ暗、開けると風雨が吹き込むので、真っ暗な中ヘッドランプの明かりでカップラーメンと軽食、バナナ、コーヒーの昼食をとりながら、先ほど北面での約50分間の奮闘を反芻するひととき。とにもかくにも何事もなくてよかったと煙草をうまそうに燻らす二人。

                
                     山頂避難小屋前で煙草をうまそうに燻らす

 「下りも慎重に」と言いながらも、12本爪のアイゼンの威力による安心感と自分だけがピッケルを持っているという、気負いというか自負というか、そういうものに支えられ、4本爪とストックでビビった伯耆大山のような気弱さはない。ただH君、S君は下りも相当神経を使ったはずだ。夜明峠まで下りてきてアイゼンをはずし、やっと一息つく。相変わらずの雨に、見上げる北壁は隠れたまま、朝方、成就社からわずかに上部の一端を現しただけで、その後は終日深いガスの中であった。

 結局この日の石鎚山は我々三人だけの山となった。先日の豪雪の伯耆大山の賑わいからして、天気はあまり良くなくても、休日、しかも西日本最高峰ならば、そこそこの登山者は居ようと思ったのだが…。北面の残雪のいやらしさが、登山者を敬遠させているのだろう。やはり手強い、この山は。

(コースタイム) ロープウエイ下谷駅8:40…成就駅8:52→成就社9:12→八丁9:30→前社ヶ森10:23→夜明峠10:45→二の鎖元小屋11:20→弥山山頂12:09-13:00→夜明峠14:08→成就社神門15:23→ロープウエイ成就駅15:49