遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第9回)
               吉賀信市

11.天候待ち(BC)

 6月19日  雪

心配が当たった。夜半よりの降雪がC1の周りを元のきれいな雪面に戻している。雪は1日中降ったりやんだり。4人用の天幕に5人が顔をくっつき合わせているのは少々気詰まりだ。みんな荷上げの疲れを癒しているのか話題もあまりでない。思い出したように誰からともなく上部ルートの事が話題になる。各人それぞれの意見がでてあれこれと検討する。しかし、最後には「行ってみなきゃ分からん」となる。

 6月20日  雪

 今日も動けない。一時、雪が止み雲の切れ間より陽が壁を射す。大垂壁は一瞬の内に滝と化し、水が音を立てて流れ落ちてくる。すぐにまた雲が広がり雪も舞い始める。気をまぎらわす小道具の用意はなく退屈そのものだ。日本の山のように天気予報が聞けないので、天候がどうなるのか全く分からない。明日もこの天候が続くならば、BCに下り天候の回復を待つことにする。C1の食糧の残りあと2日分。

            
                      雪のベースキャンプ

 6月21日  時々雪

  雪が降っているが気温が高い。雪が解けて天幕内に『ポト、ポト』と水が洩る。この狭い天幕の中で不愉快極まりない。早くBCに下ることだ。7時、雪が降り止んだ。C1を後にしてBCに向かい始めるとなんとなくうれしい気持ちがする。氷河の積雪は降ってはすぐ解けるので多くはなく20cmほどだ。それよりも、2週間ぶりに見る氷河の激しい変化には驚かされる。この1週間、続いたカンカン照りにやられたのだ。雪が解けてルートはいたる所で寸断されており、今にも倒壊しそうなセラックが乱立している。日中は恐ろしくて通れるものではない。下るに連れて雲間より太陽がのぞいて来た。セラックの間を駆け足となり急いで下りベースキャンプに帰着する。オソマツな所だが我が家に帰ったような安らぎを覚える。晴れ間の見えているうちにと氷の浮いた湖の水で痒い頭を洗う。何日かぶりの歯みがき、衣類の洗濯と忙しい。キャンプの周りには洗濯物のカーテンが出来上がった。
 
            
                    ベースキャンプ(洗濯)

 午後、全員でカルワコーチャ湖に鱒つりに出かける。鱒のいそうな場所を探してルアーを投げ入れたとたんに空が暗くなり大粒のミゾレが来襲。ずぶ濡れとなりあわてて近くの家に駆け込む。誰もいなく生活道具もないので別の家に行っているのだろう。無断であるが暖を取らせてもらう。牛糞、馬糞の燃料に火をつけるのだがなかなか付かない。火が付いた頃にはミゾレは降り止んでしまった。ここカルワコーチャは標高4200mの高地で、木と云えるようなものは見当たらない。直射日光は強くて、牛、馬の糞はすぐに乾燥して良い燃料となる。燃やす時、ちょっと火がつきにくいが炭火のように赤くなり小さな炎で燃える。特に臭いは無い。草食動物の糞は草の固まりが燃える訳であるので悪臭はしない。

 この湖の周辺には4家族が生活している。しかし、彼らはここより馬で数時間の所にある村、キエルパルカにも家があり山の天候が良い季節だけ、ここで羊、牛、馬の放牧をするとのことである。ミゾレもあがりわたしたちがBCにいない間に入山したスイス隊(S・A・C)のBCが近くにあるので訪問することにする。突然の訪問であるが彼らの歓迎を受ける。キャンプを見回して我々のキャンプとのあまりの差に嫌になる。

            
                   カルワコーチャで釣った鱒

 彼らは隊員10人(男:7人、女:3人)で、立派な5張りの天幕。食堂、寝室、倉庫がそれぞれ別になっている。広々とした食堂、分厚いマットが敷き詰められた寝室、倉庫には樽に入れた食糧がギッシリ、照明はガスランプ、コックをひねって火をつければOK。
 それにキャンプの周辺はきれいに整理されておりゴミ1つ見当たらない。それに比べ我が隊のキャンプは思っただけで目を覆いたくなる。‘天と地’ ほどの差がある。

 それは資金の差か。しかし、周辺の整理ゴミはそれと関係ない。帰ったらさっそく掃除するとしよう。お茶をご馳走になりながら互いの計画をありったけの片言の言葉や単語(スペイン語、英語、ドイツ語、日本語)を駆逐して説明し合い歓談する。彼らはシウラ(6356m)を狙っており、6月18,19日にかけてヒリシャンカ・チコを東稜より登頂したと言う。我々の計画にはボルト打ちが多いだろう。今まで何本使ったかなど聞くくらいで、あまり関心を示さない。「ペイはどこから出ているのか」の問いに対し「いやどこからも出てない。プライベートだ」の返事に「オー」と驚きの表情を見せていた。彼らは、ほんとうに山を楽しんでいる感じがうかがえる。そろそろ日が暮れて来た。互いの健闘を祈りプカコーチャへと帰り始める。

            
                   スイス隊のB.C訪問

 6月22日  曇り時々雪

 キャンプは15cmの積雪。南東壁は白く化粧している。これが昼頃には解けて壁は滝と化す。水が流れるのがここからも見える。カルワコーチャに遊びに行く者。この辺をぶらぶらする。各人の気ままである。湖の周りを歩いて見るといたる所に飛行機の破片がある。特にヒリシャンカ氷河が湖に入り込む辺りが多い。昔、飛行機がヒリシャンカに衝突したのは事実のようだ。お金を見つけたら届けるようにと、チキアンの警察で言われたが、それは残念ながら見つからない。もし見つけたら届けないであろう。

 6月23日  晴れのち雨

 朝、眼にしみるような蒼空。天候回復か。よし明日から行動再開だと喜ぶ。岡田、長塚、佐藤、アントニオの4人は今日もカルワコーチャへ。BC留守番の篠原、吉賀はマットに寝そべり‘トカゲ’を決め込む。「おい、行水でもやるか」と篠原、・・・「よし、やろう」しばらく太陽が雲に隠れないのを見計らって、素っ裸となり氷の浮いている湖に足を入れる。冷たいのなんの、冷た過ぎて腰まで浸かって行水なんて出来ない。すばやく水をかぶる。冷たさに肌が痛くとても充分に洗えなく早々に切り上げる。1ヶ月振りに身体を洗い身はすっきりしたが、空の方は次第に雲に覆われて雨が天幕を叩く。走り回って洗濯物の取り込み。この繰り返しで洗濯物はまだ乾かない。カルワコーチャ散策組が帰って来た。アントニオの言うには「今年も、ハポネスはグランデに登れない」とカルワコーチャの住人たちが噂していると言う。毎日ブラブラしている我々を見てそう思ったのだろう。キツイことを言ってくれるものだ。

 チキアンから運んで、同居していたニワトリがとうとう夕食のスープとなる。買った時には丸々と太っていたのに、日増しにやせ細りスープのダシにしかならなかった。

 6月24日  曇り

 昨夜は降雪がなく今日の空は薄い雲に覆われている程度で良くも悪くもない。この程度ならば、明日から登はん再開しC2に向かうことにする。固定ロープの埋まり具合が気になるがあの急斜面のことだ。雪は多く残ってないと思う。しばらく動いてないので足慣らしに、岡田、佐藤、吉賀の3人はヒリシャンカ・チコの偵察にでかける。チコの氷河に入りルートの下見をする。まっすぐ頂上まで続くリッジの状態は良く、朝早く取り付けばスピーディーに登れそうだ。グランデを片付けて登ってみたい山である。午後、アントニオがメリケン粉をこね回してパン作りに腕を奮う。みんな食欲だけは旺盛で作る者と喰う者の競争となった。

            
                  数カ国語を駆使しての交歓
 
 6月25日  曇りのち雪  起床:5時

 空は雲に覆われて星1つ見えない。一応出発の準備を整えてどうしようと協議していた所に雪が舞い始めた。本日の行動は中止。しかし、この天候ももう回復することであろう。今後、毎朝出発できるように早起きすることにする。その期待と裏腹に雪は強く降り出した。雪の重さに天幕の屋根が下がり時々外に出て雪かきを強いられる。昼過ぎにはその雪も止み、キャンプの周辺は30cmほどの積雪。雲の切れ間より陽がさすとみるみる溶けてしぼんでしまう。1日中食べて飲んで過ごす。夜は再び降雪。

 6月26日  曇り

 昨夜も積雪があり今日も行動出来ない。昨夜よりみんな天幕の出入りが頻繁、入れ替わり立ち替わりだ。何が悪かったのか。それとも喰いすぎか。ゲリである。毎日キャンプの周辺を歩き廻っているだけなのにやたらに喰う。これでは胃腸が消化しきれなくてストライキを起こしても無理はない。だが、これに負ける皆さん方ではない。腹の調子が「悪い。悪い」とこぼしながらも相変わらずよく食べまた飲む。(お茶)これでは胃腸の方が諦めてストを解除するかも知れない。BCに降りてもう1週間、休み過ぎて身体が鈍って来そうだ。

 ここBCでの食事の内容を紹介しよう。まず、白いご飯、青物がパラパラ浮いた味噌汁、鱒の塩焼き、照り焼き、から揚げ、煮物、それにキュウリ、白菜のニンニク味が良く効いた自家製の漬物、3食ほとんど同じメニューなので少々飽きて来た。毎日食べる鱒の赤身は刺身に美味そうだ。また産卵期でありメスは、腹にイクラそっくりの赤い卵を抱いている。これもまた美味そうだ。しかし、この鱒にはジストマが寄生している可能性が高い。と在留邦人の方より注意を受けているので生ではダメなのだ。長塚はいかにも残念な面持ちで「刺身が喰いてぇ!」

 まだ、メニューがあった。岡田が腕を奮うところのシイタケご飯とヒジキご飯。篠原が得意の特製餃子。皮の厚さが3mm以上もありこれほど歯応えがあるのは街の中華料理店ではお目にかかれない。このほかにカルワコーチャの人たちからバーター取引で仕入れる卵、牛乳など。これだけいろいろあるのに飽きて来たとは贅沢か。上のキャンプに行ったならば口に入らない物がほとんどだ。これが大変なご馳走に思える時が来るだろう。今夜も小雪が舞う。南十字星も見忘れてしまった。(つづく)

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