C2の正面に見えるヒリシャンカ・チコ
   
  遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第10回)
               吉賀信市

12.第2キャンプ

6月27日 晴れ  起床:5時

雪は降りやんでおりまだ薄暗い空には星が光っている。天候が回復したと判断し、直ちに行動を開始する。実に9日振りだ。陽射しが強くならないうちに危険な場所を通過しなければならない。氷河には20cm余の積雪があるが行動には差し障りなし。きれいにトレースの消えたルートを順調に登高する。8時にC1着。アントニオをC1に待期させてC2へ向かう。吉賀トップとなり固定ロープを掘り出しながらユマールを扱ぐ。ロープは15〜20cmほど雪に埋まっており、ロープの端を持って跳ね上げたぐらいではビクともしない。ピッケルで掘り起こしながらの登高となる。

 前回ブロック雪崩に肝を潰した箇所を、素早く通過してチムニーの基部に達す。デポした荷物はひとつも損なわれていなかった。ここから上はロープに氷がついておりユマール登はんを困難にさせる。ユマールの歯に氷が詰まり体重を掛けた時に滑ることおおし。滑ると『ヒヤリ』とさせられる。14時にC2着。天幕は多少の雪に覆われているがビクともしていない。1週間以上続いた降雪や上部からのスノーシャワーに充分に耐えてくれた。頼もしい限りだ。また、自分たちのアイディアにも気を良くする。ここで佐藤は直ちに下降に移りC1にて、待期しているアントニオと共に、BCへ下りキャンプを守ってもらう。C2から上は4人のメンバーとなる。さっそく明日からの荷上げの再開について、次のように決定する。

1日目、チムニーの途中にはデポ地がなく一気に80m引き上げる。人員の配置及び方法は、篠原が下にて荷物をセットする。長塚はチムニーの中間に位置して荷物が引っ掛かった場合それを直す。岡田、吉賀はチムニーの上で引き上げる。連絡方法は上と下はトランシーバーを使用する。長塚から上への連絡は呼子を使用して、荷が引っかかった時は『ピィー』1回、引っ掛かりを直し終えたら『ピィー、ピィー』と2回吹いて知らせる。

2日目はC2まで荷物を運び整理まで完了させること。

          
                      荷物の点検

6月28日  晴れのち雪  起床:5時

打ち合わせ通り各人持ち場に就く。滑車、ロープのセット完了。「篠原さん、篠原さん荷物をセットして下さい。」・・・「はい。了解」・・・・・「よし。引け」とトランシーバーはいつになく調子がよくて良く聞こえる。チムニーの中は複雑に氷が付いているために、特製の荷上げ用カバーをつけていても度々引っ掛かり、『ピィー』・・・『ピィー、ピィー』と呼子が南東壁に響き長塚も忙しい。荷上げ用のロープが6mmと細くて引く手に力が入り難いのが気になるが作業は順調に進む。

          
                   滑車を使用しての荷揚げ

荷物も半分ほど上がった頃、引き上げ中の食糧の入った1斗缶が空を切りはるか下の氷河へ吸い込まれるように消えていった。その方向に目をやるとプカコーチャ、カルワコーチャの氷河湖が小さくなって見えるようになっている。自分たちがいる位置が高くなっているのを実感する。ロープにセットしたシュリンゲが擦り切れた為に荷物が飛んでいったのである。荷上げ用のカバーもいっしょになくなってしまった。やむおえない。荷物をむき出しで続行を開始するが案の定、荷はあっちこっちに引っ掛かり上がって来ない。

                 
                眼下のプカコーチャとカルワコーチャ

長塚の行動できる範囲ならば問題ないのだが、それを外れるとどうしようもない。おまけにトランシーバーの機嫌も悪くなり良く聞き取れなくなった。長塚の鳴らす笛もどれがどれやら分からなくなる。下の篠原との連絡は長塚を中継して大声で怒鳴る。引っ掛かりから荷を外すためロープを緩めて荷を降ろす。そして、「それ引け!」とみんなで引く。これを幾度となく繰り返してやっと上がって来る。まったく嫌になる。

 いつの間にか雪が舞い始め頬を打つ。腕は握力がなくなり引き上げた荷を外す手つきがぎこちない。あぁ〜疲れたと思い岡田の方を見ると、疲れた表情など素振りも見せず黙々とやっている。それを見て俺もやらなきゃと疲れた身体に気合を入れる。とにかく、この荷上げがうまく行かなければ、この岩壁は登れないのだ。暗くなる頃、18時過ぎに予定通り本日の作業を終えることが出来た。もう、クタクタだ。靴を脱ぎ天幕に入り手足を伸ばして『フッー』と息を吐いて全身の力を抜くと、あちこちの筋肉が小刻みにケイレンする。

6月29日 曇り  起床:4時

荷上げの続行。今日は、雪壁となり昨日の苦労がウソのようにスムースに荷が上がって午前中に終える。荷物置き場は天幕より3m上にテラスを切りスペースを確保した。C2用の荷物、さらに上部に上げる荷物、登はん用具とに整理する。食糧、燃料は充分ある。飲み水は雪と氷があるので溶かせばいくらでも作れる。ロンドイまで行っても大丈夫であろう。昨日氷河に落下した1斗缶の中身は、ラーメン30個ほか食糧であった。ラーメンは日本から持参した数少ない物の一つであったが、我々の口に入ることはなかった。

 整理を済ませて天幕で一息入れる。これでヒリシャンカ南東壁攻撃準備完了。これからが本番である。天幕は4人では充分ゆったりとあり降雪にも押しつぶされる心配もなく、居住性も抜群でありこの場所ではこれ以上望めない。この天幕については、日本での準備段階で、最も話題になった物である。私たちは、このような岩壁のポーラーを実践するには壁の中程に‘安全な場所’つまり天候が悪くなれば避難できる所、『ベースプラット』を確保する事が、この登はんの成否を左右すると考えた。

 そこで天幕はどんな形が最も良いか会の例会等で、会員からいろんな案が出た。例えば、アンナプルナ南壁で使用された‘ウィーランス・ボックス’等々。しかし、既存の物ではどれも決め手を欠き私たちのオリジナルである‘直角三角形型’の天幕とした。それは、アルミのアングルで骨組をしてその内側に天幕を吊り、その上からシートを掛ける。アングルは分解組み立て式としすべて自家製である。このベースプラットが確保できたことは、今から始まる厳しい行動を支えてくれる事になろう。この場所は天幕を張った以外のスペースはなく外に出る時は、必ずセルフビレイを必要とする。ビレイなしで躓きでもしたならば奈落の底に消える。ここで生活する場合は常にロープでつながれている。

           
                 C2の特製天幕(雪を削りはめ込む)

 毎日する事でちょっと困ることと言えば排泄作業だ。落ちないようにビレイを取り絶壁に尻を向けて用を足す。下から風が吹き上げた時には出かかったものが引っ込んでしまうこともある。今後の行動は、4人を2パーティーに分けてルート工作と荷上げを同時に実施する。明日は全員で‘白い帽子’まで荷上げを行いその後は長塚、吉賀は上部のルート工作。篠原、岡田は荷上げの続行とする。長塚の顔が高度の影響か少し浮腫んでるようだ。

つづく

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