遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第11回)
               吉賀信市

13.第3キャンプへ(核心部の登攀へ

6月30日  晴れ風強し  起床:4時

今日は‘白い帽子’上のスラブから、小さなオーバーハングを越してバンドまで達すべく6時に行動を開始する。ユマール登攀での荷上げは腕力の消耗が激しい。白い帽子から再度ルートを探すが弱点は見出せない。雪もまったくつけずに頭上に覆いかぶさっている垂壁とハング帯を直登する以外に道はない。アイゼンを外し、9時、長塚トップ、吉賀の確保にて核心部の登攀を開始する(白い帽子〜中央稜までを核心部と考える)。

 垂壁にハーケン、埋め込みボルトを連打しながらアブミの掛け替え、人工登攀にて若干左上ぎみにザイルを延ばして行く。15m程登り小さなピナクルに立ち上がろうとした瞬間、突風にあおられた長塚はバランスを崩して墜落。壁を背にして7〜8m滑り落ちて来た。長塚の衣服は、ささくれた岩に引っかかりあっちこっち破れている。このような登攀は墜落することがあることを織り込み済みで登っているので、ザイルが切れるかピンが抜けるかしなければ大事には至らない。今回の登攀の場合、垂直及びオバーハングのルートでは、トップは3本のロープを付けて登る。1本は9mmのメインザイル。それにユマール登攀用8mmロープ2本の計3本である。このように墜落した時は悔しさに“チキショウォー“と闘志が湧くものだ。

          
                  第2キャンプ上の登攀

ロープにぶら下がっている長塚に「おい、替わろうか。」と、声をかけると 「いや、まだいい。」再び登り始めハングの下までに達した所で吉賀と交代する。ユマールで最高点まで登りハングに挑む。腹のように膨らんだ程度の小さなものであるが岩が硬くて、埋め込みボルトの穴あけ作業に1箇所20分前後も要す。腹筋、背筋、腕も疲れて5〜6本目の作業に掛かる頃には集中力も散漫となり、ハンマーで左手の人差し指を強打する。ペロリと皮が剥け握っているジャンピングが赤く染まる。開けた穴にボルトを打ち込む。少し穴が浅いと思ったがやはりボルトが入って行かない。そのボルトにアブミを掛けて体重を移した瞬間に抜けて5〜6mの墜落となる。やり直しだ。

 ジャンピング・ホルダーの具合が悪くてキリに力がうまく伝わらないために岩に穴が開かない。ハンマーを振り続けてやっと開いた穴にボルトを打ち込むと、今度はボルトが裂けて『チリン〜』と金属音を残してリングが飛んで行った。ついてない。ハングは越したのでもう1〜2本打てばリンネからバランスで、バンドに達することが出来そうだがもう穴を開ける気力なし。いつの間にか壁を流れ落ち始めた雪に追われるようにC2に下降する。天幕に帰り両手を見ると指は、傷つきささくれ黒く汚れて痛々しい。コッヘルにお湯を沸かして手を浸けると傷にしみて飛び上がるほど痛い。しかし、その反面何とも言えない快さも感じる。

          
                白い帽子の上部のハング帯

7月1日 晴れのち曇り  起床:5時30分

朝の白い雲海がすばらしい。足元から見渡す限り広がっている。雲の上を歩いて行けそうな錯覚を起こしそうだ。今日は、篠原、岡田がルート工作。長塚、吉賀は荷上げとする。岡田は、昨日リングの飛んだボルトに細いシュリンゲを僅かに引っ掛けて、祈る気持ちでアブミに乗りさらにきわどいバランスでリンネ沿いにバンドに達したと言う。篠原がユマールでそれに続く。その時、頭の大きさ程もある岩が‘白い帽子’下の雪壁を荷上げ中の長塚を目がけて落下して行く。‘あっー長塚が死ぬ・・・・・’と一瞬思い息を呑む。幸運にも岩は彼の頭上でまっぷたつに割れて身体の両側の雪面に突き刺ささった。一瞬の出来事で声を出す間もなかった。重荷に喘いでいた長塚は、身体の横に落ちるまで気づかなかったようだ。運良く長塚に当たらずに良かった。胸を撫で下ろす。ルート工作隊は、バンドより右上気味に20mほどトラバースを行い小さなテラスに達す。ここを‘一坪テラス’と命名する。(白い帽子の2ピッチ上)

          
               雪に覆われた荷物置き場

さらにスラブに人工とバランスのミックスするルートを40m延ばした所で、今日も雪に追われるように行動を終える。

C2に帰幕してビックリする。落石で天幕に大きな穴が3個も開きそこから雪が流れこんでいる。中のコッヘルが1個潰れている。中に誰もいなくて良かったものだ。

こんな事もあろうかと修理用具は準備してある。穴に布を当てて補強する。

スラブの上部は垂直のジェードルとハングになっており、人工登攀になる事を覚悟しなければならないと言う。しかし、100本余り持ってきたボルトは残りが40本ほどとなっている。このようなルートが続けばボルトが足りなくなる。早くバランスで登れる状態になる事を祈る。

7月2日  雪    停滞

昨夜からの降雪は多くなり夜中に、何度となくスノーシャワーが天幕の屋根を滑り落ちて行く。天幕が威力を発揮してくれて雪掻きの必要はまったくない。上のテラスの荷物は雪に埋もれて見えない。何日か振りの骨休めである。ルートはC2より7ピッチ延びており、もうそろそろC3の必要を迫られている。BCで描いたスケッチを見ながらルートの検討をしたり、C3用の食糧リストの検討などを行いゆっくり過ごす。そこへ、突然、長塚が『ウッ』と呻き声を出してうずくまる。落石が天幕を突き抜けて肩に当たったのだ。幸い小さい石だったので行動には差し障りないようだ。落石に備えてなるべく壁側に、身体を寄せることに心がけるとしよう。雪はほとんど1日中降り続く。

7月3日  曇り時々雪

積雪は昨日よりも多くなっている。壁にはベットリと雪が付き、その状態は日本の冬の壁を思わせる。空は厚い雲に覆われて時折雪が舞う。この様子だと4〜5日は続くかも知れない。アンデスは天候が良いなどと言ったのは誰だ。何もすることがない。この有り余る時間をつぶす物がないのだ。唯、登ることだけを考え、天幕に閉じ込められた場合の過ごし方を考える余裕が無かったのだ。岡田はここに来てスペイン語の勉強をしているが、他の者はシュラフに包ったまま。用足しに外に出る以外はほとんど瞑想にふけっている。

7月4日  

今日は退屈しのぎに′白い帽子′まで荷上げをすることにする。雪の舞う中、凍った固定ロープにユマール登攀はユマールが滑って困難かつ危険を伴う。1回のみで早々に切り上げた。相変わらず雪は降り続き屋根を滑り落ちるスノーシャワーの音を聞きながら退屈に過ごすだけでまったく能がない。

           
                    停滞中の様子(C2内)

7月5日 

話の種も尽きたのか雑談も少なくなった。積もった雪が落ちるのであろう時々『ドオーン」と、雪崩れの音が響くのを聞くのみ。

狭い所に閉じ込められるといろいろなことが頭に浮かんでは消える。もう、7月か、日本は今暑い夏だ。俺達は今、雪に閉じ込められている。北半球と南半球とでは季節が逆だな…・など、と分かりきったくだらんことを思ったり。BCを設営してもう1ヵ月以上にもなるのにルートは、まだようやく半分延びただけだ。あれを越せば見通しがつくだろうの繰り返しでその度にまだまだ先が長いことを知らされる。暗中模索と言った状態で壁の大きさに圧倒される思いである。いつになったら頂上に立てるのか。見る顔、周辺の景色が来る日も来る日も同じで何の変化も無い。ストレスで気持ちが苛立ってくる。

『登れても、登れなくてもどっちでもいい。早くケリをつけてこの苦しみから開放されたい』−この弱音を、『ヒリシャンカ南東壁。この未踏の大岩壁に憧れて、この登攀を夢見て会社を辞め有り金をはたいてアンデスまで来たのではないか。良い仲間と共にクライマーとして最高の舞台に立っている』と言う想いが邪念を頭から消してくれる。それに戦いは始まったばかりだ。みんなは食糧係を心配させる程食欲は旺盛。まだまだ大丈夫だ。

           
                 雪の中、退屈凌ぎに登攀

7月6日  曇り

今日は、久しぶりにカルワコーチャが見渡せる。緑の草原が銀世界と化している。

空は曇りで降雪はなく気温の上昇と共に壁の雪が剥がれ落ち始める。

暇つぶしに岡田は料理の腕を奮う。ホットケーキ作りだ。メリケン粉に卵と蜂蜜を入れて良くかき混ぜて、ラジウスの火を弱火にしてコッヘルの蓋でこげないようにゆっくりと時間をかけて焼き上げる。天幕の中はこうばしいパン屋の香りが充満する。ほど良いキツネ色に焼き上がり立派なものだ。味もけっこういける。

やばい所の雪は落ちてしまったのか。午後には雪が剥がれ落ちる音がしなくなった。

明日、晴れならば登攀を再開する。

(つづく)

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