遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第12回)
               吉賀信市

14.オーバーハング

 7月7日 晴れ  起床:
5

執拗に降り続いた雪も尽きたのか何日かぶりに空の蒼さがまばゆい。右前方に見えるシウラ(6356m)で発生した雪崩が『ズッドーン』と大砲のような轟音を発して下のモレーンに雪煙を巻き上げている天候回復の祝砲のように思えてみんなの顔に活気が戻った。篠原、吉賀はルート工作、岡田、長塚は荷上げとし行動を再開する。

            
                     天候回復、登攀準備

          
                   白い帽子からハング帯への登攀

 壁に雪がついているが行動には差し障りはない。雪崩になりそうな積雪は既に落ちてしまっている。しかし、固定ロープには氷がついておりユマールの歯に氷が詰まりトップで登る者はなめたり、さすったり、時にはナイフで削ったりで大変である。前回の到達点に着き、吉賀の確保で篠原トップとなり雪をまったくっつけてない垂直のジェードルに挑む。ハーケンを打てるようなリスはなく、どうしても埋め込みボルトに頼らざるを得ない。アブミの掛け替えでザイルは遅々として延びて行かない。

       
         垂直のジェードルほ登攀(5600m地点)

トップは精神的、体力的にも消耗が激しくきつい。確保の場合は、精神的なきつさはないがアブミに乗って同じ姿勢での確保は足がしびれて来る。篠原とザイルを組む時は何の心配もなく、登攀している写真を撮る余裕が出て来る。状況を見ながら何枚か写真を撮ることが出来た。5時間を費やして、部分的にハングしている40mのジェードルを突破した。ユマールで後を追う。

花崗岩の岩肌は、風雪によりささくれてトゲトゲしくなっており、岩に付いた血痕、又篠原のズボンの破れが苦闘の跡を物語ってくれる。篠原の所に上がりその上部を見て唖然とする。7〜8mのオーバーハングが行く手を覆いかぶさっているではないか。既に、隣のヒリシャンカ・チコを見下ろし高度は5700m近い。この高い場所でオーバーハングの登攀なんてとんでもないことだ。大垂壁の上部から中央稜に交わる右側の大凹角にルートが見出せることを祈る。また、ここは荷物をデポ出来るテラスはなくロープを固定してそれに吊り下げるより他に方法がない。すでに、日が沈み、割れ目を偵察する時間もなく直ぐ下降に移る。

7月8日 晴れ  起床:5時

今日のオーダーは、岡田、長塚ルート工作、篠原、吉賀はC2〜‘一坪テラス’への荷上げ。ルート工作隊は長塚がトップとなり大ハングを巻くべく、右の大凹角に懸垂下降で降りてルートを探す。しかし、そこは上部の落石、落氷の通り路で危険極まりなくルートを見出せる場所ではなかった。長居は無用とすぐに引き返す。

ルートはこの大ハングを直登する以外にない。トップを岡田に替わり大ハングに挑む。ここに来て岩質が急に変わりやわらかい石灰岩となりボルト打ち作業は1本5分〜10分と速くなる。ハングを乗り越すには速くて2日はかかると考えていたが、岡田は数時間の格闘にて突破してしまった。驚くべき速さであった。彼らの報告を聞いた時は冗談だろうと思った程である。さらに、その上のダイコンおろしを思わせる垂直の壁を、ハーケンも打てない極度のバランスにて、小さなホールドに爪を立てるような思いで、35mを1本のピンも打たずに一気に直上して顕著なピナクルに達したと言う。

すばらしいとしか言いようがない。しかし、怖い。ひとつ間違えば死であろう。彼は、凄いクライマーであるが念のため何本かのピンは打つべきであろう。この登り方では命が幾つあっても足りないと思う。しかし、これは‘ヘボ’なクライマーが思うことか。

これより左にバンドが走っている。その先端に、C3が設営出来そうな場所を確認して下降。さて荷上げ隊・・・ユマール登攀での荷上げは、人が背負って登るので確実ではあるが固定ロープの傷みが激しい。ユマールを扱ぐたびにロープは岩と擦れて傷つく。また、ユマールでの空中登はんはよほどリズムを取ってやらなければ呼吸は乱れて息苦しい。

ユマールで同じルートを何度も登るのはロ−プが消耗して行くので精神的にも良くない。C2のすぐ上の固定ロープは消耗が激しいので新しいのに張り替えた。ほかの箇所も常に点検に心掛け、消耗がひどければロープの位置を変えるなどして注意した。

本日は予定以上の成果であった。明日は全員でバンドまで荷上げを兼ねて上がりC3を設営することにする。みんなの志気は上々。天候も安定して夜空の星屑が美しい。

7月9日 晴れ  起床:3

陽の出と同時にC2を出発。C3予定地までの10ピッチ(約400m)荷を背負ってのユマール登攀は、呼吸が乱れて息を吸うと変な音を出して喉が泣く。腕はしびれて感覚が薄れて来る。大ハングの登攀になると、ロープにユマールをセットして体重を掛けると、ロープは『スーッ』と3m程も下に延びて身体が下がってしまい空中の部分が長くなる。ユマールを1回扱いで稼げる高度は、精々30cm〜40cmくらい。いや荷を背負っていて空中では荷に身体を後ろに引かれるためもっと少ないだろう。あせらずにリズムを取って、頭を空にして確実に手足を交互に上下させることだ。そのうちに上に着く。あせってはダメだ。11時、全員がC3予定地に達した。


          
                   大ハング下の荷揚げ作業

          
                  大ハングをユマール登攀

第3キャンプは、ピナクルより左にバンドを10mほどトラバースして、少し下がった氷が乗っかって両側がスパッと切れ落ちた所。中央稜上の岩峰の突端に決める。

さっそく、4人でピッケルを使い硬い雪、氷を削り落とし始める。谷に落とした氷のブロックは他の落石を誘発して大きな音を壁全体に轟かせて落ちて行く。2時間余りを要して氷を平らにして、3人用ウインパーテントをやっと張れるスペースを確保出来た。

第3キャンプ設営完了。そこは絶壁に突き出た鳥の巣のようである。いわば、ヒリシャンカの頂を狙う禿鷹の巣か。このC3が頂上攻撃の基地となる場所だ。他にスペースはないがピナクルからここまでのバンドがあるので、そこにロープを固定して荷物を吊り下げるようにしよう。

C3より上部の様子は、ピナクル左側の垂壁からチムニーを直上して中央稜に出るルート、それに、C3の上から南壁側の左に傾斜した氷のついた壁から中央稜へと、どちらにもルートが取れそうだ。どちらにするか協議の末、岡田、吉賀の主張するチムニーのルートに、篠原の「お前たちが登るんだ。好きな方に行け」で決まる。明日、岡田、吉賀で取り付くことになる。2人は時間のロスを少なくするために、C2まで降りずに‘一坪テラス’でビバークすることにした。そこからC3に1度荷上げ後ルート工作する。篠原、長塚はC2〜‘一坪テラス’への荷上げとする。

‘一坪テラス’に下降して荷物を点検すると、食糧の1斗缶が1個消えていた。C3から削り落とした氷のブロックが落石を誘発して当たったのだろう。

ツエルトによるビバークは天幕に比べるとやはり寒い。しかし、ヒリシャンカに登れそうだと思えて来て志気が高まった身体には心地よい。また、満天にきらめく星がそれを慰めてくれる。星空を眺めながらツエルトをかぶる。

つづく

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