朝焼けの南東壁 
   遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第13回)
               吉賀信市

15.アクシデント

7月10日  晴れ  起床:3時

ビバークはやはり辛い。目覚めは早かったのだが思いっきり良くツエルトを剥げない。

 やっと準備を終えて6時に行動を開始する。背中の荷物の重さは吉賀、15kg、岡田は20kgと相変わらず馬力が良い。この荷でのユマール登攀は苦しくロープに吸い取られるように腕力が消耗して行く。

                    

 8時、C3に着く。登攀準備を整えて調子の良い岡田がトップにて予定通りピナクルの左から登攀を開始する。浮石が多くて脆い垂壁を、微妙なバランスで6〜7m登り1本目のハーケンを打つ。つぎに右上気味に5〜6m登った所で「思ったより悪い、悪い」と言いながら2本目のハーケンを打った。これより直上し始め4〜5m上がりチムニーまでは後5〜6mであろう。下部では荷上げ組のコールが聞こえ始めた。彼らもやり始めたなぁ〜・・と思いながら安心して確保していて一瞬、岡田から目をそらす。そこへ「ザイル引け」と岡田の声が響いた。壁から落ちかけた岡田の姿が目に入る。ショックをやわらげるように確保の体制を取ったのだが、ザイルが滑る間もなく2本目のハーケンは脆くも抜け飛んだ。岡田の身体は空を切り吉賀の目の前をよぎって、ピナクル右側の外傾したレッジに“ドスン”と鈍い音を発して仰向けに落ちた。10m程の墜落である。もろに背中を強打した。

 『しまったあ〜』脳天をしたたか殴られた思いだ。悲痛な声を聞く。激痛が全身を駆け巡るのだろう。身体をよじって痛みに耐えている。ともかく多少安定したバンドまで2〜3m引き上げる。直ちに、3〜4ピッチ下にいる篠原にコールする。「岡田が落ちたあー」・・・「岡田が落ちたあー」・・・「岡田が落ちたあー」・・・だが、声が届かないのかルート工作のコールと思っているのか気づいてくれない。声はかすれて大きな声が出なくなって来た。激痛を必死でこらえようとする岡田の身体が小刻みに痙攣する。そばにいて胸が締め付けられる。

 30分ほどしてやっと連絡がとれた。『速く上がって来てくれ』・・・・岡田はしきりに胸の苦しみを訴える。落ちた時には頭は打たなかった。背中を見ても赤くなっている程度で外傷はさほどない。我慢強い岡田が胸の苦しみを言う。もしや内臓の損傷・・・・・・。ハーケンが抜けるまで僅かであったが間があり、ザイルに力が加わってザイルが流れた。よって多少は確保が利いたはずである。また背負っていたザックがクッションとなり衝撃をやわらげたはずだ。危険な状態ではないと思うが気になる。篠原が来るまでが非常に長く感じられ登攀中の岡田に、もっとハーケンを打てとか注意をするべきだった等々、いろんなことがごちゃごちゃになって頭の中を駆け巡る。このショックに自分を見失わないように冷静さを保とうとするのが精一杯であった。

10時20分、篠原が現場に着く。素早く天幕までロープを固定して岡田を動かす。

激痛に悲鳴をあげて苦しむがいちいち聞いてはおれない。我慢してもらう。2人で引きずるようにして11時過ぎに天幕に収容することが出来た。まもなく長塚もC3に上がって来た。午前中は岡田のようすを見守ることにする。相変わらず胸の痛み苦しみを訴えるが、我々には何もしてやれない。ただ見守っているだけである。彼の容体はこれ以上の悪化はないだろうと判断して、午後から3人で荷上げ作業に出る。傷ついて苦しむ仲間を1人置いてまでして行動しなければならないのだろうか。それは傷ついた仲間への思いやりがなさ過ぎるのではないか。しかし、そんな感傷に浸っていたのではこのビッグクライムは出来ない。この好天が続くうちに一気に稼がなければならない。それにはC3への荷上げを早く完了させることだ。このことは岡田も充分理解していると思う。しかし、みんなのショックは隠しきれない。最後の追い込み段階になって最も馬力がある岡田が欠けてしまった。

          

荷上げは、‘一坪テラス’〜‘大ハング下’〜‘バンド’と2回に分けて滑車を使って引き上げ日が暮れるまでに終えることが出来た。思っていたよりも順調に上がってホッとした。すぐに岡田の待っている天幕へ帰る。苦しみは相変わらずであるが、悪くはなっていないようで少し安心する。3人用の天幕に傷ついて動けない仲間と4人身動きも出来ない。食事の準備をするスペースがなく、ひざの上でラジウスを使用するようなことになった。岡田は胸の痛みでお茶さえも飲まない。日が落ちると急に風が強くなって来た。天幕が『バタ、バタ』と音を立てて激しく揺れる。我々4人天幕ごと奈落の底に吹き飛ばされそうだ。

                     

食事を終えて明日からの行動を検討していた所に落石が天幕を突き破りまたしても長塚の頭に命中した。被っていた毛糸の帽子を取ると血が流れ出していたが傷は小さいようだ。毛糸の帽子がかなり衝撃を和らげてくれたようで明日からの行動には差し障りない。

落石はよほど長塚が好きらしくC2でも肩に受けている。このような時のために天幕の中でもヘルメットを被り、固定ロープを引き入れてセルフビレイも取るようにした。

岡田の戦線離脱は大きな痛手であるがやっと頂上攻撃の態勢がととのった。愚痴を言っても仕方がない。ここまで来たのだ。何としてでも残った3人でやらなければならない。

明日は篠原、吉賀でルート工作。長塚は1人で荷上げとしシュラフに足を伸ばす。1晩中、痛みに耐えている岡田のようすがうかがえてなかなか寝つけない。しかし、疲れた身体はいつしか眠りに落ちていた。

つづく

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