遥かなるアンデス Jirishanca 1973
・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
(第8回)
吉賀信市
10.荷上げ(C2へ

 615  晴れ

 ここ1週間天候は申し分ない。空の様子は午前中綿菓子のような雲が、2つ3つポッカリと浮き絵に描いた如くまったく動かない。アンデスは天候が良く安定すると聞いたのはこの状態のことか。日本では見られない情景である。午後になるとその雲は多少広がりはするが、夜には満天に無数の星が輝くと言ったパターンである。本日は休養日のはずだったが、岡田、佐藤は食糧等のチェックのためBCに下る。その間3人でC2に上げる荷物のチェックをする。何度チェックしても心配になりチェック、チェック。今夜は月が満月に近く雪面を淡く照らす。メルヘンの世界を想わせしばし外に佇む。

 6月16日 晴れ  起床:530

 篠原は無理をせずに今日まで休養とする。本日の行動は4人でC2への荷上げ。長塚、佐藤は荷上げを続ける。岡田、吉賀は上部のルート工作。10時30分、岡田の確保で吉賀トップに立ち登攀開始。前回の最高到達点より頭上の垂壁を右に巻いてルンゼに入る。篠原手作りのアイスハーケンが良く利いて20mほど登ると大スラブに突き当たる。

       
              特製天幕(C2用)

ビレーピンをガッチリ打ち岡田を上げる。‘白い帽子’は目の前だ。BCでのルート検討の際、‘白い帽子’上部のスラブ帯に良いルートが見い出せるかどうかが、この壁を登るためのキーポイントだとみんなで話したのだが、果たしてどうか。ここより右側にルートを取り左にスラブ、右に岩峰となったルンゼ状の雪壁に入る。傾斜は60度以上ありきつい。雪はボサボサ、ザラメ状になっておりかっこう良く登れない。もぐらのようになって必死に這いあがった。30mほどで‘白い帽子’に達した。(C2より4ピッチ上)

       
            荷上げ(ユマール登攀)

 下からは広いように見えたのだが、右側はスパッと切れ落ちており狭いリッジに馬乗りとなり雪をかき落とす。立ち上がりルートを探すが頭上はスラブからハング帯となっている。右側に廻り込めないかと身を乗り出して見るが、大きな割れ目が垂直に切れ落ちている。まったくアカン。思わず壁をアイゼンの刃先で蹴飛ばしてしまった。

この頭上に覆い被さる垂壁とハング帯を直登する以外道はないのか。岡田を上げて垂壁にボルトを打ちながらの人工登攀で挑む。埋め込みボルトの穴あけ作業は、岩が硬く1本開けるのに15〜20分もかかる。4本打って下降。17時30分C1に帰幕。

篠原の体調はほぼ回復した。食後の打ち合わせにて次のように決める。明日より全員でC2への荷上げを行う。方法はC1から壁の取りつきまでボッカする。その後は滑車で引き上げる。(1)1日目、取り付きから2ピッチ上部の雪壁まで。(2)2日目、氷のチムニー基部まで。(3)3日目、C2へ荷上げ、3日間で完了すること。

            
                     C2での休息

6月17日  晴れ  起床:4時30分

みんなで公平にボッカだとし荷物を5等分して6時にスタート。1度に多くの荷を背負いゆっくり登る。荷を軽くして何度も往復する者。それは各人の好みだ。時間的には大差なく3時間ほどで取り付地点に荷物が集まる。岡田、吉賀は上に行き雪壁に荷物を置くテラスを切る。露出した岩にボルトを打ち滑車をセットしてロープを通して準備完了。

            
                     第2キャンプ(5400m)

「オーイ、荷をかけていいぞォー」・・・「OK!今かける〜」・・・「よぉーし引けぇー」と荷上げを開始する。ロープはリング状にしてあり上と下5人で同時に引く。ここは足場も良いし力は入る。少々の出っ張りは物ともせず15kgの荷が上がってくる。50m引き上げるのに10分前後順調な運びだ。そこへ『バシッ−』突如、上部に鈍い音が響く。後ろを見上げ‘あっ落ちる’と一瞬息を呑む。70〜80mほど上部にある20m4方以上もあろう大きな氷のブロックが‘グラリ’と傾いた。逃げよう!しかし、もう遅い。ブロックは2人いる上部60〜70mの雪面に『ズドォーン』と轟音を発して落下した。

 爆風と共に大小に砕けた氷が2人を目掛けて転がり落ちてくる。なすすべもない。幸い、荷上げのために、岩の前の雪を削り取ったスペースがある。セルフビレイも取ってある。そこに素早く身を伏せた。その瞬間全身に圧力がかる。歯をくいしばり耐えるしかない。「早く終わってくれ」と、祈りながら。幸いにも大きいブロックは2人を避けてくれた。全身を叩かれ苦しくてしばらくは息が出来ず苦しさに顔をしかめる。右肩が痛み腕に力が入らない。岡田は左手を傷めたようだ。調子良く行っていたのにこのざまだ。また、落ちることも有り得る。本日はこれで行動を打ち切る。この場所は上部の落下物がここに集まり気になっていたのだが、今まで見た様子では大きいのは来ないと判断した。しかし、照りつける太陽をあまり気にしなかったのはうかつであった。これに懲りてこの場所は明朝日の出前に通過するようにする。C1に帰り身体のあちこちに湿布剤を貼って半日休養とする。

6月18日  晴れ   起床:2時30分

ヘッドランプを点けてC1を出る。5時、昨日と同じオーダーで荷上げを再開する。荷は順調に上がって来る。おりしも昇って来た朝陽にヒリシャンカ・チコ、エルトロが黄金色に染まる。その美しさにしばしロープを引く手を休める。陽が強くなる前に危険な場所は予定通り終える。次は雪壁を80m一気に引き上げる。荷物は雪面を滑るように上がってくる。荷がテラスに上がるまでかけ声に合わせて一気に引く。こんな時はストッパー付きの滑車は不要だ。順調に進むとロープ引きに力が入る。

        
            C2から見る朝焼け

 ところが、力を入れ過ぎたためか‘大きい’のをもよおしてきた。さて困った。岩壁登攀はこんな時に始末が悪い。しゃがんで用を足せる所はない。身体にはパラシュート型の安全ベルトを付けており、場所は傾斜50度前後ある。固定ロープにビレイを取り右に4〜5mトラバースしルートを外れる。ビレイを腰から胸の安全ベルトに取り直してロープにぶら下がって用を足す。下の連中からは丸見えである。壁の中ではセルフビレイをやり変えたり、安全ベルトを付け替えたりする場合は、細心の注意をして確実に行わなければならない。

荷物は40m1回、80m2回のロープ引きにて、予定通り約300Kg(20個)をチムニーの基部に上げることが出来た。1日中のロープ引きで手袋は擦り減り穴だらけとなる。その穴を繕うのも仕事のうちだと順調な荷上げにみんな気を良くしている。だが、夜空にいつになく星が瞬くのが気にかかる。(つづく)

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