遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第20回)
               吉賀信市

         
                       キャンプでの住民との交歓

22.カルワコーチャの休日

7月19日  曇り

キャンプには大きな日章旗が風に吹かれて竿が折れんばかりに翻っている。

歯痛で頬が丸々となった篠原をキャンプに残して、岡田、長塚、佐藤、吉賀の4人とアントニオはビスカスのホセ・ドミンゴ氏宅へ向かう。ビスカスまでの小径は曲がりくねったなだらかな登りである。身体が重くて歩くのが辛くて病みあがりのようだ。きつくて休みながら歩く状態である。これがつい2〜3日前までヒリシャンカと戦っていた身体とは信じ難い。食欲もあり体温、脈拍共に正常でどこも悪くないのだが、とにかく歩くのが辛い。張りつめていた緊張の糸が切れただけでこんなに変化するのであろうか。自分の身体ながらちょっと理解できない。1時間半ほどで住家が見えてきた。近づくと「ギャン、ギャン」吠える犬に出迎えられる。ドミンゴ氏夫妻と子供の歓迎をうけて庭に案内される。

草地に敷物をしてあり「さあ、どうぞ」と大変なもてなしようである。全員が席に着いたところで、ドミンゴ氏「さあ始めよう」とスコップを片手に言う。何が始まるのかと多少疑問に思い彼に注目する。私たちの前にこんもりとした土盛がある。その土盛をスコップで堀り始めた。

土の下のシバを取り枯れ草を除くと、次に焼いた石が現れた。その下に肉、その回りにはジャガイモが入れてある。まだ、素手では触れることができない熱さである。

                  
                      パチャムカ料理

‘パチャマンカ’とはこれか。ここまでの模様を克明に写真に撮った。この料理を作るにはまず穴を掘る。次にその横で集めて来た石を火を焚いて焼く。その焼けた石を掘った穴の中に敷く。次に石の上に骨付きの羊肉・ジャガイモを置きその上や廻りにまた焼き石を置く。そして枯れ草、シバを被せて最後に土を盛ってしばらく蒸すのである。大変な手間のかかるものである。この辺りでは最高のもてなしであろう。ドミンゴ氏の言によれば、この料理のコツは石の選定と焼き具合とのことである。石の焼き加減が料理の良し悪しに関係するのはもちろん、悪い石だと火で焼く時に割れて用を足さないと言う。

「さあ、どうぞ」とセニョーラが食器に装ってくれる。羊肉は塩とアヒ(トウガラシの一種)で味付けしてあり美味しい。ジャガイモもちょうど良い味だ。ペルーアーノティーを勧められるまま何杯もお代わりして飲む。その間にドミンゴ氏のギターを爪弾きながらの歌も入る。大変楽しいひと時を過させていただいた。

          
            料理をご馳走になる             ホセ・ドミンゴ氏

キャンプに帰り、篠原にこれらのことを報告するとくやしがることしきり。「俺は6000m以上の高所でないと調子がでないよ」と。

今後の予定を打ち合わせた結果、チキアンへの出発は7月25日とし、それまでここで休養することにする。また、帰りのアリエロとブーロ・馬の手配はドミンゴ氏に頼むことにした。彼もこのことを多少計算に入れて我々を招待してくれたのだ。帰りのキャラバンでは歩く気はない。全員、馬に乗ることに決定。さぞ、楽しいキャラバンになることであろう。雪に輝くアンデスの6000m峰を背景に緑の草原を馬で疾走る。西部劇のシーンが頭に浮かび気持ちが浮き立つ。

 7月20〜24日  晴れ

陽が高くなる頃にノコノコ起き出して、各々思い思いに肉を切り取りフライパンで焼いては喰う。しばらくは動けず緑のパンパに寝そべる。頬をなでるやわらかな風がここち良い。当初、グランデを登った後にヒリシャンカ・チコをラッシュで登ろうと話しに出ていたが、今は誰もその話はしない。登る気力が湧いて来ないのだ。

 ヒリシャンカでのあの厳しかった登攀は1週間の休養ではまだ気力が戻って来てくれない。どうにか落ち着くと腹ごなしに、カメラを下げてカルワコーチャを歩き廻る。草原で羊の番をしている幼い姉妹を、1日追いかけて仲良くなったりでのんびりしたものだ。それに日が暮れると何もすることがないので寝ると言う生活である。

       

                    羊の番をする少女

キャンプを移してからは、荷物の整理も兼ねて天幕の廻りに転がっている食器、バケツ等々、住民の人たちがほしい物を、彼らが持ってくる鱒、卵、牛乳などと‘カンビオ’(交換)する。交換する物がなくなれば、隊員を一人くらいカンビオしょうと言い出す篠原。

毎朝、キャンプすぐ横のカルワコーチャに流れ込む小川で、鱒をつかみ取りする光景が見られる。小川に入ったおばちゃんは、土手のヘツリに手を突っ込んでまさぐり、50〜80cmほどもある大きな鱒を手掴みしては土手にほうりあげる。川の水は冷たく我々だと1分も入っておれない。アントニオに「おまえ入って取れ」と命令すれど「アスタマニアーナ」で逃げられる。そこで岩壁では出番がなかったハンモックを網代わりにしかけた。翌朝、行って見るとかかっている。しかし近づくにつれて様子が違う。それもそのはずかかっていたにはカモ二匹であった。大笑いだ。カモがかかろうとは夢にも思っていなかったのだ。

岩壁のなかにいた時にはあれほどに望んだこのノンビリとした生活。朝は誰から起こされるものでもなく、自分が起きたい時にのこのこと天幕から這い出る。新鮮な肉をタラフク喰い、キャンプに遊びに来た人たちとお茶を飲みながらカタコトのスペイン語を駆逐して交歓、楽しく過す。しかし、この生活にも4〜5日もすれば少々退屈して来る。人間とはなんと自分勝手な生き物であることか。

           
                   キャンプを訪れた親子

 7月24日
 今日はいつもよりお客さんが多い。明日の出発を知って集まって来たのだ。
訪問者みんなとお茶を飲みながら何をするでもなしに彼らとのんびのと1日過す。

キャンプを訪れた人達は、女性でも男性でもいつも手を動かしている。フワフワの羊毛から糸を紡いだり、またその糸から手袋、靴下、マフラー等を編んでいる。私たちとカタコトのスペイン語で談笑している時も常に両手は動かしている。

夕方にはドミンゴ氏がブーロと馬を引いてやって来た。

          
           カルワコーチャの母子

7月25日  晴れ

今日でカルワコーチャともお別れである。キャンプの撤収・整理をみんなに手伝ってもらい、ブーロの背に荷物を積み終え出発準備完了。帰りの荷物は少なく10頭のブーロなので準備は速い。キャンプ跡の整地、ゴミを片付け終わりすべて完了する。

            
                   ヒリシャンカ・グランデとチコの穂先

各々気に入った馬をつかまえて乗ろうとするが動いて乗れない。この馬はあまり人馴れしておらず言うことを聞いてくれない。そのために馬には目隠しがしてある。乗る時は、その目隠しをして馬が動けないようにして乗る。そして目隠しを外すと馬が動き出す。それに馬に乗るのは全員アンデスが始めての者ばかりである。みんな恐る恐る馬の顔色をうかがっている。人馴れしていないためいつ振り落とされるか分からない。岡田はそれを予想してかヘルメットを被り準備が良い。

どうにかみんな馬に乗り手綱を引いて胸を張り様になったところで、長い間お世話になったカルワコーチャの人々の見送りを受け馬に軽くムチを入れた。

「アディオス・・・アミィーゴ・・・・・・」と手を振り2ヶ月間暮したこの地に別れを告げた。

         
               帰りのキャラバン

(つづく)

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