遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第19回)
               吉賀信市

        
              
登頂翌日の表情

21. ベースキャンプ撤収

7月17日  晴れ

久しぶりにゆったりとした朝を迎える。昨日担いで降りたザックの荷物を天幕の前に広げて、装備・登攀用具を整理する。のんびりと陽光を浴びてお茶をのみながらあらためて仰ぎ見るヒリシャンカ南東壁、以前はあれほどに感じた威圧感が消えている。

 これはどうしたことだろうか。なぜなのだろう。不思議なことである。・・・・・・そうか、これからこの山、この岩壁に登ることを前程にして見るから威圧感なり怖さを感じるのだ。登る意思がなければどのような困難な岩壁、山であろうが恐怖を感じることはないのだ。登攀ルートを、眼が1ピッチ、1ピッチ頂上まで追いかけて行く。あの壁を登って今ここにいる。さわやかな充実感が全身を包む。登頂して46ピッチ連続の懸垂下降で、一気にその日のうちにBCまで降りて来た。頂上からBCまでの所要時間はおよそ13時間であった。

登頂したことの満足感に反し肉体は驚くほど重い。長い間張りつめていた気持ちが緩んでしまいちょっと動くのもオックウだ。これを虚脱感、虚脱状態と言うのであろう。

佐藤には我々がいない間に多くのアミィ−ゴができている。そのなかでもホセ・ドミンゴ氏、カルワコーチャより1時間ほど登ったビスカスの住人。「パリスでは・・・・」と言うのが口癖でインテリ風にて話題豊富な人物。この数日キャンプに通って来るらしい。

C3で悩まされていた咳き込みもBCに下りるとすぐに出なくなった。

上部のキャンプでは密室で排気ガスを吸っていたのと同じ状態であった。有鉛ガソリンは身体に良くないことを身をもって痛感した。

このプカコーチャ湖畔モレーン上のベースキャンプ、設営以来50日余り長い間お世話になったが山に登らなければこの場所はちょっと不便である。明日キャンプをカルワコーチャの緑の草原に移動することにする。

           
               プカコーチャ湖面に映るヒリシャンカ

7月18日  曇り時々晴れ

今日も朝からBCに顔を出したホセ・ドミンゴ氏やカルワコーチャの人たちに手伝ってもらいBCの撤収を始める。荷物は岩壁に上げてしまい多くは残っていない。カルワコーチャまでの距離は短いので5頭のブーロの背に無理やり積んで下らせる。BCの後はきれいにしようと、散らかし放題のごみを拾い集めて燃やす。

あたりに立ち込める煙はヒリシャンカとの長かった戦いの終わりを静かに告げている。

わずかに立ち昇る煙を残し時々後ろを振り返りながらブーロの尻を追う。1時間余りでカルワコーチャに着く。キャンプ地は、スイス隊のキャンプ跡付近に決めてさっそく設営開始。天幕ひと張りだけなのですぐに完了する。ここでは『グランデに成功したのだ』と岡田が日本から持って来た大きな日章旗を掲げることにする。普段、日本にいる時は国旗にほとんど関心を持つことはないのだが、外国でキャンプを張るとそんな気持ちになる。

                    
                           カルワコーチャのキャンプ

キャンプを整備していて誰からともなく牛を買う話がでる。「登頂祝いだ」。・・・「会計係、金はあるか?」。・・・「大丈夫だ」。・・・「よし買ってこい!」、と篠原の指示がでる。

こんな話はまとまりも行動も早い。1時間も経たないうちに牛を引いて来た。子牛1頭(2200SOL=13200円)。キャンプの横を流れる小川の淵に引いて行く。

ホセ・ドミンゴ氏や住人たちに手伝ってもらい屠殺にかかる。まず、牛を横に倒す。次に暴れないようにロープで足をきつく縛る。そして住民の人たちは牛が動かないように押さえる。私たちは頭を押さえた。そこへドミンゴ氏あまり切れそうにない出刃包丁を持って来て牛の首、頚動脈に突き刺した。牛は喉から悲痛な声を発す。鮮血が緑の草原にほとばしり赤く染める。その喉もとに住人がバケツを持って行き吹き出る血を取る。犬に血を飲ませると言う。ドミンゴ氏は突き刺した包丁で何度も喉をえぐる。その度に牛は苦しそうにうめく。この残酷な様子を皆はもうすぐ肉が喰えるとの期待でニヤニヤして見ている。

牛の苦しむ表情とみんなのヨダレの落ちそうな顔は対照的である。今までにウサギ、鳥等何匹となく皮を剥いでおりこのようなことに対する感覚が麻痺してしまったようだ。

岡田にいたっては、牛のキンタマを「これで袋を作ろう」と言ってナイフで切り取った。

「おまえ、そんなことするから落っこちるんだょ」。・・・「エヘヘェー」と、いつもの人なっこい顔をして笑う。彼の身体はまだ腰を前かがみ気味で歩く姿が少しぎこちないけれど、いつもの明るい表情を取り戻した。

                    
                            牛を1頭買い、屠殺

牛は血を抜かれて目が見る間に生気を失って行く。呻き声も出なくなり、血がバケツ3杯になる頃には息絶えてしまった。ひと思いに殺せばよいものを犬のために喉もとをえぐるとはかわいそうである。兎と同じ様に牛の腹にナイフを入れて皮を剥ぎ内臓を取り出し肉を切り取る。思ったよりも速く1時間あまりで解体してしまった。天幕の前には肉屋の店頭のように肉塊が並ぶ。さっそく、ステーキ作りとなる。やれ、ヒレ肉だ、ロースだと言いながら(肉の名前は知っているが、それがどこなのか知らないくせに)各々好きな所を切り取りフライパンで焼き始める。美味そうな肉を焼く香りがあたり一面に充満する。

          
           食いきれないほどの肉        ステーキを焼く人

 さあ焼けたとナイフを入れるが簡単に切れない。切って口に入れるが硬い。チキアンで喰った肉と同じだ。こんな最上級の肉がなぜこんなに硬いのだ。各自がかわるがわる焼いた肉すべて同じようなものだ。屠殺して間もないこともあるが肉の切り方が悪いのだ。肉は繊維に直角に切らなければダメだ。しかし、素人にはそれは無理である。2枚目のステーキからは焼く前に、まな板に載せてハンマーで叩き柔らかくして焼く。レストランのステーキ味にはほど遠いがこれならいける。みんな動けなくなるほど肉を喰い続けた。

肉は5人では食べきれないほどの量があり少し住民におすそ分けをする。

ドミンゴ氏より登頂祝いにと家に招待される。‘パチャマンカ’なる料理をご馳走してくれると言う。‘パチャマンカ’聞いたこともない、どんな料理であろうか。喜んでお招きにあずかるとにした。(つづく

       
                  ヒリシャンカの穂先

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