遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第18回)
               吉賀信市

  頂上からのイエルパハー、エル・トロ


20.下 降

ンティニュアスで下れると良いのだが傾斜がきつくてそれができない。吉賀、長塚の順で続く。下降してザイルを回収しスノーバーを差し込み、シュリンゲにザイルを通して懸垂下降を繰り返す。9mm(80m)のザイルを使用して確実にそれを繰り返す。下降は登り以上に慎重を期さねばならない。失敗すれば氷河の藻屑となってしまう。

雪質が不安定のためスノーバーを信頼し難く、蛇行する雪稜を確実に辿らなければならない。もし、バランスを崩して雪稜の横方向に振られると、スノーバーが抜けるか雪が崩れる恐れがある。下降器は全員ファモア使用した。この登攀だけでなくユマール同様、国内において常に使用して充分に使いこなせるように努めた。この下降器はザイルの太さ及び状態により、幾通りかの掛け方ができて制動性が良く有効である。ただ、ちょっと大きいのが難点である。登りと同じピッチ数にて岩峰まで下る。

            
                    ロン・ドイへと続く氷稜

岩を見て「アッ」と思い出す。岡田より石を頼まれていたのだ。頂上に石はなかった。ここが岩のある最も高い所だ。ハンマーでこづいて、数個ポケットにねじ込み下降を続ける。岩峰は登りとはルートを少し変えて氷庇の張り出した正面をダイレクトに下降する。

氷庇の先端に立ち『えい』とばかりに氷を蹴って空を飛ぶ。『ファー』と身体が空を切りスリルを覚える。次の瞬間『ガチャッ、ガチャッ』とアイゼンが岩を蹴る音が響く。

           
                   岩峰の氷庇を懸垂下降

岩峰基部の雪稜に降り立ち、続いて来る長塚の下降する姿を真下からカメラを構えて見守る。『スィー、スィー』と2度、3度、空を舞う。その際に蹴ったツララが落下して、打ち上げ花火をように音と共に飛び散り昼の強烈な太陽にきらめく。彼の真っ赤なヤッケ姿もその場にマッチして効果満点である。岡田の待つC3へとさらに下降は続く。氷の洞穴から下の蛇行した不安定な雪稜を下降中、吉賀、どうしたはずみかバランスを崩し振られてルートを外れる。

       

                   北東稜から雪壁に下降

右下の15mほど離れた小さな岩棚に下りてしまった。垂壁に近いのでルートまでの15mをゴボウでは登れない。幸い、長塚と連絡が取れて彼に下降してもらう。その間ザイルを手放しているので岩棚に1人取り残された状態となり進退窮まる。ルートを途中まで下降した長塚に横からザイルを投げてもらい、ゴボウでルートまで這い上ることが出来たが冷や汗ものであった。『ヤレ、ヤレ』と胸を撫で下ろす。

ここまでメインザイルを張った箇所はそれを回収しながら下降した。最初の考えでは、天幕、固定ロープもすべて回収して山をできるだけ元の姿に戻す予定であった。しかし、それを行うには多くの労力と日数を要す。負傷者を抱えた我々にはその余力が残ってない。やむをえずメインザイルのみ回収としたのである。

C3に帰ると、岡田がゼルブストをつけている。そして「大丈夫だ。空身なら下降できそうだ。」と言いみんなを安心させる。この3日間でだいぶ体調が回復して来たようすである。本日は、C3までの予定であったがまだ時間も早い。岡田が、動けるのならば直ちに下降と決定。どこまで下降するのか。C2、C1、BCかはそこに着いた時の状況で決める。

下降中に岡田の状態がどうなるかが問題である。「いざとなったら俺が担いで降りる」と篠原。一時は背負って下降しなければダメだろうと覚悟していたのだ。しかし、疲労した体力で体重70kgを越える岡田を、担いで取り付き地点までの20ピッチ余の懸垂下降は我々3人の力だけでは考えただけでゾッとする。困難を極めることであろう。岡田が自力で下降できなければその危険を冒さなければならなかったのである。「大丈夫だ。下れる。」と元気に言ってくれたことは何よりも嬉しい。しかし、身体の動きはぎこちない。事故以来1週間、1歩も外に出ていないのだ。無理もない。

            
                   氷の洞穴の下を下降

不本意であるが天幕は放棄とし荷物を片付け整理する。篠原が岡田をサポートするとし、ザックにあふれるほどの荷を背負いC3を後にする。

下降は篠原、岡田、長塚、吉賀の順にて開始する。空身での懸垂下降は肉体的には楽なのもだが、肩にくい込むほどの重荷を背負ってでは苦痛を伴う。この下降が次から次へと続く。

下降器は熱を持ち制動が難しくなる。冷やすため雪のなかに突っ込むと雪が溶けるほどである。空中での下降になると息もできなく歯をくいしばって耐える。息をすれば腹筋の力が抜けて背中の重荷に身体がそり返ってしまいそうだ。

順調に下降は続いてC2に着く。岡田も頑張り無難に降りて来た。オーバーハングのピッチを心配したがここまで降りて来ることが出来た。身体の痛みも口にしない。続けて下降することにする。ここには、BCに持って帰りたい物が多くあるがザックにはもう入るスペースがない。仕方なく多少の物を袋に詰めてザックにくくり付けた。それ以外の物はすべて放棄せざるを得ない。ここには、まだ3週間分の食糧と40?のガソリンがある。C2には食糧1週間分とガソリン15?を残して来た。

いちいち数え切れないほどの懸垂下降を繰り返して取り付き地点の氷河に降り立った。「フッー」と息を吐くと張りつめていた緊張感が少し抜けて行くのを感じた。すでに日は沈み暗闇が迫っている。C1に1泊する考えもあり、そうすることが順当であるが、気持ちはどうせならばBCまで下りたい、である。BCまでの氷河の状態は暗くてもだいたい分る。夜なのでセラックの倒壊はないだろう。危険なクレバスもなく、大きな変化はないのもと判断してこのままさらに下ることにする。

篠原、岡田、吉賀、長塚のオーダーにて、肩にくい込む荷物を捨てて足を放り出して寝転びたい誘惑に敗けまいと歯をくいしばってBCへと歩を進める。点灯していたヘッドランプも電池が消耗してしまい消えてしまった。頼りは星明りのみとなる。満天に散る星明りに照らされた氷河のなかをセラックの間をぬって右に左に蛇行して進む。岡田が、苦痛の表情を浮かべて必死に1歩1歩と歩を進めているのが暗くて表情は見えないがよく分かる。腰、背中が痛むのである。何とかしてやりたいがどうしようもない。BCはもう近い。頑張れ!。ほどなく、キャンプの明かりが見えてきた。とたんに全身から力が抜けていくのが感じられる。キャンプの灯に張りつめていた気持ちが一気に緩んでしまったのだ。

石ころだらけで歩きづらいモレーンに足を取られながら引きづるように灯りを目指して歩を進める。我々に気づいて途中まで出向いて来た佐藤とアントニオの握手に迎えられて21時すぎ無事にベースキャンプに帰着する。20日ぶりのBCである。

佐藤は、我々の思いがけなく早い下山に驚いたようすであった。登頂の状況は、BCより双眼鏡で一部始終見ることが出来たとのことである。寝る時でさえヘルメットを被り、わずらわしいセルフビレイを強いられていたC2やC3に比べるとここは天国だ。

 思いっきり手足を伸ばして眠れる。‘遂に登ったのだ’そしてみんな無事に降りて来た。この思いを胸に疲れ果てた身体はいつしか深い眠りに落ちた。(つづく)

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