遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第17回)
               吉賀信市

19.登 頂

7月16日  晴れ  起床:2時30

昨夜は、北面からの風を雪稜が防いでくれて、ツエルトがはためくような風もなく睡眠を妨げられるようなことはなかった。こんなに良く眠れたビバークは初めてであろう。

今日もまた長時間に亘る厳しい行動が予想される。ツエルトの中で時間をかけてエネルギーの補給をしながら夜明けを待つ。外の様子を窺うと夜明け前の空には星が光っている。昨晩の祈りが通じて快晴・微風の願ってもない最高のアタック日和となりそうだ。

3人共、昨日の疲れは回復し体調は良い。細い雪稜でビバークしているので慎重を期して登攀準備は少し明るくなってからとする。

やがて夜が明けると朝陽を浴びた左手(南面)のエルトロ、イエルパハー、シウラの6000m峰が、紅く染まり次第に黄金色と変わり、次には白くなりまぶしく輝き始める。

            
                 ビバーク地からイエルパハーとエル・トロ

イエルパハー(6634m)の勇姿は‘アンデスの白い鷹’の名にふさわしい。眼下には、ヒリシャンカ・チコの鋭く尖った穂先、右手(北面)にはヒリシャンカ北峰から発するカミソリの刃のような急峻な氷稜が延びており、その先端に見えるロンドイ、ニナシャンカの頂上よりも高い位置にいる。もう頂上は近い。昨日の行動で思ったよりも高い所まで達している。必要最小限の装備をザックに入れ下降時に使用するスノーバーを必要数、各自ザックにくくり付けて5時30分、今日も篠原がトップに立ち頂上に続く雪稜への登攀を開始する。セカンドは長塚、吉賀は2人が登攀している姿を写真に撮りたくてラストで頂上を目指す。

            
                     上部から見るビバーク地

1ピッチ、2ピッチ昨日同様、右手にピッケル、左手にスノーバーを持ち、両側がスパッと切れた急峻な雪稜を慎重に登攀する。3ピッチ目、馬の背のような雪稜は右から左へと蛇行して急勾配の登りとなる。そのスカイラインを登高する2人の姿が白い雪、紺碧の空に美しく映える。

          

           

           

 4ピッチ目、クラスとした急斜面をアイゼンの出っ歯を蹴り込みながら篠原が登っていく。砕けた氷片が北面からの風に吹き上げられて朝陽に輝きながら舞落ちてくる。篠原の姿は紺碧の空に溶け込むように消えて行った。まもなく、「着いたぞぉー。頂上だぁー。」風の中かすかに篠原の声が聞き取れた。すぐに長塚が続く。その後を一歩一歩噛み締めるようにトレールを追う。


           
                       頂上直下の登攀

強い北風をまともに受けて、表面がクラストした頂上直下の斜面にアイゼンを蹴り込み駆け上がるようにして登ると2人の姿が目に入る。「頂上だ」、ヒリシャンカ南峰の頂に未踏の南東壁より達したのだ。時に7月16日7時30分である。BCを設営以来、実に49日間の長い長い闘いであった。

しかし、今日の登攀は昨日までの苦しい登攀に比べるとちょっと呆気なかった。それでも、篠原も長塚も嬉しそうな笑顔だ。3人で完登の握手を交し合う。「苦しかったなぁ」と長塚、確かにきつく厳しい登攀であった。BCから初めて仰ぎ見た南東壁は「とても登れん」と感じたものだった。その垂直の岩壁から新ルートにて、今ヒリシャンカの頂に立っている。

頂上で握手し合った時の気持ちは「あぁ〜登れて良かった。」と言う安堵感と、いままで溜まっていたストレスが一瞬にして消えた爽やかさであった。北面より頬を打つ風も今は快く感じる。


           

           

北面に連なる北峰からロンドイへ目を向ける。この足元からなだらかな雪稜が大きな雪庇を西面に張り出し一旦急降下して北峰へと続いている。北峰からの先は鋭いナイフエッジとなり蛇行しながらロンドイへと続いている。

計画ではこのルートを辿りロンドイまで縦走して、ミツコーチャ方面に降りる予定であった。ナイフエッジを眺めていて、リマでポーランド隊と交歓した時に言われた言葉がふと頭に浮かんだ。「ビューティフルプランだ。しかし不可能に近い」と。可能であれ不可能であれヒリシャンカは、我々にロンドイへのエネルギーを残してはくれなかった。ここに至るまで我々の見通しを優に上回った日数、それに伴う体力、気力の消耗、岡田の負傷、また、固定ロープ等の不足、等々。

今、南峰の頂上より見る限りは、ロンドイまでの稜線は不安定な鋸歯状にあまりなっておらず、思ったよりも安定しているように見える。この恐竜の背にも似た、恐怖を覚える氷稜にもルートを見い出せると思えて来た。しかし、この計画を実践するには、隊を2パーティーとして、一方のパーティーがミツコーチャ側からロンドイに登頂することが必要だと思う。それがなくて仮にロンドイまでの縦走に成功したとしても、下山ルートも確保されていない所をやみくもに、W・ボナッティーもてこずったと言われるロンドイをどうして無事に下降できようか。それは冒険すぎると言えよう。

日章旗、ペルー国旗の小旗を篠原がザックより取り出しピッケルのシャフトにくくり付ける。それをかざして互いにカメラにおさまる。登頂成功時の記念行事である。これが済めば長居は無用である。20分ほどで下降準備にかかる。このあとには長く危険な懸垂下降が待っているのだ。

頂上に足跡を残し雪面にスノーバーをさし込み懸垂下降に移る。「気をつけて来いよ」との言葉を残して篠原がトップで岡田の待つC3へと下降を開始する。(つづく)


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