遥かなるアンデス Jirishanca 1973
                ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・
                      (第16回)
               吉賀信市

18.アタック

 7月14日  雪のち晴れ  起床:6時

 朝から風が強く雪も降っているため、本日の行動は無理かと諦めていた。天幕内が明るくなり外を見ると雲の切れ間から蒼空がのぞいている。11時天気好転。今日は氷の洞穴までとして準備を始める。ビバーグ用具、3日分の食糧、それに上部の雪稜で使用するスノーバーと、ザックは膨らむ。私たちがいない間の岡田が食べられそうな食糧、水等を用意して天幕内に並べる。トランシーバーでBCに連絡を取りたいが調子が悪くて役に立たない。BCの佐藤とは6月27日にC2で別れて以来、すでに17日間音信不通の状態である。佐藤には緊急事態が起これば、ライトの点滅で知らせるとは言ってあるが連絡がつく保証はない。

もし、我々アタック隊に事故が発生した場合はどうなるのか・・・。どうにもならない。自分たちのみで処理をしなければならない。ヒマラヤやアンデスには救助隊はいないのだ。もし、事故があれば自分たちだけで処理する余力は残っていない。今、我々の実践している岩壁のポーラーにはタクティクスに誤りはないだろうか。一般的なポーラーの考えからすれば、BCとは連絡が取れない。C1、C2はガラ空き、C3には負傷した岡田が1人と言うような状態であり問題があると言えよう。

 しかし、一般的な考えではこのような壁は登れない。また、アクシデントが発生した場合の対策までは準備できない。だが、事故を起こせば非難されることであろう。

 今更そんなことを思っても仕方ない。ある程度の危険は甘受しなければこんな登攀はできない。うまくいくことを信じて全力を尽くす以外に道はない。

準備を終え11時、岡田の「がんばれよ」の声に送られて篠原、長塚、吉賀の順で重いザックを背に氷の洞穴へ向かう。出がけに再び岡田から声がかかる。「友達に頂上の石を約束してあるから頼む」・・・「OK、まかしとけ!」。洞穴までは8ピッチ。17時ちょうどに到着する。洞穴の中には風がほとんど入って来ず外の風音も聞こえない。ツエルトを広げる必要も感じない程でこれ以上のビバークサイトは望めないであろう。

 明日からの厳しい行動を思い好天を祈りながら早々に横になる。

7月15日 晴れ  起床:3時30分

天気は久しぶりの快晴。洞穴の中からツララのレース越しにエル・トロ(6121)が陽の出を受けて紅く染まりすばらしく美しい。5時すぎに洞穴を出発。固定ロープにユマールをセットして黙々とユマールを漕ぐ。9時すぎに昨日の到達点に着く。今日も篠原トップ、吉賀の確保、ラスト長塚のオーダーで登攀を開始した。空には雲一つなく快晴微風、願ってもない登攀日和だ。額に汗すらにじむ。

       

                      北東稜の登攀

1ピッチ(33ピッチ目)氷壁を10mほど直上してルートを探すが氷の庇に守られており見出せない。一旦下り左に廻り込み別の張り出しの下をその切れ目の方へと左斜上気味に40mトラバースで1ピッチを終える。すぐに吉賀が続く。身体がだるく自分でも感じる程に動作がぎこちなくもたつく。また、背中のザックの荷が重く感じる。

 ザイル捌きがスムースに行かず自分の未熟さ、経験のなさを痛感させられる。「吉賀、何やってんだ。しっかりしろ!」と篠原の檄が二度、三度と飛ぶ。2ピッチ、もうトラバースは行き止まりとなり、幾分小さくなった氷の庇にスクリューハーケンをねじ込み乗り越しにかかる。スクリューは良く利いてくれるようだ。アブミに乗り氷の張り出しを乗り越す篠原の姿は、白い氷と蒼い空にマッチして絵になっている。写真に撮りたいと思うがこの状況ではそれができない。ザイルから片手を離して首に下げているカメラを持つ訳にはいかない。

           
                      北東稜を登る

トップとラストは同時登攀で長塚を上げる。ルートはさらに氷壁を30mまっすぐ延ばして、岩の風化が著しく黄色をした岩峰基部に達した。3ピッチ、左上した小さなバンドが走っておりこれにルートを取る。風化が激しく浮石に悩まされながら微妙なバランスを強いられ慎重に登攀。リスにハーケンを打ち込んでも、時々そのリスが開き岩が割れて確保している所に飛び跳ねて落ちて来る。篠原は「ハーケンが打てない。利かない。」とこぼしながらザイルを徐々に延ばして行く。

ここにも氷の中に古い固定ロープが見られ登られたルートであることを確認することができた。35mで小さなテラスに立つ。吉賀、長塚と続いて登る。もう、頂上に連なる雪稜は近いはずだ。4ピッチ、瓦礫が積み重なったようなボロボロの壁を直登にかかる。

        
              最後の岩峰上部登攀


             
                      最後の岩峰上部登攀


             
                      岩場最後の登攀

どんなに注意して登っても落石を起こす。それがもろに飛んでくるため確保することより落石をかわすことに神経を使う。篠原は強引にグイグイとザイルを延ばして行く。40m一杯のびて篠原の姿が見えなくなった。「抜けたぞ!」とコールが響いた。

ついに、頂上へのスカイラインに達したのだ(37ピッチ目)。もう、岩壁はない。あとはこの雪稜をたどれば良い。目を転じると眼下にはヒリシャンカ・チコ(5617m)の尖った穂先を真上から見る位置である。

            
                    眼下のヒリシャンカ・チコ

 吉賀が上がると同時に篠原は雪稜へ足を踏み出す。しかし、雪はザラメ状でまったく粘り気がない。蛇行しているこのリッジは傾斜がきつくコンティニュアス登攀と言う訳には行かない。スタカットでの登攀となる。

 雪稜になったのでもう簡単だと言うような安易な気持ちを締めなおす。右手にピッケル、左手にスノーバーのコンビネーションで不安定な雪を掻きながら進む。1歩1歩そして1ピッチ1ピッチを慎重かつ確実な登攀が要求される。スノーバーを差し込んでも上に引けばスッと簡単に抜けてしまいあてにはできない。

 すでに、陽は落ちてそろそろ夕闇が迫って来る。緊張感で時間の観念はまったくない。あるのは出来る限り上部まで行くと言う気持ちだけである。トップとラストは同時登攀で「速く、速く、急げ」と気持ちははやるのだが身体がそれに追いつかない。

 それにしてもこの登りは体力の消耗が激しい。セカンドで登ってもステップが出来てなくて、場所によっては何度も踏み直さなければならない。雪稜での5ピッチを終える頃には、声はすれども姿は見えない暗闇となってしまった。長時間の行動で空腹、ガス欠の状態となり3〜4歩登っては立ち止まり、最後の登りは這うように篠原の所へ辿り着いた。

 長塚もなかなか上がって来ない。ザイルを引いても身体が上がって来ないのだ。もうひと登りとなり声はすぐ近くから聞こえるのだが姿を現さない。しびれを切らした篠原が、「長塚、速く上がれ!急げ!」と怒鳴る。・・・・「そんなこと言ったってこれで精いっぱいですよぉー」と、ちょっとふてくされ気味の声で返事がすぐ近くから返って来た。ほどなく長塚も上がって来た(42ピッチ目)。暗くて何も見えないがもう頂上は近いはずだ。

 北面からの風を防ぐために、雪稜の南面に3人が足を伸ばせるだけのテラスを切り広げる。スノーバーを何本も打ち込みそれにビレイを取る。ツエルトを被ったのは20時近くになっていた。氷を溶かし食事の準備を始める。高度6000mの細い雪稜でのビバーク、自分でも不思議なほど落ち着いており何の不安も感じない。10数時間におよぶ行動に疲れ果てた身体も熱い飲み物により生気が戻る。風がほとんどなく、頂上も近いことが疲れを感じさせないのであろう。体調は、長塚、吉賀の顔に少しむくみがある以外は異常なし。私たちは、高度順応については特別なことはやらなかった。キャラバンは3000m〜4500mまで4〜5日要し、登攀活動に於いては一気に高度を稼げることはなく、1日に精々4〜5ピッチ登っては下降する。

 すなわち、登攀そのものが高度順応と考えた。しかし、篠原以外の、日本の3000m級の経験しかない者は、実際そのようにうまく行くのだろうか。また岩壁の中で1ヶ月以上も暮らす。それはどんな生活になるのか。それに耐えうるか。等々心配しこの種の文献、記録を読んでもその心配が消えることはなかった。それが今、頂上と目と鼻の先ほどの位置にいる。何と言う幸せか。この幸運に感謝する。食事を済ませて用足しに出る。用を足しながら仰ぐ夜空に満天の星。風は微風。星はまばたきをしていない。雲が流れていないということだ。明日もこの好天が続いてくれることを祈る。(つづく)


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