遥かなるアンデス Jirishanca 1973 ・・・ヒリシャンカ南東壁回想・・・ (第15回) 吉賀信市 17.北東稜へ 7月13日 晴れのち曇り 起床:3時30分 岡田は軽い食事を摂るまでに回復して来てみんなを安心させる。一方、長塚は疲労がまだ取れなくて体調が思わしくない。2人を残して、篠原、吉賀は6時に天幕を出る。9時に昨日の洞穴に入る。休むまもなく篠原トップに立ち、洞穴入り口の氷の庇より登攀を開始する。腕を出来る限り伸ばして氷庇にスクリューハーケンをねじ込む。アブミの掛け替えだ。篠原の足越しに、イエルパハーとエルトロが南東に雪煙をなびかせて蒼空に聳えている。 1ピッチを終え吉賀ユマールで後を追う。氷のオーバーハングになっているために、ザイルが氷に密着しており、ユマールが上にあがらなくて体力を消耗させられた。アブミの掛け替えで登った方が楽であったであろう。氷の庇の上は、斜度50度くらいの氷壁がまっすぐ40m延びていた。次のピッチ(30ピッチ目)は氷壁から急にグサグサの雪壁と変わり、篠原は猛牛のごとく雪を掻き突き進む。20m直っすぐ登り左にトラバース気味に10m、さらに10m直上してついに北東稜に達した。上がって来た吉賀に「おまえ、咬みつきそうな顔だな」と篠原。よほど酷い顔をしていたのか?それもそうだ、必死になって登っているのだ。 これよりルートは、南壁側に切れ落ちた吊り尾根状のきれいなスノーリッジが50〜60m続く。その上に最後の城砦とも言うべきドーム状の岩峰が、その周りを幾重もの10数メートルも張り出した氷の庇や鍾乳洞を想わせる大きなツララの鎧に身を固めて、西に傾きかけた陽を浴びて聳えている。自然の造形は美しいものだ。 その雄大な美しさはしばし登攀の厳しさを忘れさせてくれる。北面にはヒリシャンカ北峰より発するロンドイへの鋭い氷稜が望まれる。眼下には、ミツコーチャの蒼く澄んだ湖。そのモレーンの上から岩肌ひとつ見られない雪壁がこの北東稜に突き上げている。 岩峰基部へと歩を進める篠原のトレールがきれいなスノーリッジにくっきりとつく。 基部まで数10メートルに残したその足跡が西からの逆光を浴びて、幻想的な雰囲気を漂わす。ここからは、荷上げ用の6mmロープを補助的に固定する。2100m持参した8mmロープ。それに予備のメインロープ(80m×2本、40m×2本)も使い果たした。 ここまでに2300mほどのロープを岩壁等に固定したことになる。4ピッチ目、基部の正面は氷の庇が最も大きく張り出しているので、その切れ目を探すべく右に下降気味に廻り込む。そこには、1967年に北東綾より登頂に成功した東京農工大のものと思われる古いロープが数メートル張り出した氷の庇の中に見られた。 5ピッチ(33ピッチ目)、北面からの風を受けながら、篠原は張り出しの幾分小さな氷庇に向かう。氷のついてない垂壁をきわどいバランスで20m登り氷庇に挑み始める。 陽はすでに西に落ち、吹き付ける風は肌を刺す。緊張感で寒さは感じない。篠原が腕をいっぱいに伸ばして氷にスクリューハーケンをねじ込み、それにカラビナを掛けザイルを通す。 次にアブミを掛けてそれに乗っかり、グイッーと身体を伸ばす。すかさず次のスクリューをねじ込む。カラビナを掛けザイルを通す。「ザイル引け!」次にアブミを掛けて身体をそれに移す。すかさず「ザイルゆるめー!」と激しく篠原の指示が飛ぶ。高度は6000mに近い。この高さでアクロバチックとも言える登攀には確保していて、その一挙一動に目を凝らす。 ![]() 最後の岩峰 ![]() 岩峰の氷庇を登攀 氷庇を乗り越えて姿が消えると、まもなく、「上がって来い!」の声が掛かる。ユマール登はんでカラビナ、ハーケンを回収しながら登る。庇の出口の所はユマールが上にあがらなくていつも苦労する。ハーケンの廻りの氷は血に染まっている。今までの登攀活動で傷ついた手の指はなおも傷つき血がにじみ出るのだ。厳しいところはどうしても素手で登るようになる。この高度ならば可能であるが、7000m以上になると素手は無理であろう。まもなく、篠原に迎えられ上部を見ながらのルートを検討する。まだ氷の張り出しはあるが何とか巻いて登れそうだ。もう登頂は時間の問題だ。そんな思いを始めて抱き今日の行動に満足してC3へと下降に移る。 |