おゆぴにすと二人、余裕と意地の
若杉山〜三郡山〜宝満山早駆け走の巻
 
                              栗秋和彦

           
                 三郡山山頂から宝満山を望む

○情熱にほだされる

 南福岡へ転居して早5ケ月余り、世俗事にかまけてエクササイズの方は隠遁生活者の如く、ひっそりとつつましく、すっかり縁遠くなってしまった。この間山行も挟間&高瀬両兄に誘われた、肥前の山といで湯行(虚空蔵山、嬉野温泉他 5/24〜25)のみであって、我が半生を眺めるにこの5ケ月余りの活動状況は氷河期と例えておかしくなかろう。

 ただこの状況を諦めつつ受け入れていた訳ではなく、チャンスとあらばそろそろ低山歩きぐらいは再開せねばならぬと、思っていたころあいに挟間から一本のメールが届いた。「‘03デュアスロンジャパン国東半島国見大会(10/19)の前哨戦として、筑豊は福智山周辺のランニング登山を企画した。地元支部はこれをサポートして、具体的な肉付けを図られたい!」であった。

 「おいおい、この博多の地では福智山塊はちょっと遠いし、ランニング登山なんて恐れ多いよ!」が率直な感想であったが、ハードトレーニングを積んですっかりスリム化したと伝え聞く、最近の挟間ならこの発想も分からぬでもない。う〜ん、まるっきり無視も出来ないし、福岡の山に不案内な彼に頼られているとすれば、一肌脱ぐしかないよなぁ、とボクは気弱く、とっさに思い付いた代案を提示したのだ。つまりはもっと近く、福岡近郊の三郡・宝満山周辺ではどうだろうかと。

 なるほど改めて調べて見ると、この山塊は篠栗町の若杉山方面から攻めればクロカンに最適の稜線が続いており、若杉登山口から大宰府の竃門(かまど)神社(宝満山の登山口)まで駆け抜ければ延々18kmにも及び、距離だけなら祖母・傾縦走に匹敵するスケールを伴うのだ。

 う〜ん、う〜ん、ボクは唸った。どこまでランニング登山の領域に迫れるかは分からぬが、これはやらねばならない。今の己のランニング登山に対する関心度を測れば、きっと一人ではこの”大縦走”を成し遂げることはなかろうと思ったからである。表面上は「おっちゃんの情熱にほだされたぜ!」と取り繕いつつ、ボクは「決行!」の二文字を激しく叩いたのだった(メールを打つの図)。

○荒田高原〜若杉山〜ショウケ越 序盤の攻防?

 博多駅でソニック号を迎える。駅の立ち食いうどんを朝食代わりにと要求する挟間へ「なんせ大縦走なんだから時間ないのよ!」と急き立てて、福北ゆたか線に乗り換え篠栗駅へ。ここでも立ち止まる暇は与えず、タクシーの人となる。アプローチはスピーディに、裏を返せば「18km、累積標高差1390mを3時間で楽勝よ(※1)」とのライトウェイト四駆仕様のおっちゃんとは両極に位置する己の本番必要時間を考慮すれば、せめてアプローチはキビキビとならざるを得ないよね。つまり不安の裏返しなんであります。

 さてここまでは計画どおり。秋晴れの下、荒田高原を颯爽と出立。この地は若杉山の中腹にあたるが、篠栗四国霊場八十八ケ所巡りの26番、29番、それに64番札所を有しており、このための宿坊(旅館)が3〜4軒点在してちょっとした集落を形成している。そう言えば何となく霊験あらたかな雰囲気と言えなくもないが、現実はのっけの急坂、コンクリートたたきの登山道から喘ぎあえぎの体。霊験あらたかでも上り坂の難儀さに変わりはなかったのだった。うんうん。

           
               出発点・荒田高原より見上げる若杉山(左後方)

 とそれでも杉林の小徑から林道、更には奥の院から若杉山頂まで直接突き上げるコンクリート道へ合流すると傾斜はグッときつくなったが、登山道の傍らには秋の野草の代表格、ミズヒキやアキチョウジなどを認めつつ、ランニングもどきで歩を進めた。この間、被写体(ボクのこと)にいろいろ注文をつけながら、挟間はデジカメ片手に前に後に大忙しと、撮影役をまっとうしようとしていたが、使命感もさることながら、その機動性には感服するのみであった。

   
          杉木立の中の急登                    車道と合流

 そしてマイクロウェーブの無線中継塔がデンと居座る若杉山頂(681m)へは荒田高原登山口から27分を要し到着。フーフー。この頂はついぞ一週間前に、奥方と今日本番日の下見を兼ねて登ったばかりなので、馴染みの景だ。しかし周りは樹木が遮っているので、眺望は得られず長居は無用。

                    
                       若杉山山頂にて

 一息ついたら、いよいよ未知のゾーンへ縦走開始だと、半ば己を鼓舞しつつ挟間へ目を向けると、彼は目を細めながら何やらこそこそと(得体の知れぬ)小型無線機のようなものをいじっているのだ。何だ何だ!と問い詰めると、彼は「おぅ、そうかそうか、やっと気がついてくれたか!」と言わんばかりの表情で堰を切ったように説明してくれたのが、秘密兵器の携帯用GPSであった。

 正式名を米Garmin社製ハンディGPS・eTREXと言い、米軍事衛星3個以上からの電波をキャッチすることにより,最小誤差5mの位置精度で現在地を特定できるというスグレモノ(本人談)。あらかじめカシミール3D(※2)で作成したルートポイントを記憶させておくことにより、精度の高いナビゲーションが可能というふれこみであって、もちろん“こだわり人・挟間”のやることですから、前もって要所要所のポイントを記憶させており、それを確かめながら行動することに悦びを見出だしていることは想像に難くない。「う〜ん、ここは間違いなく若杉山だぜ、こやつに拠れば位置も標高もピッタシだ、ウヒヒ...えらしいのぉ」と本末転倒と言えなくもない独り言はご愛嬌としても、新し物好きを自認する彼の面目躍如たる場面ではなかったかと思うのだ。

          
                  三郡山は、まだはるかな靄の中

 おっと主題はランニング登山であった。その意味ではこの若杉山からショウケ越へ至るルートは、わずかにアップダウンはあるものの殆どが下りとあって、標準のコースタイム45分のところを23分でカバー。ほぼタイトルどおりのパフォーマンスは示せたし、おっちゃんとの“攻防”と銘打っても恥ずかしくない程度には付いていったつもり、まだまだ元気であった。

○ショウケ越〜砥石山〜三郡山〜長崎鼻(仏頂山東方のピーク) 危うしの早駆け走
 ショウケ越(500m)はこの縦走路中の最低鞍部である。杉林を急降下すると、突然立派な舗装道路が眼下に現れ、峠を跨ぐように縦走路はコンクリート橋となって砥石山方面へと繋がっているのだ。そぅ、この峠は志免・宇美町と筑豊を結ぶ動脈・県道51号を分けており、交通量もけっこう多い。渡るとなると左右の確認は必定で、なるほど人道専用のコンクリート橋も頷けるのだった。

          
                     ショウケ越

 さて実質の課題はこれからである。ただ登るだけなら踏跡もしっかりしているし、秋の日差しはやわらかい。ススキの穂を愛でながら季節の移ろいを感じつつ、カヤトの原に分け入る。高度を上げるにつれコナラ、タブノキなどの樹海に踏み込むコースは変化に富み秀逸だ。まさに野趣溢れるハイキングの趣であろう。しかしここでも小姑・挟間は、前に後に奔放に駆けながら、シャッターチャンスを狙うのだ。

 もちろん砥石山まではほぼ上り一辺倒なので、ボク自身駆け上るようなパフォーマンスにはほど遠く、看板に偽り有りの感は拭いきれないが、これに追い討ちをかけるように頭上から「ウムウム、エヘン、今回はモデルの服装が悪いなぁ。バミューダパンツと首にタオル、それに殆ど上がらない足では、どうみてもランニング登山には見えないぞ!」との指摘も鋭く、今の己には黙って甘受するしかあるまい。特にこの山旅のメインテーマに相反する「足が上がらないぞ!」との注文には返す言葉もなく、気持ちはめげてしゅんシュンなのだ。分かっているかなぁ、そこんところをおっちゃんは!と言いたいのだ。

   
   ショウケ越から鬼岩山への急登(左)を過ぎるとようやくランニング登山らしくなってきた。  

 それでも最初のピークの鬼岩谷山(774m)まで登ると少しは傾斜もなだらかになり、気負った分だけ少しはスピードアップしたつもりだったが、ランニング登山を最も端的に言い表すなら砥石山(826m)から前砥石(805m)更には三郡山(936m)との鞍部までが、このコース中もっともそれを実感させる部分ではなかったかと思うのだ。まぁこれもせわしく急き立てる?挟間兄の叱咤激励、小姑いびり、その他助言、断言、雑言雨あられがあってこそではあろう。

 しかし一方ではボクの低速喘ぎ走行(歩行)では、要所要所で常に待ち役を演ずるのも彼である。う〜ん、このシチュエーション、例えて言えば「飼い慣れた愛犬・ポチを野山へ連れて行った構図に似ているな。ポチは喜び勇んでガシガシとそこいらを走り回る。踏跡があれば、後先考えず猪突猛進して山中へ分け入るが、番犬だからこそ己のテリトリーはDNAがしっかりと押さえており、少し進んではじっと主人を待つの図」に似ているような気がするのだ(苦笑)。とまぁ、半ば羨望の念を抱きつつ、半ば自嘲気味に、パートナーをおもんばかっての行脚は続く、まだまだと。

 で一番堪えたのがこの山塊の最高点、三郡山への登りであった。例によって挟間は、後方に気を遣いながらも前方をひた走っている筈だ。しかしボクは鞍部からたかだか標高差150mがなかなか辿り着けぬ。苦しさともどかしさ、久しぶりのクロスカントリーもどきに両脚の筋肉は乳酸が溜まりきってしまったのだろうか。ますます足は上がらず、意に反して造反を繰り返すばかりなり。フーフー。

 それでも「止まぬ雨はなく、果てしない頂もない」頭上を覆っていた樹林帯も次第に背が低くなって、前方高みに構造物が見え隠れしてくると、頂は近い。最後は駆け上るようにして巨大なドーム(航空監視用レーダー)の脇をすり抜け大きな岩盤上に踊り出たが、ここが大勢の登山客で賑わう三郡の山頂であった。「フムフム、懐かしの山頂だ、ここまで来れば宝満山は目と鼻の先だぜ!」と平静を装ったものの、本音の部分は「フーフー、遠かったなぁ」が実感であった。その証拠に砥石山の後方に台形状に控える若杉山ははるか彼方の感強しであって、位置関係のみを捉えれば、まさに宝満は我が手中に有りの筈だったが….。
 
           
                 若杉山ははるか彼方(三郡山山頂直下)

 ところで少しはこだわったショウケ越からのコースタイムはとなると、休憩を含めて正味1時間26分かかっており、標準的コースタイムの2時間35分と比べれば、曲がりなりにも走った分だけ速いんであります、クスン。

   
                    三郡山山頂の風景

 さて名目上、すぐにでも三郡を後にしたかったのだが、やっぱり「思えば遠くへ来たもんだ!」の感は否めない。若杉山〜鬼岩谷山〜砥石山への峰々を眺め入ると少しは反芻して感慨に耽り、その軌跡を胸に仕舞い込むぐらいの余裕は確保しつつまどろんだ。しかしいざ出立の段になって宝満山への縦走路が分からず、二人して周辺をウロウロする始末。5,6分は時間をロスをして、ようやくドームの縁に下降路を見出してホッとした訳だが、一度、周りの登山者に挨拶をした後、再び戻ってきましたとは、ホンマばつが悪かった。今度こその思いと、辺りの目を気にして、勢いよく飛び出したことは言うまでもない。もちろん”走り屋”をアピールするためぞくぞくと登ってくる登山者には一瞥のみで駆け下る。まっこと我がパフォーマンスは子供じみてると苦笑いの連続なのであります。

           
                  樹林帯の縦走路を快走(?)するの図

 一方、樹林帯の縦走路はカエデ、ドウダンツツジ、ブナ、モミなどが茂り、まさに手付かずの原生林の趣。軟らかい腐葉土を踏みしめること自体もったいないような気もするが、行きがかり上ガシガシと下る。ところが想定以上にこの尾根、アップダウンの連続だった。早9年前、息子と歩いた時の記憶を呼び戻そうと試みるも、樹海の中の縦走だったぐらいしか思い浮かばず、今更ながら人間の記憶なんてあやふやなもんだと思い知る。下りはいいが、一転上りにかかるとこんな筈ではと思いつつ、ガクッとスピードが鈍る。そしてこれの繰り返し。

 だんだんと挟間から置いていかれる図式であったが、河原谷分岐の最低コルから一気に登り詰めると、頭上から挟間のこだわり声とともに、何やら聞き覚えのある話し声が聞こえてくるではないか。そうか、あらかじめ連絡しておいたかっての岳友、地元のI女史との合流場面であった。久しぶりの邂逅、昼食どきでもある。そして展望の利くこの岩峰(長崎鼻の名板有り)から振り返ると、三郡山の航空監視用レーダーを真っ正面に望み、眺望の利かなかったこの尾根では恰好のポイントでもあり、ランニング登山と銘打った試みは実質的にここで終わったことを悟ったのだった。少し緊張が解けて頭上には軟らかな陽が降り注ぐ。まさに秋の山中でまどろんだひとときであった。

           
                   長崎鼻から望む三郡山


○長崎鼻〜宝満山〜竈門神社、にわか仕立ての植物学習隊、宝満を下る

 一変して長崎鼻から仏頂山(869m)、そして宝満山(829m)へはI女史を加えて、さまざまな植生を愛でながらのそぞろ歩きとなった。と言うのも野草に詳しい女史は、歩きながら足元にひっそりと咲く名も無き(ちゃんと教えてくれたが、にわかには覚えきれないのだ)草花を説き、時には立ち止まって解説を加え、あまつさえ名の由来まで教えてくれるので、こりゃ今までのガシガシワサワサ早駆け走とは180度趣を異にして、静かでアカデミックな山歩きとなったのだ。

   
     長崎鼻以後は、 I 女史もまじえ野外植物観察に興じながらの下山

 しかし悲しいかな、野の花をはじめ樹林を形造っている殆どの植生に対して蓄積ゼロのボクには、ただただ聞き流すしかないのが悔しかった。それでも宝満山直下の岩壁下に群生するギボウシは黄色く色づき秋の気配を感じ取れたし、山頂から中宮、更には百段ガンギへと下る道すがらには、ところどころでヨメナが青白い可憐な花びらで我々を誘うかのよう。ただひたすらまっしぐらに下る森の小徑に潤いとアクセントを与えてくれるのだ。その意味ではもっともっと自然が育む摂理を研鑚すべきとの思いは尽きないが、おっとズンズンと下る挟間兄相手の山旅では、この感慨は得られないよなぁ、ムリムリ。

  
             大勢の登山者で賑わいを見せる宝満山山頂

 さて話は少し戻ってこの宝満山、たかだか800m余りの低山であり、今回はゆるゆると下っただけだが、改めてその手強さには恐れ入った。鬱蒼とした森の中、有無を言わせぬ急な石段で一気に下降させるルートは潔さを滲ませているし、竈門神社(147m)までの果敢な標高差は福岡近郊の山では稀有である。巷では福岡市民の憩いの山として紹介されているが、生半可な気持ちで登ると、しっぺ返しに遭いそうである。

 しかしその手強さゆえ達成感も大きく、それを知ってしまうと他の近郊の山では物足りなくなり、リピーターとなって多くの登山者が通ってしまうのだと聞いたことがある。なるほど頷けるところだが、我がにわか植物学習隊にかかわる現実問題としてはこの下りは走れないぞ、と思うのだ。後日重度の筋肉痛に見舞われるのは目に見えているからであって、早駆け走として捉えるなら今回とは逆コースの竈門神社を起点とした方が、身体へのダメージは間違いなく軽減されよう。もちろんのっけのこの登りにめげない精神的・肉体的タフさを併せ持っていればの話だけどね。

           
                    終着点の竈門神社 

と、なんやかやで中途半端ながらも余裕と意地が相克したランニング登山は都合16km、4時間50分ほどで無事竈門神社に到達したが、早駆けに興じた後は、植物の生態を学び取るフィールドワークへと転じて、動と静の山旅を一度に満喫できたことは、同行者との縁に負うところ大であり、改めて両人に感謝する次第である。

(※1)実際は荒田高原を起点としたため、走行16km、累積標高差1077mとなった。
(※2)三次元の地図ソフト。レリーフ表現された地図上で様々な風景を”写真”に撮ったり、展望図、断面図、可視マップなど豊富かつ高精度な機能を備えるなど、単なる地図ソフトでは割り切れないほどの多機能を有する。そのこだわりぶりは”おゆぴにすと”HP、山岳随想欄の「望岳雑感 挟間渉著」に詳しい。
(コースタイム)
博多駅8:40⇒JR(福北ゆたか線)⇒篠栗駅8:59 9:00⇒タクシー⇒荒田高原9:12 19→奥の院出合い9:36→若杉山9:46 50→ショウケ越10:13 17→鬼岩谷山10:40→砥石山10:51 54→前砥石11:03→三郡山11:43 57→長崎鼻12:22(I女史と合流&昼食) 39→仏頂山12:44→宝満山12:54 13:05→二合目水場13:35 44→竃門神社14:10 20⇒車⇒西鉄大宰府駅14:28 40⇒NR(大宰府線)⇒西鉄二日市駅14:46 48→JR二日市駅15:00 01⇒JR(鹿児島線)⇒博多駅15:28
(平成15年10月11日)

〔参考〕
          
                        GPS測定による歩行軌跡
            (樹林帯の中では衛星電波を捕捉できず途切れている箇所がある)



  
            荒田高原〜若杉山〜三郡山〜宝満山〜竈門神社高低図
(随所で途切れたGPSトラックデータをつなぎ合わせる作業=GPSデータ接続処理を行った。この処理を行うと実動距離よりも表示距離の方が長めになlり、累積標高の誤差が大きくなる。)

         
Photo & CG by W. HASAMA

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