おゆぴにすと、肥前の奇峰と湯巡りに嵌まる!の 【前編】           栗秋 和彦

 ロマネスク高瀬のたっての希望で肥前国を旅した。もちろんこだわり挾間も加わってのトリオ行脚だが、計画はあってなしがごとく。唯一の了解事項は佐賀・長崎県境に聳える虚空蔵山(こくぞうさん・609m)周辺にて野営して、翌朝こやつに登ろうと申し合わせただけであって、まったくの行き当たりばったりの体である。まだ日は高く、筆者には初見参の嬉野温泉街を冷やかすことから行動を開始したが、さすがに歴史ある温泉街は歓楽の場もしっかり提供していると見た。街角で一見してそれと分かる厚化粧の八頭身美人に遭遇するや、舌なめずりしつつ振り返る挾間&高瀬の振舞いが如実にそれを物語っていたが、おいおい、先ずはオンセンだよ、おじさんたち! という訳で先ずは温泉街のど真ん中、由緒正しく歴史のありそうな元湯(共同湯)に浸って一点を印した。

 まぁしかし何てことはない、嬉野温泉の歴史を鑑みなければ、造りも風情も銭湯そのものであろうか。これが偽らざるところなり。(ところがどっこい、翌日発見した嬉野川畔に建つ共同湯(※1)は木造三階建て洋館風の湯屋は、風格を滲ませて見事に周りの風景にマッチしていたね。外観、ロケーションとそれはそれは歴史に裏打ちされた風情ある雰囲気を醸し出していたが、既に閉鎖されて久しからずの様子。残念! 例えて云えば今は跡形もなき、別府は浜脇高等温泉共同湯の品格と歴史を彷彿とさせたのであります。)

 おっと蘊蓄は別にして湯上がりとなれば、先ずは一献といきたいところだが、現実は今宵の寝場所を探さなければならなかった。しかも「夜半から雨」の予報が選定を難しくしており、街中の神社仏閣の軒先や町外れの轟の滝公園(東屋なんぞありはしないか)も物色してみたものの、快適にテントが張れるようなところはなかった。

 この間も時は下がる。ならば郊外のキャンプ場は如何に!と一分の望みを託して足を伸ばしてみたが、茶畑が延々とつづく山道を上り詰めて開けた地点、嬉野温泉街を見下す立岩展望台にて格好の建物(軒下)を発見したのだ。三階建てのコンクリート造りの展望台は中央の吹き抜け部分が階段になっていて二階部分にテントを張れそう。これなら居ながらにして夜景も楽しめるし、雨露もしのげる道理だ。しかししかし一つだけ難点があった。夜陰に紛れて(と言いたいところだが、明るいうちから)佐世保方面自衛隊の通信部隊が展望台の入口に迷彩トラックを留め、一階部分を占拠していたからである。周りはものものしく、彼らは通信試験や無線傍受に余念がない(※2)。とても重厚な装備と迷彩服姿の立ち居振る舞いを見れば「二階を(宴会宿泊のために)貸してね!」などと言えるような雰囲気ではなかった。

 しかし冷静に考えるに有事法制が国会を通過したとは云え、今は平時で平和の国、ニッポンののどかな片田舎の道すがらである。この展望台は自衛隊のものではなく、一般市民の憩いの場として使って然るべきなのだ。尻込みする二人を背後に置き、ボクは意を決して部隊長とおぼしき、いかついおじさんに仁義をきった。ところが意外にも人なつっこくフレンドリー、「どうぞ、どうぞ!」なのだ。話はしてみるものであった。

 となると我が後塵の挾間兄などは、生来のこだわりと旺盛な好奇心で、彼らの身に着けていた暗視ゴーグルをちゃっかりと借りては「おぉ、夜の公園のアベック監視に最適だわい!」などと、あらぬ事を逞しく想像しては?はしゃぐ始末。なるほどすっかり日が落ちて周りは漆黒の茶畑界隈が、夕暮れ時のように明るくはっきりと見えるのだ。まさにハリウツド映画などが得意とする暗闇戦闘シーンで駆使されるハイテク機器を今、我々は弄びつつ感嘆し、そして自制を失った!? 謝々。

 とそれはさておき、よくよく考えるにこのシチュエーションにはもう一つ揺るぎないメリットがあったのだ。昨今、見知らぬ土地でおじさんたちの野宿は危険がいっぱいではないか!暴走族の標的なんぞはまだまだ、某国工作員による「拉致」などに巻き込まれれば、愛しの妻子(こうるさい山の神やスネかじりのガキどもという意見もあって両論併記したい気もするが...)とは永久の別れになるやもしれず。しかし今宵は国家権力お墨付きの護衛を階下に配置してゆっくりと、おゆぴにすと談義に花を咲かせることができたのだから。


  
 銘酒に酔いしれ至福のひととき          薄もやのテントサイト(翌朝)     

 閑話休題、ほろ酔い加減でテントから垣間見る嬉野温泉の夜景はまた格別であったし、周囲の木々を打ち始めた雨音をBGMとして、佐賀の銘酒・純米吟醸 能古見を飲めば、めくるめく青春の血湧き肉踊る懐古話に及ぶのは必定であろうが、まぁこのひととき人生の少幸事のひとつに間違いはなかろう。

   (※1)後日、気になるこの温泉館について僕は、おゆぴにすといで湯調査担当の高瀬に命じて調べてもらったところ早速次のようなメールが届いた。多忙な中まじめに取り組んだ高瀬に謝謝。「調査の結果を報告します。嬉野町観光商工課によると嬉野川ではなく塩田川の嬉野橋左岸たもとの大正ロマネスク風の建物は古湯温泉といい平成9年に老朽化により閉鎖された。個人所有のため建替え、再開のメドは不明とのこと」 (ロマネスク高瀬)
  
(※2)当夜、一個大隊規模の陸上自衛隊員による40km行軍(演習)が行われており、我々も立岩展望台へ至る山道の途中、突然真っ暗闇の中で休憩中の彼らと遭遇した。暗闇に重装備で迷彩服、しかも半端な数ではない。遠巻きにして通り過ぎたが、通信部隊は彼らのサポート役として陣取っていた。

(コースタイム)
5/24 JR武雄温泉駅にて合流16:30⇒(車・武雄市内で買い出し)⇒嬉野17:40(嬉野彷徨・轟の滝公園〜嬉野温泉元湯入湯〜茶畑ロード周遊〜広河原キャンプ場偵察など)⇒嬉野・立岩展望台20:00(泊・小宴会)               後編へつづく
Photo by Hasama & Takase

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