06.どうすれば


「んで、結局どうなの」
 佐助の一言に、忍びの男はあーそれねぇとやる気なさげに応じる。
 場所はすでに主たちの前ではなく、忍び達の仮眠場所のひとつ。政宗の城内ではあるのだが、主たちが普段足を踏み入れることの出来ない場所でもある。
 ようするに、屋根裏部屋を快適に改造しつくした場所に、佐助との恩人である忍びは寝転がっていた。
「最初にやるこたやってるよ」
 その一言で、ふぅんと佐助もやる気なさげな返答をする。信じていないわけではないし、実際何度も刃を合わせた同業者なので、その実力も観察眼も抜け目のなさも痛いほど理解している。ある意味、同盟を組んだ今ではその腕を信頼しているといっても良い。
 たかが性別の違いで、見落とすものがあるとは思っていない。
「けどさ、情はわいてんだろ」
「こればっかりはしゃーないだろ」
 男はやはりやる気なく応じる。自分で入れた茶を寝転がったまま啜り、佐助へと人差し指を突きつける。うろんげな視線で、佐助はその指先を見た。
「お前、なんにも疑ってない子犬の目をしたようなお前んとこの主が、いきなり解雇とか言い出したら、自分の耳疑わないか?」
「あー……あ?」
 なんでそこで、真田の旦那がでてくんのよ。
 流れで納得しかけた佐助は、びしっと男の頭をはたく。男は軽い調子で痛みを訴えるが、その目は特に怒りも何も浮かんでいない。
 佐助の言葉に、わかんないかなぁと首を傾げるのみ。
「だから、まぁ、主に報告したまんまなんだけど」
「ふんふん?」
「まぁ、上も下も中も確かめたし」
「嗅がせて?」
「起きてるときにやったら、さすがに抵抗された上に責任とるんだろうなぁって脅されたぞ」
「あー……」
 忍びが身体検査のたびに嫁をもらっていたら、それこそ何のための身体検査だという話な訳で。でもそんなところまできちんと調べてたんだと、佐助は過保護な態度を見せていた男を意外に思った。
「中突っ込んでまで調べてたとは思わなかった」
「それも仕事のうちだろ」
 まぁ、そうなんだけどさぁと佐助がどこか遠い目で頷いているのを見ているのか居ないのか、男は軽く自分の手を叩いて軽い口調で告げた。
「ちなみに生娘だったぞ」
「それ、別にいらない報告なんだけど」
「痛そうだった顔が可愛かったから、ちょっと責任とっても良いかなとか思った」
「それこそマジでいらない報告なんだけどッ!」
 あんた、それこそ得体の知れない女になに欲情してんの!
 佐助の力いっぱいの突っ込みに、男はげらげら笑いながら煎餅をかじりだす。
 とどのつまり、は心底害がないのだというその態度に、佐助もさすがに毒気を抜かれてしまう。それでなくとも佐助の目の前に居る男は、正体不明のと数ヶ月をともにすごしてきたのだ。佐助や政宗、小十郎の問いは本当にいまさらなのだろう。
 ま、でも取り合えずとあくびをしながら佐助は座りなおし、自分の分の茶を入れなおす。
「危なそうな素振りはー?」
「あー? 自分の世界と違うって混乱してっとこくらいだなぁ」
「はぁ?」
 それは、それこそ意外な返答に佐助の動きが止まる。
 先ほどの話し合いの場で、そのような言葉は出ていなかった。目の前の男が、主に隠し事をしたのかと佐助が瞠目すれば、男はなにやら愉しそうに喉奥で笑い出す。佐助の表情を見て、煎餅をばりんと噛み砕いた。
「違う世界だとよ」
「なにそれ」
 つくにしてもよく分からない嘘。違う世界ってどういうこと?
 頭いっちゃった娘サンなのかなぁと、佐助はちょっと今までとは違う意味で遠くを見つめる。けれどそんな考えを見透かした男は、先ほどと同じようにげらげら笑って見せた。
 佐助の視線に、男が笑いながら答える。
「文化がよ、違うんだと」
「異国出身って事?」
「違う違う」
 嘘みたいな本当の話。
 けれどその実、男もまるっとは信じていないお話。
 一生懸命身振り手振り時には絶叫も含めて、信じてもらおうと一生懸命なりふりかまっていなかったの姿が、男の脳裏によみがえる。
 途方にくれたように放心状態になり、空元気ながらも正気の振りをしていた
 本当に正気を取り戻したのは、茫然自失と血を見つめたあの時。
 泣き笑い顔でどうしようかと途方にくれていたあの顔は、色々のものを怖がっていたのが良く分かった。
「あのさ、猿飛」
「ん?」
 話してくれるのかと問いかける佐助の目に、男はしばし言葉を探す。
「こっちもまるっと信じてるわけじゃねぇんだけどよ」
 男の口が一度閉じて、そして今度は心底困りきったように眉を寄せて笑い顔を作る。少し泣きそうなその仕種に、佐助も一瞬戸惑いを見せた。
 ゆるゆると食べかけの煎餅を皿に戻した男は、あぐらをかいて座りなおすと自分の頭を乱暴に掻いた。
「あいつの世界の、過去にここが似てるんだと」
「は」
 突拍子もない言葉に、佐助はその言葉の意味が理解できなかった。目を丸くして目の前の男を見つめ、頭の中で聞こえてきた音を文字へと変換し始めるが、通常よりも何倍も遅いその処理はしばし佐助を間抜け顔にさせていた。男はそれを見てからかうでなく、困りきった顔のまま次の言葉を口にする。
「全部信じてるわけじゃねぇんだけどよ、なんか、歴史を学ぶ場で忍びの武器とか世情とか習ってるとか言って、自分の時代ではそれは過去の話になってるって話だ。こっちで言う、枕草子とか藤原道長くらい昔らしいぜ」
「……なに、それ」
 努めて明るく男が舌を動かせば、佐助は呆然としたまま笑い飛ばそうと顔をゆがめるが、目の前に座っている男の困りきった表情に二の句が告げなくなる。笑い飛ばそうとした口が歪に動き、かすれた声を出させた。
「……それって、四、五百年は昔って事になるじゃん」
「まさしくそのとーりって話らしいぜ。の世界での忍びは伊賀甲賀が有名で、それになぞらえた物語なんかも多く作られてるって話だし、歴史資料館……まぁ過去の道具とかを一般人が誰でも見れるような建物こしらえて、忍び刀やらクナイやら巻物やらは言うに及ばず、どこの武将についている忍びはこんな格好だとか、日中の変装のいろはや決まりごとなんかも丁寧に書き連ねて見せてる場所なんか、当たり前にあるっつー話」
「は、冗談でしょ。それだったら忍べないじゃん」
 至極もっともな突っ込みに、男はまた苦く笑う。佐助の表情は呆けたものから、真剣なれど男の頭を心配するような空気をかもし出していた。けれど話を聞いた男としては、一般人が基本的に知らない事柄を一生懸命信頼してもらおうと話すが、この期に及んで嘘をついているとは思えなかった。
 佐助は黙ってしまった男に、ますます疑いを深くしながらもその浮かんでいる表情を見て困惑する。先ほど思わぬ言葉を告げられたときと、また違った困惑が佐助にはわいていた。
 男の表情に浮かんでいるのは、自分が話していながらも突拍子もない話に困惑している感情。けれどそれだけではないのは、一目瞭然だった。

 どうやったら佐助がを信じるだろう。
 どうやったら佐助がに危害を加えなくなるだろう。
 どうやったら佐助がに好意的になるだろう。
 どうやったら主たちがを庇護するよう感情を動かしてくれるだろう。

 それは信じられないほど雄弁な表情で、それゆえに佐助を戦慄させるには十分だった。
 忍びは主の道具であり、感情を殺さねばらない。
 それは現在も変わらぬ一般常識だというのに、自分達や現在名をあげている武将の忍びは感情を出すことを禁じられていない。勝手に動くことをある程度許され、さらには感情を持って意見することも許されている。忍びの世界において、破格の主ばかりが生きている時代だ。
 だからと言って、仕えている忍びたちが全員感情を隠さないかと言えば嘘だ。
 現に佐助は主の前で出していない感情もあるし、努めて出さないようにしているものがある。目の前の忍びの男は、佐助より極端で楽しいと言う感情以外を出したことがないような素振りをする。していた、はずだった。
「……」
 なのにどうだろう。
 佐助は出されてぬるくなった茶をすすり、一息吐き出しながらも男を観察する。
 この感情の駄々漏れっぷりは、まったく予想していなかった。先ほど目の前で眠り込んでいるを庇う怒り心頭の様子にも驚いたが、ここまでとは正直思っていなかった。
 大将たちに報告すべきだと、佐助はこの騒ぎの締めを決めた。肝心な主役は目覚めていないが、忍び一人の心をこうまで拘束し感情を搾り出す存在、忍びの長と言われる男も目の前の男のように感情を見せていたことを思い出し、佐助は甲斐に帰る算段を頭の中でとり始める。
 佐助の静かな様子に何を考えているか推測できる男は、ひっそりと笑った。
「猿飛」
「なにさ」
「長と話して、この後で主たちにも同じ話をしようと思う」
 だから、お前がこの話を持って帰るのは問題ない、当たり前だと男は言外に告げて笑う。今度は、悪戯を仕掛けている最中の子供を見つけたような、意地の悪い男の顔だった。
 佐助は毒気を抜かれたかのように動きを止め、男が吹き出すのと同じく笑い出した。
「あんた、ほんっと長生きしない性分だよねぇ」
「好きでやってんだ。たまには手ぇ貸せよ」
「やなこった」

 数刻後、宣言のまま政宗に言っていなかった事実を告げた男は、笑顔で政宗の刀の錆にされかけ、予想していたとはいえ大慌ての男と佐助は、お互いに共同戦線を張ってその命を永らえさせた。
 その代わりとして、洗いざらいについて些細なことでも白状させられた男と、たった数瞬見えただけなのに尋問まがいの質疑につき合わされた佐助は、政宗のそのしつこさに辟易しつつ、早くが目覚めることを祈った。
 それこそ、全身全霊で。
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