駒鳥は策略と情愛に揺れ動く
パウリーが大急ぎで社屋に駆けつけてしばらくすると、アイスバーグが目を覚ました。
カリファが涙を流しながら知らせた言葉に、笑みを浮かべながら内心でもほっとする。
ああ、これでプルトンの設計図を手に入れられる。
殺すまで痛めつける予定ではなかったが、ニコ・ロビンの銃の腕前は予想を上回っていた。このままではうっかり死なせてしまうかもと、一時は肝を冷やしたものだ。
ルッチとカクはお互いの顔を見合わせて頷きあい、アイスバーグの意識回復を喜び合いながら、同じことを思って安堵の息を吐く。
『……麦わらの海賊団だ』
予定通りにアイスバーグはニコ・ロビンの名前を口に出し、ルッチがニコ・ロビンについて調べ出す。CP9としてはじき出した情報より、やはり精度に欠ける情報を大雑把に知らしめた。
ニコ・ロビンは麦わらの海賊団の一味。その一味が自分たちと関わったのは、船の修繕についてのみ。ならば、逆恨みしか考えられない。
簡単なことだった。ルッチとカクとカリファにとって、造作もない誘導だった。
がその場にいないことだけが、ルッチにとっては意外だった。
「誰を探しておるんじゃ」
ルッチが何度か目だけでを探していると、苦笑気味のカクがくちばしを突っ込んできた。目線だけを向けて流そうとするルッチに、カクはルッチにだけ聞こえる音量で笑いながら呟く。
「はちょっと外に出て行ったそうじゃよ。アイスバーグさんが気づくより、もっと前の話らしいが」
『……』
なぜそれを知っているんだとカクを見つめ直せば、苦笑のまま肩をすくめるカク。「たまたまじゃよ」と伝言を受け取った船大工を指差し、が駆けて行ったらしい場所をゆっくりと指で示す。
『……はぁ』
「まぁ、ここまで聞こえるほどの音量じゃしの。無理もないわい」
フランキーのテーマといっても過言ではない音楽が、二人のいる社屋まで鳴り響いてきていた。それと同時に、1番ドッグの崩壊する轟音も。
それをいち早く聞きつけ、は駆けて行ったのだろう。あいつらしいとルッチは笑いながら、麦わら海賊団へと怒りを上昇させている室内で同じような雰囲気を作って見せた。
ルッチとカク以外の人間は、まさに今にも麦わらたちを殺しかねないほどの怒りをたぎらせている。同じくこの場にいるルッチとカクも、ガレーラカンパニーの職長としてアイスバーグを慕っている人間ならば、怒りをたぎらせ憤怒の表情を浮かべていなければ不自然だ。
カリファにも目線でしっかりしろと叱られてしまい、カクもゆったりとその場の怒りと同化する。
外で暴れているのが、その麦わらとフランキーだと分かった途端、カクが一瞬笑ったのをルッチは見た。
『笑うな』
「すまんな」
目線だけの会話はすぐに終わり、それぞれの獲物を手に持ち一番ドッグへと向かう。
ああ、やはりここにいたかとルッチがを見つけて納得すると、カクが気を散らすなとばかりにルッチを見る。分かっているとすぐに目線を麦わらたちに戻すが、パウリーの怒りは尋常じゃない。前に出ることが出来ない。
投げつけられるロープは生き物のように動き、麦わらとフランキーの元へと飛んでいく。彼らを弾き飛ばす。
パウリーに続けとばかりに自分たちも動き出す。ガレーラの船大工として、アイスバーグを慕う職長として。
「ルッチ」
小さな呼び声が耳に触れてくる。の声だと分かるが、ルッチは振り向くことをしなかった。
次々と自分たちの名前を呼んでくるに、やはりカクの言うとおり全てを話していたほうがよかったかと頭の端で考える。心配するな、おれたちはCP9だ。だから、海賊ごときに負けない。
そうやって安心させてやれるなら、どんなに気が楽だろう。
険のある表情を作り、訳の分からない職長たちの攻撃に戸惑う麦わらを攻撃する。なんの事情もニコ・ロビンから教えてもらっていないらしい。ますます好都合だとルッチがカクを見ると、カクも帽子の下で目だけを歪ませた。
「もう止めてルッチ!」
聞いたこともない金切り声のような、よく言う絹を裂いたような悲鳴が上がる。
それがの声だと認識するより早く、視界の端でが暴れ出していた。ルッチは目を見開いて一瞬攻撃の手を緩め、カクの叱咤の視線を浴びたがそれに気づくことはなかった。
麦わらの海賊一味である女の傍で、暴れ始める。見知ったウォーターセブンの住民を蹴り飛ばし、わめき始める。
その口がつむいだ言葉を耳にして、ルッチは自分が動揺したことを自覚した。
「ルフィやナミさんはやってない!」
その通りだ、ニコ・ロビンに指示したのはおれたちCP9。
麦わらたちは本当に何も知らず、船大工の攻撃を理不尽に受けているだけ。濡れ衣を着せられているだけだ。
けれどはその一切合財を知らないはずで、アイスバーグの意識が戻ったときも傍にいなかった。第一、ウォーターセブンの外に出たことのないが、麦わらたちと親交を深めるきっかけはなかったはずだ。なぜ庇う。
なにやらフランキーの名前と住人たちの警告が聞こえる。フランキーが何か仕掛けてくるというが、どこか遠くでルッチはそれを聞いていた。
体は動く。けれど目は麦わらを追いかけフランキーを見ながらも、頭は暴れ喚き押さえつけられるの姿がちらついていた。
ウォーターセブン以外の世界を知らず、自分の国に帰る方法すら見つからないと呆然としていた。どこか虚ろな表情でアイスバーグに連れられてきた。時折悲しそうに笑う。
なぜ麦わらたちを庇うのか、ルッチには検討もつかなかった。まさか、まさかと別の可能性に首を振るしかない。
「ルッチ!」
常人ならば聞こえない速度で囁かれた自分の名前に、ルッチは顔を上げてフランキーの両腕を見た。風が、と単語の意味をその体で持って知り、重傷を負わない程度に吹き飛ばされた体を月歩でさらに安全にガレオンへと打ち付けた。
轟音と共に崩れ落ちるガレオン。
このガレオンを造るために、一体どれだけの時間と材料と会議と苛立ちを越えてきたのかと思うと、ルッチは少々気が遠くなる。一番ドッグがこれでは完全に崩壊だと思うが、それも今日までの話だ。
明日から船大工ではなくなるんだと思い出すと、ルッチはタイミングがよかったのかどうかと考えを切り替える。
自分たちが手塩にかけて造り上げてきたガレオン。まだ未完成だった船。
声を上げて起き上がるカクを見ながら、ルッチもようよう起き上がる。
麦わらは腕を伸ばして仲間の女と共に逃走、この行動だけでも濡れ衣をさらに着せやすい要素となる。
海賊の女がいた場所に、が座り込むのが見えた。カクはルッチを見ながらへと近づいていく。
「なにをやっとるんじゃ、」
カクは背後に近づいてくるルッチを意識しながら声を出すが、本人であるからは反応が返ってこない。近くにいた住人が、カクに事の次第を話し出す。いわく、海賊たちの名前を叫びながら暴れだし、彼らが犯人ではないと主張していたことを。
カクはため息をついてルッチを一瞬だけ振り返った。ほれみろ、いわんこっちゃない。
そう言い捨てたかったが、カクは船大工の顔のまま首を横に振る。
「……バカなことを」
犯人は麦わらだと知らしめられ、アイスバーグはこのまま麦わらに逆恨みされて殺される。そういうシナリオをルッチたちと共に練り上げていたカクは、やはりを殺したほうが良いかと考えた。ルッチがカクの肩に手を置き、思考は一旦遮られたが。
カクはルッチの目を見て笑いそうになる。ほら見ろ、わしの言った通りじゃ。
ルッチの緩やかに震える指先を感じ、ルッチの怖いものが出来たと内心でほくそえんだ。
ルッチはカクの目を見てその考えを読んだ。
早くをこちら側に完全に引き入れなければ、カクはを消すつもりだと容易に伝わってくる。そして、消す際にルッチとやりあうことがあるならば、それも望むところだと思っていることすらあからさまなほどに伝わってきた。
ハットリはルッチの心情を読み、素早くの肩へと飛んでいく。歩き出したの足は遅いが、下手に止めれば腕を振り払う状態なのはよく分かっていた。
「クルッポー」
ハットリがわざとらしいまでに可愛らしい声を上げる。丸い目での目を見つめ、ルッチがの前に回ったときには子供のようには泣き出していた。
わんわんと何かが切れたように泣き喚き、濡れた目で目の前にルッチがいると認識すれば、両手で拳を握りこんで胸板を叩いてくる。ドン、ドンと一振りが重くルッチの胸板を叩いてくる。
『』
子供のように頭を振って泣きじゃくり、ルッチが抱きしめると幼子のように胸にすがり付いて来る。どうしたもんかと思わずルッチが周りを見回すと、どこかほっとしたように周りの人間は笑みを浮かべていた。
ああ、なるほどとルッチは腑に落ちた。
ついさきほどまでアイスバーグさんを心配していた仲間が、突然アイスバーグさんを撃った麦わらたちを庇い始めて困惑していたんだろう。理由も言わずに庇う言葉を叫び、仲間であるウォーターセブンの住人を蹴り飛ばし、あまつさえ友人である女や親しいカクの言葉にも耳を貸さず、恋人であるルッチの姿を見ただろうに何も言わないはひどく得体の知れない生き物だったのだ。
その知っていたはずの仲間が得体の知れない生き物になり、ルッチの胸で泣き出した途端また見知っただと認識したのだろう。
ルッチも安心するよう住人たちに頷き、それぞれがまた散り始める。
カクは帽子の上から頭を掻き、どうしたもんかのう? と裏表含めて問い掛けてくる。
カクの背後にはパウリーたちが立ち並び、ルッチはしばし言葉を捜す。胸の中で泣き喚いていたは段々と静かになっていき、今はすすり泣く程度におさまっている。
『、もう大丈夫だ』
なにがとはあえて言わなかった。むしろ言えなかったようなものだったが、ルッチはの耳に囁いた。
普段なら抱き合って顔を寄せ合う仕種にパウリーが止めに入るが、さすがに場の空気を読んでパウリーも視線をそらすに留める。カクたちを促し、ルッチとを二人きりにすると同時に麦わらたちを追いかけようと、ルッチに目配せをして素早くその場に背を向けた。
カクはその最後尾を歩き、ルッチに決断を促すよう視線を向けて笑う。
「先に行っておるぞ」
そのただ一言を呟き、カクはルッチの獲物を肩に背負うと何事もなかったようにパウリー達の後を追いかけていく。
ルッチの胸の中には、いまだ泣き続けている。
ハットリがルッチの肩の上で、を慰めるようにホロッホーと声を上げる。
ルッチは泣くの髪を一房手に取ると、今朝触れていたその髪に指を通して息を吐く。
さて、どうしたものか。
どこから話そうだとか、この場で話していいものではないとか、ルッチはを抱きしめながらガレーラ本社の窓ガラスが割れる音を聞いた。