駒鳥は懺悔する

「ルッチ」
 部屋の中からが顔を覗かすと、ルッチはどこか考え込むように壁に背を預けていた。深刻そのものの表情に、それがアイスバーグの身を案じている演技なのか、それともこれからの計画を練っている顔なのか、凡人のには分からなかった。
「ルッチ」
『……ああ』
 もう一度名前を呼ぶと、今度はすぐに視線をよこしてくる。けれどその目は何かに迷っているようで、何かを確信したような目だった。矛盾しているが、ルッチなりに何かを考え演技しているのだろう。
 一緒にいると誓った今でさえ、ルッチはにCP9であることを打ち明けない。アイスバーグが心配なのだと演技をする。それが腹立たしいが、その演技の何分の一かは本心であってほしい。
 自分自身も矛盾したことを考えながら、はルッチを扉付近に呼び寄せた。
 なんだと素直に寄ってくるルッチは、そのまま顔を寄せてくる。もそのまま顔を近づけ、囁くようにお願いをした。
「アイスバーグさんと二人きりになりたいの。少し他に行ってもらっててもいい?」
『二人きり?』
 まるでの言葉が合図だったかのように、室内から医師と看護士がを避けながら出てくる。続いてカリファまで姿を現し、医師と看護士に礼を言って三人でどこかへと姿を消していった。
 ルッチはその流れを一通り目にすると、お願いと見つめてくるを見下ろす。両手を合わせてこちらを窺っているの表情に、いつかアイスバーグを庇って飛び出してくるかもしれない幻影が見えるようで、ルッチは身体ごと視線を外した。
「え? ルッ」
『アイスバーグさんに負担をかけないようにな』
 戸惑う言葉が終わらぬうちに口を開き舌を動かし、の頭を少々乱暴に撫でたルッチは中にまだいるだろうカクを呼ぶ。すぐに返ってきた言葉と出てきた顔を呼び寄せると、二人連れ立ってその場を後にした。
「みんなを、すぐに呼ぶから!」
 ありがとうと上がる声にカクは笑い、ルッチも苦笑しながら手を振った。


「……さて」
 は見えなくなった二人の後姿を確認すると、辺りを見回して用心しながら扉に鍵を掛けた。嫌に大きく響いたそれに、昨日拾ったばかりのティラノが飛び上がる。
「ごめん、驚かせちゃったね」
 チューチューと甲高い声を上げるティラノは、それでもアイスバーグの傍を離れない。昨日拾われたばかりだというのに、こんな小さな命にまでも愛されるアイスバーグを見ると、は胸が温かくなる。
 足音を響かせながらベッドに歩み寄り、包帯だらけで管につながれたアイスバーグの顔を覗き込む。ティラノが不思議そうにを見上げてくるのを見て、その頭を指先でそっと撫でてやった。
 小さな毛に覆われた可愛らしい生き物は、瞼を閉じてそれを享受する。可愛いねと囁けば、言葉が分かっているかのように嬉しそうな声を上げた。
「アイスバーグさん」
 傍にある椅子を引き寄せ腰掛けながら、彼の顔を覗き込む。規則正しい呼吸音が聞こえるが、彼の見た目は昨日と打って変わってぼろぼろだった。
「アイスバーグさん」
 頬に触れる、包帯を巻いた額に触れる、その元々色の悪い唇に触れる。
 布団の上からティラノが覗き込んでくるが、アイスバーグさんの血色の悪くなった瞼は開かれない。
 の触れる手にも反応を示さない。ただ、規則正しい呼吸を繰り返すだけ。
「アイスバーグさん、ごめんなさい」
 恩人がこんなことになると知りながらも、は言われるがままにルッチを部屋へと招いていた。彼と向き合って会話をしていた。そして幸せを実感しているとき、アイスバーグが苦しんでいると知っていながら知らない振りをした。
 ルッチの変わる表情を見ていた。安堵したような吐息に喜びを感じていた。触れてくる指先から愛を受けていた。
 襲撃のことも、彼らの目的も、着せられるだろう濡れ衣と誤解も全て知っているのに、は動かなかった。夜のしじまに響いただろう銃声を耳の奥で聞きながら、ルッチに愛してると囁いていた。
 アイスバーグの瞼は開かない。触れる指先が冷え始め、アイスバーグの体温が低いのかの体温が低くなっているのかさえも分からなくなる。
「アイスバーグさん、私を拾ってくださって、感謝しています」
「貴方に会えた、彼らに会えた、素晴らしい場所を場所だと認識することが出来た」
 今でも覚えている。見知らぬ場所を目にしたときの霧がかかったような視界と思考、二次元としてみたことのある動物と風景、三次元として呼吸しているはずのない住人達。
 あのままアイスバーグに拾われなければ、家もなく金もなく後ろ盾もなく路頭に迷い、生きるためにした事もない業種に飛び込まねばならなくなっていたかもしれない。勝手が分からない世界でアイスバーグに拾われたことは、まさに奇跡のような幸運だったのだ。
 お陰で素敵な街を素敵と言える、素敵な人々を素敵と言える、そんな精神状態まで回復することが出来た。汚い面しか見えなくなるような精神状態に、追い詰められることはなかった。
「ルッチにも出会えた」
 そして起こり得ないはずの出会いは、起こり得ないはずの恋愛模様を描き出し、起こり得ないはずの結びつきを果たした。本来同じ次元の生き物でない同士である、ルッチとが恋人同士になるなどありえなかった。それなのに、今はこの先も一緒だと約束までする仲。
 は湧いてくるままに笑い、ティラノの頭を撫でる。
「でも、私は行きます。知っていて、行きます」
「大恩ある貴方を置いて、私は私が一番安全な道を生きます」
 後悔なんて、最初からしてる。
 なぜこの時代のウォーターセブンで目覚めたのか、スパンダムの元で目覚めてあいつを消せば早かったのに、ルッチに惚れなければ恋人同士にならなければ将来を誓わなければ。
「あの人が、私に正体を話そうと決意しなければ」
 無意識に口にしてしまったその言葉に、撫でられていたティラノが不思議そうに首を傾げる。は即座に自分の口を塞いだが、吐いた言葉は戻らない。
 けれど意識のある人間は自分だけだと気づくと、ほっと安堵の息を吐く。
 そしてもう一度アイスバーグの意識のない寝顔を見つめると、その額に触れて頬に触れて名残惜しく体を離した。
「さようなら、アイスバーグさん。せめて、私の知っている通りに助かってください」
 はドアに近づくと、一度だけ振り返って頭を下げた。永遠の別れになるかもしれない、でももう一度会えるかもしれない。意識が戻ったときに、もう一度だけ。
「ルッチとこうならなければ、貴方だけを守り続けた」
 それは仮定でしかないとわかっていながら、そんな力が自分にないのも理解していながら、は言わずにはいられなかった。意識のあるアイスバーグに言いたい衝動もあったが、彼の意識は深く深く沈んでいる。今後のことを考えれば、好都合とも思われた。
「ルッチとは別の意味で、貴方を愛し続けています」
 だから、さようなら。
 ドアをあけて閉める。
 その簡単な動作で廊下に出たは、深い深いため息を吐き出した。
 アイスバーグさんが、起きていれば良い。全部聞いていて、ルフィ達を疑わず、あの聡明な頭脳で自分の言葉の意味を考えてくれれば良い。
 それがルッチ達の計画とは違う方向に物事を動かし、誰も傷つかなければいい。
 ありえない願いを浮かび上がらせ、は自嘲した。ありえない、まったく持ってありえない願いであり想像。
「誰が駒鳥殺したか」
 見殺しにしようとしているのは、誰か。
 アイスバーグが知れば悲しむだろう。まるで家族のように愛し愛された関係のの、そのすべてを知れば。
「私が愛しているのは、ルッチ」
 けれど罪悪感が身を焦がす。外で、ルフィ達の泣き声を聞いたような気がした。  
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