駒鳥はわらう
「ルッチ! それにも来たか」
「おはようございます。ルルさん、カク」
「おはようさん。……話は聞いておるか」
『ああ、アイスバーグさんが撃たれたんだってな。部屋に入ってもいいのか?』
「カリファがずっと付き添ってる。静かにな」
『ああ』
ルッチは会話が終わるのを待たずに、アイスバーグの寝室へと姿を消した。それを見てやはりあいつも心配かと呟くルルと、当たり前じゃろうと呆れるカク。は見るともなしに一連の流れを見て、笑い出しそうになった。
茶番だ、とてつもない壮大な茶番だ。
今ここで何もかもばらしてしまいたい、壮絶な欲求がの中から湧き上がってきていた。辛うじて表情に出るのは抑えたが、笑い出したくて堪らなかった。貴方達が指示したくせに! 大声で指差して言って笑いたかった。
「、お前さんは顔を見らんでいいのか」
優しく気遣うようにカクが囁くと、は身を震わせた。笑いたい衝動と、罵倒したい衝動と、泣きたい衝動が一気に身の内から噴き出しそうになる。やめて、とカクに言いたかったが、抑えるのが精一杯なは口を開けずにいた。
「?」
ルルの不思議そうな声にも、返事ができない。体の中で見知らぬ生き物達がせめぎ合っているような不思議な感覚におぼれる。制御できずに身を震わせた。
「……、大丈夫じゃ、大丈夫」
痛ましげな視線がに突き刺さる。けれどこの身の震えはにもどうしようもないものだった。震えるのだ、ただひたすらに震え濁っていくのだ。
この身の内に渦巻く全てを吐き出したくて、でもそれをしてはいけないと知っているから、口は開かずカクを見つめる。涙がにじんで湧いてくる。ああだめだとが堪えるより先に、涙のほうが下界へと身を投じる。ぽたりと、そのまま床の上で涙はひしゃげた。
ルルはそんなから視線を外し、カクは堪えきれないかのようにをやんわりと抱きしめた。の震えはそれでもおさまらず、涙はさらに質量を増していった。
「カク、カク、カク」
抱きしめ返すことさえ出来ずに自身を抱きしめ、は罵倒と嘲笑の狭間で名前を呼んだ。唯一この場で事情を全て知っているカクの名前を、攻撃対象として呼んだ。けれどその声に張りはなく覇気もなく、ただ他人の耳には縋る呼び声にしか聞こえなかった。
部屋の中からルッチの声が聞こえる。そしてカリファと、ドクターたちの声。はそれを認識すると、アイスバーグさん……と枯れた声で呟いた。
「?」
「そと、さわがしく、なってる……」
弱々しくカクの腕を外すと、は外の見える窓辺まで歩いた。案の定、記者達が詰め掛け群れになり列を成し、隣に並んだルルとカクからため息を引き出した。
「やれやれ、これじゃパウリー来れるのかの」
「大丈夫だろ。ちんけな事件じゃねぇんだ、すっ飛んでくるさ」
そう、このウォーターセブンにとっての一大事件だ。
は顔を上げてカクを見上げる、視線に気づいたカクは優しげにを見つめ返す。
「震えはおさまったか」
こんな顔をしておいて、彼は容赦なく脈を取るのだ。パウリーへと攻撃を加え、ルフィを嵐脚で殺そうとするのだ。つまらなそうな感情の読めない顔で、エニエス・ロビーに帰っていくのだ。全て予定通り、五年前から決まっていたことを実行するだけなのだ。
「カク……」
「ん?」
ルッチはに、何があっても一緒に居てくれるかと問いかけた。はその問いかけに対して、離れないと返した。ルッチはその言葉に安心し、きっとエニエス・ロビーまでこの関係は持ち越されるだろう。は震える唇で息を細々と吐き出した。
カクがを見つめている。曇りのない純粋な目で見つめている。の目からは、また涙がこぼれた。
「どうしたんじゃ、」
長い指が差し伸べられ、ついとこぼれた涙を拭っていく。その指が両の瞼を二度撫でると、涙は消えて困ったような眉を寄せたカクの表情が、を覗き込んでいた。
「大丈夫じゃ、アイスバーグさんは生きておる」
「カク」
「大丈夫じゃよ、」
なだめる声は子守唄のようで、けれどもうひとつの顔を知っているにとっては、まさしく毒薬と呼ぶに相応しかった。問いかけたいことが、山ほどあった。
ねぇ、私ルッチと一緒に居ることにしたのよ。
ねぇ、私がルッチを選ばなかったらどうなったの。
ねぇ、何にも知らない振りして犯人を非難したら、貴方は痛い?
ねぇ、この優しさはうそ?
ねぇ、この優しさは業務のうち?
ねぇ、私達の友情って幻だった?
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
それこそ際限なくあふれ出してくる疑問と質問と詰問とで、またの身のうちは濁りだした。聞いてはいけないことだし、言ってはいけないことだと分かっている。少なくとも、もし聞いてしまうとしても、ルルがいてはだめなのだ。カクとの二人きりにならなければ。これは最低条件だ。
ねぇ、全てを知っていると笑ったら、貴方は私をこの場で殺す?
ルッチは殺さない気がする。説明こそしなかったが、一緒にと言い出したのは彼のほうだ、彼の愛を疑うことはもうないだろう。けれど血が騒ぐという彼のことだ、まぁ、最後の最後では生き甲斐を選ぶかもしれないが。
「カク、私、こわいよ」
「大丈夫じゃよ、アイスバーグさんは助かるし、パウリーももうすぐ来る。ここはどこよりも安全になるからの」
やんわりと抱きなおされ、も今度はカクの背に腕を回す。ルッチに何度かするなと注意を受けたが、どうしても今はカクに縋らなければ崩れていきそうだった。
殺されるなら、きっと痛いだろう。けれど痛みを痛みと認識しなければいいだけの話で、にとってそれは容易な話だった。この場所を漫画の中だと改めて認識し、自分はこの世界の住人ではないので痛くないのだと、ほんの少し考えを動かせば良い。それだけでもう、痛覚はの中から消えうせる。苦しみもない、痛みもない、息が止まろうとも心臓が止まろうとも脳死しようとも、は動くだろう。
けれど、そんな事実を知らなくても、カクなら躊躇いなく殺すだろう。自分を抱きしめているこの男は、漫画を読んだ限り、特にCP9の姿になってからの彼からは感情の匂いを感じ難かったのだ。
『、お前も入れ』
「……うん」
部屋から顔覗かせたルッチを見ると、はすぐにカクから離れて部屋へと入っていく。躊躇いはなく、ただアイスバーグの横たわる部屋を見てまた目頭を熱くした。
けれどルッチは廊下にルルが居ないのを見て取ると、カクへと視線を投げる。カクはその視線を受け流すが、ルッチは部屋から廊下へと身の置き所を変える。カクの隣まで行き、静かな声で話しかけた。
『に手を出すなよ』
「今日までの付き合いじゃろ」
『あいつはおれを選んだ』
「ほう、全部話したのか」
『なにも』
「なにも?」
意外な言葉を聞いたといわんばかりに、カクはその丸い目をさらに丸くする。ルッチはそれをちらと見ただけで、また視線は窓へと向かう。
『そう、なにも』
カクはその言葉に一言言おうと口を上げるが、思い直してふむと天井を見上げる。なるほどの、と設計図でも読んでいるかのような口調で呟き、満面の笑顔でルッチを見た。
「なら、お前さんはが死ぬ可能性を高めただけなんじゃな。殺し好きはそんなことまで考えが回って、改めて恐ろしいわい」
瞬時にカクの喉元に突きつけられる刃物の風を切る音と、ひんやりとしたその温度にカクの唇の端がにんまりと持ち上がる。
「なんじゃ。図星なんじゃろう?」
人の良さそうな笑みのまま、カクは目だけを凍らせたような視線をルッチに向けた。ルッチの表情は忌々しそうに歪み、少し力を入れるか抜くかするだけで、カクの首が飛ぶぎりぎりの力加減をその手に加えていた。
『ふざけるのもいい加減にしろよ、カク』
「ふざけとらんわい。ふざけておるのはルッチ、お前さんじゃないかのう」
間延びした声でカクは帽子のつばを持ち、被りなおすとさっさと回れ右をしてアイスバーグの眠る部屋のドアへと手をかけた。ルッチの風を切る指銃が、耳の横を掠める。
「……誰かに見られたら、まずいんじゃないかの?」
『誰も来ないさ』
「まぁ、お前さんがそれで良いと言うならいいがの」
ドアノブから手を離すと、カクは両手を上に上げる。それをみてルッチも指を引っ込め、そしてカクが振り向くことで対峙する。
「お前さんは、を愛しておると言いながら、このままでは殺すために傍においておるようなものになる。黙って聞け」
途中口を挟もうとするルッチを睨みつけ、カクは言葉を続ける。背中はアイスバーグの寝室のドアに預け、声は極力小さく抑えていた。
「話さんほうが、そりゃぁ楽じゃろ。このままでは全てを消すしか無くなる。その時に非難されれば、お前さんが傷つくからな。けどの、このままじゃと事情を知らんはわしらに歯向かってくるぞ。アイスバーグさんを守ると意気込んで、わしらの前に出てくるぞ、立ちふさがるぞ。そのときお前はを傷つけられるのか? その後をエニエス・ロビーに連れて行けるのか? の心が負荷に耐え切れず、壊れたりせんと断言できるのか?」
ルッチはカクの表情の無いその忠告に、以前のことを思い起こす。海賊がまたもや暴れていたときのことだ。たまたまアイスバーグがドックに来た瞬間の出来事で、気がつけばが立ちふさがっていた。アイスバーグを庇うように立っていて、手当たり次第に海賊に物を投げつけていた。アイスバーグも船大工職人も、攻撃をしようとしていた海賊もこれはちょっと困った顔になってしまい、を一度カリファに引き取っていただいて、また諍いを再開した苦い想い出だ。
明らかに戦いに向いていないその体躯は、元気のいい女性としては健康体で好ましい部類に入るのだが、戦いにおいては脆弱で足手まとい以下の扱いだ。大人の争いに幼児が口を突っ込むような感覚をその場の全員が覚え、脱力したものだ。
それを、本気を出した自分達の前で行う可能性。ルッチは考えてもいなかった。は自分を選んだのだからと、考えの外に置いていた。
死に物狂いで向かってくるだろう。この街で目覚め、見知らぬ場所で困っていた自分に手を差し伸べてくれた恩人なのだと、アイスバーグを尊敬していると語った。どこか悲しそうに、アイスバーグには幸せになってもらいたいと呟いていた。
『話さねば、立ちふさがる……か』
「話しても立ちはだかるかも知れぬがの。まぁ、お前さんのやり様じゃ」
カクはそこでひとつ笑い声を上げると、静かに体を反転させる。
「わしは中に入って、しばらく話でもしとるからの。早めにどっちか決めるんじゃな。」
時間はない。
最後の一言を音もなく呟いたカクは、ドアをノックして部屋へと消えていった。
ルッチは静かに息を吐き、ふってわいたような問題に頭を押さえた。