駒鳥はそこにいる
は目を覚ますと、まず最初に自分以外の体温の主を確かめた。体に触れ視線を上げていき、その顔を確かめた。確かにロブ・ルッチと名乗っていた男だと確信すると、細々と息を吐き出して安堵する。
ああ、この男は本当に自分を愛してくれているのだなと実感して、ベッドから身を起こして台所へと向かった。朝日はまだ昇らず、薄く開けた窓からの風は冷たい。
「誰が駒鳥殺したか」
戯れに舌に乗せた言葉は、顔をしかめてしまうほど現状を表しているように思える。ふーきりっどくっくろびん。確かそんな発音だったはず。誰がクックロビンを殺したか。
はマザーグースを口ずさみながら、目覚めの一杯を淹れていく。コーヒーはこっちの世界に来てからも飲めず、緑茶に似た葉を愛飲している。そのお陰で朝は時折故郷を思い出して物憂げになってしまうことを抜かせば、にとってこの時間は愛しいものだった。
けれど、この朝もこれで最後だ。
イスに腰掛けながら窓の外を見つめる。朝日はまだ登らないが、空が白んできたのが見て取れた。美しい朝日まで、もう十数秒と言うところ。は体の中からあたたまった息を吐き出した。舌はまたマザーグースを転がしだす。
「誰が駒鳥殺したか、それは私、と雀が言いました。私の弓矢で、私が殺した。」
朝は白々と明けていき、太陽のつむじが顔を出す。空気はそれでも冷たくて、湯飲みを持ったまま窓辺へと近づいていく。
「誰が駒鳥、死ぬのを見たか。私、と蝿が言いました。私がこの目で、死ぬのを見た。」
もう一口飲もうと湯飲みを引き寄せると、の手の中から湯のみが消える。背後から近寄ってきたルッチの手のひらが、中身をルッチの口へと運んでいた。
太陽は中ほどまで姿を見せ、ルッチがあたたまった息を吐く。そして湯飲みを背後のテーブルに置くと、後ろからを抱きしめた。
「早起きだな」
「嬉しくて目が覚めたのよ。まだ私は情報を全然知らない部類なんだろうけど、貴方が一緒といってくれて、嬉しいの。例え秘密の内容を話してくれていなくてもね」
「……時が来たら、話す」
「本当かしら」
が悪戯っぽくルッチの目を見上げると、彼は困ったように眉を寄せる。その表情ひとつすら愛しく思えて、はその頬に口付けた。
「おはよう、ルッチ。今日は遅くまで仕事?」
分かっていながらは聞いた。彼の中の計画では、上手くいけば今日は大騒ぎのはずなので、普段言う「仕事」など眼中に無いはずだ。そしてそれを私に話してしまえばいいのに、この期に及んで隠そうとする。
ほんの少しの寂しさと、腹立たしさが生まれてくる。そして傷つくだろう人達の、馴染みの顔が浮かんで消えた。
ルッチはおはようと言って頬にキスを返すと、そのまま黙ってを抱きしめてきた。
「ルッチ?」
「今日は遅くなるかもしれない」
「そう、ルッチとここに居られる時間が短いって、もっと早くに知っておけばよかったな」
「なぜだ」
「そしたらルッチと一緒に有給とって、街を好きなだけ堪能できたじゃない」
ルッチはその言葉に表情をなくす。はその表情を目をそらさずに見つめて、先に笑った。
「やだ、あんまり深く考えないでよ」
そして電伝虫の呼び出し音に、ルッチの腕からするりと抜け出していく。受話器をとり口元に近づけると、聞き慣れた声が喋りだした。ああ、あの連絡網かとはルッチに見えないところで暗く笑う。
「はい、です」
「おはよう。ルルだが、ルッチはそっちに行ってねぇか」
「おはようございます。ええ、居ますよ。……そんなに慌てて、どうしたんです?」
ああ、なんて白々しいのだろうとは笑う。ルルは詳しくは言わず、ルッチへと受話器を渡す。電伝虫は落ち着いた顔でもってルルの言葉を伝えてくれる。
アイスバーグ氏が意識不明の重症。暗殺と思われる、すぐに本社へ。
簡潔な言葉での事実の羅列に、はハットリを肩に乗せたルッチの背中を見つめていた。彼の口元は今、笑っているのだろうか。それとも驚いているんだろうか、つまらないと歪んでいるのだろうか。
想像しても正解にたどり着けるはずもなく、受話器を置いたルッチが振り返る。いつもの顔に怒りと焦りが浮かんでいた。その顔が演技と知っていながら、は合わせるように顔をゆがめた。
信じられないと口を手で覆い、肩を震わせて怯えた不安を詰め込んだ目でルッチを見つめる。簡単だ、まったく持って簡単な演技で、は衝撃を受けたと表現した。
ルッチはその表現に騙されてくれたのか、分かっていて気づかないフリでもしているのか、一緒に行くぞと腕を引っ張ってきた。二人して慌てて服を着込む。この場に居る二人と一匹の朝ごはんのことも忘れて、ガレーラカンパニー本社へと急いだ。
ロビンさん、どこにいるんだろう。
走りながら考え、ヤガラに飛び乗った後ぼんやりとの意識は飛んでいた。ルッチは振り向かずに前を見据え、職長然としていて振り向く素振りもない。存分に思考の海に身を投じる時間があった。
ブルーノの酒場かな。
ひとつ候補を挙げると、それがいやにしっくり合うような気になってくる。ブルーノもルッチの仲間だ、監視の意味も込めてそこにいるのかもしれない。
「違う」
監視など必要ないのだ。ルフィたちが居るだけで、ロビンさんは逃げようという考えを封印してしまう。彼らのために自分の命を、契約の代償として使うのだ。だから監視などいらない。では、どこにいる?
そう思うとはルッチの背中を見上げる。この人は大騒ぎの今日、ロビンさんにもう一度会うのだ。そして正義の任務だと堂々と告げ、最悪の場合は証拠隠滅だとか言い放つのだ。ロビンさんの居場所は、彼らの手の内だろう。
なんて男に惚れたんだろう。
改めて自覚する馬鹿な自分に、は自分自身を抱きしめる。なぜか体が震え、涙が滲み出してくる。これは何の涙だろうかと理解する前に、聞き慣れた声が降ってきた。
『大丈夫だ、』
なにがと聞きかけて、アイスバーグさんの安否だと気がついた。それに関しては心配など一片もしていない自分に気づいたは、そのまま笑った。
「知ってるわ。あの人を誰だと思ってるのよ」
わざと勝気に言い返した。ルッチはそうかと、ほっとしたように相槌を打つ。無理をして気丈にふるまったとでも思ってくれただろうか。は小さく息を吐く。
ああ、ほら、一番ドックが見えてくる。今はまだ人の押しかけていない朝焼けの中、辛い過去を礎に築かれたガレーラカンパニーが見えてくる。
はもう一度身を震わせて、ルッチに続いてヤガラを降りた。本社へと、その足を進める。血と火薬の匂いの充満するのだろう場所へ、予想通りなら誰よりも情報通なが、足を踏み入れる。