駒鳥は告げたか

 男と女が部屋に居た。女の部屋だった。そして二人の居る部屋の外は、例年通りのアクア・ラグナの影響を受け、少しずつ風を強くしていった。
 それだけで終わればよかったのだ。は下唇を噛んだ。目の前の男は、ルッチは先ほどから口を利かない。ハットリもこの部屋専用のベッドで横になっている。なんて贅沢なひとだろう。あれは鳩ではない、もう人間と言う気さえする。用意したのは自分だと分かっていながら、は罪のない鳩に悪態をつく。けれど事態は好転しない。なんて忌々しいことだろう。
 もう、麦わら海賊団は入港したと言うのに、ロブ・ルッチは別れを切り出しに来ただろうと言うのに、なんで口を開かないんだ。ハットリを休ませたりするんだ。
 そりゃぁ、ベッドの中までハットリを連れてくるような男ではないが、驚くべきことに「あの声」で睦言を吐いていたのだ。今更地声などで別れを切り出すなんて思っていない。なんだ、ハットリを休ませといて身代わりの上で泣かせるためか。ただの体力温存のために、ハットリを休ませているのか。
 普段は敬意を払って「さん」をつけているのも忘れ、心の中ではハットリもルッチも呼び捨て放題にする。どうせ今日でお別れだと、向こうは思っているんだ。心の中でくらい罵倒させてくれ。「なぜ」と泣くこともせず、素直に別れを受け入れてやるから。
 自分が納得していないのが分かっていながらも、今後の展開を知っているために口には出せない。漫画のキャラなどと恋人関係を築くべきではなかったと、思ってもみないことを心の中で毒づく。初めての人が漫画のキャラってどうよ、一生どころか末代までの特別記録になっちまうぜ。
 心の中のテンションは、部屋の中のテンションと違って、考えれば考えるほどあがっていった。ルッチの方の心テンションは見て取れないが、のテンションは口調が変わるほど盛り上がっていた。やけくそと言っても良かった。

 ハットリ用の裏声だった。ほら、みてごらんなさい、ルッチファンの日本の皆様。彼はこうも頑なに裏声で喋ります。アニメ見てれば比較できたのに。声優さんは関智一だっけ? 見てないのがやるせないほどに勿体ないわ。
 ルッチはいつもと変わりない仏頂面で、比較的真剣な空気を作ってを見つめていた。はそれを冷めた気持ちで見つめ返した。先ほどまでのハイテンションが嘘のようだった。けれど心の中ではアナウンサーになった気持ちで実況をしていた。
 現場のです!日本の皆さん、お聞きでしょうか、ご覧になっていらっしゃいますでしょうか!ガレーラカンパニー一番ドック職長がひとりロブ・ルッチさんこと、サイファーポールナンバーナイン・政府諜報部員であるロブ・ルッチさんが真剣な顔をしてこちらを見ております!さーて、部屋に入ってから三時間と十七分って言うか、小さなお子さんは寝ている時間ですねって言う時間でございますが、ようやく口を開きやがりました!さてはてどんな言葉で付き合っていた女を切り捨てるのか!ここからが本番です、みなさん耳を目を凝らしてごらんください。この男性の女性遍歴はー

「何があっても、一緒に居てくれるか」

 は最初、何を言われたか分からなかった。冷めた気持ちのまま、瞬きを三回して呼吸をゆっくり二回行い、ハットリの寝ている専用ベッドに目を向けて、彼が呼吸をしているのを確認してから、ルッチへと目を向けた。
「え?」
 出た言葉はこれだけだった。ルッチの表情は揺るがずに、同じ言葉が伝えられる。
 は自分自身、混乱しているのだろうと思った。自己解析を始めると、まず混乱と言う言葉が浮かんだ。間違いないだろう。けれどこの言葉を待っていたわけではない、とは断言できる。早く言ってほしかったのは、ルッチの正体を告白する言葉だ。もしくは別れの言葉だ。もしくは何事もなかったかのように、明日もまた同じように続くのだろうと思わせるような言葉だった。
 けれどルッチが言った言葉は、予想外のものだった。あれだ、都合が良すぎだぜげっへっへとか思いながらも、一番あったら嬉しいと思っていた展開だった。
「地声……」
「声か。わざとああ喋っていた」
「うん」
 特にコメントされないと思っていた言葉さえ、さらりと答えてもらえた。の混乱具合は加速した。けれど涙は出なかった。
「ねぇ、じゃあ」
「なんだ」
 何を喋っても地声で返された。嬉しいのになんだか嬉しくない。違う、嬉しすぎて感覚がないのだ。心がこの事実に追いつけていないのだ。は展開を頭の中で整理する。
「私、貴方を愛してていいの?」
「そうしてくれなきゃ、困るな」
 至極呆然とした声で問えば、至極当然と言った風に返されてしまった。ロブ・ルッチは大真面目のようだ。は瞬きを二回した。
 そしてなんだかほっとしてしまって、そしてこれ以上ルッチに何か聞くのもなんだという気分になってしまって、は体中から力が抜けてしまった。そのままゆっくりと床に崩れ落ちた。この時ばかりは自分がイスより寝転べるサイズのテーブルその他を選んでいて良かったな、と心底思った。ルッチは不思議そうにを見つめている。
 の口から、堪えきれない笑い声がこぼれた。
、なにがおかしい」
 動揺の欠片も見せないルッチに、は笑いを加速させる。
 今現在、多分だがブルーノさんもロビンさんもアイスバーグさんを襲っているだろうに、この任務のリーダーだろう男は女を口説いているのだ。しかも「何があっても、一緒に居てくれるか」などと言ったのだ。もうプロポーズの域じゃないか、いいのかそんなんで。
 は笑いを堪える気すら起こらずに、手をルッチのほうへ伸ばした。手でも足でもいいから、彼に触れたかった。
 それに戸惑うこともなく、ルッチは自ら手を伸ばしてと手を繋いだ。些細なことでもスキンシップが好きなに、彼はいい加減慣れていた。
「イエスと受け取るぞ」
 ルッチの真剣な声に、ぴたりとの笑い声が止む。そして自然と視線は合い、なにやら晴れ晴れとした気分では囁いた。
「愛してるわ、ロブ・ルッチ。貴方がいかなる人であろうとも、貴方が私を愛している限り、離れてなんてあげないんだから」
「それはよかった。これで安心して話すことが出来る」
 愛の返答を行ったはずなのに、ルッチの反応は四角四面で感動の欠片もないものだった。けれどは嬉しくてたまらなく、また少し笑いがこぼれた。
 には分かった。ルッチも自分の返答を喜んでいると言うことが、痛いほど良く分かった。ほんの少しだけ握る力が増した手、多少力の抜けた口調、なによりその角ばった眉が、眉間のしわを緩めたのだ。これで殺す下準備なんて言われたら、思い余ってジャロに通報しかねない。あの有名な広告機構の番号を覚えていないので、実際には出来ないが。
「では。おれは他の奴と一緒に、ここを離れなきゃならない。明日か、明後日か」
「そんなに急に?」
 ルッチはが気づいていないと、知らないと思っている。船大工は仮の姿、しかしてその実態は! と言えるほどギャップのある、CP9のロブ・ルッチであることを知らないと思っているからこそ、こんな回りくどい言い方をするのだろう。
 は驚いたフリをしながら、また笑う。
「ずいぶん急ね」
 一言返したが、これでは変な言い訳をされてしまうかなと考えて、もう一言付け加える。
 ルッチの唇がこちらを見下ろしていて、なんともセクシーだ。
「もしかして、私がノーと言ったら、黙って行ってしまうつもりだったの?」
 言った後で、うん、不自然じゃないと納得する。
「薄情だわ、ひどいわ。私の愛がそれほど薄いと思われていたなんて」
 最後は当て擦りになってしまったか。反省する前にルッチの表情が歪んだ。痛いところを突かれたような表情で、緩まったはずの眉間のしわが深くなる。けれど見詰め合っているからか、それはまたすぐに緩んでいった。
 少し優越感を感じた。
「…………そうだ、おれはお前を信じ切れなかった」
「ひどい人」
 まるでドラマのワンシーンのように言葉が舌の上を滑った。
 そしてふと見つめあい、気づけばお互いに笑い合っていた。優しく崩される表情。ルッチのそんな顔、初めて見たわ。
 引き寄せあうようにルッチの顔が降りてきて、寝ているの唇とルッチの唇が触れ合った。まるで初めて同士の少年少女のようなキスは、そのまま離れてもう一度寄せ合った。

 きっと今頃、アイスバーグさんは襲われているわ。
 ロビンさんはルフィたちの無事だけを祈りながら、アイスバーグさんへと銃弾を放ってるわ。
 なんて悲劇、なんて悲しい過去のしがらみ。
 なのに私はこうやって、加害者側の男と愛なんて誓い合っちゃって、なんて喜劇。
 私に青キジクラスの権力の一つでもあれば、バスターコールなんて無効にしてやったのに。

 けれど私はただの女で、愛する男の腕の中。
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