06:立場

 
 が目覚めて一発目、視界に入ったのは至近距離の机で何か書き物をしているスパンダムだった。
「……」
 目覚めたばかりで思考能力のないまま、目はスパンダムの真面目な表情を捉え、そしてその目が多分紙面だろう物へと注がれているのを目撃する。万年筆を持った手が、時折止まりつつも何かをそこへ書き出している。
 仕事が出来る人は格好いいなぁなどと、数時間前にも思った感想を胸に生じさせながら、は特に深く考えずに寝返りを打った。スパンダムに背を向ける形のその動きで、スパンダムがようやくとへ視線を向ける。
「目が覚めたのか」
「……」
 まだ目覚めてはいない。
 そんな返答をしようと考えてはみるものの、の思考は動いた端から眠りに落ちていく。抗いがたい眠気が次々波のように襲ってきて、は抵抗できずに瞼を閉じた。
 二度寝はことのほか気持ちの良い事柄であると認識しているは、スパンダムの声を子守唄にもう一度深く眠る体勢に入っていった。
「……薬の効きすぎだな」
 つまらないと呟くようにこぼれた言葉が耳に入ったが、やはりの思考能力では処理しきれず、徽きたら聞こうと考えてもすぐにずるずると深い睡眠へと沈み込んでいった。
 起きたら忘れる程度の目覚めと睡眠の中、は一度だけ頭を撫でる手を認識した。


 夢の中だと認識できる白いもやの中、足元も白く世界中が白いもやで覆われたその場所で、は誰かと何かを話していた。
 小振りの岩に腰掛けて、海を正面に楽しそうに大口を開けて笑い、は誰かと肩を並べて沈む夕日を見ていた。
 白いもやの動きで、海と夕日と小振りな岩しか認識できないその場所で、は全身黒の体の線が浮き出るスーツを身に着けていた。どちらかと言うと、OLのスーツではなくライダースーツよりのそのフォルムの服は、一度も着たことがないのに夢の中のは当たり前の顔をして着ていた。
 相手の姿は見えない。認識できない。色形すら分からない。
 けれど、夢の中のが信頼して信用して愛情を持って話しているのが分かる。その愛情がどのような種類のものかは推し量れずとも、幸せそうに笑う夢の中のと誰かにに安心する。
(良かった。まだ大丈夫)
 なにが? と、瞬時に疑問がわかあがるが、それもすぐに霧散しる。
 夢と言うのは、捉えどころのないものだ。そして矛盾もあり現実とリンクし、はたまた真逆を映し出す。
 の耳には届かないが、夢の中のは本当に楽しそうに笑っている。羨ましいくらい幸せそうで、は自分の形をしたその人間を羨ましく思った。
 そして、相手が誰なのだろうと疑問に思った。
 ふらりと歩み寄って相手の顔を見ようとするが、真正面から夢の中のと話している顔を覗き込んでいるのに、まったくもって誰だかわからない。のっぺらぼうと言うわけではないのに、の頭の中で誰だか記憶に残らない。記憶の中の映像を検索することすら出来ない。
 目の前の誰かの顔の映像が、頭の中に入ってこない。
 が困惑していると、夢の中のと誰かは肩を寄せ触れ合い、なにやら耳を寄せて内緒話の体勢に入った。
 男性なのか女性なのかも分からない。夢の中のの表情からは、親しい人物と言うことしか分からない。
 困惑と焦燥感に駆られたは、ふと海から何か聞こえた気がして振り返る。夕日はゆっくりと沈んでいき、その光は穏やかで優しいものに映った。
(……ッ!)
 けれど、海から一瞬吹いてきた風に攫われてしまう。夢の中のと誰かは岩に腰掛けたまま、それを見ていただけが巻き上げられる。
 そして夢の中で何か考えるよりも早く、ぷつりと意識が途絶えた。まるでテレビの電源を消すように、あっけない幕切れだった。


 赤、金、黒、茶、緑、橙、紫、青、藍、白、……。
 色が跳ねて揺れて流れて舞い上がって、まるで踊っているかのようにの傍で色の洪水が巻き起こる。
 けれど、それがあっという間に消えてしまうことは知っていた。は名残惜しく思いながらも色たちに手を伸ばし、触れ合う前に覚醒していく自分に気づいた。
 今度は音の洪水が流れ込んできて、の目と耳を覆う。
 聞こえてきた音と声と名前と叫び声に、頭と胸が引き裂かれそうになる。

 予感しているのだと、は理解した。
 自分はきっとこの先、喜んで悲しんで出会って別れて苦しんで痛がって泣いて笑って助け合って殺しあって共に歩いて散り散りに離れて生きてる知らせひとつで幸福になって不幸になって再会を望んで喜んで感動して。
 それから、それから……!
 色は魂の色だなんて小洒落た事はいわない。きっとただただ、出会って別れて助けて殺しあう大切な人たちの色なのだと、は確かに予感している自分を認鹿していた。
 ただの希望であり、ただの夢の中での出来事だと目覚めて忘れる程度かもしれないが、なるほど、人間の第六感とやらはすごいなあと洪水な渦の中でぐるぐる洗濯物のように回されながら、はどんどん覚醒していく意識に頷く。
 赤、金、黒、茶、緑、橙、紫、青、藍、白、……。
 無数の色が点滅して混ざって別れて生まれて繁殖して消えて増えて、まるで何かの生物のように繰り返されるその光景に、ありゃぁキャラクターの髪やら目の色だなと、そこでようやくは検討をつけることが出来た。
(赤は、あの子の始まりの色だ)
 目に走る傷。
 翻るコート。
 可愛らしい麦藁帽子。
 顔中で浮かべる笑顔。
 頼もしい背中。
 中心にいることが当たり前の男。

 伸ばされる腕が彼を助けて、彼の腕は片方なくなって、そしてあの子は助かって。

(……ッ!)

 聞こえるはずの無い泣き声が脳天を貫いて、は気絶するように覚醒する自分を享受していた。
 なんて嫌な目の覚め方だと思いながら、むしろこれは主人公組で今出会ってるのは敵側なんですけど、と思ったり思わなかったりしつつ、は意識を閉じた。


「目ぇ覚めたか」
 すぐに肉体的に目が覚めて、正直爽やかじゃない目覚めだなぁと開口一発言いたくなったは、自分のこの思考は悪くないと顔を覗き込んでいたスパンダムを無視して、そのまま寝返りを打つ。
 どこか金ダライを脳天に落としたような、ショックを受けたような音が聞こえてきたが、これも無視する。
「お、お前、今絶対目ぇ覚めてただろ!」
「おやすみなさい」
「起きろー!」
 うるさいなぁと思いつつも、ちらりと視線を声の主に向けてみると少し目が潤んでいるスパンダムの視線とかち合う。思わずため息を吐き出したに、スパンダムは今のうちだとばかりにの上から布団を引き剥がした。
「スパンダムさん、セクハラです」
「布団剥いだだけで!?」
「いや、完璧にセクハラでしょ」
 常識を知っているのか知らないのか、本気で動揺しているらしいスパンダムに呆れを通り越して笑いがこみ上げ、はとりあえず現在地の把握の為に辺りを見回した。
 先ほどまで歩いていた場所ではなく、一番最初にスパンダムと顔をあわせた部屋でもない。が横になっていたのはベッドで、至近距離に仕事途中らしい書類の置かれている机、前転や反復横とびなどの運動が出来そうな適度に広い室内に、本棚やソファーなどの日用品が並び、クローゼットらしい壁側には洋服らしいものが雑多に脱ぎ散らかされていた。
「……」
 ぼんやりと誰かの自室っぽい雰囲気を嗅ぎ取ったは、大きな欠伸を隠すことなくもらすと、瞼をこすりながらスパンダムへと視線を動かした。
「……近いな」
「まぁな」
 肩先といって良いほど近くに合った顔に、さすがのも動揺して口ごもる。スパンダムは何てことない顔で頷くが、ほんの少し顔を寄せただけで唇が触れそうな距離に、は戸惑って体を後ろにずらした。
「なに逃げてんだ」
「逃げると思いませんか」
「別に」
 なにが別にだ、この野郎と言わずともは睨みつけるが、スパンダムはの表情になにやら何度も頷いて離れていく。
 そのまま立ち上がったスパンダムに、つられるように視線を上げていくだったが、スパンダムはを指差して言い切った。
「お前、戸籍ねぇぞ」
「……はぁ」
 突拍子も無い台詞に、はなにか思考する前に間抜けな相槌を打つ。
 その言葉にスパンダムはどこか不満そうに眉をしかめたが、どこか焦れたゆうに自分の前髪をかき上げて頭を掻くと、もう一度指を突きつけて言い切る。
「お前が言っている悪魔の実の能力を知らない島なんて、探せばあるかもしれねぇが、お前の戸籍はなかった。世界政府の威信をかけた情報収集能力を持ってしてもなかった」
「この短時間で調べきれたんですか。私どれだけ眠ってたんっすか」
 この世界にパソコンやネットはまだなかっただろうと首をかしげると、スパンダムの動きが止まる。が、突き出した拳にもう一度力を入れなおし、空咳をしてしっかりとを見つめる。
 少し焦りが見えるが、真剣な表情のスパンダムはイケメンだなと欠伸を噛み殺したは、次の台詞に瞬きをした。
「つ、つまり! お前の扱いは不審人物かっこ身元不明者かっことじる、かっこ要保護人物かっことじると認定した!」
「…………口で括弧とか言う人って、生で初めて見た」
「うるせぇ!!」
 真っ赤な顔で吼えるスパンダムに感心するを見て、スパンダムは突きつけていた手を握り締めて背筋を伸ばす。
 ベッドに横になっていたは、布団を剥がされた所為で上半身を起こして座り込んでいるが、特に警戒する素振りもなくスパンダムを見上げている。
 無防備だな。
 思わず口から出かけたその台詞を、スパンダムは慌てて飲み込む。今はそう言う事を言う場面ではないし、いう必要も無い。現在の状況を突きつけてやらねばならないのだと自分を律するが、スパンダムは空咳をしても落ち着かない自分の心臓に舌打ちをしたい気分だった。
「あー……、だからだな」
「はい」
「あー……」
 スパンダムはまっすぐになんの憂いも無く、あんな汚い場所に軟禁したスパンダムを恨むでなく見上げてくるに、どこか罪悪感と期待感を持って告げた。
「お前は、このおれさまが保護してやることになった」
「セクハラです」
「保護することが!?」
 きっぱりと斬り捨てられ、反射的に突っ込んでしまったスパンダムに、言い切ったはずのは堪えきれずといった風に吹き出し、肩を震わせて俯く。からかわれたと気づいたスパンダムが、顔を赤くして怒鳴るより早くは顔を上げ、すぐには収まらない笑い声をこぼしながら囁いた。
「あーあ。お決まりの同居フラグ立てちゃったぁ」
「お前、思った以上に図太いな」
 フラグってお前、あれだろ。
 思わず呟いてしまったスパンダムに、は気を取り直したようにベッドの上に正座をし、伸ばした背筋をそのままに頭を下げた。
「身元不明の不審人物ですが、初対面のスパンダムさんの世話になります。保護お願いします」
「…………おう」
 なんだ、下げる頭もあるんじゃねぇかつ毒気を抜かれたスパンダムに、けれどもう一度思い出して吹き出したは堪えきれずにベッドに寝転がった。原作まんまだなぁと内心が思っていることを知らないスパンダムは、部屋の外で指示を窺っている部下に片手を振ると、笑うなとに赤い顔で怒鳴りつけた。
 部下に示した片手の意味は、目の前で笑い転げている女の情報捜索続行指示だった。
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