04:認めない!
何か物音がする。
男性がいなくなり、本当にがっつりと睡眠をむさぼっていたは盛大にため息を吐き出して、開けたくもない瞼を擦って枕に顔を埋める。大あくびを遠慮なくしてやり、なにやら嗅ぎ慣れない匂いにくしゃみもひとつ。新品のシーツはまだまだ糊が利いているらしく、に保健室のベッドを思い起こさせた。
「おい、起きろ」
匂いの元はなんだろうと鼻をひくつかせていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。どこか楽しそうに口元をひくつかせている様子が想像できて、は不愉快に思う気持ちを隠さずに無視した。
がつんと、重い音を立てて鉄格子がゆれる。硬い足先で蹴られたのか、その振動は空気を震わせた。
「こっちむけ、。飯くえ」
「捕虜に偉い人が飯持ってくるなんて、どんな待遇ですか」
枕を抱きしめながら寝返りを打つと、どこか嬉しそうにスパンダムが目を細める。少し子犬のような笑みに見えて、は一瞬だけ可愛らしいと思ってしまった。その手に持っているお盆のメニューは、普通にパンとスープと水。スープもパンも作りたてらしく、湯気も立っていて食欲をそそることこの上ない。
においの元はこれかとが納得していると、見覚えのない男が鉄格子の鍵を開けていた。そういえばさっきの男の人は代わりをよこすって言ってたっけと記憶を掘り起こしていると、見覚えのない男があごをしゃくる。
「主管がお呼びだ。出ろ」
いや、出ろって。食事じゃないのかい。
思わず口を開いて突っ込みそうになるが、見知らぬ男はそれだけ言うとスパンダムに鍵の束を手渡し、足早に消えていってしまう。スパンダムは受け取った鍵を無造作に見張り用だろう机に放り出すと、お盆も適当に机に置いてしまった。
「食え」
「……出て、いいんですか」
「出ろ」
警戒心も露にが硬い声で聞いてみるが、特になんの反応もなくスパンダムは簡単に答えてしまう。小さなあくびをして、まだベルトを巻いていない顔がを見る。
椅子の背もたれを手で叩き、顔をしかめてを汚いものでも見るかのように見つめた。
「そんなくせぇところにいつまで居るつもりだ。さっさと出て来い」
「……」
お前が放り込んだんだろ、と言いたいのをこらえては頭を抱える。とりあえず、足元を見ないようにして軟禁部屋を出ると勧められるまま椅子に腰を下ろした。
スパンダムは立ったまま、机を叩く。
「さっさと食え。食ったらすぐ行くぞ」
「どこにですか」
「言わん」
言えよ。
我慢できずに突っ込むと、スパンダムは鼻で笑い楽しそうにスプーンをの鼻先に突きつけた。
反射的に動きを止め息を呑んだに、スパンダムは楽しそうな表情のままスプーンを揺らめかせた。
「いいから、さっさとお前は食え」
「……いただきます」
スプーンをスパンダムの指先からおそるおそる受け取ると、はスパンダムの視線を気にしながらスープを口にした。
温かく染み込んでいくような美味しさに、の頬が自然と緩む。
それを見つめながら、スパンダムはふと外へと続く石畳に視線を投げる。はスパンダムのそんな動きに気づかぬまま、美味しい美味しいと食事を続け、いつしか遠慮もなくなり香ばしい香りのパンにも手を伸ばしていた。
「なぁ」
スパンダムは石畳へと視線を向けたまま、パンを頬張るへと声を投げた。当のはパンを租借しているため、目線だけでなんだとスパンダムを見つめる。スパンダムはその視線に気付いたのか、ひとつなんでもないように息を注いで言葉を繋いだ。
「美味いか」
「……美味しいですよ?」
唐突な言葉に、は怪訝そうに眉を寄せながら返答する。スパンダムの静かな様子を見て、手にとろうとしたスプーンを置きなおした。
それに気付いていないはずもないスパンダムは、重ねて平坦な調子で言葉を続ける。
「あの部屋はどうだ」
「……居心地良いとはいえませんよ」
「ならなんだ」
「正直に言ったら処刑とか」
「しねぇよ」
「悪趣味だと思いました」
「違いない。侵入の目的は」
「好んで来たわけじゃないって言いませんでしたっけ?」
「迷子だったか」
「……知りません」
淡々と会話は続いていき、がそっぽを向いてスープを口にしたことで途切れる。
スパンダムは、そこでようやくに視線を戻した。
黙々とスープを口にし、パンをちぎって租借して、水を口にするの顔を体を傾けて覗き込んだ。鬱陶しそうに顔をしかめたに、にんまりと口角を上げてスパンダムは囁く。
「全部自白剤入りの料理だ」
「…っ!!」
即座に噴出しそうになったは、渾身の力で理性を奮い立たせると、ごっくんと言う音を響かせるほど力いっぱい水を飲み下した。はっきり言って汚いと自身も思うが、噴出さなかっただけマシだろうと肩で荒い息をつく。
げらげらと笑って机を叩くスパンダムの後頭部を、それこそ渾身の力で殴打したい気持ちで一杯になったは、スパンダムが落ち着くのをまとうと睨みつけながら口を閉ざす。
「お、おまっ、女の癖に……っ!!」
けれどの睨みは効かず、スパンダムの笑い声は止まない。
仕方ないので、は食事を再開した。自白剤を混入されたというが、味については美味いの一言、自白して蒼白になる事柄など皆無。やましいことなどひとつもなかった。
が食事を再開してパンを平らげ、スープがあと二口程度に進んだとき、ようやく笑い止んだスパンダムがの顔を見る。目じりの涙を拭いながら、感心したように声を上げた。
「それでも食うのか。結構根性座ってやがんだな」
「やましいことなんてひとつもありませんから。で、他に質問はありませんか?」
ぬけぬけとよく言う。
スパンダムが笑って突っ込むが、は開き直って食事を平らげた。いつもの食事と比べると、格段に美味い。量は少なめだが、補って余りある美味しさにほんの少しだけ涙がこぼれそうになった。家に帰ったら、食の質を向上させるために何からはじめようとまで考えていた。
「お前の年は」
質問を再開したのか、スパンダムは特に何の感情も込めずに声を出してきた。も特に何も感じず、適当に口を開く。
「ご馳走様でした。一応成人してるってことにして、お酒のみたいなとか言ったらアウトですか」
「普通捕虜に出すかよ」
「ですよねぇ」
「まぁいいか。住所」
「だーかーらー」
特に躊躇もなくぺろっと地球上の住所を口にするが、スパンダムはメモを取るでなし記憶に止めるようなそぶりもなく、ただわかんねぇと首をひねるのみ。その態度に、の方が分かんねぇと唸りたかった。
「食ったならいくぞ」
「どこへですか」
「言うと思うか」
「言わないっぽいですね」
会話のテンポが楽しいのか、スパンダムは嬉しそうに頷く。は思わず座っている椅子でその顔を殴打したくなったが、それはカティ・フラムの仕事だと自分の心をなだめにかかる。スパンダムは相変わらず笑って、椅子の横に立つように命じた。
は即座に顔をしかめてそっぽを向いたが、スパンダムに腕を引っ張られて嫌々立ち上がると、しばらく頭の先からつま先まで気持ち悪いほど見つめられ、それが終わると腕を掴んだまま歩き出されてしまう。
「ちょ、ちょっとどこに連れて行くんですか!」
「だから、言うと思うか?」
「ええい、とにかく手を離してください!」
子供染みた言い合いをしながら、石畳を外へ外へと歩いていくが、スパンダムの速度はよりも早くて途中何度も転びそうになる。せめて手を離せと何度も訴えるが、スパンダムはどこ吹く風で速度も緩めるそぶりを見せなかった。
が心の中で何度目かのスパンダムぶっ飛ばすを唱えていると、ようやくスパンダムの足が止まる。
これでゆっくり歩いていけるとが思ったのもつかの間、体が浮遊感を感じると同時に自分の事態を察してしまった。
「お前、遅ぇな」
「あんたが早いんでしょうが!」
もう思うまま叫ぶと、スパンダムがどこか照れくさそうに笑う。褒めてないとはとりあえず突っ込みを入れるが、スパンダムは至近距離で聞いているのかいないのか、を両腕で抱き上げ自分の胸に寄りかからせると、先ほどより速い速度で歩き始めた。
「ちんたらしてたら、あっという間に一日が終わっちまうぞ」
「あれで手加減してる速度でしたか! ちくしょう、ありがとうございます!」
やけくそでが言ったお礼を、スパンダムはまともに笑って受け取ってしまう。
「うむ、苦しゅうない」
「私が苦しいわ!」
ぎゃあぎゃあとが叫びスパンダムが流しで、長い長い石畳がようやく三分の二まで進んだころ、満腹になったためか叫びつかれたのか、スパンダムの腕の中でが静かに眠りについていた。
寝顔を目を細めて見つめ、女だよなぁとスパンダムは小さくつぶやく。
不法侵入者で、海賊かもしれなくて、でも今のところデータが見当たらない女。
どこの海出身か、大陸出身かすらも分からない女は、無防備にもスパンダムの腕の中でまともな寝息を立てている。
狸寝入りだろうかと顔を近づけて呼吸を確かめてみるが、スパンダムの前髪が顔に掛かってむずがる程度で、は起きる素振りもせずに揺れる速度に身を預けていた。あきれ返るほどに無防備な熟睡。
「おいこら、女。殺しちまうぞ」
笑いをこらえながらスパンダムは囁くが、歩く速度が揺りかご代わりになっているの意識には到底届かず、すうすうと全身全霊で眠りこけて、赤ん坊のような体温は揺らぎもしない。
「なにしてんだかぁな、おれも」
不審者を取り調べると言う本来の目的が、いつの間にか建前になっていそうだなと笑いながら、スパンダムはを抱きしめなおした。
長い長い石畳の通路を、スパンダムは苦もなく文句を言うこともなく、平然とを抱き続けて歩きあげた。