02:ギャップと言うものを感じるわけですよ
仕事は真面目にしています。
おかしい、目が覚めない。
はタオルを畳みながら首を傾げ、テレビでしか見たことがないような偉そうで豪華そうな机を前に豪華そうでふかふかそうで社長とか重役とか、俗に言う悪役が座りそうなエナメルの黒い椅子にふんぞり返っているスパンダムを見た。
そう、彼はスパンダムと名乗った。それだけならいざ知らず、『さいふぁーぽーる』の『しゅかんスパンダム』と名乗ったのだ。は畳んだタオルを抱えて、元あった棚に並べながら眉をしかめる。
頭が胃が痛いと体が訴えているが、はそれを気にしない振りで、もう一度スパンダムを見た。
「スパンダムさん、言われていた報告書になります」
「ああ、そこに置いておけ。んでこっちは上に持っていけ」
「分かりました。他にありますか?」
「あー……、ああそうだ。こっちの判子貰ってこい、明日までっつっとけ」
「はい、では失礼します」
先ほどまですっ転んであちこちぶつけ、情けない顔をして泣いていた男性と同一人物に見えないほど、スパンダムはてきぱきと仕事をこなしていた。漫画ではこんなシーンはなかったなぁとはその光景に見入り、夢だからこそ格好いいスパンダムなんてものが存在するのだろうと、自分の出した結論に頷いた。本編では悪賢いスパンダムとか、ドジっ子スパンダムだとか、悪ガキのようなスパンダムくらいしか見ていないはずなのだ。
「私、そこまでスパンダムが好きだったんだなぁ」
どうせならルフィとかカクとか、主要人物の夢を見たかったよ。
ぐちゃぐちゃになってしまったスパンダムのベッドシーツを剥がすと、はそれを丸めて部屋の床に転がす。そしてあるだろう新しいシーツを棚から探し出し、今度はそれを丁寧にベッドの上に伸ばしベッドメイキングをする。
その間にも隣の部屋にいるスパンダムは仕事を進めているようで、万年筆が紙の上を走る音だとか、書類をめくる音だとかは響き続け、時折吐き出されるスパンダムの吐息と首を回し骨の鳴る音のみ、隣の部屋を満たしていた。
「……ありえない、スパンダムが真面目に仕事をしている上に、仕事の出来るいい男に見えるだなんて」
は、やはりこれは夢だと自分の結論を確信し、面白い内容だけれど早く目を覚ましたいと切実に願った。
それでも珍しい内容の夢なので、やっぱりもうちょっと色々やりたいという気持ちがないといえば嘘だ。はあらかた部屋の中を片付けると、先ほどから開いていた隣の部屋へと続くドアをノックした。
「なんだ?」
「部屋、片付け終わりました」
「ああそうか、ご苦労だったな。コーヒーでも飲むか?」
スパンダムは特に何と言うわけでもなくの労をねぎらうと、近くにある応接セットのソファーを指で示し、そこに座れと言いながら部下を呼ぶ。
特に異論のないは、恐る恐るスパンダムのいる部屋に足を踏み入れ、二本足揃えて部屋に入りきったところで動きを止めた。
スパンダムはお互い名乗りあうとの手当てを受け、部下に呼ばれて隣の部屋へと移動していった。が自分はどうすればいいか聞くと、適当に部屋を片付けとけと言われ、やることもないは素直にそれに頷いた。特に会話らしい会話があったわけでもなく、けれどお互い警戒心なく当たり前の様にそれぞれの部屋に別れ、それはちょうど30分ほど前の話になる。
はスパンダムのいる部屋の洗練されたデザインと置かれている調度品に、悲しいかな庶民のミーハー心がうずいて頭の中でそろばんを弾いた。
素人目に見ても分かる重厚な石造りの部屋は、そう言えば逃げているときにも見た建物の外観とぴったり一致する造りで、冷たく重い落ち着いた雰囲気をかもし出しながらも、どこか美しい。大きく開いた窓からの光がまたその美しさを彩っていた。
そんな中で、スパンダムは平然とを呼ぶ。
黒スーツに柄物のシャツと言う、ちょっとすればおかしな格好になるはずなのにしっくりと似合うスパンダムは、やはりちょっとおかしい人だとは思った。仕事をする凛々しい顔つきのままで呼ばれ、動揺しながらもはスパンダムへと歩み寄った。
「コーヒーはいいです。……あったかいお茶があれば、嬉しいですけど」
「おう、んじゃそれ持ってこい」
遠慮しつつもがリクエストしてみれば、スパンダムは事もなげに呼んだ部下へと指示を飛ばす。驚いたが何か言う前に部下が了解してしまい、部屋の中は二人きりになってしまう。
「……」
「まぁ座れ、部屋は片付いたのか?」
「一応、私が見たときの状態には戻しました」
「ん」
はスパンダムの示したソファーに座りながら、スパンダムは書類へ視線を落としながら会話が成される。
どちらとも言葉もなく、またスパンダムの万年筆を走らせる音が響きだす。
「……」
カリカリカリと音が響く中、はやることもなく身の置き所もなくそわそわと辺りを見回すが、珍しいものばかりで色々スパンダムに質問したいことばかりが増えていく。中にはが見たことないものまで飾ってあり、夢の中なのに自分が知らないものがあるなんてと、少々を驚かせた。きっと記憶の奥のほうにある情報の産物だろうと決め付けるが、人間の脳内は未知の世界だなとは心の中で一人ごちた。
スパンダムは書類から顔を上げず、に話しかけてくる素振りもない。から話掛けられるような雰囲気でもなく、静かな時間が訪れる。
さっきはよく会話できたなと、はスパンダムを見ながら思った。
「失礼します」
部屋の外から聞こえてきた声に、は即座に背筋を伸ばして顔を向けた。
「あ、どうも」
目の前に置かれたお茶を、どうにも戸惑いながら受け取る。部下の男性はいかつい顔ながらにっこりと微笑むと、スパンダムにもコーヒーを置いて退室して行った。
スパンダムはちらとも部下を見ず、ただ黙々と仕事をこなしていく。
「……」
はそれをお茶をいただきながら観察するが、やはりどうにも珍しい光景で、知らず知らずのうちに熱い視線を送ってしまう。
すごいなぁ、本当に仕事してるよ。
あ、インク壷ひっくり返さない。おかしい、スパンダムなのにおかしい。
……でも、真剣に仕事する男って格好良いなぁ。
つらつらと考えながらの凝視だったが、スパンダムにその視線たちは突き刺さる。最初は気づいていなかったスパンダムだが、仕事の合間に視線を向けるとと必ず目が合いそうになって、何度か慌てて目をそらしたりもしていた。なんで自分が注目されているか分からず、自分が男前だからだとか地位が高いからだとか色々考えてはみるものの、特に邪気の込められていない視線に段々集中力を欠いていった。
「あ」
「おうわやべッテー!」
が気づくのとスパンダムが気づくのと同時に、スパンダムは見事にコーヒーのカップを取りそこなって指を滑らせ、インク壷の中にその中身をぶちまけ熱い飛沫に手を振り回し、あっという間にインク壷ごと豪華で重そうな机の向こう側にぶっ飛ばして、あからさまに分厚くて模様が複雑で高そうなじゅうたんに黒と茶色の色彩を追加した。
「あ、あーあー……」
にとってはとても見慣れた光景だったのだが、いかんせん生で見たのは初めて。紫色のパンダみたいに目の周りにクマの若々しい年齢の男性が起こした失敗かと思うと、驚くよりもまたやったのかと言う感情しか出てこない。意外に騒がないんだなと言った感想すら出てくる始末だった。
だが、スパンダムにとっては仕事中のミス。しかも初対面の女の前での失敗に、コーヒーを被った片手を庇いながら内心ほぞを噛んでいた。
ちらとの様子を窺ったスパンダムは、が驚くでもなく顔をしかめるでもなく、ただただ呆れたような顔で床を見ているという事実に眉を寄せる。まるで自分の母親のような表情を浮かべているに、こんな状況に慣れているのかと疑問が湧く。
けれどスパンダムが口を開くより早く、いつもの様に部下が部屋へと駆けつけてくる。
「失礼します」
おざなりなノックのあと、即座に入室し片付けられていくインク壷とコーヒーカップ、それにが便乗して自分のカップを渡し、一人目の部下はあっという間に退室していった。二人目の部下も間髪入れず入室し、絨毯を床から剥がすと新しい絨毯と交換して言葉を挟む間もなく退室していく。
スパンダムにとってはいつもの光景だが、にとっては生ではじめて見る光景。ほうほうと感心しながら見つめてしまい、何事もなく真新しいインク壷が運ばれてくることには、拍手で何事もなく戻った室内に感動していた。
「……何してんだ」
「拍手です」
言われてすぐに拍手を止めるが、スパンダムの胡散臭げな視線は揺るがない。しかし、スパンダムの頬がほんの少し色づいていることには気づき、そこを突っ込もうかどうしようかしばし誘惑に駆られる。
とりあえず新しいお茶に口をつけ、じっくりスパンダムを見つめる。
スパンダムはスパンダムで再び書類にペンを走らせ出すが、時折の視線に目線を上げてはそらすの繰り返し。
「……なんだよ」
「別に」
ずずーっとのびやかにお茶をすするに、スパンダムはちくしょうと小さく呟いて頬の色を濃くしていった。
メモ
スパンダム短編から本編に昇格。