01:こういう話は誰にすればいいか分からない

異世界人と不夜島人の出会い

 ある日、見知らぬ女の姿を見た。
 寝ぼけているような目で、けれど田舎臭い動きで辺りを見回していた女だった。なんかどこにでもいるような格好で、なんでもないようにおれを見て、口を馬鹿みたいにぱかっと開けた変な女だった。
「あ、スパンダムだ」
 言われた瞬間さしものおれ様もリアクションが取れず、相手の女も動かなかった。けれど気がついたら女は「しまった!」と顔にでかでかと書いて、それでもって気がついたら目の前からいなくなっていた。走り去る後姿がまぶしく、砂埃を立てて走り去る人間をおれは生まれて初めて見た。
 だが気づいた。おれの顔を見て、おれの名前を呼んで、そして逃げ去る女。
 そして今おれが立っているこの場所のことを考えると、あいつは不審者なんじゃないかと気づいた。なんということだ、おれとしたことが。
 すぐに受話器をとって各部に女の特徴を伝達し、捕獲すべく網を張る。この場所にいるはずのない格好をしている女なのだ、すぐに見つかるさと高をくくって捕獲完了の連絡を待ち、コーヒーを用意させる。
 が、熱くて飲めたもんじゃない上に、コーヒーの奴襲い掛かってきやがった! 信じらんねぇ、なんだこのカップ! とりあえず壁に叩きつけたら破片と中身が直撃してきて、コーヒーが熱くて瞼を切られて悲鳴を上げた。ひっくり返った。破片が体中に刺さった。立ち上がろうとしたらなんか床が濡れてて、滑って欠片で服も破けた。あと、肘をテーブルに打ちつけて身悶えた。この部屋なんかあんじゃねぇか!
 どうにかこうにか立ち上がると、部下を呼んで床を始末させた。着替えたほうがいいといわれ、それもそうだと奥の部屋へと向かう。
 奥には、簡単なおれ専用の仮眠室を備え付けさせているんだが、これが第二の部屋程度には居心地がいい。窓を開ければすぐに自然が見え、一階と言うこともあってか外へ出るのも簡単だ。たまに窓から落ちるが、痛みは最小限ですんでいる。
「あ」
 声に振り向くと、窓を開けて入ってくる人影。逆光で顔は良く見えないが、さっき逃げた女に酷似していると思う。そこまで考えて、声を上げ捕まえようとしたら、脱ぎかけたベストが腕に絡まってバランスが崩れ、引っ張って指先を抜くだけになっていた靴下を踏んで顔面から床にダイブした。そして一拍置いて、頭に立てかけてあった絵画が落ちてくる。
 痛すぎて声も出ずにいると、床を踏む音が聞こえた。
「あー、本当にスパンダムみたいなことしてるね。お兄さん」
 顔をずらして仰ぎ見ると、パンツが見えた。スカートをはいた女は、水色のパンツを見せながらしゃがみ込んでくる。顔が近くなった。どこか呆れているような表情に見えるのは、おれの気のせいだよな?
「あの、大丈夫ですか? 本当に」
 目の前で手を振る女のパンツに気をとられていると、女は心配しているような表情になっていた。そして、失礼しますと言いながらおれの額に手を触れた。小さな手だった。そして触れた途端に訝しげな表情に変わる。
「つかぬ事をお伺いいたしますが」
「なんだ」
 ぴちゃっと、女が自分の手を振る。多分コーヒーだろう水滴が舞った。
 女の声は、どことなく確認しているような遠慮がちなものだった。
「ここ、どこですか?」
「知らずに忍び込んだのかよ、命知らずだな」
「気がついたらここにいたんですよ、知りませんよー……」
 請うような視線に口の端が上がる。エニエス・ロビーさと言うと、顔色が瞬時に青く変わった。分かった、こいつ海賊だな?
「え、ええええにえす・ろびー!?」
 震える声にますます口の端が上がる。けれど女は立ち上がって「どうしようどうしよう」とうろたえて歩き回るばかりで、ちっとも生産的じゃない。しかも女が歩き回る所為でおれは床を転がるし、そしたらさらにベストやらが絡んでくるしで大変だった。
「おい、起こせよ」
 いい加減声をかけると、女の動きが止まる。おれの顔を見て、そして頭からつま先まで舐めるようにじっくりと観察された。いや、舐めるようにじゃねぇな。食い入るようにが一番近いか。
「紫……ぱんだ……」
「パンダじゃねぇ! スパンダムだ!」
「……世界には、自分に似た人間が三人いるという……」
 ぶつぶつと小声で何か言い始めた女は、おれの言葉なんぞ聞いちゃいねえで動きを再開する。ベッドの上のものを一切合財近くのテーブルに移動させたかと思うと、床に落としたバスタオルを何枚かベッドに敷きだす。そしておれの手を取り、声を上げて引っ張り起こしてきた。
 引っ張られるタイミングが悪くて、思わずベッドにひっくり返っちまったよ!
 けれど元々それが狙いだったのか、女はなんか呟いておれの顔をタオルで拭きだす。まぁ、それくらいさせてもいいかと思って放っていると、そのままなんか服まで脱がせ始めやがった!
「なにすんだ!」
「着替えも出来ない人のお手伝いです。絡まってるのに、一人で脱げますか?」
 動きを止めて改めて聞かれると、そうだな、できねぇな。
 あまりにも真っ当な言葉に、動きが止まる。
「失礼します」
 女はおれの顔を少しの間見つめて、改まった口調で服を脱がし始めた。
 ボタンを外さずに腕を抜こうとしていて絡まったベストは、絡まった腕の隙間に女が手を突っ込み、手探りでボタンを見つけて一つ一つ丁寧に外していった。
 たまにコーヒーで濡れて滑るのか、新しいタオルをどっからか見つけてくる。そしておれの顔を簡単に拭いて、そしてボタンを拭いて外す作業を再開する。
 ただ黙々とボタンを外し、絡まった腕を解いてベストを脱がす。おれも何も言わず脱がされてやって、濡れたワイシャツも脱ごうとしたら女に無言で止められた。手がそっとおれの手の上に乗せられて、なんか戸惑ったような顔で首を横に振られた。なんとなくおれも脱ぐのをやめた。
 そしたら女はしゃがんで、靴下を脱がしてきた。足の先にまだ引っかかってたのかと、おれも起き上がってその作業を見る。踏んで伸びたのか、間抜けになってしまった布を女は丁寧に足から滑りとる。かかとを手で支えながらのその作業に、その手のあたたかさにふっと背筋を何かが走った。
 けれど女はおれの震えなど気にしないのか、それとも気づいていないのか、黙々ともう片方の靴下も抜き、そしてタオルで丁寧に足についたコーヒーを拭う。
 見上げてきた視線とかち合った。
 視線をそむけようと動く間もなく、女が口を利く。
「さて、手のかかるお兄さん。これでもう自分で着替えられますね?」
「お、おお」
 おれの返事に、女が笑って立ち上がる。辺りを見回して、また勝手にクローゼットとか開けてワイシャツ出しやがった。
 それに文句をつけようとするが、いいタイミングで女は振り返って「これですか?」とか聞いてくるから、「おう、それだ」と答えてる。
「んじゃ、お兄さんどうぞ。濡れたワイシャツはどうするの?」
 差し出されたワイシャツを受け取りながら、部下が洗濯すると教えると、どこか呆れた表情でこちらを見てきた。なんだよ、なんか文句あるのか。
「あー……じゃあ、私行きますね」
「ああ、ご苦労だったな」
 言って、女は窓枠にまた足をかける。おれも気にも留めずにワイシャツを脱ぎだしたはいいが、そこで思い出した。そうだ、こいつ海賊だ!
 慌ててそいつを見るが、窓枠から落ちそうになってバランスをとってやがった。おれは冷静になって顔を作る。海賊に取り乱したところを見られるなんて、おれらしくもねぇしな!
「おい、海賊女!」
「あぶな、ここって外と段差違うじゃん。部屋の中上げ底でもしてるんじゃ」
「おい、おい。お前だっての、女!」
「……私ですか?」
「おれが一回呼んだらすぐに振り向けよ!」
 おれが叱ると、女は馬鹿みたいにあっけにとられた顔をして、んでもって部屋の中に立ちなおしてため息をつきやがった。なんだ、その態度は。
「あのね、お兄さん。お兄さんがどれだけ偉いのかは知らないですけど、そんなんじゃ、人に嫌われますよ? 名前を知らないときは自分から名乗って、相手の名前を尋ねる。それくらいの努力はしてください」
「名乗らないお前が悪ぃんじゃねぇか」
「……頭痛いよ、おかあさん」
 女は頭を抑えたかと思ったら、足取り悪くベッドに寄りかかる。具合の悪そうな顔色を覗き込むと、眉を寄せて俯いていた。
「なんだお前、具合が悪かったのかよ」
「いや、具合が悪いと言いますか」
 んじゃ、捕まえやすいなと一歩足を踏み出した。
「あ」
 が、おれともあろう者がうっかりしてたぜ!
 女がおれの足からとった靴下を、うっかり踏んですっころんだ。さっきとは逆に、後頭部から床にダイブ。そして掴んでいたベッドのシーツが、サイドテーブルを引き寄せて膝に落っこちやがった! マジいてぇ!
「……ッ、…ぅ…………っぁ…」
 頭抱えりゃいいのか、膝押さえりゃいいのか分かんねぇくらいいてぇ!
 ものの見事に悶絶しちまったおれを、女はなんだか可哀想なものを見る目でみてやがった。文句の一つでも言いたいくらいだが、おれはそれどころじゃねぇ。もうほんと、悶絶だってこれはよぉ!
 ため息が一つ聞こえて、足音が近づく。
「お兄さん、救急箱はどこ?」
「……へ、へやの」
「部屋の?」
「そと…………ぶ、ぶかっ」
「部下の方が待機してらっしゃいますのことね。はい、取って来ますから、絶対に動かないでくださいね。動くと災厄招くだけですから」
 おれがこれだけ必死に教えてやってるってのに、女はまたため息ついて部屋の外へ出て行った。お前、しかも馬鹿にしただろう!
 女がドアの向こうに消えてすぐに、部下たちのざわめきと女の声が聞こえ出す。そしてドアが開いて、逆光の中だが部下が顔をのぞかせる。
「……失礼しました。救急箱を持ってまいります」
「この人、きっとまた怪我するからお願いします」
 お前、なに納得顔で下がってんだよ! いや、救急箱は今すぐ欲しいけどな。あ、今思えば見知らぬ海賊女の言うことは聞くなって言うべきだったのか? でも今いてぇのはおれだし、そこら辺はまぁいいよな。
 女はおれの顔を見ると、すぐ持ってきてくれるってと優しげに笑った。美人じゃねぇが、綺麗な笑顔に見えた。パンツ丸見えだったくせに。んで、ベッドに近づいてタオルやらおれの気に入りの枕とか持ったかと思うと、またおれに近づいてくる。
「お兄さん、ちょっと頭上げるよ」
 顔の傍に座り込んだかと思えば、後頭部に体温を感じて浮遊感もついてきた。んで、嫌に丁寧に慎重におろされるおれの頭。行き着く先は、床に置かれた枕の上。ふかふかの感触は多少痛かったが、やっぱ床よりは柔らかかった。
 女はどこか子供でも見るような、母親のような顔をして笑う。
「なんて顔してるんですか。さっきよりは痛くないでしょう?」
 そして部屋に駆け込んできた部下から救急箱を受け取ると、なにやら言ってまた部下を下がらせた。いや、部下に命令すんのはおれの仕事じゃねぇか?
 けれど女の手が額に触れてくると、言葉を飲み込んだ。痛くないですか、の言葉にはいてぇの一言だけしか返せなかった。女はまた笑った。
「痛くてよかったですよ。痛くない場合、逆に危ないんですから」
 それから救急箱からシップを取り出して、おれの足のほうに移動していった。軽く膝を撫でられて、足がはねる。
「ごめんなさい、痛かったですか?」
 慌てておれを見てくる目が面白くて、何を言おうかと考えた。目を見返して、でも思いつかなくてそっぽを向く。女は慌てて顔の頭のほうににじり寄ってきた。
「ごめんなさい、ちょっと痛み具合を見たかっただけなんです。痛がらせたいわけじゃなかったんです。ごめんなさい」
 慌ててる顔がおもしれぇなぁと見ていると、部下の一人が部屋に入ってきた。水っぽい何かを持ってきてやがったが、それは日ごろ良く見る氷嚢のようだった。なんでここにあんだ?
 女は部下を振り返ると、ほっとしたように立ち上がる。その手が、でかくてタプタプ揺らいでる氷嚢を受け取る。その手から零れ落ちそうな対比。部下の奴もちょっと慌ててた。
「さて、お兄さんベッドまで動けます?」
 部下をそのままに、女は明るい顔でおれを見下ろす。ぱんつ。いや、明るい顔を見上げる。見下げられるのは好きじゃねぇんだが、この場合は我慢してやった。
「動けねぇ」
「膝に直撃ですもんね。すみません、いいですか?」
 おれに一言言って、あとは後ろの部下に話しかける。それで部下の奴は部屋にのしのし入ってきておれを持ち上げた。いつものことながら、女の前で抱き上げられるのは屈辱に感じる。あれだ、お前外出とけよと言えばよかった。
「こう、上半身を起こした格好で。はい、それで大丈夫です。じゃあ、また何かあったらお願いしますので、はい、ありがとうございました」
 ベッドに座る格好でおろされて、膝にも後頭部にも負担はねぇが、なんか違う気がするのはおれだけか? 氷嚢を使うのだと思っていたのに、ただベッドに座らされるじゃ納得いかねぇよ。しかもお前、せっかくの氷嚢をテーブルに置くな! あ、それ倒れてきたサイドテーブルじゃねぇか。端が欠けてやがる。
 そんな気持ちを込めて女を見ると、おれの視線なんてどこ吹く風。はい、じっとしててくださいねといって女はワイシャツのボタンを外し始めた。
「なにしやがるんだ!」
「今動いたら、きっと後頭部打ちますよ。ほら、じっとして」
 言われたとおりにするわけじゃねぇが、女の目があまりに真剣だったので好きにさせてやった。あれだ、おれは心が広いからな。
 女の手がボタンを外して、服めくって、おれに指示しながら慎重に服を剥いでいく。それでもって、新しいのは自分で着ろとワイシャツを差し出した。文句もなく自分で着る。特になにも起きなかったが、女は長いため息を吐いた。
「さて、お兄さん」
「なんだよ」
 服を着終わって、ズボンどうすっかなと思っていると、女は唇の端をにんまりと吊り上げて楽しそうに声を上げた。その手が風を切るように胸元に寄せられ、紳士の礼をとる。おれはあっけにとられた。
「不肖、わたくしがお世話させていただきます。どうぞ、貴方様のお名前を教えていただけませんか?」
 なに馬鹿馬鹿しいことやってんだと思いながら、どうせこんな一般人な女がエニエス・ロビーにいるなんてことすら馬鹿馬鹿しい事実なんだ、こんな日もあるさとおれは笑った。
「サイファーポールのナンバーファイブ、主管スパンダムとはおれのことだ」
 女はおれの返事に少し目を丸くした。それもすぐに笑顔に変わったが、口元が柔らかく緩んだのをおれは見た。
 胸元に当てられた手が、おれの方に伸ばされる。
「ではスパンダム。初めまして」
「初めまして、
 手を握り合い笑い合う。出会い方と言っちゃあ非凡だが、おれたちの会話としては平凡すぎて欠伸が出る出会いだった。

「スパンダム、ここのスペルが分からないんだけど、教えてもらっていい?」
「どれだ。……これかよ、お前本当に基礎がだめだな」
「私は母国語オンリーなんです。お願いします」
 今じゃは不法侵入者でもなければ、胡散臭い一般人の女でもない。おれの庇護下にある惚れた女だ。いうこと全て裏が取れない胡散臭さはあるが、それを補うほど中身は普通の女だった。一応上司に女一人囲うことを告げたが、一度取調べを受けたあとは扶養家族手当が出るくらいで、あまり変わりはなかった。まだ結婚してないんだが、そこら辺は特にいじってねぇぞ。おれはいまだ独身だ。も独身だ。
「スパンダム、これであってる?」
「ん、出来たな。」
 とにかく、上が調べても問題ないと出ている以上、おれはこいつを生かす術を教えるべきなんだ。だから、根本的な問題から片付ける。文字が大部分読めないなんて致命的だろうが。
「よかった! この調子で覚えちゃうからね」
 だが、根気良く教えれば覚えるその姿勢は褒められるもんだと、おれは思う。
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メモ

 スパンダム短編から本編に昇格。