合流地点での目眩と混乱


 信じられない、信じたくない。
 は痛む頭に眉をしかめながら、クロロの後ろをついて歩いていた。速度をあわせてくれているのか、苦にもならない歩みは足を濡らす。冷たい。
 実際のところ、にとってはクロロという人物がいてもまったく困らない。むしろ、こんな美形さんが世の中にいるのなら、それはそれで楽しいなぁと思うんだが、それは自分と関わりの無い場合に限る。
 友達になれば美形ゆえの弊害も出るだろうし、周りの目もあるだろう。は外にほとんど出ないから、それゆえの弊害もあるだろう。友好関係が築けるのならばそれに越したことは無いが、今現在の状況を考えると、友好関係が築けるとは思いがたい。
 何を言っているのかは、大雑把にしか分からないうえに、隠そうともしない威圧感。思わずノブナガさんやパクノダさんシャルナークさんに助けを求めちゃったよと、は意識が遠のいたあの瞬間を思い出す。
 警戒して苗字を名乗ったは良いが、クロロはをどこかへ連れて行くらしい。はウボォーらしき人影を追いかけたことを後悔したが、後の祭りというもので、足が疲れてきたは雨の冷気で体は冷えてきたは散々な気分になっていた。
 サテラにも何も言ってないと、ふと思い当たった事柄にの顔色が変わる。
 彼女に心配をかけるために、こうして雨の中を飛び出してきたわけではないのだ。どうしよう、今すぐ引き返さねばとクロロと名乗った男性の背を見るが、紺色の傘を受け取ったクロロはを気にすることなく歩いている。
 帰りたいと言ってしまおうか。
 は一度口を開くが、すぐに閉じる。言っても無駄だと言うのは、この威圧感からも間違いないだろう。それに、鍛え上げている人間と数ヶ月屋内でしか過ごしていない凡人のの体力は、比べることすら馬鹿馬鹿しいほどの差だと言うことくらい、容易に想像がつく。
 クロロはに、ついてこいと言ったのだ。逆らっては殺されるかもしれない。それに多分だが、クロロは「アジトへ」と言ったのだ。後は何を言っているかよく分からなかったけれど、多分今は逆らわなければ攻撃は仕掛けてこないと推測される。逆らうのは、得策ではない。
「着いたよ」
 クロロの声にが顔を上げると、そこには漫画で見たような廃墟があった。自分の住んでいる場所がヨークシンではないと分かっているので、また違う仮宿なのだろうと納得する。いかにも幽霊が出そうなその佇まい、その崩壊具合にの背中を寒気が走る。が、クロロがを見ているのに気づいたので、頑張って体が震えるのは抑えた。きっとクロロにはばれているなと分かっていながら、あからさまに震えれば殺されるかもと押さえ込んだ。
 建物の周りにも霧が多く、建物の存在に気づかなかったこともは特に驚かなかった。こんな鼻の先もどうかしたら見えない世界で、気づけるほうがすごいよと内心こぼしていることをクロロは知らない。
 案内をするクロロは、ただ楽しそうに笑って建物の中を先導するだけ。
 中まで霧も入ってきていないようで、ほんのりとした暖かさを感じたは辺りを見回す。屋内だからと傘はたたんで手首に引っ掛け、ノブナガ達に渡すはずだった残り二本の傘は抱きしめなおす。どうやら渡した傘は、クロロの手に握られて放り出されてはいないので、は、なんだったらもうこのまま渡してもいいのかなと、クロロの傘の柄を握っている手を見る。
 サテラが元々三人に渡すならと出してくれた傘だから、帰ってこなくてもいい傘だとは言われている。流れに任せて、聞かれれば答えればいいか。どこかに放るんだったら持って帰ればいいわけだしね。
 クロロの足が止まり、着いたのかなとはその顔を見上げたが、クロロはどこか上の階を見つめているだけだった。それもすぐに平常に戻り、また階段を上る。はなんの儀式だろうと思い自分も見上げてみるが、そこには明かりのない真っ暗闇しか見当たらなかった。所々、足のない人が行き来しそうな。
 ぼろぼろの床に躓きながらも着いていくと、何階目かでクロロの足が止まる。
「この階の部屋で、大概皆集まるな。……ほら、集まってる」
 優しそうな笑顔がを振り返り、部屋の中へと視線を誘導するように腕を上げる。の目はつられてそのまま部屋の中を見つめ、覚悟をしていたはずなのに高鳴る動悸を傘を抱きしめることで抑えようとした。
「あ、団長」
 聞いたことのない声がの耳に入ってくる。けれど誰だと特定する余裕も無く、は目の前のメンバーの顔を確認してしまい、起こる目眩を堪えるしかなかった。
 の目が確認したのは、不機嫌そうなフェイタンにフィンクス、それと視線をよこしてくるフランクリンとシズクとボノレノフとコルトピ。ここまでは漫画で見ていて多分と言う領域だが、その特徴的な外見からして間違えるなんてありえない。
 あと大きな人物と言えば、目の端に映った人間が必然的にウボォーとなる。
「後はマチとヒソカだけか」
 残りの人物の名前が出て、本当に今旅団員が目の前にいるのだとは目眩が止まらない。そして、何か忘れている気がして傘を抱きしめなおす。
 見回した視線の先で、誰かと目が合った。

 床から上半身を起こしたノブナガと目が合い、の目が大きく見開かれる。
 可能性としては高すぎる予想が当たっただけなのに、やはり現実として直面すると体の動きが止まる。ノブナガは立ち上がっての傍へと近づいていく。クロロがなんだ? とノブナガを見るが、ノブナガはクロロを見ることなくの前に立つ。
 パクノダもシャルナークも次いで立ち上がり、の傍へと歩み寄った。
、お前何したんだよ。団長と一緒に来るなんてよ』
『ノブナガさん……』
 は答えようと口をあけるが、ひゅーひゅーと乾いた音しか出すことが出来なかった。傘を握る手が痛い。ノブナガは、ああ指が白くなってるな。怖いんだなこいつと気づいて、傘を指差しての顔を見る。
『傘、二本もどうするんだ』
『の、ノブナガさんたちが、濡れると思って』
 そこで当初の目的をようやく口に出したに、ノブナガの目が丸くなり、そしてすぐに緩む。は緊張と言う名の鎧でも着ているかのように動かないが、ノブナガの表情は緩んでなにやらあたたかい空気まで醸し出し始めていた。そこを、シャルナークがつつく。
「ね、なんだって?」
「おれ達が濡れると思って、持ってきてくれたってよ」
「……ホテルから迎えがくるとかなんとか、言っておけばよかったわね」
 三人とも同じような困ったような嬉しいような表情で、の顔を見る。けれどが発言する前に、今度はクロロが突っ込んできた。
「……って名前なのか、この子」
「ああ、そうだけど。……なんだ団長、名前も知らねぇで連れて来たのかよ」
「いや、オレはって教わったんだが……嘘だったのか?」
 最後のほうはを見ながらの低い声で、またもやの喉が動く。断片的な音を拾い、辛うじて「」と「嘘」を聞き取ったは、小刻みに首を横に振る。
「う、うそ、ちがう」
 震える声にクロロは満足せず、部屋の入り口だったのをいいことにすぐ傍にある壁へとを追い込んでいく。はにじり寄られるままに後ろ向きに移動し、他のメンバーがクロロの意外な様子に興味をそそられ動かない間に、ひやりと冷たい壁に背中を押し付けていた。
 クロロの探究心の強さを表す目が、の目をひたりと見つめて剥がれない。そして自然な仕種での顔両脇に手をつくと、わざわざ身を屈めての顔を覗き込んできた。
「うそじゃなくて? じゃあ、なんで名前を名乗らなかった? ノブナガ達には名乗れて、オレにはなぜ名乗らない?」
 低い声に意識して出してでもいるのか強烈な男臭さを含んだ色気、顔の両脇につかれている手は徐々にその幅を狭くしていき、顔も意識してか問答無用で近づいてくる。
「なぁ……?」
 そしてトドメとばかりに微笑まれ、の混乱と照れと予想外の事態への処理能力は、簡単に限界値を突破した。
「の」
「の?」
 の震えだす体に、クロロは後一押しかなとこれでもかと色気を醸し出す。そしての顔色が、真っ青から白へと変わった瞬間、叫び声がほとばしった。
『ノブナガざぁーん!!』
 クロロは瞬時に耳をふさぐが、叫んだはずのはその隙にとばかりに涙目でクロロの脇をすり抜けて行く。突然の叫び声に笑い出したフィンクスを蹴りつけているノブナガの元へ、一直線に駆け抜けていった。
『こわいこわいこわいノブナガさんノブナガさん!』
 人間が心底恐怖する場面に直面してしまった際に、とる行動は決まっていると言う。動けなくなるか、笑い出すか、喋りがとまらなくなるか。個人によってそれなりに種類はあるが、の場合は硬直状態が解けると喚きだすタイプのようで、どーんとばかりにノブナガに体当たりを食らわせた。
 ノブナガも柔な男ではなく、片足でフィンクスを蹴りながらもをきちんと胸と腕で抱きとめ、小さな子供にするように後頭部を撫でてやる。可哀想にな、団長いきなり襲いだしたもんなと、慰めだか事実確認だか分からない台詞をの母国語で言いながら、恐怖の中でも離さなかった傘ごとを抱きしめる。
「……民族限定ロリコン再発ー」
「なんだそれ」
「実は今日、下見の打ち合わせしてた時にさ」
 いつの間にかノブナガの蹴りから逃げてきたフィンクスが、シャルナークの台詞に説明を求める。シャルナークは共有相手ができるとばかりに、本日の一部始終を嬉々として話し出す。その会話は他の人間に丸聞こえなのだが、シャルナークは頓着しない。むしろ自分に共感するならば大歓迎だと笑顔で話す。
 パクノダも同じく本日の一部始終を思い出すが、シャルナークとは違って気分が重くなってきた。こんな話をしていたときのノブナガの顔は、に見えないところで般若と化していたからだ。
 案の定、パクノダがノブナガの顔を眺めると、をしっかりと慰めながらも般若顔。視線で人が殺せるなら、シャルナークは今頃のた打ち回って血反吐のひとつでも吐いているだろう。どちらもと楽しく過ごしたいだけだろうに、変なところで意地を張るものだから面倒くさい。まだまだ二人とも子供ねとパクノダは肩から力を抜く。
 はまだノブナガに話し足りないのか、恐怖の混乱具合そのままに日本語で喚き続けている。
『ノブナガさん! クロロさんって普段からあんななんですか! 私の腰抜けるかと思ったんですが、あれが普通ですか!?』
『違う違う。多分あれはだ…………お前におれ達と違う扱いされて、拗ねてんだよ』
『私! クロロさんとは! 初対面です!』
『だから余計ショックだったんじゃねぇか? それが普通の対応だと思っていたってのに、おれ達との様子見てっと違ったからよ』
『意義ありです! 初めて会ったその日から、威圧感バリバリで微笑みながら話しかけられたらば、一般人は硬い対応をとるしかないと思います!』
『あー……、まぁな』
『ですよね!?』
「もしもーし」
 の不満はほんの数分でだいぶ溜まってしまったらしく、いつの間にか床に腰を下ろしているノブナガの膝の上に抱かれていることなど、まったくもって気づいていない様子でまくし立てている。
 一方、シャルナークとフィンクスの会話には、こっそりとフェイタンが混じっていた。
「じゃあ、ノブナガの奴一目惚れって訳か?」
「んー、そこまで言えるかどうかは分かんないけど、打ち合わせそっちのけでいつの間にか見つめてたね」
「ガチでロリコンだたか。今もあからさまにロリコンで、ちょと気持ち悪いね」
「おーい」
 おえっとばかりにフィンクスが吐くまねをして、フェイタンがそれを見て冷笑を浮かべる。シャルナークは笑ってはいるが、目は真剣そのものでノブナガとを見ていた。
「で、結局どういうわけなの?」
「わかんないよ、収拾がつかないんだもん」
「眠たいなら寝とけ。なんかあったら起こしてやるから」
「うん。じゃ、あとよろしく」
 シズクはフランクリンの膝の上にもたれ掛かって瞼を閉じ、コルトピとフランクリンが暇つぶしがてら他の騒いでるメンバーへと視線を戻す。ボノレノフはいつの間にか部屋から退出し、しばらくの間あてがわれる自室へと引っ込んでいた。
「……なんで誰もオレの話を聞かないんだと思う?」
「あー……。今は自分たちのことだけで、精一杯なんじゃねぇの?」
「そっか」
「まぁ、飲めよ。いい奴盗って来たから」
「ウボォーは優しいな。もらうよ」
「乾杯」
 そしていつの間にか団長のはずのクロロは部屋の隅でうずくまり、不憫に思ったウボォーの差し出した酒を開けて飲んでいた。面倒見のいいウボォーは、それこそ子守のような感覚でクロロの気を晴らそうとあれこれ話しかける。それに力の無い笑みを浮かべ、クロロはちょっとばかし自分の存在意義を内心問いかけていた。
 夜はまだ始まったばかりだが、幻影旅団が集まった目的が目的なだけに、少々打ち合わせ開始にしては遅い時間となっていった。
『あー、お前の言うとおりだ。団長が悪ぃ』
「ほらまたなんか言ってる。おれたちに分からない言葉で」
「なんであいつ、わざわざ民族言語使ってんだ?」
「気色悪いね」
「ウボォー、これくらいまとめ切れないオレが、このまま団長でいていいと思うか?」
「団長にしかできねぇ事だろ。おれはやれって言われても無理だな」
 男達の情けない声が響く中。パクノダがもう一度深い深いため息を吐き出した。
「馬鹿ばっかり」
 傍観者二人は、特に異議もなくその言葉に頷いた。
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小ネタ:クロロがを誘導している最中の旅団メンバー