Cafe'  SlowBeat




 

コラム

気がついたときに、思うことを記していきます。
                         2012年                     


2012/05/11 

昨日、ラジオの取材を受けました。大分県のFM局 「エフエム大分」 。先月末から始まった、ここ竹田市を紹介する一時間番組 「ラジオ ミュージアム たけた」 の取材です。
来週 5/16 (水)、15時からの番組でオンエアです。
TVは何回か経験しましたが、ラジオは初めて。

若い女性3名のリポータ、TVとは違っての軽装備、カメラの威圧 (?) もないので取材というよりは、若いお客さんたちとの楽しいカフェの会話、といった感じのひと時で終えました。

こういったメディアの取材、今の電送環境が整った現代に、雑誌も新聞もTVも、そして今回のラジオも、みな当店に手間暇とお金を掛けて取材に来られるのです。今の時代、「データ送って下さい」 で済ませられそうなのに・・・なぜなんでしょう ・・・


・・・フェイスブックなどSNSが流行ってます。その前はツイッタ―、その前はブログ・・・チャットもあったか。
ネットという電子媒介を使った日常会話的なものが、なぜこれほど流行っているのか。
これらの機器を使った情報の速報・拡散力の威力はちょっと前の北アフリカの革命などでもその力は証明済みですが、実際やってみると "電送のお友達世界 " が大数。

人が一杯いて会話が溢れていると思える都会でこれらSNS関連が流行り、こんな田舎ではまれ。
まあ、田舎では高齢者が多いので新しい機器が苦手という面もあるのでしょうが、でもちょっとヘンです。

都会では周りに人が一杯いるのに、仕事や形式的な会話ばかりで、実はみんな何気ない日常会話に飢えている ? すぐ目の前にいる同僚、すぐ横にいるご近所さん、とはリアルな会話が出来ない・・・? 大都会での孤独死はいまや茶飯事 ・・・田舎では見知らぬ人でも会えばまず挨拶です。

私にはこれら電送会話にはずっと何か違和感があり、良く理解できないのです。

お店ではそういった日常会話から始まり、込み入った話まで、「仕事」 ではないリアルな会話でお客さんとデイタイム接していて、そういった "リアルな会話" への枯渇感がない、から理解できないのかもしれません。お店が終わってからもネットでまたおしゃべりなんて、無理。 お店のあとは逆に、一人で過ごしたい、と思ってしまいます。
このコーナーも "ブログ "ではなく、勝手な 「コラム」 と名打ってます。


田舎に行きましょう。
そこには電送のバーチャルではなく、草木の匂い嗅ぐ、リアルなおしゃべりが一杯ありますよ、ちょっとうるさいほど。

そういった "リアル" な芳香を求めて、メディアの方たちはわざわざ現地に取材に来られるのかと思います。
"リアル" な音。 冷凍もののオーディオとはまた違った、生きた音楽、これもどうでしょう ?





2012/04/29

新宿ピットイン、から新たな新譜のデモCDが届きました。
ご縁が出来てからいつも発売前の音源を送って頂いているのですが、今回のこの辛島 "クインテット" の音は、
"みな、箸をとめて聞け !!! " 

5月25日CD発売です。

私はこのデモが届く最近、ベートーヴェンの交響曲七番 (クラシックです) 、のリスト・ピアノ編曲版に魅入られて没頭していました。
高倉健が鶴田浩二に 「分かりました」 と言って、たったそれだけで修羅の場に赴くような、リストのベートーヴェンに対する絶対的な敬愛、が、このピアノ編曲版に溢れているのです。楽譜を見てるだけでその敬愛の念が感じられ、任侠の思い、涙出ます。
リストの時代はCDもステレオもなく、交響曲なんて一握りの人しか聞けなかった時代、その時リストは、この素晴らしい自分の敬愛する音楽を人々に知らしめたい、と思ってピアへの全霊を向けて編曲を行った。
この曲はピアノ曲、えっ、違うんですか ? と思えるほどの満面全開のみごとな編曲 !!!

ベートーヴェンの七番は、若い頃から惹かれ、子供の頃の小遣いで買ったカラヤンとベルリンフィルのLPは今でも時々ターンテーブルで流します。


ジャズは、この " 編曲 " といったものと、全く同じもの。
原曲者への敬意と敬愛、がベース、の音楽。
今回の辛島さんのクインテットの新譜、この "敬愛" が溢れてます。

人というものは一人ではなく、心が思い、想いが馳せることのできる対象なら、古今東西の人、誰でも心に入る友人となれる。
万葉の個々の防人から始まり、式部、芭蕉、漱石、太宰、安吾、星、筒井・・・・
ダヴィンチ、モネ、マグリット、マチス、ピカソ、ダリ・・・ゴッホ、雪舟
バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、チャイコフスキー・・・から武満、モンク、マイルス、コルトレーン、キース。

素晴らしい友人は、歴史の中にも感性の中にも一杯出来ます。

・・・ 聞け ! 、この躍動の生命の音を !
( … といってもYouTubeではまだリンクできないようなので、CDで・・・買って文句は言わせません ! )

           





2012/04/20 

春になってきました。春は恵みの季節、都会生活では特に感じられなかったことですが、ここに来てその自然の恵みは鮮烈に感じます。至る所に花が一斉に咲き始め、鳥の音が周辺にこだまします。

店裏に自生しているワラビを取ってきて、それを冬に使った薪ストーブの残った灰でアクを抜き、マキ窯で焼いた近くの親しい作家さんの器に盛っていただく・・・

これぞ至福の贅沢の極み、と私なんかは思っちゃいます。

ノビルは味噌和え、タケノコは和風からパスタまで・・・周辺に生えてます。
これが、美味いのです。

先日スーパーで酒の肴にと安いベーコンを見つけ買いました。安かったが、ベーコンはソーセージなどと違って肉と香辛料だけのものだから・・・と思いきや、食べてみるとなんか変、そこで改めて材料表示を見ると、「水あめ、ブドウ糖、卵たん白、乳たん白、粉末油脂、大豆たん白、亜硝酸Na、コチール色素・・・」

なんで肉の塊のベーコンに卵、乳や大豆や油脂なんだ !? ・・・終わってます。

今の日本は政治から初まりニセ物だらけ。でもそれがはこびっているのは、ニセ物と分からない人が一杯いるから。 ニセモノでもいいんです、本物と同等かそれ以上のものなら、それは新たな価値創造です。
でも、明らかにまずい。

形や見た目だけはきれいだが、本物とは比べようもないほど劣る、そんな世間でもてはやされているお下劣な様々なものより、裏庭の片隅に生きているワラビの方がどれだけ美味いか。


             





2012/04/05

ドカ に乗って六年半と六万キロ弱が過ぎ、今も変わらず毎週乗っています。
今週は、18本目となるタイヤ交換に行ってきました。いまだ乗るたびに刺激されます。

このドカを買って、生まれて初めて思ったことが、「こんなバイク、それを造るメーカー、これは存続していてもらわなければ困る … そのために多少高いコストや維持費も、やぶさかではない、むしろ、積極的に払うことによって資金を提供しなければ・・・」

安ければよい、その中で出来るだけ良いものを、といったコストパフォーマンス重視のそれまでの消費者としての考えが崩れた瞬間でした。

なぜか ・・・

バイクなんてカブを除けば単なる趣味の遊び道具、無くて社会に困るものではない、と思われています。
音楽もそうでしょう、無くて困るものではない・・・

・・・ ドカも、そしてあのハーレーも、一時は自身で存続できず身売りされました。あのBMW伝統のフラットツインも廃止が決定され・・・売れないから、商業的に成り立たないから・・・

でもこの後何が起こったかというと、ファンが、世界中のファンが再起を呼び起こしたのです。
そのエールにより、ドカやハーレーは資本を取り戻し、BMWのフラットツインも新たな開発費を掛けてNewTwinとして復活、そこから、現在のドカやハーレーやBMWの躍進があります。みな、排ガスや騒音規制で日本メーカーが投げ出した旧式の空冷ツイン、がメイン。 世界をコストパフォーマンスで席巻してきた日本製バイクが低迷の現在とは逆、" 遊び " のファンのパワーによって高まった姿です。


音楽もバイクも、無くても生き死ににはあまり関係ないものでしょう。

だが、そうやってただ生きているだけの状況に対して、その意味を考えた時、思った時、 何のために生きているのか、何がよくて生きているのか ・・・ そういったことを考えざるを得ないほど脳内で追い込まれた時、この単なる娯楽と思われている多々なる物事、" 文化 "  ・・・バイク、音楽、絵画、写真、陶芸、文学、和紙、雑貨、衣服、アクセサリー … そして " 能 " などなど、 "芸術" なるものは、 生きるための何百倍もの勇気と意味を与えてくれるもの・・・・・そう思います。

こういった文化的なるものが、効率やら商業主義やらによって存続できずこの世から消え失せてしまったとしたら、どんな空虚な世界か ・・・ ミュージシャンたち含めた様々な文化人や良心的なメーカーの活力を、みんなで育てていかなければ、結局自分たちの喜び、即ち、生の活力は生まれない、そう思うのです。

当店原点を含め、本稿、先般のチェロの于波さんと中山さんの演奏 から、改めて啓発されたもの・・・


  





2012/03/11

今日はあの大震災から丸一年・・・
大惨事があったにも拘らずに変わらず訪れてくれる、新たな春 ・・・

この、新たな思い立つ時期 ・・・


ウチの娘の進路を気にして下さっているお客さん達が意外と多いと知って、遅ればせながらこの欄でご報告させて頂きます。

この一年、お隣の 「道の駅すごう」 で地元のおばちゃんたちと一緒に和気あいあいとアルバイトをしながら大学受験再チャレンジ、自分の希望した大学に今回は一発必中で合格し、以前からずっと想っていた思い出深い関西の地、その地の大学に行くことになりました。

私も、そして周りの先生たちも驚いたのですが、これまで彼女の命だった吹奏楽よりも、「心理学」を真剣に学びたいとのこと。吹奏楽部にも入るが、学業の妨げになるようであれば、その時は吹奏楽部を辞める・・・

私が音楽好きとはいえ、店の経済的な存亡と引き換えに大学で娘に遊びで音楽をやらせるだけなんてほどバカなことはない、と思っていた私には、心理学を学びたい、その中で社会的にも最有益な資格をも取得して・・・という熱意とリアルな考えは、良しとしたい。

ということで、ご心配いただいている娘も、まずは前向きな姿勢で関西へ旅立ちます。
この後どうなるかは・・・あとのお楽しみですかね。


              





2012/02/19

酒好きな私を憐れんでか、新鮮な刺身用の肉や魚を地元のお客さんから頂戴することが重なりました。
シマアジ ! シカ肉 ! 、そして先ほどは立派なクロ (メジナ) を食しました。

以前にもこの欄で何度か書きましたが、この地に来て、お金はないのに食の美味には事欠きません。ゴージャスな料理というのではなく、食材そのものが美味なのです。水から始まり、野菜や果実にしても米にしても魚や肉にしても・・・

シマアジ。これは超高級魚なので都会ではなかなか手が出ませんが、豊後水道の新鮮なものが、「えっ、もう店閉店してますよ…」「これ持って来たんだけど…」 (…おっ、生きのよさそうなドでかいアジ…) 「シマアジです…」・・・・・「えっ !?  いらっしゃいませ、お待ち致しておりました ! いつ何時でもOKです」 ・・・・美味。

シカ肉。これはこちらに来て生まれて初めて食したものですが、初めて食べた時は、これまで肉の刺身としては最高だと思っていた阿蘇の馬刺しよりも旨い ! でもさすがにこの地でもスーパーに売っているというものではなく野生のもの、これまで二三度しか食べていなかった ・・・今回久しぶりにお客さんから頂いて、やっぱり旨い ! 調べると栄養価もすごく優れており、寄生虫などの病原体も肉の中では最もクリーンな部類、で刺身が最高 ! 欧州では昔からジブエ料理の高級食材だとか・・・

クロ。一般にはメジナ、関西ではグレと言っていた海釣りの大関級。これも魚好きの親しいお客さんが、昨日豊後水道で釣れたデカイのを食べきれないからと半身をさばいて持って来てくれました。昨日あがったものなのにぷりぷりで旨味たっぷり・・・そうそう、天然のものは活け造りではなく、一日から二日置いてからの方が旨いというのを思い出した。


・・・ ここまで食べてきて思い当たったのですが、肉にしても魚にしても、生を洗練された料理として刺身で食べる文化は日本特有のものなのですが、これは "醤油" があってのものだと気づいたのです。そう思い当って試しに残っていたクロを何も付けずに食べるとまずくはないが味もほとんどない。次に塩、全然だめ。

醤油。大豆から作られるこの万能の調味料は、今では欧米でもソイソースとして定番になっているようですが、この魔法の知恵はすばらしい。ちなみに同類のタイやベトナムの魚醤油も、私は大好きです。


今回は食べるのに気を取られていて写真を撮るまで気が回らず、写真レスで失礼致します。


ホント、日本人に生まれて良かった。





2012/01/29 

う~ん、夏と冬は覚醒時と睡眠時か・・・夏は活動、冬はその脳内整理・・・今は冬、いろいろ浮かびます。

・・・音楽家にはイメージがある。モーツァルトやサッチモは天使、バッハやキースは天の声を伝える精巧知なる通訳、マイルスはドスを効かせた声で 「おいお前、忘れてんじゃないのか? 」、ベートーヴェンは汗を流して苦転じて万喜と成すたくましき炭鉱夫、コルトレーンは巡礼者にして殉教者、ショパンは内向宇宙を旅する旅人でありドゥビッシーは大自然の美を描く画家、そしてマーラーは・・・それら万象を知ってもがく 「人間」。
そんな私的イメージ・・・でも、そんな万象を感じられる我々人間というものは、素晴らしい。

そんな感性が高じてか、様々なものを知って楽しむに足らず、逆に全くたった一つのものからだけでも変化(へんげ) を生み出し、楽しむ。 生命の進化がそうであるように。

  

上のふたつは 「Speak Low」 という歌ものが原曲の同じ曲。(…最近ハマってます…)

ジャズの面白さ・・・でも、モーツァルトやベートーヴェンは当時、即興・変奏の達人だったそうだし、ショパンも決して二度と同じようには弾かなかったと言われます。そもそもバッハなんて、私にはリズムは別にして、ジャズとしか聞こえません。平均律を確立して自由になった転調を駆使し、天衣無縫に掛け巡る筆の運び・・・ 1000曲以上もの楽曲を書いたこの楽聖、多くを知るのみならず、一のものからも瞬時に多くを生み出す神の術を知っていたから、としか私には思えない。そんな、一つのものから瞬時に新たなものを生み出す彼らの末裔、ジャズメン・・・・

私には、音楽史の直系にして正道、そう見えるのです。

・・・「今朝、いい石鯛が釣れて・・・どうです ? 」
お任せしたらその場でデカイその一匹を捌いて、刺身に始まり塩焼き、唐揚げ、煮付け、お吸い物・・・
昔、技術者として四国の松山に行った時の小さな居酒屋、たった一匹のあの万化の旨さは忘れません。

あれがない、これがない、と言ってるうちは・・・・・まだまだか。
・・・・・産め !





2012/01/22

受験シーズン、ウチの娘も再チャレンジでぼそぼそやっているご様子・・・

年始のメールで昔の職場の親分から近況、退職して七十になる身、東証一部企業で技術顧問までやっていた理系一筋の技術畑が、今、日本古代の歴史に傾倒とのこと、頼もしからずや。

私は人生の中でたったの半年ですが、望む大学を目指して、"受験の勉強" というものを真剣にやりました。それは滑り止めで通っていた大学を辞め、退路を断っての自分ひとりだけの勉強でした。
神経の集中できる夜に起きて勉強し、昼間寝る、予備校は友達を作って遊ぶ温床だと経験済みだったため、自宅に籠り、当時あったラジオ講座と添削教材だけ、そう策し、それを実行しました。

そんな自分ひとりだけの勉強・・・でもここで、勉強、学ぶ、という楽しみを知りました。それはもう、受験とは関係のない世界まで芋づる式の知的好奇心・・・・・なんて頭のいい人がこの世には一杯いるのか !

    

小中高学校の教育とは、知識を詰め込むだけではなく、本来、" 学ぶことの楽しさ " を教うるべきものなのではないのか ? ・・・・・自身、学校教育の中でそれをあまり教われなかった経験からそう思います。
だって考えてみて下さい、学校で学んだそのあとには、その何倍もの時間が続きます。
そこからは人は一人で学んでいかなければならないのですが、その " 学ぶ " ということを、その楽しさを知っていて楽しみとするか、知らずに苦痛となるか ・・・・・何も学ばないという人もいるのかもしれません。
・・・ 学ぶことが楽しいと思えた方が楽しいのは明らかですし、楽しければ勝手に勉強します。人には本来そういった" 学ぶことが楽しい" という知的能力で他の生物とは異なったDNAが息付いてます。

数学が実生活では何の役にも立たない ? 数学はそんな処世術ではなく、論理的・合理的思考を鍛える最強力な道具・・・・・ 1 から 100 まで足すといくらになるか ? 順に足して・・・電卓があっても一回ミスがあればアウト。では発想を変えて両端から足してみる・・・1+100 は101、2+99 も101、を … !? 3+98 も101だし、となれば50+51 も101・・・ならば 101を 1 から 50 まで50 回足せばいい、即ち 101×50=5050 !
1 から1000 だって簡単、1001×500=500500 ! 暗算一回だけの計算で済みます、ミスはないし楽です。
数学とはこのように、いかに "楽" に真実に辿り着けるかということを "考えさせる" 術、この術を知らないと万事、" 時間が足りない、こんなの無理だ " ということになります。
" いや、何か方法はあるはずだ " ・・・ そう考える意欲を湧き立たせ、また、誰が思い付いたかいみじくも "らく" と "たのしい" は同じ文字、その "楽 " を実践するのが数学。

地理は ? いろんな情報を得るとき、地名、地形の知識があれば、その親近感は何倍にも膨れてゆきます。
・・・でも歴史は過去のことだし ? いやいや、小説を読むとき、TVドラマや映画を見るとき、この知識があれば楽しみは倍増、日本史のみならず世界史も知っていれば宗教的な物事含めこの世の理解は格段に深まり、さらには未来予測に対しての重要な糧ともなります ・・・・・生物や医学、 人や生物の体は天文学的な英知の結晶なのだと教えてくれますし、この世の極小から極大までを説明しようとする物理学なんて、それこそ知的享楽の宝庫です。

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このお店、塾の先生初め、文部科学関連の方や歴史資料館の元館長、小中高、大学校の先生や校長先生など、懇意にして頂いているお客さんいろいろいで、いまだ好奇うずく私にそれは有益な空間です。
私立の大学が昔から二三の教科だけで、最近では一芸だけでも入校出来るようなのですが、様々な分野の知識を知らない偏った頭で、さて将来、本人にも国的にも問題はないのか・・・昔から杞憂しています。

・・・老後、暇を余してぼやけていく方々を見る中、冒頭の親分のように、知的好奇心があれば時間はいくらあっても足りない・・・伊能忠敬なんて、隠居後に全国を足で測量し、日本初の細密地図を築き上げた・・・

いろんな分野の勉学、これ即ち、この世を楽しみ尽くすための娯楽の道具、老若係わりなし !

おベンキョウは、して損は絶対ないと断じれます。
宝くじなど買うより、よほど率はよし。






2012/01/10

2012年は、ヒマラヤから !

      

               

以前勤めていた企業、その大阪時代に、会社は違えど気合入った仕事を一緒にした、ちょっと年は離れているけど気の合った若い友人からの年始のメールでした。

" 誰かと思ったら・・・えっ! 会社辞めた? ネパール ? エベレストぉ~・・・?

顔や風貌が現地のネパールや山の男と全く違和感なく…あんた実はそこの住人か!"

てなほど驚きました。昨年秋に会社を辞めて、一ヶ月間ネパールに行っていたそうです。

それにしても山を登る趣味があるとは知らなかったけど、一気に私の最高所記録3776m ( …富士山です…) 抜かれました。富士山でさえ私は高山病にやられましたから、5500mとあった冒頭の写真にある高所では相当ひどいことになるんでしょう、二度も死にそうになったとありました。

なんて驚きながら彼のメールを見ている最中にお店にお客さん…

これがなんと、年末にネパールに二週間行ってきたといってお土産や写真を持って来てくれた、ちょっと遠方のまだ20代の若い女性の小学校の先生、「今こっちに帰ってきて、どっちが故郷か分からなくなってます…」

一ヶ月ほど前、カメラを買ったと言って「冬休みに念願のネパールに行ってきます」 「…えっ、ネパール、私もずっと行きたいと思っているところ、写真見せに来てね」 と言って送りだしたことを思い出した・・・

上のカレンダー、現地の手作り。 チャイ (ネパールのお茶) とともにお土産で頂きました。
日本の周りにあるものと何かが違う・・・この阿蘇くじゅうの山中のものとも何かが違う・・・・もっと根源的な澄んだ楽しさ ・・・
手作りというか素朴というか自然というか・・・街々にあるものと決定的に何かが違う感性で作られています。
それは畏怖を感じる山々の麓で暮らしている、謙虚さから出でる喜び、そして美、なのだと感じました。

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このお店では阿蘇くじゅうの山の話は日常でも、ネパール、ヒマラヤなんて話はほとんどない中、なんというこの一日の偶然なのか・・・

世の中、変なもんです。

変なもんなので、さて何がどう転ぶか分かりません。

脱サラしてこれから仲間とIT関連の仕事を始めるという冒頭の友人、まずは、自分の足で歩き始めた彼に "おめでとう ! "

ヒマラヤやネパールを年末に訪れたこの全く関係のない若い男女が共に同じことを言っていた事が印象的。
"貧しいけれど、手つかずの自然にものすごい感動 ! " そして "人がみんないい人 "
この二つだけで人は十分幸せになれる。食えればこれ以外に何が必要 ? 私にはあと音楽だけ。

ずっと昔から幸せになるためと称して世の個が求めるお金や地位・権力・富、そして利便性・・・そのために、自然を破壊し搾取し、人を妬み恨み憎み軽視し悪い人になる・・・・・まったくもって幸せというものに対して人は支離滅裂なことをやっているのではないのか、そんなことを思う ・・・


ヒマラヤの地、私にとってもずっと想う地。
ここ阿蘇くじゅうの地もヒマラヤと同様の自然の地、でもいつかの日か、私もヒマラヤの地を訪れてみたい。