映画『東京日和』補遺
その後に分かったことがらなど
@野菊の墓が、純愛のベースは確定
   全編に爛漫と咲き誇る”ひまわり”は、伊藤左千夫の”野菊”の置き換えとの推論を立てまし
   たがこれは確定しました。ビデオの外箱の裏側にその証拠が写されています。ルーペで見
   ると灰色の船の中に横たわる陽子さんの傍には,竜胆(りんどう)の花束が置かれています。
   民子を、主人公が”野菊のような人だ”と言うのに対し,民子は,主人公の政夫を”あなたは、
   竜胆の花のような人”と言います
A水の上に浮いた灰色の柩の構図は
   竹中監督の突拍子もない発想と記載しましたが、本来から荒木経惟氏の写真集にあるも
   のです。柳川への新婚旅行の写真集に,”死の船みたいな中に、胎児のような格好をして
   眠る陽子”との説明がある写真があります。陽子さんはこの写真が一番のお気に入りだっ
   たそうです
B柳川までの新婚旅行の経路
   映画の中では,東京から新幹線を利用し博多駅下車,そこから西鉄電車を利用するルートが
   使われています。実際,荒木経惟氏と陽子さんの新婚旅行は,1971(昭和46)年7月7日に間
   違いなく結婚式を行い、東京から新幹線で京都に1泊して,大阪港から関西汽船で大分県の
   別府に上陸、そこからどのような経路か不明ですが九州山地を横断し、西鉄大牟田駅から
   柳川に着いたということです。つまり映画とは,逆経路になります
Cドルメンのようなピアノ型の石は
   佐用姫伝説を,逆説的に,連想するものとも書きましたが,新婚旅行先の”御花”の庭での撮
   影に石で作られた椅子の上に横たわる陽子さんの写真があり,その影響もあるのではない
   だろうかという意見もあります(N.T氏説)
D中山美穂さんの主演理由に写真集の存在もあり
  
柳川は、イタリアの水都ヴェニスに例えられることは先にお話した通りです。中山美穂さん
   の写真集にヴェニスで撮影した”SCENA"が,1991年8月に
出てています。竹中監督は,この
   本により、何らかの示唆をえたものと思われます。撮影は,広瀬秀樹氏となっています

E東京駅構内で,第1回目のバイバイシーンの謎解き
   東京駅南口の郵便ポストの横で,陽子さんが,写真家に対し,寂しそうに手を振りました。その
   横の向かって左のフロア上に四角い印がちょっとだけ映ります(陽子さんがクローズアップ
   される前)これは大正時代、当時の首相の原敬が暗殺されたポイントの印しです。陽子さん
   には絶えず死の影が付きまとっていますので、あのポイントで手を振らせたのは、やはりそ
   の「死」のイメージがあるのかもしれません。 もちろん私の考えすぎで、単に川端康成の泊
   まった部屋辺りから見下ろした位置 というだけなのかも・・・。ただ撮影時に監督はあのポイ
   ントには気がついているはずです(N.T氏説)
 
F荒木経惟さんは,車掌役?

   出演者の紹介のページを参照すると,荒木経惟さんが,車掌役となっています。三浦友和さん
   は、社長でなく,社員のように記してあります。ほんとうの主役の写真家・荒木経惟さんが電
   車の車掌ではと思いまして、自分なりに駅長に見えましたから、そのまま代えずに鑑賞者の
   判断にお任せしています。三浦友和さんの社長役の説明も、同じく変えないでそのままにし
   ました

G陽子さんと編集の水谷さんが、同画面で出てこない理由は
   最初のパーティの時顔をあわせているのですが、画面では一緒に出てきません。 最後に猫
   を譲る時に会う約束でしたがこれも会えずじまい、結局その後あっていない事が島津との会
   話の中で強調されています。竹中監督はこの2人が会わない事になにか意味を持たせてい
   るようです(N.T氏説)
Hなぜ最後に写真家は涙ぐんだのでしょう
   今まで陽子さんの写真を見ていたのだから、急にその事を思い出したから泣いたではない
   思います(N.T氏説)、なぜ?その答えは?、最後までご覧いただいた方で色いろ考えてみる
   と面白いのかもしれません
人が、最愛の人を無くした悲しみをたとえるなら、どのように表現したらいいのでしょう。神様が、
この世にいるとするなら神の存在さえ否定し、運命の天使がいてそのいたずらというのなら、運命
の所業を呪い続けることでしょう
 私は子供時代に柳川で、戦争に行ったご主人の戦死の訃報が届いたあと、仏壇の後ろの隙間
にこもってしまって、出てこなくなった奥さんの話を両親から聞いたことがあります。その人は悲嘆
のあまり、ついには仏壇の中で死んでいた---ということでした。数10年が経過したいまでも、私の
心の中で、古い板塀に押し忘れさびてしまった画鋲のように、胸の片隅に刺さって時おり思い出さ
れてはちくりと痛むことがあります。愛する人を、なくす悲しみは、どんな言動をもってしてもそれを
いやし慰めることはできるものではありません
 人は誰しも1つくらいは、人に知られたくない心の苦しみや悲しみをもっていると思います。それが
何であれ、心の内に秘めている方は多いのでないでしょうか、ときに心の開放により精神のやすら
ぎを得ることができることもあります。この映画の写真家とは、もちろん荒木経惟(アラーキー)さん
のことです。あの写真に対するエネルギッシュで、激烈で,パワフルな行動はどこから出てくるのか,
この映画で少しだけわかったような気もしてきます



御成道れんが塀

dさぼうる

東京ステーションホテル

oooo銀座和光


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お知らせ;東京の「東京日和」写真は、千葉県のN.Tさんからお送りいただいたものです
なお、”さぼうる”にふれるとヨーコさんと写真家が新幹線から降りたであろう博多駅がでてきます