映画『東京日和』に関する深読みと疑問 | ||||||
ストリーに関するもの @陽子さんは、なぜ柳川に行きたくないと言ったんでしょう、途中下車した駅はどこでしょう あんなに柳川行きを、待ち遠しく楽しみにしていた陽子さん---,西鉄福岡駅に着くと、駅頭で 突然言い出します。「私、柳川に行きたくない」と--- 東京から新幹線で柳川に行くには、JR博多駅で下車し西鉄電車の福岡駅から行くのがルー トとしては一番正確な近道です。せっかく西鉄福岡駅まで来て、渋りましたね。また、陽子さん のわがままが始まったのかなという印象です。日付けの問題なんですね。その日が6日、7日 が来ると七夕様は離別が来ることがわかっていますから暗に分かれたくないことを表現した のですね、ぐずる陽子さんをやさしいパパさんはわざわざJRの在来線に乗り換えて、「きうら ぎえき」という田舎の駅まで遠回りの下車をします。「きうらぎえき」は,佐賀県唐津市の近くの 木厳(きうらぎ)町にあり,松浦佐用姫の伝説の残る土地です ---古代の昔(大体紀元537年頃)、朝廷の命で朝鮮出兵の折,とある名のある武将がこの松 浦の地で出奔の船待ちの間,土地の長者の娘「佐用姫」と恋に落ちます。出帆の時が来て離 別の悲しみに耐えかねた佐用姫は山に駆け登り、船にむかって羽衣の着物のそでを打振り ました。それでも名残はつきず、佐用姫は山から飛び降り,近くの島まで追いすがりましたが 船の姿を見つけることはできず悲しみのあまり七日七晩泣き続け,ついに”石”になってしまっ たというものです 写真家と陽子さんの話を、この悲恋物語の伝説に掛けたのですね。駅には陽子さんの大好き なひまわりの花が咲き乱れていました。この時も、陽子さんはちょっと行方がわからなくなり心 配を掛けます。再度ラストシーンで洋服のすそを風になびかせながら、野草とジュースの缶を 2本握りしめて写真家の待つ列車に走り寄ってくる感動的な場面も,この「きうらぎえき」でした A男の子はどうして陽子さんを”おばあちゃん”と呼んだんでしょう まだ若い陽子さんを、自閉症気味の男の子はしきりにおばあちゃんと呼びました。子供の本 当のおばあちゃんが出てきても陽子さんになついてしまった男の子は、こっちがおばあちゃん だと言います。全く陽子さんには迷惑な話です。純粋な気持ちを持つ子供にはわかっていた のです。近い将来死んでしまう陽子さんはもう先の時間が無い人、老人=おばあちゃんと子 供の目には見えていたのでしょう 男の子が陽子さんのために置いていったうさぎの縫ぐるみ人形、子供が大好きだったのにか かわらずベランダから陽子さんは、ぽい!と捨ててしまいました。この表現も,最初はなかなか 理解困難です。けれど人形=子供ということで、子供ができない体になっている陽子さんには もう、自分には子供なんかいらないという、表現行為をしているんですね。同じく男の子を夜分 連れ出し、女の子のドレスを着せて勉強するシーンも、本当は男の子より女の子ができること を望んでいた、またこんな風に子供と接していたいんだが、かなわない願いということをきっと 現わしているのでしょう。子供の名前は、てつお君といいましたが名前の由来は不明です Bカンカラカンタロウは、何のために出てきたのでしょうか 空き缶のカンタロウが、最初に出てきたのは電車の中でしたね。ころころ転がって、陽子さん の靴の下にぎゅっと押さえつけられました。当時それ程売れていなかった写真家は、陽子さ んに養われているような状態だったのですね。それで靴の下に押さえつけられているというこ となんでしょう。また写真家が、カンタロウを扱いながら自問自答のように言っている言葉を聞 いていると自然に分ってきます。缶蹴りをしながら、”何だか,他人だと思えなくなってきた”= 他人だと思えないなら自分ですね。陽子さんが手に取りながら”なにか言いたそうよ”=”陽子 〜、ぼくを置いて行かないでくれよ”えーぃ、ほかで自分なりの幸せを見つけてくれ”といって 缶は遠くに放り投げられました 足でけられて、踏みつけられ、階段を転がり落ちたり、あげ句の果てに捨てられたりと写真家 =すべからく人間の生き様の変転を象徴しているのかもしれません Cピアノの形をしたドルメンのような石の由来がいまいち… 後半の佐用姫伝説を、逆説的に連想させるものようですね。雨降りの中で二人が仲良くピアノ の上で踊る前半の感動的なシーンです。でも、よく見ると指揮しているのは陽子さん、ピアノを 弾いているのは写真家---ピアノの曲は,陽子さんのレコードから、モーツァルトの ピアノ・ソナ タ 第11イ長調 K.331『トルコ行進曲』 ゴロ石でさえピアノにしまうという、二人の鋭い感性の表現なのでしょう D柳川を題材にした前作O監督の”廃市”との関連は、考えられますか これって監督にとっては癇に障るテーマだと今まで思っていました。比較論ですね。昨(2004) 年の暮れのことです。たまたま見ていたテレビに、映画マトリックスの日本原案作者の某監督 が出演した対談が放映されていました。その中で映画というものはオマージュとか類似とか 言われると、作者にとって愉快なものではないけど、映画作品というものは、基本的に”引用” されてしかるべきよい作品が完成される---うんぬんと言ったことを語っていました、それから はこちらもそれほど気しないで書けるようになりました。 「東京日和」は、「廃市」の影響下のもとに、製作されたと判断して何の異論の余地もありませ ん。白秋の”思ひ出”の中に出てくる一節を、どちらの映画も主題的に重きをおいていることで す。「−−−さながら水に浮いた灰色の柩である」は、廃市の中では冒頭の文字スクロールに 重要事項として表現され、映像としては夜闇の暗がりの中に本当の死体となって運ばれて、 短時間の気がつかないくらいです。東京日和では、柳川での撮影の中心的影像美として表現 されておりそのことを知らない人にとっては、あれは一体何なのだろうと言う思わせぶりに具 象化されている違いこそありますが、ともに2作品の共通のテーマになっています 2極対立の構図は、どのように表現されているのでしょう。これが気になったのは、柳川の御 花で騎士の鎧が、カンカラカンタロウのお父さんかもしれない…といった時ちょっとだけ気にか かりました。缶と鎧の関係が父と子とは?その意味はしばらく解決しませんでした。次に,陽子 さんが92歳のおばあさんと写った、並列写真です。あの年老いたおばあさんは、一体何のた めに突然出てくるのか不明でした。陽子さんの単なる若い人と老人、え、陽子さんは実際はこ の世の人ではありません。対立しません。ある時はっと気がつきました。老婆は、男の子の対 比だったのです。こう考えてくると次々に、浮かんできます。太った猫は?、映画には犬は出 てきません。対比は貰われてきた子猫なんですね。生きている花と枯れた花とか見つけるに 労はありません。けれど、この2つの映画の対立の構図は、廃市の暗に対する東京日和のど こまでも明という竹中監督の思い入れが、東京日和にはあるように思われます 電車の使用も、しかりです 付け加えると、柳川は、死をイメージするには小京都といわれるくらい、お寺とお墓の多い町 です。先の廃市では、かなりの部分で適用されていますが、東京日和では、一ヵ所にそれも 小さく出るだけで全くといってよいほど出てこないのは竹中監督のこうした部分にも意識があ ったのだと類推され、好感が持てるところです Eヒットラーのような演劇家は、一体何なのでしょう パンフレットを見ると、”生きるべきか、死ぬべきか”と記してありました。読み替えると”生きてい るのか、死んでいるのか?”とも聞こえるようです。違うのかな…、なお、演劇内容は、NET検 索で、たくさん出てきます。待ち時間の行列を見ていると、写真家のその頃の実態がつかめま す。やっと名前が知れ渡ってきた頃で、本にサインをねだる女性も出てきました。陽子さんも、 握手をしますね。写真家は、左手でサインを書きましたから,左ぎっちょということもわかります 出演者に関するもの @中山美穂さんが、陽子さん役として早めに決まっていたそうですが… この理由は、男性にはなかなか理解困難なようです。実は女性の目から見るとすぐに分るよ うです。猫顔なんだそうです。これは,家内から教えてもらいました。単に美形で女優顔という のでなく猫が大好きだった陽子さんと写真家にとって、猫は欠かせない動物というわけです。 映画の冒頭でも、ラストシーンでも猫は出演していました。 また、猫だましとも言うくらいですから、東京日和の猫には、この言葉の掛け言葉もあるのか もしれません A御花の女将に、藤村志保さんが特別出演した理由は? 見れば、見るほどそっくりですね、本人と B病気大丈夫ですよ、といってけつまずいた女医さんの石川真希さん 耳の中に蚊が飛んでるような音がするからと,耳鼻科に診断に行ったら,先生から目の病気の 飛蚊症(ひぶんしょう)と思われる---,よろしければ眼科を紹介しましょう。耳鳴りが蚊の羽音 に聞こえるんでしょうと言われました。陽子さんの病気の先行きを暗示する誤診 (耳鼻科の専門医に、この件を尋ねましたら耳鼻科の耳鳴りは、耳鳴症(じめいしょう)というそうです。まず飛蚊 症との間違いはありませんとのことでした。先生方の名誉のために,あくまでストーリー上の話とご理解ください) 映像に関するもの @写真家が住むアパートの横をモスグリーンの電車がいつも通っていましたが 世田谷線の事なのでしょうね。このモスグリーンの車体の色は1999年で使用は終わってしま いました。今はシルバーが基調の現代的な車両になっています。「東京日和」は放映開始が 1997年ですから、レトロ色彩の懐かしい色の車両は、近い将来廃止が判っていた?と思われ ますから、そのこともあって画面に利用された節があります? A東京駅の構内で仲良く食事をしましたが 東京ステーションホテルです。高級ホテルですから、撮影がなかなか困難な場所と聞いてい ます。窓から青の京浜東北の車輌が走っているのがみえます。その時東京駅ホームがちらっ と写り、そこでホームに停車している黄緑のラインが入っている車両が山手線です。こんなに 多くの電車が登場しているのですね 。 Bピクニックに行った場所は、どこなのでしょうか 稲城市の坂浜至近にある公園とのことです C青年が、「運命」を、読んでいたあのベンチは 東京都千代田区大手町にある常盤橋公園です。日本橋の側にあります。あのベンチは映画 撮影用に持ち込んだもので、元もとは無かったそうです。最近撮影の写真を見るとベンチが 映画と同じように置いてある風景も見かけました。 写真家が、陽子さんと話す青年に嫉妬して石垣の上から,遊体が離脱したように見下ろす石 積は江戸城を守るための城門のなごりだそうです C柳川で、行方不明になった洋子さんを追いかけるシーンの赤いバスは 堀川バスですね。いかにも柳川らしい堀と川のバス… また、陽子さんを探すために彷徨った林間は、御花の川向こうの対岸あたりですが、実際は 別の場所で撮影されたかもしれません 映画に関する余談 @8年目になぜ行かなければいけなかったんでしょう、7年目がいいような気がしますが そうです、私も考えました。7年なら777の、7の3並びでこのほうがーーー?、でもこれは不幸 な話ですからね。8の文字を横にすると、”∞”無限マーク。永遠の愛ということ・・・? でも、これは一人勝手な想像で、こればかりは監督に聞いてみないと分りません A打ち合わせ会のあと、みんなを見送った側の家の外灯が猫のように見えましたが みえました、確かに、監督のいたずらの世界なんでしょう B陽子さんは、表情が無いように思えますが だって仕方ありません、本当はこの世の人でないのですから、”私をそんなに見つめないで”と 言いながら、すーっと立っていったシーン、その後に全身を上から下まで写した姿がありまし た。あれって,足のあるO霊という表現だったと理解しましたが…、中山美穂さんのキャラクター がそうしているのでなく、演技上なんですね C散髪屋さんが言った”どこにゆきなはったとじゃろか、ごんしゃんは〜〜?”の翻訳は ”どこにゆかれたのでしょうね、おじょうさんは”でしょうか、ゆきなはった=尊敬語的意味合い が含まれます、お客さんのお嬢さんと思ったのですね、ごんしゃん=おじょうさんは、白秋の思 ひ出に使われる言葉です。明治時代には使用していたのでしょう、戦後には廃語でした。うち の明治生まれの祖母に聞いたこともありますが、先ず使わなかったそうです。柳川の城うちと いう地域の、武家言葉かもしれません。なお、正確には陽子さんは結婚していますから”ごん しゃん”でなく”ごりょんさん”=奥さんというのが正しいのです。年が離れていた写真家のお 嬢さんに見えたということでしょう D今の世の中に純愛などあるとは考えられません 映画全体をおおうひまわりの花は、何を意味しているのでしょう。単純に考えると、二人が好 きな花で影像を明るくするため---、竹中監督がそれだけのためにひまわりをあれだけたくさ ん使用するんでしょうかね?それは、この映画の中の根底の深層に流れている夫婦の純愛 が,どこからたどり着いたものでしょう。日本人の特定年代の人たちがこよなく愛した文学上の 思い出がこの作品の中にあるようです。陽子さんが,船の中に死んだように眠る傍らに置かれ た野草の花束の中に黒いつぼみのような花があるのに気がついたとき、ぴーんときました。 あれは,”竜胆(りんどう)”の花ではないかと…、としたらひまわりは野菊の置き換え!写真家 は政夫さんの生まれ変わり、伊藤左千夫著「野菊の墓」の結末には、こう記してあります,”民 子の墓の周囲には野菊がいちめんに植えられた…、幽明はるけく隔つとも、僕の心は民子の 上を去らぬ…”、それでは陽子さんは高村光太郎の「智恵子抄」、だったら、この映画に三浦 友和さんが、とぼけた旅行会社の社長で出てくるのもうなずけます。友和さんは、谷崎の「春 琴抄」の使用前、使用後の姿ではないかと,竹中監督の,脳細胞の中にはこの3作品がからみ あい、ブレンドされて芳醇な香りの『東京日和』になったと…? 純愛など現代にありはしないとお考えの方も、今はあるかもしれません。純愛とは、無償の愛 とは違います。無私の愛であり、SOOを伴わない純粋愛です。映画では、純白のシーツの布 団や障子に手をかける連想シーンこそありますが、夫婦なのに夫婦でなくなってしまっている のは、その理由もあるのでしょう。 そんな愛に、私たちは本を開くたびに夢をみて空想をふくらまし、映画を見ては,穢れ無い涙を 流すのですね。今だって”セカチュウ”や韓流映画に,熱くなる気持ちは現代も過去も消えるこ との無い永遠のテーマとして存在してゆくものなのでしょう〜〜 (長くなりましたので、概意です。無私の愛も本来的には不特定多数に対する愛が正しいでしょう) E映画の全体的に白っぽく感じましたが、そうありませんでしたか 3番の疑問と同じように、確かに全体的に白っぽく感じます。そう処理がしてあるものと思わ れます。夢と幻の演出効果なのでしょうか F映画の中には、白秋の「思ひ出」も虹の橋も出てきませんが そうですか、それは私の錯覚だったのでしょう、私には、あったように記憶していましたが G作品の重要部分を理解するとは、どういうことなんでしょう カラーは,生であり、モノクロは死….同じ被写体に、生と死の2つがあるということでは、ない かと思います--- H”日和”の意味って、知ってますよね ”ひより”は、もともと天候の具合を指すようです。特に晴天の日のこと、という事で,”東京の晴 天の日”ということになります。また、ことのなりゆきとか形勢という意味もあるとか、”ひわ” =秘話、まさかそこまでは、ね--- |
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お断り;ビデオと写真集・中山美穂in映画「東京日和」を底本として執筆いたしました また、映画の中には、荒木経惟氏の好む路地や夕焼け等の天空風景の撮影も各所 に使用されていますが,すべての解明には至りませんでした Q&Aの東京での影像に関しては,千葉県のKankaraさんの,助言を得たものもあります |