2・見知らぬ表情




例えば、「桜ヶ崎の峰不二子」な立佳だとか。

「立てば芍薬、座れば牡丹、喋る言葉はトリカブト」な美央美だとか。

「天然恋愛撃墜王」な沙夜ちゃんだとか。

もし私が彼女達みたいな美少女だったら、コイツ相手にこんなに悩んだり、イライラしたりしないで、もっと鷹揚に構えていられるんだろうけど。

だけど実際の私は全てにおいて人並み、もしくは人並みよりちょっと下という有様で、内面的にも外面的にも誇れるものなんて何一つ無くて。

だから、なんだと思う。

「そういえばさ。高山千夏ってお前のクラスだったよな」

その一言に胸の奥がざわついたのは。

そしてこの一言さえなければ、きっとあんな事にはならなかったと思うのだ。

 


「そういえばさ。高山千夏ってお前のクラスだったよな」

口を開かず、私にのみ浮かべられる人を小馬鹿にした笑みさえなければ、こいつの顔はそこそこ見られるレベルで。こいつの標準よりちょっと上の見た目と運動神経、そしてずばぬけた成績と上手な猫の被り方に、黄色い声を上げる女の子は少なくない。

実際コイツのこれまでの交際歴は、私が知る限り全員女の子からの告白だったはずで、高山千夏ちゃん(通称ちーちゃん)も、そんな女の子の一人だということは前から薄々気付いてはいたのだ。

一部の男子達に言わせると、私達の学年は『当り年』なんだとか。

最初にそれを聞いた時「何のこっちゃ」と思い、理由を聞いて呆れながらも思わず納得してしまった。

要するに、美人な子・可愛い子が多いって事。

そして彼女高山千夏ちゃんは、色々な意味で有名な二人の美人さんの存在とおとなしい性格もあって、ウチのクラスではそんなに目立たないけど、それでも間違いなく可愛い子の一人に数えられる子だ。

恭一の好みという点に関してのみ言えば、見た目はかなりレベルの高いうちのクラスでも、おそらく一・二を争うぐらい。

「なに? 恭一。今度はちーちゃんを毒牙にかけるの?」

丁度恭一から出された問題を解き終えた私は、ズイとノートを奴の前に差し出しつつ睨みつける。そんな私の態度が可笑しいのか、目の前の男は喉で小さく笑った。

ホント、コイツは私に対して態度が悪い・・・のだけど。

「毒牙って・・・お前、人を何だと思ってるの?」

メガネの奥で目を細めつつノートの上に視線を滑らせ、すばやく私の回答を赤色のペンでチェックするその姿に。

憎たらしいけど、思わず格好良いと思ってしまう。

「何って・・・節操無しのケダモノ」

もしコイツがちーちゃんと付き合い始めても、半年もたないだろうって事はコイツのこれまでの女性遍歴から容易に想像できる。

それがわかっているからこそ、コイツの血縁として、ちーちゃんの友人として、恭一の暴挙を止めなくてはいけない。

そんな半分建前な心持ちで、自分を納得させようとはしたけど。だけど半分とはいえ建前はあくまでも建前でしかなくて。納得するどころか、胸の奥のざわつきが大きくなるのを自覚する。

「言っておくけど、ちーちゃんを傷つけたら私本気で怒るからね」

恭一を挟んでの複雑な感情はあるけど、私はちーちゃんが泣いてる姿を想像したくない。

ちーちゃんは本当に良い子だ。大人しすぎるところはあるけど、でも優しくて温かい子。

こんな事があった。

中学時代の友人との買い物帰り。喫茶店でお茶とケーキを前に他愛ないお喋りをしていた時だ。

窓際に座っていた私の視界の端に、見た事があるような顔が映った気がして外を注視すれば、お店から少し離れたところに泣いている女の子と、女の子に視線を合わせるようにしゃがみ込んでるちーちゃんがいて。

さすがに話している内容なんかはわからなかったけど、戸惑いや思案、そういったものが見え隠れする彼女の表情から、恐らく女の子は迷子なのだろうと察することが出来た。

そして手伝うべきか、手伝わざるべきか。私がそんな事を悩んでいるうちに、彼女は女の子の手を引いて視界から消えてしまった。

言ってしまえば、ただそれだけの事なんだけど。でもその直前、彼女が浮かべた笑顔。

おそらく女の子を安心させるために浮かべただろうその笑顔は、別に綺麗とかそういう特別なものではなかったけれど、私の中に焼きついて今でも離れない。

それはきっと、ただ女の子を安心させるためだけの作ったものではなくて、心からその子を安心させたかったから。

そんな事があってからだ。それまで、ただ大人しく可愛い子としか見ていなかったちーちゃんを見直したのは。

「あの子は本当に優しい良い子なんだから。あんたが今までみたいに遊びで恋愛ゴッコやっていい子じゃないんだから」

こいつの本性を知ってる私や、いかにも遊び慣れてます的なこいつの元カノ達はいい。私や彼女達はいってしまえば自業自得だ。

だけどちーちゃんはきっと、こいつの猫を被った外面を疑うことなく本気で好きなんだ。

でも、だからこそ。ちーちゃんの事は好きだけど、だからこそ「女」と言う警報が私の中に鳴り響く。

彼女を、恭一に近づけては駄目だと。

「大体恭一は・・・」

「あのさぁ・・・何で小雪にそこまで言われなくちゃいけないんだ?」

色々な意味で彼女を恭一に近づけては駄目だと、そんな思いに駆られて口を開いた私の言葉を、それまで黙って私のノートをチェックしていた恭一が、堪りかねたのか遮った。

「俺が高山千夏からコクられた。それだけの事に、小雪が介在する余地があるのか?」

「ちーちゃんは友達だもの」

「お前、馬鹿だろ」

私の言葉に恭一は口の端を少し吊り上げ、酷薄な笑みを浮かべる。

恭一は普段から私に対してのみ態度が悪いけど、それは私をからかって遊んでるだけだってことを私は知っている。恭一がどんなに冷たい表情を浮かべようと、その目の奥が笑っているからこそ、私は腹を立てながら安心していられたのだ。

だけど今の恭一は目が全然笑っていなくて。こんな恭一を見るのは初めてだった。

薄ら寒さを感じて思わず恭一から視線を外し、俯いた私に恭一は言葉を続ける。

「そうだな、例え話をしよう・・・お前が裕紀に告白したとする。で、佐藤と宮野が裕紀にこう言うんだ。小雪はいい子だから、あんたは付きあうべきじゃない。・・・さぁ、お前はどう思う? 沙夜ちゃんと美央美は友達だから、私の為を思って宮野君にそう言ってくれたんだわ。なんて思えるほど、お前はおめでたい人間なのか?」

「・・・」

恭一の言葉に反論できなくて。ただ俯いて黙り込む私に恭一は大きなため息を付いた。

「とりあえず今日のノルマは終了。注意するところを下に書いてるから、あとでノート見直しとけよ・・・じゃーな」

普段なら私の部屋で二・三十分程ダラダラしていく恭一が、そう言ってさっさと帰り支度を済ませ部屋を出て行く背中を、私は見送る事すら出来なかった。

 


***

「ああ、千夏の件か。・・・で、恭一に完膚なきまで叩きのめされた悔しさと、自分自身の答えに迷ってイライラしてるんだ・・・本当に小雪って可愛い」

「・・・」

私が昨日の恭一とのやり取りを話し終えると、美央美は気味が悪いくらい満面の笑みを浮かべていた。

私は千夏ちゃんの事とか、都合の悪い事は出来るだけはぐらかした筈なのに、彼女は立佳あたりから仕入れたであろう自身が持つ情報と、私の話をつなぎ合わせ、九割方を理解してしまったらしい。

だから彼女には話したくなかったのに。

「沙夜子や二葉あたりはまた違うんだろうけど、私は今回に限っては恭一に賛成かな。昔から言うじゃない『人の恋路を邪魔する奴は』って。それに千夏は小雪が心配しなきゃいけないほど、弱くはないよ。・・・確かに、裕紀を前にした時の千夏の怯えっぷりは本物の草食小動物みたいで、食べちゃいたいくらい可愛いけどね」

言葉の後半、膝を叩きながら大笑いする美央美を呆れながら見遣る。

間違いなく校内指折りの美少女である彼女に荊姫の一件以来、水野君以外の男子が近づこうとしないのは、彼女のこういう言動も理由の一つなんだと思う。

「まぁ、あまり気にする事はないと思うよ。それだけ小雪が千夏のことを心配するのは、千夏のとこを好きだからでしょ? 恭一だってそれはわかってるだろうし」

それはわかってる。恭一とは生まれた時からの付き合いだから。

でもね、美央美。そうじゃないの。

私が何に一番苛立ちを覚えているのかといえば、あの時恭一が浮かべた冷たい笑みだ。

あんな表情を浮かべる恭一なんて見たことなかった。恭一があんな表情をするなんて思ってもいなかった。

そして何より。

恭一があんな表情を私に向けたと言うのが、一番ショックだったのだ。

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