1・だって嫌でしょ? そんな関係。




「こーゆーき」

先生から預かった、自習用のプリントを持って廊下を歩いていた私の後ろから突然抱き付いてきたのは、周囲から荊姫などと呼ばれる友人だった。

昨夜からイライラしていた私は、そんな彼女を無視してズルズルと引きずって歩く。

この子より背の低い私がこんなこと出来るのも、彼女が細くて軽いからなんだけど、ただでさえ目立つこの子を引きずってるなんて、私が馬鹿力に見えるだけなんじゃないかと思い直し、実際すれ違う数人の生徒達が奇異の目で私達を眺めているのを確認し、数歩歩いてから立ち止まって、仕方なく先ほどから耳元で幾度となく続けられている「こ・ゆ・き」という呼びかけに応えた。

「美央美、鬱陶しいから離れてよ。・・・もぅ、一体何なの?」

「いや。沙夜子がさ、小雪の様子がおかしいって言うから様子を見にね」

『様子を見に』じゃなくて『からかいに』の間違いなんじゃないの? と心の中で悪態をつきながら、大きくため息をつく。

「ん? 何かな何かな、その態度は。心配してる友人に対する態度ですか? それは」

心配なんてこれっぽっちもしてないくせに。逆に楽しんでるくせに、よくもそんな事が言えたもんだと妙な部分に感心する。

そんな私の考えを察したのか、彼女は私から離れて前に回りこむと、ジッと私の顔を覗き込んで小さく息を吐いた。ロングでサラサラストレートな黒髪になっがい睫に縁取られた真っ黒お目目な純和風美少女が、小さなため息をつくなんて、一見そんな悩ましげな仕草をするのはとっても絵になるのだけど、如何せん彼女の場合、その後がいけない。

「・・・何? もしかしてアノ日?」

その愛らしい桃色の唇から漏れたのは、そんなセクハラまがいの言葉で。

いくら女同士とはいえ美央美のデリカシーのない言葉に再びため息をついて、彼女を無視して再び私は歩き出す。そんなに重たいものじゃないとはいえ、いい加減この自習用のプリントとお別れしたいというのもあったから。

「小雪といい、恭一といいイライラしちゃってさ。どうせつまらない事で喧嘩したんでしょ」

えぇ、そうですよ。

私の隣を並んで歩きながら図星をつく彼女の言葉に心の中で答えながら、自分が当たりを引いたのがわかってるのか、顔を背けた私にも彼女の肩が微かの震えているのが雰囲気でわかる。

ホントいい性格してる。

そんな言葉を喉元でグッと押し込む。なぜならそれを言って今私が感の良い彼女の存在を疎ましく思ってると知れてしまえば、自分が楽しければそれでいいとか、他人の不幸は蜜の味だとか、対岸の火事は美しいなんて言葉を平然と有言実行する傍迷惑な性格の彼女を、喜ばせるだけだから。

「まぁ、恭一が悪いんだろうけどさ。でも小雪も可愛い甥っ子の悪戯くらい、笑って許してあげれば良いのに」

そう、感付かれてしまえばこんなふうに、彼女は私にとっての禁句を嬉々として口にするのだ。

「・・・ホントいい性格してるよね、美央美って」

「お褒めの言葉有難う。小雪は素直でわかりやすくて、可愛いよね」

褒めてないし、褒められてないし。

ホント、何で平凡でこれといって何の取り柄もない私の周りに、こんな厄介な人間ばかり集まったんだろうって、いつも思う。私自身は目立たず大人しく、平々凡々な日々を送りたいと言うのに。

そんな事を考えていたら、その厄介な人々を私の側に呼び込んで、さらに今も時折厄介ごとを持ち込んでくる男の顔が頭に浮かんで、またイライラが募ってきた。

再び眉間にシワを刻み込んだ私の表情に気付いた美央美が、今度はちょっとまじめな顔で大きなため息をつく。

「何をそんなにイライラしてるのか、お姉さんに話してみ」

普段だったら、どんなに真面目な顔をしていようと、彼女に相談事なんて絶対しないのだけど。

でも昨夜の事はさすがにちょっと凹まされて、だから誰かに聞いてもらいたいって、無意識に思っていたのかもしれない。気が付いたらポロリと口に出していた。

「あのさ・・・」

 


***

「ハイ、そこ違う」

そんな声と一緒に頭のてっぺんに軽い衝撃と、ポコンと軽い鈍い音。

顰め面でそれまで必死になって格闘していたノートから顔を上げると、正面に座っていた男は、右手に三十分ほど前まで私が読んでいた雑誌を丸めて、呆れ顔で大きなため息をついた。

「ソコ、使う公式が違ってます。もっと問題をよく読んでください。ココで使うのはこちらでしょ?」

その男は物凄い棒読みで、物凄く見下した表情で、挙句「こっちでしょ。こ・っ・ち」って、丸めた雑誌で教科書の一部を指すなんて横柄な態度をとる。

・・・ムカツク。ホント、ムカツク。

こいつの言う事やる事腹が立つことが多いんだけど、ここまで腹が立ったのも久しぶりだ。

それに確か

「恭一。教えてくれるのは有難いけど、もうちょっと丁寧に教えてくれない?」

この時間に関して言えば、こいつは母さんから小遣いと言う名のバイト代をもらってるはずで、バイトの家庭教師ならそれらしく、もっと丁寧に教えてくれてもいいと思う。

そんな私の考えを察してか、正面の男は人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ肩を竦めた。

「あなたがあまりにも物覚えが悪いので、どう教えていいのかわからないんですよ」

なんだかその言い方だと私がものすごく馬鹿みたいじゃない。そう言いたくなったけど、実際目の前の男からしてみれば、きっと私はものすごい馬鹿なのだろう。

一言で言うなら長閑。それがウチの学校の特徴だ。

ランクとしては中の上、受験にそれほど力を入れてるわけでもなく。スポーツも強くもなければ弱くもない。隠れてタバコを吸うようなのは居ても、自分が馬鹿を見るだけだってわかってるから、それ以上の事を仕出かすようなやつも居ない。自主性を重んじるという教育方針で、私服登校さえもOK。校則なんてあってなきが如し。教師も生徒ものんびりしていて、至って平和。

そんな暢気な校風だけが特徴のこの学校に、何故コイツが来たのか。学校の七不思議に数えられるくらい、目の前の男は頭がいい。

比べて私の成績は、そんな暢気な校風だけが特徴の学校で、下の中の下と言ったところで。

それを見かねた両親が、出来のいい孫に、出来の悪い娘の家庭教師を依頼した。だからコイツは今ここにいる。

要するに、だ。

私 神山小雪 十六歳

コイツ 舘林恭一 十六歳

私とコイツは、同い年の叔母と甥という関係になる。

これを知ってるのは学校ではほんの一部で、その他大勢には従姉弟って事になっていて。そして事実を知ってる一部にも私は緘口令を敷いている。(ベラベラと言いふらしたりはしないけど、守ってくれた例もない)

何故かって?

だって嫌でしょ? そんな関係

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