Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第回)
          
                       吉賀信市
 
 
6.キャラバン(その3)

9月16  曇り一時晴れ  起床:6時

キャラバンは8日目に入る。今日は、青空が時々のぞく程度であまり暑くない。よいキャラバン日和となりポーターたちの足取りも軽いようにみえる。グルジャガウンへと細い尾根道を蛇行しながら一気に下る。荒れ地に栽培されている作物はほとんどがトウモロコシのようだ。

1320分にグルジャガウンに到着。ここの標高は1900m程ありグパポカリより1000mも下ったことになる。キャンプ地は道端の草地。1000mも標高が低くなったので‘ヅカ’(ヒル)がいるだろう。子供たちは裸足で牛を追ったりして元気に飛び廻っている。

その子らがキャンプの周りに集まって来た。彼らの足を見ると‘ヅカ’にやられて血だらけになっている子、傷跡がかさぶたになった子、傷が化膿している子もいて‘ヅカ’の多いことを物語っている。

しかし、まったく平気のようすで私たちの感覚では蚊に刺された程度のようだ。

生まれた時からこの環境で暮らしているので慣れている。小さな子供たちは上着を付けているが、下着をはいてない子がほとんどである。

‘ヅカ’のいる草地でのキャンプ。ヒルに慣れてない私たちにとっては気持ちの良いものではない。

草地で用を足している時などは人の臭いを嗅ぎ付けて長さ2〜3cmの‘ヅカ’が四方、八方から尺取虫のような動きで近づいて来るため落ち着いて用を足せない。

噛まれても痛さは蚊に刺された程度であり、気がつかずに次の朝ズボンを降ろすと、内股に血を腹いっぱい吸って人の指ほどに膨れた‘ヅカ’がぶら下がっていてビックリすることもある。‘ヅカ’に噛まれても慌てて払い落とさずに煙草の火を当てるとポロリと取れる。

あわてて払いのけると皮膚が破れて出血することもあり要注意。しかし、ある程度‘ヅカ’に慣れないと慌てずに落ち着いて煙草の火を当てるような余裕はできない。

この村は大きな集落ではないようだ。ポーターたちは夜露をしのぐため近くの民家に散って行った。陽が沈みうす暗くなった前方、遥か遠くの空に夕陽を受けて紅く染まったジャヌーらしき山容がぼんやりと見え隠れしている。「ジャヌーかな?」と注視していると一瞬、さっと雲が流れて写真で見覚えのある、あのジャヌー姿がくっきりと現れた。

          
                   夕空に浮かぶジャヌー

暗闇のなかにジャヌーが浮かんでいる。「おおっー、ジャヌーだ」と思わずつぶやく。やっと目にすることができた想いに胸には熱いものを感じる。写真でしか見たことのなかった、恋人の姿を遠くから初めて目にする想いである。早くこの手で触れてみたい。しかし、まだ100km以上の彼方である。

その山姿は“ヒマラヤの怪峰”の名にふさわしく想い描いていた以上に堂々たるものである。

このジャヌーに今から挑戦できることをクライマーとしての幸運を感じる。

私たちの登攀目標である西稜ルートの上部も見える。しかし、すぐに日没の闇に消えてしまった。ダランバザールを出発して8日目にして目的の山を目にすることができた。

コースタイム:グパポカリ(7:15)〜グルジャガウン(13:20)


 917 晴れ 起床:6

 目が覚めると天幕から飛び出し前方に目をやり朝陽を浴びて空に浮かぶジャヌーをじっくりと眺める。遠くて小さいが白く輝きくっきりと見える。

右奥にはカンチェンジュンガ(8598m)も見える。カンチェンジュンガと並んで見てもジャヌーの姿はまったく見劣りはしない。逆にカンチェンジュンガを従えているようにも見える。

720分頃からポーターらが出発を始める。曲がりくねった小道を川底に向かって下って行く。今日もキャンプ地までの行程は短いため、キャラバンは休みながらでのんびり進む。

標高が低くなって来るとトウモロコシ畑から水田に変る。谷から山の上まで小さな水田(棚田)に稲がきれいに栽培されている。日本の田舎と同じような光景である。標高が下がるに連れて暑くなって来た。13時過ぎにはドバン着。

          
                            棚田と農家

キャンプ地はタムール河の河畔とする。標高は約700m。この2日間で2000m以上下っており昨日までと違い蒸し暑い。ここドバンは水田の多い豊かな村のようで民家も小奇麗である。川で水浴でもしたいが風邪気味のため身体を拭くだけ。ここでポーター13人(ドバンに住む11人と他の2人)が交代する。

コースタイム:グルジャガウン(720)〜ドバン(1300

 

918日 快晴  起床:7

4時頃寝汗で寒くなり目が覚める。シュラフまで汗でべとべとになっている。風邪のため体調悪し。ポーターのうち早い連中は730分ごろからタブレジョンに向かい始めた。歩き始めてすぐに急な坂道となり、雲一つない良い天気で暑くて汗が流れ落ちる。

          
                         タブレジョンへの登り

この道筋には10分毎くらいに大木による木陰があり休憩できるようにしてある。時々そこで休みながら坂道を登り詰めた台地がタブレジョンであった。1345分に着。

ポーターたちは暑いため木陰で休憩しながらゆっくり登ってくる。最後尾の者が着いたのは16時を過ぎていた。ここではキャンプ地に校庭を使用させてもらった。この村には飛行場がありカトマンドゥからの直行便もある(ここから飛行場まで徒歩で1時間)。

タブレジョンは私たちがキャラバンをしている街道筋では最も大きな村である。飛行場もあるほどなので町であろう。ここもダンクタのような小奇麗な家並みであり電気や水道もある。しかし、一般の家まで普及していないようである。

街の所々に共同の水場があり何人もの女性たちがにぎやかに洗濯をする光景が見られた。子供たちもほとんどズボンをはいている。直射日光は強いが日陰は涼しい高原の町(標高約2000m)である。

街のなかを見物すると商店街もあり反物屋が目に付く。店先に原色の多くの生地が並べられている。ビールを飲んで喉を潤そうと探したが見つからなかった。

ここでポーターに4日分の賃金を支払う。ここまでで帰る者、途中で雇った者もおり皆が同じ金額ではないために時間を要した。

それぞれの支払い金額はシェルパがノートにつけて管理しているので間違いない。しかし、ポーターの中には「はい4日分:96Rs」とまとめて渡しても納得しない者もおり、「1Rs、10Rs、50Rs、はい96Rs」と札を数えながら支給となることが多々ある。キャラバンも10日過ぎると野菜、果物類をほとんど消費してしまった。さっそく買出しすべくバザールに行くが夕方のためか何にもなかった。明朝再度行ってみるとする。

チェック・ポストにリエゾンと共に挨拶に行く。そこにはリエゾンと知り合いのポリスも居た。

コースタイム:ドバン(730)〜タブレジョン(1345

 

9月19日 晴れ  起床:630

薪が高い(60Rs/1把)のにはびっくりした。今までの45倍の値段である。いっしょにいたリエゾンの知り合いのポリスが中に入って交渉したが55Rsになっただけであった。

バザールに行ってみるが、今日は休日のようで何もない状態だ。少しの豆、ニンニク、塩を購入したのみ。値段はすべてカトマンドゥ、ダランバザールの2倍以上である。交通の便が悪くすべて担ぎ上げるために高いのか。品物が少ないから高いのか。どっちであろうか?

ポーターの後を追いミルトンへと下り始める。

言葉がしゃべれないので良く分からないが、今日はタブレジョンで祭りか催しがあるようで、近郊の村から正装して着飾った若い女性たちが23人あるいは数人のグループ(合計30人余り見かける)となってタブレジョンへと坂道を登って来る。

           
                             正装の女性

サリーの正装は始めて目にするものであり目の保養となる。ひらひらと風にそよぎ透けて見えるような薄い生地のサリー。額の真ん中に紅い『ティカ』、鼻の左に金色の小さなピアス、大きい耳飾りが良い調和となっている。

けっこう目のクリットした美人が多く、見かけては「フォトOK?」と声をかけると、背筋を伸ばし胸を張り堂々とした態度でカメラの前に立ってくれる。写真を撮りまくり楽しいひと時となる。

タブレジョンからの坂道を下り終えてミルトンへの道に入る。ぐらぐらと大きく揺れる吊橋を渡るとまもなく道は小径となる。さらに行くと200mほどに渡り崖崩れにてルートが寸断された箇所に出くわす。道はなく不安定で滑りそうな斜面となっている。崖崩れが起きそうな気配があるのでポーターの多くはしばらく高台で様子を見ていた。

シェルパに指示して歩けそうなルートを探しながら先行させる。

30kg以上の荷を背負ったポーターが、この斜面を歩けるだろうかと思ったが彼らは難なく通過した。こんな所が度々あれば賃上げを要求される恐れありと思う。吊橋を渡ってからは急にほとんど道らしい道はなくなった。踏み後さえもはっきりしないルートをシェルパの先導で15時にミルトンに着く。

           
                              道なき道

キャンプは天幕を張らずにタムール河の河辺の民家の一間を借用する(10Rs/一坪)。

小さな集落で豊な感じではなく子供たちもパンツをはいていない。どこでも必ず豚とニワトリを飼っており放し飼いにしている。小さなヒヨコも「ピョ、ピョ、ピィ、ピィ」と騒がしく、そこらじゅうを走り廻っている。夕方になると囲いの中に追い込む。


           
                              村の風景

吉賀は風邪による咳と微熱それに下痢が重なり体調悪し。朝波Drにブドウ糖の注射を打ってもらう。キャラバンでは生水を飲まないように心掛けて、歯磨きの水も沸かしたお湯を冷ましたのを使用していた。しかし、その甲斐もなく下痢に悩まされている。ひげ剃りのケースに付いている小さな鏡に顔を映して見ると頬がこけて目にも勢いがない。

これからどうなることかと思い情けない。山登りを始めて間もない頃、大分登高会の夏山合宿(剣岳・三ノ窓)に参加した。しかし、風邪による発熱で合宿の期間、天幕の中で寝袋の包まって寝ていた。下山する日になっても熱が下がらず三ノ窓からの登りの雪渓、長次郎の長く続く下りの雪渓をふらふらしながら歩いた苦い思い出が脳裏に浮かんだ。

BCまではどうにか辿り着いたが、体調不良にて「JANNU」の「J]までにも手が届かなかったでは話にならん。早く体調を回復させなければと内心あせり気味である。ポーターにも風邪の者がおりドクターに薬を要求していた。

コースタイム:タブレジョン(730)〜ミルトン(1500

 

9月20日 晴れ  起床:630

朝、出発寸前になって3人のポーターがナイケと何かトラブルがあったようで帰ってしまう。新たに2人は雇えたが1人分はダブルキャリー(1人で2人分担ぐ)となる。どうもナイケが若いためかポーターの管理が良くないようだ。

キャラバンはタムール河の右岸を進む。道は人ひとりやっと通れる細いあぜ道のようなところである。進むに連れて徐々に小径はなくなり人の踏み後さえもはっきりしなくなる。タムール河の流れは日本の河川と異なり褐色の水が轟々と音を立てて渦を巻きながら流れて行く。荒々しい流れの水音にかき消されて他の音は何も聞き取れない。

左に傾斜した道なき道をポーターは30kg以上もの荷を背負ってよく歩けるものだと感心する。もし、躓けばタムール河の濁流に呑み込まれてしまう。

しばらく歩くとキャラバンルートが支流に寸断されて徒渉を余儀なくされる箇所となる。

靴とズボンを脱ぎ川の中に恐る恐る足を踏み入れる。氷河の雪解け水は冷たく気合を入れないと足をすくわれそうである。ポーターたちはこんな所も平気で渡って行く。引き続き右岸を3時間半ほど歩き通して1630分にチルワに着く。熱と喉の渇きと身体のだるさにフラフラである。

           
                               渡渉

チルワは5〜6戸の小さな集落のようである。ここまで来ると奥に入った感じがする。民家を覗くとチャンがある。さっそくチャンを頼む。ほどよい酸味でここの家のチャンはおいしい。2容器分呑み身体が温まり一息ついた。

野菜などを購入しようと思うが何もない。アンテンバーが「ジンジャー」があるので行こうと細い山道を指差して言う。ジンジャー?、何の神社があるのだろうか、登山の安全祈願でもするのかなどと思いながら後をついて登って行くと、ショウガの栽培されている小さい畑であった。あっ、ショウガを英語で‘Ginger’と言うのか。笑い話である。

ポーターの中にも疲れている者がおり最後尾が着いたのは19時。すでに日は沈み暗くなっていた。キャンプでの灯りはケロシン・ランプを使用している。アンデスで使ったランプよりも少し性能が落ちるが充分である。炊事をする時シェルパは米を何回も磨いでいたのに、夕ご飯のチャーハンに小石が多く入っているのはなぜか。時折「ガジッ」と石を噛み食べるのが大変であった。ここではショウガ少しと卵を10個ほど購入できたのみ。

コースタイム:ミルトン(730)〜チルワ(1630)(つづく)

                         home