Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第回)
          
                       吉賀信市
  

6.キャラバン(その2)

912日 曇り時々晴れ  起床:700
 キャラバン4日目ともなるとポーターたちも隊員に慣れて互いに「ビスターリ、ビスターリ」(ゆっくり、ゆっくり)と声をかけあいながら歩く。路は平たんな尾根道となり歩き易くまさにハイキングのようである。見渡してもまだ、白く輝くヒマラヤの山々は見えないが、脇道から出てくる若い二人の女性に出会う。朝、山に薪を取りに行っての帰り道である。背負ったドッコには山のように枯れ木が入っている。声をかけてカメラを向けると立ち止まり軽く微笑んでくれた

      
           薪を背負った女性

 ドッコから溢れかけている薪の重さはおそらく50kg以上あると思われる。しかし、彼女たちの表情からその重さは微塵も感じられない。凄い力である。きゃしゃな美女の身体のどこからこんなエネルギーがでるのであろうか。この大きな荷物を背負って山道を歩くパワーは私にはない。ヒマラヤの麓に暮らす人々の体力の凄さには驚かされる。

 13時過ぎには本日のキャンプ地、シンドゥーワに着く。しかし、先に着いているはずのシェルパが3人とも見当たらない。ポーターの何人かは近くにたむろしている。下って来る旅人に尋ねたところザックを背負った3人のシェルパが坂を登って行ったという。

 事情は分からないがまだ時間も早いのでシェルパの後を追う事にする。そこで本日はここで泊る気になっているポーターたちを私たちがなんとか説得して進ませる。

 1時間ほど登った所にシェルパが1人いるのを見つける。問いただすと彼は「ポーターはここで泊り。我々のキャンプ地はここからさらに1時間登った場所だ」と言う。冗談じゃぁない。隊荷と1時間以上も離れた所に別々になる事など出来ない。シェルパにポーターも登らせるように指示する。

 今日のキャラバン行程は短いのでシンドゥワで豚を1頭買い処理をするように指示をしておいたはずだ。どうして指示したようにしないのかと腹立たしい。しかし、日本語とカタコトの英語、ネパール語の会話ではコミニュケーションがうまく取れていないと言うことだろう。また、ナイケ(ポーター頭)もまだ、若せいもあるがうまくポーターを束ねきれていない。これではこれから先が思いやられる。

 とにかくシェルパがいる所まで行かなくてはならない。時間も下がってきたのでポーターの歩く速さは今までの2倍以上のスピードで坂路を登り16時過ぎにチットレーのキャンプ地に到着した。

 チットレーに着いてみると木に荒縄でつながれた豚が「ブゥ、ブゥ」と暴れていた(中豚:280Rs/1頭:5600円)。そして今から豚の処理(屠殺)を始めると言う。信じられないことにロープで木につながれた豚にガソリンをかけて生きたまま体毛を焼き始めた。豚は悲鳴をあげて暴れる。とてもそばにおれなくて逃げるようにその場を去った。

 キャンプ場所は草地である。草地には‘ヅカ’(ヒル)がいると聞いている。集まって来た子供たちの足に何ヶ所も瘡蓋になった傷があるのが目につく‘ヅカ’にやられた跡だという。

 ポーターや子供たちは‘ヅカ’など平気である。キャンプには近くの住人が集まって来た。女性や小さな女の子たちは、額に紅い‘ティカ’、鼻の左に金色のピアス、耳には大きな飾り、腕にはブレスレットを付けておりおしゃれである。中には鼻の真ん中に大きな飾りを下げている人もいる。小さな子供たちは額の‘ティカ’と鼻のピアス用の穴にトゲを挿し込んでいる(穴が塞がるのを防ぐため)。

       
           キャンプ地を訪れた子供達


 遅くなった夕食を終えて用足しに天幕の外に出て中に入る時は、‘ズカ’がズボンについていないかを充分にチェックする。シュラフに足を伸ばし天幕の外側を見ると‘ズカ‘が登っているのが黒い点となっているのが分かる。
 コースタイム:ヒレ(830)〜シンドゥワ(1320)〜チットレー(1610

  913日 曇り 起床:7

 昨夜はかなり強い勢いで雨が降り天幕は雨漏りしてシュラフは濡れてべとべとになってしまった。天幕のないポーターたちは大変な一晩であっただろうと思う。しかし、彼らはこの程度のことは日々の暮らしのなかでのことであり、私たちが心配するほどでもないようだ。

 今日はトゥディーまでと近いため、ポーターの集まりが遅く出発は930分頃となった。朝2番目に出発した3人のポーターと歩き始めて1時間あまりでバサンタブールに着く。

 通り沿いに何軒かの家が並ぶバサンタブールは江戸時代の小さな宿場を想わせる風情があるように思えた。ここで1時間近くシェルパが来るのを待つが現われない。

           
                    バサンタブール村

 ポーターはのんびりとして腰を上げそうにない。そこでほかにポーター3人が先に行っているので1人でボチボチと歩き始める。キャラバンにおいて隊員同志が連れ立って歩くことはほとんどなくそれぞれが思い思いに歩いている。登り道を過ぎると原生林の森に入る。一人なので多少の心細さを感じながら曲がりくねった森の小路を進む。しばらく歩いてもふしぎと行き交う人に出会わない。

 突然、頭上で獣の叫び声が響き騒がしくなった。何事かと身構えて見上げると数頭の野生猿が枝から枝へと移動しているのを見かける。野猿は日本猿によく似ているように思えた。

 路の両脇には赤、黄色、桃色、紫色など亜熱帯の花があちこちに咲いている。その花を時折写真に撮りながら元の静けさになった森の中を進む。

 1時間半ほど歩くと右への下り道となった。蛇行した下り路を早足で下り終えると学校があり子供らがゲームをして遊んでいた。先生らしき人に路を尋ねたがはっきりしない。

 もうしばらく行くと小さな店がありそこのオヤジに尋ねると「トゥディーはあっちだ」と来た方向を指さした。「えぇっ」どうもおかしいなと感じてはいたがやはり路を間違えていたのか。

 時計を見ると14時である。どこで間違えたのか分からないがとにかく来た路を引き返し始める。坂道を喘いで登っていると上から「サーブ、サーブ」と声が聞こえる。

 こちらに向かって来るのは顔に見覚えのある2人のポーターであった。シェルパの指示でキャラバンルートを外れた吉賀を探しに来てくれたのである。ザックを持ってもらい坂道を1時間ほど駆け上がると、トゥディーのキャンプ地であった。

 まっすぐに進むところを間違えて右の尾根道に入り込み、その路を下ってしまったようだ。こちらは坂道を駆け上がり汗びっしょりである。他のみんなはお茶を飲みのんびりとしていた。先頭を歩いていた3人のポーターも別の路に入り込んでいたとのことであった。

 ポーターは先頭と最後尾では2時間以上の時間差が生じる。このようにバラバラとなってキャラバンは進むが荷物でなくなった物は皆無だ。ポーターたちは誠実である。

 コースタイム:チットレー(930)〜バサンタブール(1050)〜トゥディー(1300

 914日 曇り 起床:6

 キャラバンは6日目となる。今朝はシェルパの食事の準備は手際が良い。いつもこうあってほしいものだ。この辺りの高度は2400mあり朝はけっこう寒い。そのためポーターたちの集まりが早く7時には出発となった。途中、休息している2人の少年ポーターに出会う。

           
                      少年ポーター

 尋ねてみると年齢は13歳と12歳でタブレジョンから、ダランバザールに買い物に行き帰り旅とのこと。行き帰り30kg以上の荷物を背負って2人で2週間、野宿をしながらの山旅である。ドッコの中に品物を山ほど入れて往来している少女ポーターも見かける。

 私たちにはとても考えられないことだ。ポーターたちと「ビスターリ、ビスターリ」言葉をかけ合いながらチョーキへと歩を進める。だんだんと行き交う人々が少なくなって来たようだ。

 14時にチョーキに着く。通りのすぐ横で10人あまりがたむろしてダイスの賭け事をやっていた。試しに5Rs賭けてみたが負ける。リエゾン氏、賭け勝負は禁止なので止めに行ったようだ。まじめなポリスである。

 キャンプにおばちゃんがロキシー(自家製焼酎)を売りに来ている。味見をするとまあまあ飲めるので1.5gほど買う(15Rs:200円)。

 キャラバンの食事は、朝食と夕食はライスとカレーと味噌汁それにダル・スープが主体で他に1〜2品、昼食はチャパチィー(マーマレードかジャム付き)とジャガイモなどの蒸しものをアルミの弁当に詰めたもの、それにテルモスに入れた紅茶。朝晩のカレーには肉がたまにしか入っておらず、野菜中心のベジタブル・カレーである。これではカロリー不足か。

 コースタイム:トゥディー(700)〜チョーキ(1400

          
                       弁当

 915日 雨  起床:6

今日も朝から天気悪し。730分頃よりポーターたちが出発を始める。9時頃から雨となり、キャラバンは草地と原生林の中を縫うように尾根道を登って行く。やがて雨は本降りとなる。標高が高いために気温が下がり身体に降りそそぐ雨は冷たい。私たちは雨具を着ているが、ポーターは支給したビニール1枚のみである。雨のため休憩はできず彼らの歩くスピードは速い。しかし、私たちはぬかるむ路に足をとられる。また、すべり歩きづらい事この上ない。その状態の中をポーターは30kg以上の荷を背負ってヒタヒタと歩を進める。

                 
                      冷たい雨

 それにポーターたちはちゃんとした靴を履いている者は少数である。片方だけの靴、靴とゴム草履、両方ゴム草履、中には裸足の者もいる。雨でぬかるんだ斜面で滑りそうになると足の指に力を入れて滑るのを止める。見ていると足の指の間隔が開き土に食い込む。その凄さを目の当たりにしてビックリすると言うか驚く。彼らの足は私たちの足とは違い指が太くて退化していない。荷物を背負って石ころを踏んでも痛くない足なのである。踵のひび割れに小石が挟まっているポーターの足を見かけることもある。

 人の足は鍛えればこのようにも強くなるものなのかと驚嘆する。そういえば自分たちが小学制当時の運動会では小石の散らばるグランドを素足で走っていた。

 歩いていても寒く茶屋のような所を見かけると入り込んで、チャンとかロキシーで身体を温めながらのキャラバンとなる。14時過ぎにグパポカリに到着。

       
             グパポカリの集落


 小雨が降り霧にかすむグパポカリの集落を高台からながめると昔の砦を想わせる雰囲気がある。天気も悪いことだし天幕は張らずに民家の一間を借用する(まき代込み:50Rs)。今日は1日ほとんど雨で寒かった。今日の泊地は標高が2900m近くあるために寒い。気温は15℃である。

 ポーターが食糧を買うお金が無くなったとシェルパから言われ、ここで2日分支払った。

 日当を受け取るため並んで待っているポーターたちは寒さのため震えていた。吉賀も風邪気味のためこの雨と寒さが辛い。今日は時間があり、先日屠殺した豚肉を使い篠原バラサーブの指導でシェルパに餃子を作ってもらう。皮の厚い肉のたっぷり入った大きな餃子が出来上がった。味も上出来でひさし振りに満腹となった。

 コースタイム:チョーキ(730)〜グパポカリ(1400
つづく

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