Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第回)
          
                       吉賀信市
  

5.ダランバザールへ

9月5日() 晴れ一時雨(スコール)

3人のシェルパとナイケは指示通り430分に宿舎に来た。さっそく夜明け前の薄暗い中、荷物を運び出して準備を始める。しかし、トラックは約束の530分になっても来ない。

6時をすぎた頃現われ7時すぎに荷物の積み込みを完了。まだ、往来の少ない幹線道路を一路ダランバザールへと出発する。

吉賀と森口の2人は助手席に座る。助手とシェルパたち4人は運転席真上の荷台に乗り込んだ。ダランバザールまでは朝早く出発すれば1日で着くということだ。しかし、長い距離で山道もありどうなるか分からない。走る道路は一応舗装されているもの傷みがひどくガタガタである。

カトマンドゥを出てしばらく走ると急カーブの連続となり、座席にはクッションがなくタイヤの振動がもろに伝わり尻が痛くまた身体が揺られて疲れる。

お昼まえにドライブインらしき所で昼食となりシェルパたちと共に食事をする。料理はカレーとライスを注文。料理は思ったよりも速くできて来たのだがスプーンが見当たらない。周りのテーブルを見るとみんな手掴みで器用に食べている。

「あっそうか、ここではスプーンが無いのだ」と、納得してライスにカレーをかけて手掴みで口に運んでみる。

しかし、これがなかなか難しくうまく口に入らない。おにぎりとか寿司のように容易ではない。カレーの味はけっこう良かったがどうも喰った気がしない。

再びガタガタ揺れるトラックに身を委ねて走っていると勾配のきつい曲がりくねった山道に変わる。その道を時速20kmほどのスピードでジグザグに蛇行しながらトラックは登って行く。分水嶺を越えて同じ様に峠を下るとセラという町に14時頃着いた。 

とたんに「パーン」と音を発してトラックが右側に少し傾いた。上に乗っている助手が飛び降りて何事かを確認する。タイヤが1本パンクしていると言う。降りて見ると釘が刺さったようなのもではなく破裂している。その修理に1時間ほど要し15時頃にトラックが動き出した。

このトラックはインド製である。トラック等動力で動くものはほとんどがインド製のようである。

この辺りからの道路はほとんどカーブがなくなる。まっすぐな細い道となりトラックのスピードが上がった。運転手はアクセルをめいっぱい踏み込み飛ばす。周りは水田地帯で車道を人、水牛、ヤギなどが歩いているのでクラクションは鳴りっぱなしの状態である。

このクラクションは外部よりもトラックに乗っている者の方に良く聞こえて、うるさくて困ってしまう。トラックは水田地帯の1本道をひた走る。この地方はインド国境に近く気候は亜熱帯となり道路の近くにバナナの青い実が目に付くようになる。

また、人々の顔、皮膚の色もカトマンドゥ人びとより黒くなって来たようだ。時々激しい雨(スコール)に出会う。厚い雲で辺りは夕方のように薄暗く激しい雨で前は良く見えなくなる。また、トラックの中にいるのに雨漏りでずぶ濡れとなる有様である。しかし、スコールを通り抜けると照りつける太陽により車の中にいるのにすぐに乾く。

夕方になると車道の道端でたむろしている人達をよく見かけるようになる。夕涼みでもしているのであろうか。また、暗くなっているのにまだ田んぼで水牛を追っている人も多く見かける。この辺りの民家には電灯はなく明かりはオイルランプかロウソクのようである。

早くダランバザールに着かないか、着いたならばまず冷たいビールを飲もう(ビールがあれば)と思いながら、トラックに揺られていたところトラックが急に停止した。

外を見ると他に何台もトラックが止まっている。降りて見るとドライブインのような所であった。運転手が今日はここで泊まり明日は4時に出発すると言う。時計を見ると2030分すぎとなっていた。

朝からもう12時間以上走っている。当然であろう。近くのレストランらしき店に入り食事を頼む。店の親父さんが運んできた料理は昼食時の店と違いどうも変な慣れない味で喰えない。腹がへっているのにノドを通らないのである。

それに飲み物はまったく無くジュースさえもない。仕方なく外の水道水をラジウスで沸かして飲み腹の虫をごまかしシェルパ達とトラックの荷台に上がりシートの中に横になる。

夜遅くまで近くで聞き慣れないリズムで太鼓の音がうるさげに響いている。その蒸し暑さを増幅させるような音を聞きながら何時しか眠りに落ちていった。
 

96日(土)晴れ一時雨

運転手が言ったとおりまだ暗い4時にトラックはダランバザールへと出発する。

昨晩は蒸し暑くてシャツは汗でべとべとだ。夜明け前の水田で早くも水牛を追っている人たちを見かける。彼らは眠る以外は常に働いているのだろうか。カトマンドゥの街角で仕事もなくたむろしている人たちとは大変な違いである。町への出入り口は竹竿のゲートで塞がれており何度かポリスにパスポートを見せて通過する。

730分ごろダランバザールの町に入る。町の中央を走る舗装道路の両側に商店、バザールがあり品物は豊富に有りそうだ。この町は東部ネパールの商業、産業の中心地である。坂道を登って行くと家並みがなくなり緑の広い原っぱとなった。その左側がキャンプサイトであった。広さは充分あり思っていたよりも広く良い場所である。時計は8時前。カトマンドゥからトラックで実動17時間を要した。

          
                       ダランバザールの本通り

さっそくトラックから荷物を降ろし、続いて天幕を設営する。本日からの食事はシェルパに任せることになる。シェルパたちが朝食兼昼食の準備を始める。昨日の早朝からまともな食事は摂ってない。シェルパが調理した食事はカレーの親類みたいなもので、味はいまひとつであるが食べられないのもではない。腹一杯になったところでいつの間にか眠っていた。

眼が覚めると時計は14時になっていた。森口と2人でシェルパたちを連れて市場に野菜などを買い出しに行く。品物はカトマンドゥよりも少なく、また質も良くないように思えた。

         
                       キャンプ地

必要な物を買いキャンプへと引き上げる。帰りは多くの荷物を持ちコンクリート舗装の坂道を登ることになる。照りつける太陽と道路からの反射熱でけっこう大変である。体中から汗が噴き出してくる。

ダランバザールの暑さは日本よりきつく直射日光を浴びると肌が痛い。帰る途中、右側に酒も売っている店を見付ける。

キャンプからそう遠くない。後でビールを飲みに来るとしよう。

夕食も昼食とあまり変わらないようなものだ。シェルパが料理の腕が良い訳でもないだろう。贅沢をいっても仕方ない喉を通るのでまあまあ良いとしよう。シェルパたちはサーブ(隊員)の食事が済んだ後に食べる。こちらもそれに慣れていないので何となく落ち着かない。

食事前に激しいスコールが来た。ナイケとシェルパの1人は来るのを待っていたように石鹸を手に裸になりスコールの中に立ち身体を洗っていた。

夜はシェルパたちが荷物の番をして寝る。特にナイケは荷物の間にもぐり込んで寝る。

夜、吉賀が酒を取るために、荷物置き場でゴソゴソしていたらナイケが飛び起きて「どろぼー」と大声で叫んだ。その声でシェルパたちが飛び起きて集まって来た。なるほどこうして荷物の番をしているのか。ナイケが荷物に紛れて寝ているとは知らなかった。

 

 9月7日(日)晴れ一時雨

6時ちょうど。シェルパの「サーブ、ティー」の声で起きる。彼らは指示した時間より少し前から天幕の外で待機していて、ちょうど時間になると「サーブ、ティー」と声をかけてモーニング・ティーを渡してくれる。お茶を飲み終えて天幕から出て周りを見ると朝からポーターたちが集まって来ている。

シェルパは名簿を作り雇っているようだ。このような仕事はシェルパ任せで私たちは見ているだけである。730分。カトマンドゥの篠原に連絡を取るために電話局に行く。局員(女性)にどのくらい待てばつながるかと尋ねると「5分〜10分または1時間〜2時間だ」と言う。

1時間ほど待って宿舎に電話が通じたが篠原は出かけていて留守であった。夕方またかける事にしてキャンプへの坂道を登り始める。

途中、キャンプの近くを河が流れており暑さしのぎに河原に降りて水浴をして汚れた身体を洗う。河原では10人ほどの人たちが砕石をしていた。河原の石を人力でハンマーにて叩き砕いて道路に敷くクラッシャーランを作っていた。暑い中大変な仕事だ。これで1日にどのくらいの稼ぎになるのであろうか。

 17時に再び電話局へ行き電話をかける。30分ほどでカトマンドゥにつながったが篠原は又宿舎にいないと言う。19時に3度目の電話をかけるが今度は回線がつながらない。局員に明朝来るように言われ仕方なくキャンプへと帰る。夕食を済ませ天幕内で今後の行動予定などを森口と検討し「篠原と連絡がとれない、これは困った」と思案していた。ところが22時すぎ、突如として篠原、朝波Dr、リエゾンの3人がキャンプに現れたのである。これにはびっくりした。

3人は本日早朝、ダランバザール行きのバスに乗り約18時間を要して今着いたのである。

宿舎に何度電話をしてもいないはずである。すでにバスでこちらに向かっていたのであった。

やっと全員の顔が揃った。寝ているシェルパを起こして夜食を作らせ食事をしながら打ち合わせとなる。食糧、装備の買出しはほぼ完了しているし、ポーターはシェルパに指示して53人手配を済ませた。したがってキャラバンの出発は可能である。明日もう1日準備に当てる事としキャラバン出発を99日と決定する。

           
                        ポーターを雇用する

9月8日(火)時々雨

午前中、荷物の梱包と市場に出かけ野菜など追加分の買出し等を手分けして行う。

市場の一隅で素焼きの器に入れた白いものを売っているのが目に付いた。何だろうと思いそばに行って尋ねるとヨーグルトであった。少しもらって舐めてみると確かにヨーグルトの味である。こんなふうにヨーグルトを売っているとは思いもしなかった。

           
                              ヨーグルト売り

空は青空がのぞいているかと思えば急に雲に覆われ雨が断続的に降る天気である。荷物が濡れないように気を配らなければならない。買い物も雨の中、市場までの往復1時間余りの坂道は何度も往復するとけっこう疲れる。

午後はコックと2人で卵の買出し。卵を入れる1斗缶と籾殻を探して市場を歩き廻るがなかなか見つからず大変であった。夕方、雨の中ずぶ濡れになってキャンプに帰る。卵はけっこう高価である(1個:1.1Rs/22円)。野菜、卵はキャラバン途中の村々で買い足すことにして予定数量の半分ほどを準備した。

キャラバン出発の前祝として夕食用にニワトリを3羽しめる(1羽:25Rs/500円)。いよいよ、明日からキャラバンである。まだモンスーンが明けておらず雨に降られるであろう。明日は8時出発とシェルパに指示をした。(つづく

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