Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第回)
          
                       吉賀信市
  

4.カトマンドゥ(その2)

8月31日() 晴れ

今日は荷物(別送品)の通関をする日だ。手続きは1030分からである。その前に中央銀行へルピー(Rs)の高額紙幣を1Rs、2Rs、5Rs、10Rsの小額札に両替しに出かける。銀行内に入ると日本の銀行とはまったく様子が異なっている。西部劇の銀行に出てくるような感じのカウンターがあり客と行員との間は鉄格子で仕切られている。

開いているのは半円形の小さなスペースのみである。両替してくれた2Rsは新札で1千枚単位にて帯封が縦、横2ヶ所してありレンガのようである。それをカウンターの上に『コロン、コロン』と放り投げる。

千枚の帯封をした札束など見た事も手に持った事もない。拾い上げると硬くて重い。もし、これが一万円札の束ならば一千万円である。しかし、このレンガほどの重さがある札束を日本円に換算すると4万円ほどである。投げてよこすのを拾ってはザックに詰める。

予定の金額を両替し終えた時にはサブザック一杯になっていた。肩に掛けてもけっこう重くいつもは数枚のお札しか持ったことがなく、お札もたくさんあれば重たいのだと実感した次第である。しかし、この重い札束をすべて円に換算しても100万円ほどである。

           
              
隊の資金

両替を済ませてタクシーに飛び乗り空港に向かう。書類を提出して通関を申請したが書類に不備があり書類を突き返された。エイジェントのミスである。高いマネージメント料を支払っているのに・・・・。仕方なく宿舎に帰りエイジェントに書類の不備を直してもらおうとするが外出中で不在。イライラしながらエイジェントの帰りを待っている所にリエゾン・オフィサーがやって来た。

このイライラしている時に選りによってと思いながらカタコトの英語で30分ほど打ち合わせを行い、今晩7時にレストランで夕食を共にする事にしてお帰りを願った。リエゾンと会うのは今日が初めてである。職業は警察官で高圧的な喋り方、物言いをするのであまり良い印象は持てなくこれはこれはと感じた。

昼過ぎになってエイジェントが帰ってきた。さっそく、書類を手直しし再び空港に行き書類を提出。今度はOKのようだ。しかし、しばらく待つが倉庫から荷物が出て来ない。しびれを切らして倉庫の中に入ってみると、荷物は乱雑に積まれている。

これではすぐに出ないはずだ。わが隊の荷物がどれかすぐには判別できない。

1時間あまりを要して荷物を選別して出庫することが出来た。次にすべての梱包を開けて税関の検査を受ける。特に問題になるような物はなく検査は無事終了した。

今度は品物の関税の計算である。どのような査定をするのか興味を持って査定しているのを見守っていた。良くは分からないが物によって税率が異なるようだ。品物の検査が終わり次は関税の計算に四苦八苦している様子なので、持っていた電卓を係官に貸してあげたりして30分ほどで完了する。関税は5230Rs(104,600円)となった。これは思っていたよりも高かった。

荷物はマイクロバスに積み込み森口が持って帰るとする。篠原、吉賀は朝波Drのパスポート番号を確認するため日本に電話をかけに電話局に行く。しかし、日本への1回線しかない回線がいつ空くかわからないので明日出直すことにした。ドクターのパスポートNOが不明であり正式の登山許可申請ができない。この件や他にも小さなミス、トラブルはある。カフカズ、アンデス、アラスカの経験があるとは言え、3人とも初めてのヒマラヤでジャヌーに登ろうとしているのだ。スムースに事が運ばなくて当然であろう。

19時ちょうど。リエゾン夫妻来訪。宿舎から徒歩で20分余りの所にあるレストラン(中華料理・日本人経営)に案内する。夫妻はビシッと決めており正装といった感じである。

奥さんは丸顔のやさしそうな感じの人である。額の真ん中には紅い『ティカ』を付けている。改めて自己紹介をして日本から持ってきたプレゼントを渡し会食が始まる。

リエゾン夫妻は英語OKなのだが、私たち3人はほとんどダメ。食事をしながらの会話が弾まない。英語をしゃべれないと気分的に疲れ情けなく嫌になる。

91日は荷物のパッキング日とし、92日にリエゾンの装備を揃えるので宿舎に来てもらうようにする。

リエゾン・オフィサーの名前はチャンダラ・ビクラム・サー(30)、警察の階級はサブ・インスペクターである。住んでいる所は私たちの宿舎から徒歩で20分くらいとのこと。

9月1日(火)晴れ

朝方は曇っていたが良い天気となる。9時に3人のシェルパがやって来たので荷物を庭に運び出し梱包作業を始める。カトマンドゥに来て最も良い天気である。湿っぽいふとんを庭に干す。

           
                        梱包作業

この一週間ふとんが湿っぽくて気持ちが良くなかった。今晩は気持ち良く眠れるだろう。

梱包作業の途中、篠原は東京に電話をするために電話局に出かける。作業は順調に進み16時すぎに食糧、装備が大方完了した。本日まで完全に梱包が終わった荷物が37個、これに野菜類その他を加えると60個ほどになると思う。

今日は何日か振りに風呂に入る事ができた。

9月2日(水)晴れ

リエゾンが9時に宿舎に来る。さっそく、支給する装備を広げてレギュレーション・リストと照らし合わせ品物を確認する。シュラフ、登山靴はまだ準備していないので同行して買いに行くことにする。ほかにレギュレーションにない物も要求される。たいした物ではないので支給することにする。買い物には吉賀が付き合い登山用具店を見て歩きリエゾンの気に入った物を購入した。ほかにも日本紹介の本なども買い支給する。費用はほぼ予算内で納まった。

リエゾンとは何となくまだ馴染めない。

その後は自転車を借りてひとり2〜3時間かけて市内を走り写真を撮りながら見て廻った。

          
                      みやげ物

本日は停電しているが風呂あり入浴。2日連続の入浴である。

9月3日(木)晴れ

夜中に凄い音で雨が降っていたが朝には止んでいた。9時ごろから良い天気となる。

シェルパが2人来て荷物の梱包をやり始める。今日はランタン・リ隊も同じ作業をするので庭を半分に分けて使用して行う。人数が多くてにぎやかな梱包作業となった。

篠原は11時ごろから税関にトランシーバーを受け取りに行く。これがすんなりとは行かず帰って来たのは夕方であった。梱包作業は順調に進み16時にはほぼ完了した。重さを30kgに合わせるのに苦労する。ほとんどの梱包が2〜3kg重量オーバーしている。ポーターから苦情が出なければ良いが。ヒリシャンカでも使用したオリジナルの直角三角型天幕を組み立てて見る。隣で作業をしていた人達も関心有り気に見ていたが、これを高所で設営(組み立てる)するのはちょっと大変だとの思いがした。

今日は夕食前の1番風呂に素早く3人で飛び込んだ。3日連続の入浴となる。これで身体の汚れがやっと落ちた感じがする。

9月4日(金)晴れ一時雨

今日は昨日のチェックで判明した不足品の買い出しを吉賀、森口と3人のシェルパそれにナイケ(ポーター頭:荷物は担がない)の6人で廻る。

       
             
 バザールの一角

 篠原はリエゾンと観光省に行き登山許可証と延長した査証を受け取る。また、リエゾンとシェルパ
3人の生命保険加入手続きをエイジェントに取ってもらう。ダランバザールへのトラックのチャーターもお願いする。

買い出しを終え最後の梱包を済ませ、明朝スムースに運べるように荷物を廊下に並べる。

これでやっと出発することが出来そうだ。

カトマンドゥでの準備が終わり最後になって日本大使館に挨拶に行くことになってしまった。

大使館員の話では、今シ−ズン(1981年秋)は日本から13隊が入山したとの事である。

予定通り明日早朝、吉賀、森口、シェルパ3人とナイケはチャーターしたトラックで荷物と共にダランバザールに向かうことにする。篠原は朝波Drの到着を待ち、リエゾンと3人で98日にはカトマンドゥを発つ。キャラバンの出発は9月10日の予定とする。

ダランバザールでの準備は、(1)野菜ほか最後の買出しをする。(2)最終の梱包を行い荷物の数量を決める。(3)ポーターの人数を決めてシェルパに手配を指示する。

これから行くダランバザールはどんな所、どんな街であろうかと気になる。インド国境に近い所なのでカトマンドゥより暑いであろう。

カトマンドゥに着いて以来13日間を要して次の段階に移れるようになりホッとする。

私たちの体調は、篠原、まったく異常なく調子は良好、吉賀、まあまあ普通、森口は少し風邪気味、といったところである。

遅くなったがシェルパの賃金を正式に決める。(1)コック:キャラバン及び荷上げ 35Rs(2)キッチン:キャラバン 25Rs、荷上げ時は 35Rs、(3)メールランナー:25Rs、(4)ナイケ 25Rsにて契約した。尚、ポーターは24Rsとなる。

トラックは明朝5時に来るように再度エイジェントを通じて念を押した。明日は早いので夕食と入浴をすませて早めにベッドの上に横になった。ところが本日隣の部屋に入って来たユーゴスラビア隊(ダウラギリ隊)が24時を過ぎても酒を飲んで『ワイワイ、ガヤガヤ』やっておりうるさくて眠れない。

彼らが宿舎に着いた時に顔を合わせたがみんな身長180cmを超す精悍な面構えの大男たちであった。 我慢できなくなり隣に行きノックしてドアを開け放ち「シャラップ。うるさい、今何時だと思ってんだ!」と日本語で怒鳴った。突然の怒鳴り声に彼らは呆気にとられた顔をして、一瞬時間が止まったような格好であった。それ以後はピタリと隣室からの騒音は消えた。

つづく


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