ジャヌーへの挑戦 Jannu expedition '81
(1981年秋の記録) (第3回) ネパール王国の表玄関なのでもう少し小奇麗であってほしいと思うが財政的に無理なのであろう。 通関は狭い所に人と荷物が雑然とした混雑ぶりであり、まるで市場の雑踏のようである。 トランシーバー、8mmカメラ、カセットレコーダーを申請しただけで、他の荷物は梱包を開けてチェックされる事はなく無事に通関を終えた。 通関を終え外に向かうと荷物を持ってくれるというポーター(チップが必要)やタクシーの運転手の客引きが私たちを一斉に取り囲んだ。 荷物を2台のタクシーに積み込み、私たちのカトマンドゥにおける宿舎である‘Express・House’に向かう。 カトマンドゥの第一印象は「雑然とした所だなぁ~」であった。写真で見るのと現地でじかに見るのとでは大きな落差がある。 山登りを始めてまもなくネパールに行ってみたいものだと漠然と思ったが、その時は実際に行けるようになるとは思えなかった。 今、その行くのが夢と思っていたそのネパールの地に立っている訳である。まだ着いたばかりで良く分からないがカトマンドゥは想い描いていた感じとは少し違うようだ。 しかし、憧れていたネパールの地にクライマーとして来ることが出来た喜びを感じる。 ネパール王国の首都カトマンドゥ、観光資源(ヒマラヤ)が唯一という国であるが、もうすこし小奇麗なヒマラヤの王国のイメージを抱いていた。 実際に目の当たりにする現実は幹線道路の外は舗装されておらずデコボコで雨水が溜まっており、街灯はほとんどなく夜道の暗い街であった。 今晩は宿舎で夕食が準備されていないので、今日着いた人達7〜8人と連れ立って食事に出かける。食事はけっこう口に合って食べることができた。しかし、飲みたかった冷たいビールのある店ではなかった。行き帰り共タクシーが拾えずに街灯のない暗い夜路を往復1時間あまり歩くことになる。明日からは食糧の買出し等の準備が始まる。 さっそく、カトマンドゥの中心街に食糧等物資の下見に3人で出かける。 宿舎から市内の中心街までは徒歩で30分ほどである。アンデスの経験があるのでそんなに戸惑うこともビックリすることもないが、街と言っても路地裏みたいな所で種々雑多の小さな店がところ狭しと並んでいる。人の通りは多い。人、牛、自転車、人力車、車、大八車といろんなものが狭い道を行き交う。 商店街を牛が歩き廻るのは、写真やニュースなどで見ている光景なのでなるほどと思った。道はほとんど舗装されておらず窪んだ所には、雨後の水溜りがあり汚く時々くさい臭いがする。午後、エイジェントに手配をしていたシェルパ(コック、キッチン)2人とメールランナーが宿舎にやって来た。会ったばかりでまだ判断できないがあまり強そうな感じはしない。 彼らはネパール語とある程度の英語を話し日本語は喋れず、私たちの語学力では意志の疎通に苦労しそうだ。これにリエゾン・オフィサーが加わればどんなことになるのやら、考えると疲れてくる。 8月25日(水)、雨 今日から買出しを始めるので、ある程度のお金(米ドル)をネパールルピー(Rs)に両替する。次にシェルパたち3人の持参した装備をチェックする。レギュレーション・リストにあるもので彼らが持ってない物を支給し、すでに持っている装備についてはお金で支払った。 この時、コック及びキッチンは6500mまで荷上げすることを確認した。また、日当については後日契約することにした。 昼頃、エリザベス・ホーリー女史(ロンドン・タイムスの記者)が取材にやって来た。この女性があの有名なホーリーさんかと思いながら、相手が喋る言葉から幾つかの分かる単語をかき集め質問の内容を推測しながら対応する。英語でのやり取りには四苦八苦し私たちの計画を理解してもらえたのだろうか?。 この頃より雨が土砂ぶりとなり道は泥道と化し汚くて歩けないところもある。カトマンドゥの夏は日本と同じ様な高温多湿ですごし易いとは言えない。小降りになるのを待ち装備の買出しのため街に出る。登山装備の店が軒を並べている一角があり何件か見て廻る。品物は新品、登山隊が売った中古品とけっこう豊富に揃っている。値段は東京で買うのとほとんど変わらない。 登山の手続き関係は、まだ、すべて未完で次の事をしなければならない。 (1)トレッキング・パーミット、(2)エクスペデション・パーミット、(3)通関(別送品)、(4)ビザの延長、(5)観光省への挨拶、(6)日本大使館への挨拶、(7)リエゾン及びシェルパとの契約、生命保険の加入、(8)トランシーバー使用許可等をエイジェントの指導のもとなるべく早く処理しなければならない。 今日はバンコクで入浴して以来ひさしぶりに風呂に入る。この辺りは電気が使用できるのは 19時30分頃から翌朝陽が昇るまでのようで、その間もちょくちょく停電する。そのためこの宿舎も自家発電機を備えており夜停電すると発電機が動き出す。水道も同じく時々断水する。 今後の行動予定を次のように決める。 朝波ドクターは9月6日に出張先のスリランカよりカトマンドゥに入る予定である。 (1)9月4日までカトマンズでの準備とする。(2)9月5日早朝、吉賀、森口はトラックをチャータして荷物と共にキャラバン出発の地ダランバザールに向かう。(3)9月7日、篠原、朝波ドクター、リエゾンの3人はダランバザールに向かう。(4)9月10日、キャラバンの出発とする。 8月26日、曇り時々雨 今日は朝からシェルパ3人と鍋、釜、食器等の生活用品を商店街で見て廻わり買い集める。 大きさ、品定め、数量はシェルパに任せてひと通りの物はすぐに揃った。カトマドゥの店は南米(ペルー)と違いほとんど値引きしない。値引きがあった方が買い物はおもしろいのだが、値引きがない方が価格に信頼性があると言えよう。これは国民性の違いなのであろう。 この買い物を済ませた後、用心のため病院に行き肝炎の予防接種をする。5ccお尻に接種したがこの注射の痛かったこと。しばらく歩けないほど痛かった。 午後からは食糧(お米)の買出しに出かける。シェルパが紹介する路地裏の店に行き品定めをする。品物はまあまあ良いと思えるので必要な米をここで買うことにする。それではと値段交渉を始める。これがなかなかまとまらず世間話も交えながらノートに数字の筆談で1時間ほどを要してようやく手打ちとなった。お米は明日10時に取りに行くのでそれまでに運べるようにして置くように店の主に伝えて店を後にする。 8月27日(木)、晴れ 朝から青空が覗く良い天気である。昨日買い付けした品物を食糧店に受け取りに行く。 途中で荷車をレンタルして引いて行き、それに米など約400kgの荷物を積み込み宿舎へと向かう。荷車を引くのはシェルパではなくクーリーである。 今日は日が照っておりおまけに非常に蒸し暑い。2人のクーリーは流れるような汗をかきながら荷車を引いている。坂道にさしかかると満身の力を出して苦労しているが、横にいるシェルパは我関せずと見ているだけで、決して手伝ったりはしない。身分(カースト)の違いなのでこれに私たちが口をはさむことは出来ない。 午後はドライフード、チーズ、ビスケット、缶詰類を買う。ビスケット、缶詰は輸入品であり日本で買うより少し値段が高い。ストアーは値引きをせず品物はほとんどがインド製で中には中国製もある。 8月28日(金)、晴れ 朝は雲が多かったが晴れて来て暑い一日となる。日本を出発して始めて便りを出すことにする。3人で市内地図を頼りに中央郵便局へ向かう。けっこう距離があるので貸し自転車(1.5Rs/1時間:約30円)を利用する。 街角に貸し自転車屋があり借りる時は氏名、宿泊先、国名をノートに記入し料金は前払いである。自転車はインド製で乗り心地は良いとは言えない。 10時30分より荷物(別送品)通関のためエイジェントと空港に行く。 もう1隊ランタン・リ隊も同行することになった。しかし、空港で係官に確認すると1日に1隊の荷物しか通関しないと言われる。そこでどっちをするかでジャンケンとなり我隊は負けて8月31日の通関となる。 ネパールでは役所関係が土、日は休みである。アンデスの時、南米の国もすべて同様であった。米ドルをネパールルピー(ルピー=Rs、1Rs:約20円)に両替してあるが、高額紙幣がほとんどで、キャラバンでポーターに賃金を支払う場合、1Rs、2Rsの小額紙幣が必要になる。タクシーに乗って銀行を数ヶ所廻ったが小額札はどこにもなかった。どこに行けばあるのであろうか。 本日も断水のため風呂はなし。1日汗をかいて身体を洗えないのは気持ちが良くないが、カトマンドゥは停電、断水はあたり前でそのうちこれに慣れるであろう。 8月29日(土)晴れのち雨 朝食の時、エイジェントから「8月31日はビレンドラ国王がフランスに出発するため、荷物の通関作業は出来ない。9月1日(月)になる。」との連絡を受ける。 予定していたのが延びるとガッカリする。仕方がない、なる様にしかならない。午前中はシェルパ3人を連れて食糧等の買出し。バザール街をショッピングして廻るがホコリがひどい上に多くの鳩が頭上を「バタ、バタ」と飛びまわりたまらない。気をつけないと時々糞が落ちてくる。午後からは今まで購入した食糧、装備の梱包を始める。宿舎の庭に品物を広げて秤で計測しながら30kg毎に梱包して行く。梱包には通し番号を付けてその中の内容をノートに記し管理する。米、小麦粉、砂糖等の梱包を、雨が降っても大丈夫のようにもっと工夫する必要あり。 少し風邪と下痢気味で若干体調悪し。本日も断水のため風呂なしである。もう4日も風呂に入っていない。 まだ、モンスーンが明けていないため、ぐずついた天気が続き今日も朝から小雨まじりである。本日も指示した時間、9時ちょうどにシェルパたち3人が宿舎に来た。シェルパは決められた時間には正確である。昨日のチェックで不足分の買出しに出る。雨の降るバザール街は泥道となり汚くて歩くのが嫌になる。不足分を購入し、酒類はウイスキー40本、ワイン10本、ビール30本購入。この量で足りなければ村々で地酒を買うとしよう。荷車に積み込み宿舎に運ぶ。荷車にナンバープレートが付いているのに気づく。これも登録車なのである。 午後は貸し自転車で登攀用具を買ったりしながらいろんな商店を覗いて廻る。色々な商品があって楽しい。その中で一番おもしろいと思ったのは何といっても肉屋である。1坪か2坪の薄暗い店に大きな肉塊がいくつか置いてあり、それを注文がある度に切り取り分銅付の計量器で重さを計って販売している。店先には解体したばかりの水牛の黒い大きな足が並べてある。 この足も売り物であろう。多くのハエも飛び回っており初めて見ると一瞬‘ギョッ’とする光景である。日本の主婦はこのような店では肉を買うのは躊躇するであろう。いや、きっと気分が悪くなることだろう。 |