Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第22回)
          
                       吉賀信市

18.グ ン サ 村へ

10月26日  雪

仰ぎ見る空にはどんよりとした厚い雲が覆い尽くし今にも雪が降って来そうだ。

見ている間に氷河の谷間にもガスが立ち込めてきた。そして、まもなく小雪がちらつき始める。

ベースキャンプを設営した翌日に降雪して以来、1ヶ月ほど降らなかった雪が選りによってキャンプを撤収する日に降るとは何かの悪戯であろうか。

朝食を早々に済ませ未整理の個人装備等の梱包を終えグンサポーターたちが上がってくるのをかまどの火にあたりながら待つ。

今日の行程はグンサまであり急ぐことはない。グンサへの道は標高差1400mの下りとなる。

ポーターは8時半ごろより数人づつ集まり始めた。

今回もまたリーダーと賃金の交渉となる。私たちは「来た時と同じ賃金だ」と主張するが、彼らはすぐに承知してくれない。少しでも賃上げをしようと粘る。こちらとしても増額には応じられない。

雪の降る中いつまでも交渉をしておれない。結局、来た時よりほんの少しアップしてグンサのキャンプ地まで70Rs/1個となる。

少し高いが仕方がない、彼らに頼る以外に荷物を運ぶ手段はないのである。雪の舞うなか天幕を撤収しながらポーターに荷物の割り振りを行う。

           
                          ベースキャンプ撤収

あとは最後の仕事としてキャンプ周りの掃除をしなければならない。周辺のゴミを拾い集めて残っていた薪やキッチン天幕の支柱などと共に燃やす。

 荷物を受け取ったポーターは、その火で暖を取る者すぐにグンサへと向かう者それぞれである。

 降りしきる雪で消えそうになる火に時折を灯油かけてごみの処理を終える。これでべースキャンプの後始末は完了である。

10時頃からポーターの後を追ってグンサへと下り始める。朝から降り出した雪はその頃には積雪10cm弱ほどとなっていた。ジャヌーの積雪はここの何倍にもなっていることであろう。再度のアタックを中止したのは正解であったか。

 厚い雲に覆われ雪が降るヤマタリ氷河は視界が悪く暗い陰気な雰囲気が谷間に立ち込めている。踏み後(ルート)は雪に消されている。もし、私たち3人だけであればどこを歩けば良いのか分からないであろう。ポーターの足跡を頼りに歩を進める。

それにしても新雪をかぶったモレーンの下りは歩きにくいことこの上ない。

ポーターたちは石ころの上に雪が被った足場の悪いところを30kg以上の荷を背負い運動靴でスタスタと平気で進む。よく滑らずに歩けるものだと感心する。

           
                           雪のヤマタリ氷河

私たちも彼らと同じく運動靴を履いている。背には彼らのような荷物はなく空身同然であるがこの状況に辟易するというか歩くのが嫌になる。やがて雪で靴や靴下が濡れてしまい足の指が冷たくてどうしようもない。

そして、しばらく進むと足の指が『ジク、ジク』と痛み始めた。どうしたことだろうか?、足が冷えたためなのか?。

往路にキャンプを張った4500m地点に着き休憩をとる。しかし、歩行を止めると寒くて震えるほどである。

こんな所で休憩などしておれない。早くグンサの草原に着いて靴を脱ぎたい。

この辺りからの下部はモレーンではなく普通の山道に変わる。足場がモレーンのガラ場から土に変わるとホッとする。

足は相変わらず『ジク、ジク、ヅキ、ヅキ』と鈍痛がする。歩行では一歩一歩が痛くてイライラする。そこで、痛みを麻痺させようと蛇行する小路を小走りで駆け下る。森林地帯まで下ると雪はほとんど積もっていない。

足の痛みさえなければ道草を楽しみながらのんびりと歩けるのに、今の気持ちは‘早くグンサに着きたい’との思いでいっぱいである。

小走りしているのになかなかグンサの村が見えて来ない。足が痛むため自分が思うほどの速さで進んでいないのであろう。とにかく、早くキャンプ地に着いて靴を脱ぎたい。

16時すぎにやっとの思いでキャンプ地に到着。すぐに靴を脱ぎ乾いた靴下に履き替える。

足が痛むのは自分だけかと思っていたところ、篠原、森口も昨日から少し痛み始めたとのことである。

10月27日  晴れ

昨夜は足の指が痛み夜中に何度も目が覚める。

昨日、ポーターは予定通り20人集まり20個の荷物をキャンプ地まで降ろした。しかし、まだ3個BCに残っている。荷物が予定より3個多くなったのである。

昨日のような足場が悪い状態では、さすがのグンザポーターでもダブルキャリーをする者はいなかったようだ。残っている荷物3個を取りに行かなければならない。

グンサポーターは、また例の如く足元をみて120Rs/1個を要求してきた。本当に困った人たちである。交渉の末、荷物は昨日と同じ70Rs/1個に決める。そして、それに灯油(20g)をグンサ村に寄贈することで話がついた。

キャンプには昼頃から衣装をまとったグンサの子供たちが5〜10人ほどのグループとなって来訪。入れ替わり立ち代わり現れて太鼓のリズムに合わせ元気良く飛び回って踊る。いまちょうど秋の収穫を感謝するお祭りの最中である。

           
                           グンサの子供たち

これが昼ごろから夜遅くまで何度も訪れる。その度に心づけを渡さなければならない。

ここからダランバザールまでのキャラバンでポーターに支払わなければならない資金がなくなってしまいそうだ?。

子供たちはあげた心づけの金額をすべてノートに記帳しているようだ。

 

早く復路のキャラバンを始めなければならない事情はない。グンサを起点にして周辺をトレッキングする日にちはある。

グンサの奥に位置する村カンバチェンからジャヌー氷河に入りジャヌー北面(北壁)の写真を撮りたい。ヤルン氷河からジャヌー東壁やカンチェンジュンガを見てみたい。

また、植物学者J.D.フーカーが、ジャヌーを間近から眺めその姿に感動したと言われる場所、チェンゼルマ峠から自分も眺めてみたい。そして、写真も撮りたいと思う。

不勉強にてチュンゼルマ峠の位置は良く分からないが、ここグンサからはそう遠くはなく2〜3日もあれば行けるはずだ、と幾つか考えは浮かぶ。いずれの案も行く気にさえなればどれも可能である。しかし、足の指が痛い。歩くのがおっくうである。

せめてカンバチェンだけにでも行ってジャヌー北壁を眺めてみたい。しかし、カンバチェンまでは峠を越えて1日歩かなければならない。足の痛みを思うと誰からも積極的な意思表示がなかった。

“足の痛み”に気持ちが負けてしまいジャヌー、カンチェンジュンガの周辺を1週間ほどトレッキングする意欲が起きなかったのである。

しかし、痛みがなくなるまでグンサでのんびりと休養するのも退屈である。

結局、ポーターの手配がつき次第、復路のキャラバンを始めることに決まる。

さっそく、チェーワン(メールランナー)に近くの村から20人のポーターを雇ってくるように指示して昼過ぎに出発させる。

10月28日  晴れ

昨夜も痛みで何回か目が覚めた。

アタックに失敗してBCに降りた日から3日間は何ともなかったのに4日目から3人共痛み始めた。どういう訳なのであろうか?。

今日も子供たちのグループが入れ替わりきて踊りを披露してくれる。また、お祭りで仕事が休みのようでキャンプに訪れる住民も多い。彼らとお茶をのみながらのんびりと過す。

キャンプでごろごろしているよりもグンサの村を隅々まで歩いて見て廻りたいと思うが、このことすら足が痛んでおっくうなのだ。

住民も多く来ている、退屈しのぎとキャラバンの荷物を減らすため住民に安価で販売することを思いつく。

さっそく、不要と思われる装備及び食糧等に値札を付けてキャンプの前に並べてみる。

商売は思ったよりも繁盛して並べた品物はほぼ完売した。売り上げ金額は約5000Rs(約10万円)となりこれでポーターに払う賃金の心配もなくなる?。

それに荷物はポーター4〜5人分ほど少なくなり一石二鳥となった。

夕方、ポーターを集めに行っていたチェーワンが17人のポーターを連れて帰って来た。

ちょうど良い人数である。ポーターは40kmほど先のへロックの村から雇って来たとのことである。

昨日の午後出発して40kmもの先からもうポーターを連れて帰って来た。信じられないような速さである。私たちはこんなに早く戻って来るとは思ってもいなかった。

ポーターの人数が揃った、荷物の整理は既にできている。準備が出来ているのにポーターを遊ばせる訳にはいかない急遽、明日からダランバザールまでのキャラバン(復路)を始めることを決定する。

 

注)

足の指が痛み始めた訳を後日理解した。アタック時の厳しい環境(寒さ)で血液の流れが止まっていた毛細血管に再び血液が流れはじめ足の指が回復に向かう過程での痛みである。(痛みがなくなるまで10日を要した)

正座をすると血液の流れが悪くなり足の感覚がなくなる。正座を止めると血液が流れはじめ足がしびれるように痛むのと同じ現象である。(つづく)

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