ジャヌーへの挑戦 Jannu expedition '81
(1981年秋の記録) (第20回) 10月21日 晴れ 風は夜通し吹いていたようだ。しかし、その風や寒さも慣れたようであまり気にはならなかった。ぐっすりと眠るという訳にはいかないが良く眠れたようである。今日は急ぐ必要はない、明るくなるまでツエルトに包って待つ。 明るくなって来たがしばらくは中でじっとしていた。やっと外に出る気になりツエルトを剥いで周りの様子を見ると天候はまずまずである。 雪面に突き刺したスノーバーに引っ掛けておいた篠原のザック(8mmカメラなど小物が入っていた)がない。雪面への差し込みが不充分だったのかスノーバーごと吹き飛ばされている。周辺を探し廻るが見つからない。 まだ、風が吹いている。風があるとガスコンロを使うのが面倒である。クレバス(6500m付近)には食糧等を少しデポしてありそこで腹ごしらえをすることにするとしよう。 とりあえず、そこまで下ることにし何も飲まず喰わずのまま8時頃行動を開始する。 必要な荷物を2個のザックに詰め込むとクレバスへ向けてクラストした斜面を下り始める。 靴は3日前から履きっぱなしで指の感覚はなくなっている。その事とは関係ないだろうが歩き始めてしばらく足の踏ん張りが利かずに足の運びがおぼつかない アイゼンを引っかけて滑落すればどこまで落ちるか分からない。氷河の途中では止まらなく王座氷河の大氷瀑の中に消えてしまうだろう。 硬い雪面にアイゼンの歯を立てて慎重に一歩一歩、歩を進める。1時間余りでデポ地のクレバスに着く。さっそく、食事のため水を作り始める。しかし、クレバスの中を吹き抜ける風にガスコンロの火が流される。廻りを3人で囲み風を防いでもガスの熱がコッヘルに伝わらない。コッヘル一杯の氷が水になるまで30分以上もの時間を要してしまった。 水と残り物のうち喉を通る食糧にて腹ごしらえを済ませると11時ごろに再びC3へと下りはじめる。 傾斜のある下りは足が自然と前にでるのでアイゼンで斜面をしっかりと捉えれば良い。しかし、傾斜が徐々にゆるやかになり王座氷河の平坦部になると急に足が上がらなくなる。 歯をくいしばって歩いているのに地上の上ではなく雲の上を歩いているようで手ごたえがない。時間だけが過ぎて行き前には遅々として進まない。 重い足を引きずりながら頭のなかは“登頂に失敗した”ことへの想いでいっぱいである。 とにかく足が重たくて前にでない。10歩か20歩進んでは立ち止まる。時折、氷河に座り込んでは休む。座り込んで休めば肉体的な苦痛は解消する。しかし、“登れなかった”精神的な挫折感は消えるものではない。 登頂できると判断しC3からラッシュ攻撃をかけた。しかし、ジャヌーの頂上に立つことができなかった。失敗してしまった。 この精神的なショックの大きさは測りしれない。何ともいいようのない敗北感とそれに伴う虚脱感が相まって身体に力が入らない。 氷河に座り込む度に後ろを振り返りジャヌー頂稜を仰ぎ観る。ジャヌーは紺碧の空にわずかな雪煙をたなびかせている。(失敗したことへの想いだけが頭のなかを駆け巡りシャッターを切る気持ちの余裕はなかった。) 頂稜をしばし眺めては「あぁ〜登れんかった」と失敗した事実を改めて何度も思い知らされる。 登頂に成功してこの場所にいるのならばどんなに嬉しいことだろうか。 もし、成功していたならば疲れた身体であっても嬉しさで心は弾みこのように重たい足取りではなかったであろう。 座り込んで休憩しているともう動きたくなくなる。寒さは感じずこのまま横になれば眠ってしまいそうだ。 その気持ちを振り払い重い腰を上げまた、重たい足を引きずり始める。前を行く篠原、森口の姿が小さくなっていた。早く2人に追いつかなければならない。 ‘レースの頭’へとゆるやかな登りが続いている。一歩一歩、歩数を数えながら足を運び王座氷河をやっと抜け出し‘レースの頭’に達する。 王座氷河のなかほどから‘レースの頭’までなだらかな起伏が続く氷河の歩行は非常に長く感じられ苦痛であった。 クレバスを出発してからは水分の補給はなく喉はカラカラに渇いている。天幕に入るとさっそく氷を溶かして水分の補給を始める。 水、ミルク、スープ等を次々に胃袋に入るだけ流し込む。 高所用の食糧としてドライ・フーズの袋が幾つも残っているがまずくて食べる気がしない。 このドライ・フーズ(外国製)はけっこう高価であったのだが役に立たなかった。 一息ついたところでベース・キャンプに改めて登頂の失敗と明日BCに下山する旨を伝える。 天幕は良い。この小さくて3人がやっと入れる狭い天幕でも、ツエルトに包まったビバークに比べるとこれ以上のことは望まない。風が少々吹いたくらいではまったく影響なし。 気になっていた感覚のない足の指を見てみる。少し白くなっているようであるが特に異常は認められなかった。 喉を通る食糧を食べれるだけ食べ胃袋が落ち着くといつの間にか眠りに落ちて行った。 10月22日 晴れ 起床:6時 気温:−16℃ ゆっくりと起きてC3の片付けを済ませる。ここC3には食べられそうな食糧はもう残っていない。とにかく一旦BCに降りて今後のことを検討することにする。 “ジャヌーを間近に見る事はこれが最後かも知れない”という想いもあり残っているフイルムをほとんど使用してジャヌーを撮る。 登頂できなかった悔しさを胸にし、ジャヌーに背を向けてC2地点への下降を開始する。 昨晩は天幕でよく眠れたし高度も下げていることでもあり、体調はすこぶる良好7000m近い高所で3ビバークした疲れは特に感じない。 下降はカリフラワー状態の雪稜から固定ロープを張った懸垂下降の箇所に入る。 吉賀は下降器を失っておりこれまでの懸垂下降は肩がらみで行っている。しかし、ここに来て困った。1箇所固定ロープの下部も固定されているために肩にからめる長さのロープが引いても上がって来ない。 カラビナを使用して下降する方法もあるがこの方法は自分としは不得手である。 もし、しくじれば命はない。そこで、そばにいた森口に「お前の下降器を貸してくれ」と頼む。 森口は「ああ、いいよ」と譲ってくれた(森口はカラビナを使用しての懸垂下降が得意である。よくゲレンデ等でやっていた)。 ピンの状態とロープの傷の有無を確認しながら7ピッチの懸垂下降を終えて10時すぎC2跡地に降り立つ。 朝起きて以後ここまで何も食べてない。水を作りデポしてあった食糧(パインの缶詰、ビスケツト類、蜂蜜、ミルクなど)を腹いっぱい食べる。 (この時疲労は感じなかったが最近写真を拡大して見ると、篠原は何時もと変わらぬ表情であるが吉賀、森口の表情には疲労の様子がうかがえる) 戦いの痕(C2地点での表情) 3人共食欲は旺盛である。ラム酒がビンに2/3ほど残っているのが目に入る。この甘口のウイスキーは何の抵抗もなく水のように喉を流れて3人で飲み干してしまった(森口は1杯だけ)。 さて、と腰を上げてC1へとアイス・フォール帯を下り始める。 天気は良く気温も上昇してくる。しばらく歩くとアルコールが廻って足に来た。それにここは6000m近い高所であり平地よりもアルコールが効いてきた。 「飲んだのはまずかった」と思ったがもう遅い。顔もほてってどうしようもない。 雪を顔に押し付けて‘シャキッ’とさせようとするがどうにもならない。 酒に酔っ払った状態でクレバス帯を進まなければならないことになってしまった。 氷河の状態は雪や氷が溶けて大きく変化している。口を大きく開けたクレバスに落ちたならば終わりだ。気合を入れて歩かなければ危ない。 登頂に失敗して下山中に酒に酔っ払ってクレバスに消えた。これでは笑い話となる。 氷が溶けて馬乗りになって進まなければならない所や、危険なクレバスの淵は気合を入れてどうにか歩くが、安易な雪面の下りになると酔っ払った篠原と吉賀は気がゆるみ尻セードで滑り下る情けない有様であった。 C1に下りついたのは12時半すぎになってしまった。シェルパには朝の交信で10時にC1まで登ってくるように連絡していた。アンリンジン(シェルパ)には2時間半以上待たせたことになった。 2時間ほど前に食べたばかりなのに腹がへる。ここでまた食糧、水分を補給してBCへと下り始める。 氷河の状態は氷が溶けてセラックが小さくなっており、白色であったセラックがホコリをかぶったような褐色になっている。 氷が溶けてホコリが目立つようになったのだろうか?ルートは雪が溶けたためにモレーン状となって岩や石が出ており歩きづらい。 食糧の補給は充分であるのに歩きは遅い。ガラ場をヨタヨタと進む。 3時間近くかかりようやくヤマタリ氷河のモレーンに降り立った。BCの天幕は見えないがもうすぐだ。 BCまでは大きな岩や石がゴロゴロしているモレーンの登りである。BCが目の前となり緊張感は一層なくなってしまい足が上がらない。16時30分すぎにBCに帰着する。篠原、森口は17日ぶり、吉賀は9日ぶりのベース・キャンプである。 C・ビクラム(リエゾン)やシェルパたちがお茶を準備して出迎えてくれた。 キッチン天幕に入り久しぶりにビール(カトマンドゥから運んだ)の栓を抜き3人の無事(無傷)下山を全員で喜ぶ。 そしてリエゾンやシェルパたちは“NEAR SUMMIT”だ、と言って我々3人の健闘を称えてくれた。(つづく) |