Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第19回)
          
                       吉賀信市

15.ラッシュ攻撃(その2)

10月20日 晴れ 風あり

高所での2ビバークを終え3日目となる。風に吹かれながらも眠れたようで昨日のようなどうしようもない身体の重さや倦怠感はなくアタックに行けそうだ。

しかし、まだ風がツエルトを強く叩いている。早く登攀準備をして登り始めなければならない。だが、この暗い中風が強くては準備ができない。

外が薄明るくなるころ風が弱まった。急いで登攀準備にとりかかる。ビバークでは天幕のなかとは違い雪や氷を溶かして水を作るのに時間を要す。気温が低いため雪や氷がすぐに水になってくれないのである。

本日の行動予定はザックを出来るだけ軽くし登頂後再びここまで戻ってくる事とする

準備を終えて雪壁を登り始めたのは7時半すぎと遅くなってしまった。頂上までの高度差はまだ900m近くもある

この位置から登頂しそしてここに日没まで戻ってくるためには、夜明け前の暗いうちに出発して明るくなるころには稜線まで達していなければならない。あまりにも出発が遅い。

しかし、ここまで来たからには‘死力を尽くしてアタックを敢行するよりほかに道はない’。登頂を諦めてここからUターンすることはできない。気持ちを入れ直しアイゼンで斜面の雪を蹴り始める。

           
                        登攀開始

天候は風が弱まり昨日のように雪を舞い上げることはない。白い雪壁が紺碧の空までまっすぐ続いている。

稜線までの高度差はここから約500mである。篠原が先頭で森口、吉賀と続き稜線を目指す。

南稜まで真っ直ぐ続く巨大な滑り台のような雪面に一歩一歩アイゼンを蹴り込み続ける。

登りながら「出発が遅くなってしまった」との思いが何度も頭に浮かぶ。

しかし、もうどうにもならないことだ。この状況で自分がどこまで行けるか、どうなるか全力で当たってみるよりほかにすべはない。そして、まだ登頂できる可能性もある。

右手にピッケル、スノーバーを左手にして斜面を這うようにひたすら登り続ける。

歩数を数え20〜30歩 ほど、登っては両手の武器を雪に突き刺しそれに両手でつかまり休む。

 頭は雪面にすりつけて喉を鳴らす荒い呼吸を整える。

その休む前の一瞬に前方を行く2人のアングルが良ければカメラのシャッターを切る。この動作の繰り返しが続く。

昨日は1回もシャッターを押す気力もなかったが今日は写真を撮ることができる。

上部だけでなく下部の写真も撮ろうと後ろに振り向きかけたがバランスを崩しそうなのでやめる。

ちょっとでもバランスを崩せば巨大な滑り台を滑り落ちて断崖の大氷瀑の彼方に消えてしまう。

体調は酸素が薄いため身体が少し重く感じることのほかに異常は感じられない。昨日は思考が停止していた頭は頭痛もなくスッキリとしている。

乱れた呼吸を整えるために休んでは「早く登れ、早く行かないと2人に遅れる」と気は焦る。

しかし、身体がその意思に追いつかない。前を行く2人の姿が徐々に小さくなって来た。

           
                           南稜を目指す

離されすぎると2人に置いて行かれる。決して待ってはくれない。アタック態勢に入ったクライマーは単独になってでも頂上を目指す。そうなると一人孤立し進退窮まってしまう。

気持ちでは速く登りたいと思ってもいまのペースが精いっぱいである。

斜面の左側には頂上付近が見えすぐ近いように見える。近くあって欲しいという願望がそのように見えさせるのであろうか。しかし、まだ、まだ、遠いはずだ。とにかく、距離が縮まって見えてしまう。

短いピッチで休みを入れ乱れた呼吸を整える。この繰り返しで白い斜面をもうかなりの長い時間登り続けている気がするが周辺の光景はほとんど変わり映えしなく単調である。

いつまで経っても同じ位置にいるようでいつ終わるとも知れない雪壁だ。

やがて、先行する青いヤッケ姿の篠原、森口が紺碧の空に吸い込まれるように消えて行った。

「あっ、やばい。置いて行かれる」と気は焦る。

焦ると速くなるどころか呼吸の乱れが激しくなり前に進まない。根気よく雪壁を蹴り続け11時すぎにやっと稜線にはいあがった。稜線に立つと雪壁と違い強い風が頬を打つ。

寒さはさほど感じないが手の指は冷たい。一方、足の指は感覚がなくなってしまったようで冷たさは感じない。

目の前にはカンチェンジュンガ(右から南峰、中央峰、主峰、ヤルン・カン)が大きくは聳え立っている。

           
                         カンチェンジュンガ

王座氷河からの眺めよりも一段と凄さを感じ圧倒される姿である。4峰がひとつになって優雅さも感じる山である。

稜線には2人の姿は既になくトレールだけが上部へと続いている。早く追いつかなければならない。左に傾斜した稜線のトレールを追って南稜を急ぐ。

右から吹き付ける風には注意を要す。風にあおられてバランスを崩せばそれまでである。

トレールを追い登高して行くと登り着いた所から鞍部への下りとなる。

その先は岩場となっているようだ。2人の姿はまだ、見えない。「とにかく、2人に追いつかなければならない」と気持ちはますます焦ってくる。

鞍部へとゆるやかに下る雪稜を進みやがて岩場に基部に達す。ここでやっと2人の姿を発見する。2人は岩場を左に捲き稜線から少し下がった位置から登攀を開始していた。

                   
                              岩場の登攀

篠原がトップに立ち7300m近い高所での厳しい登攀の最中であった。その姿に夢中でシャッターを切る。

確保している森口のそばに近寄ると彼の伸ばしっぱなしの長い髭からは、吐く息が凍りついて白いツララとなって下がっていた。

私はといえば冷たい風に吹かれ鼻水が凍りその廻りが痛む。また、動かずにじっと待っていると体温が急速に奪われ寒くなって来た。

この稜線上の岩場は岩壁ではないが岩がボコボコとしたルンゼ状の急傾斜となっている。

ルートは左上気味にとる。その付近には古い固定ロープの一部が風にゆれているのが見られる。

篠原はその引っ張れば切れそうな残置ロープ沿いに登りやがて姿が消えていった。次に森口が続き難なく越えて行く。

最後に吉賀が登り始める。身体が冷え切ってしまい少し動作がおぼつかない。

ルートは下から見るとたやすく見えたのだが、いざ登攀し始めると傾斜がきつくてなかなかどうして容易ではない。この高度になると酸素が薄く身のこなしが少し緩慢になる。そのために見て思った感じよりも大変な登攀となってしまう。

 ルンゼ状になったルートは左傾斜して岩が‘ゴツ、ゴツ’と出っ張っており登りづらい。

腰に下げている下降器(アンデス以来愛用していた)が岩に度々引っ掛かり邪魔になる。

そこでザックのベルトに掛替えようとしたところカラビナがベルトに掛からず『カラン、カラン、カラン』と金属音を残し氷河に落ちて行った(下降器を無くし、以後の懸垂下降は肩絡みとなる)。

身体が暖まってくると動きも良くなり岩場を抜けて森口の所に達した。篠原は森口を岩場から上げるとザイルを外してひとり先行している

ここから再び稜線の登高となる。見上げる上空は雲ひとつない紺碧の空。風がなければ最高なのだが。…・強い風が吹くとザイルはしなり雪片が飛ぶ。

           
                             稜線を攀じる

自分がアイゼンで蹴る雪面の硬い雪の粒や氷片が吹き上げられて顔を直撃する。

今日のゴーグルはスキーヤー型のものを使用している。目の周りに風は直接当たらず突風が吹いても目を瞑らなくてもよい。

森口、吉賀は早く篠原に追いつこうとコンティニュアンスでトレールを追い稜線を急ぐ。

雪稜を登り詰めるとそこから顕著な鞍部への下りとなる。この下った鞍部が‘肩のコル’である。

‘肩のコル’からは右に(東面)大きな雪庇を張り出した急峻なナイフ・エッジとなって頂稜へと続いている。

左側は岩肌一つ見られない急斜面が断崖の大氷瀑帯へと落ちている。

篠原はすでにナイフ・エッジを通過して頂稜を登り始めていた。

時間が気になり時計を見る。時計の針は12時半を過ぎようとしていた。ここから頂上までの高度差は300m余りである。時間にしてあと3〜4時間かと思われる。

このまま突き進んで行けばジャヌーの頂上にたぶん立てるであろう。ヒマラヤには数多くのすばらしい山がある。その数あるなかで最もすばらしいと想い、憧れていたジャヌーの頂上に立てる。しかし、帰りはどうなる?。

この時間からでは登頂後、頂稜を下降中に日没となってしまうだろう。

そして、おそらくいま立っているこの‘肩のコル’まで戻って来ることもできない。

強風が吹き荒ぶ頂稜のどこかで‘膝を抱えてのビバーク’と雪壁の窪地で‘ごろ寝のビバーク’とでは天国と地獄ほどの差がある。

 どちらを選択するかは3人がそれぞれ自分の力量や体調それに気象状況等で判断することである。

私には頂稜でのビバーク(3ビバーク目)に耐えられる余力は残念ながらもう残ってはいない。

ビバークして朝まで持ち堪えることができたとしても、いま立っている‘肩のコル’に戻る途中で力尽き、急斜面を滑落して氷河に消えてしまうであろう。

仮にこのような厳しい状況を耐え抜き生きて帰ることができた場合には‘凍傷’という代償を払わなければならない。

篠原は右手にピッケル、左手にスノーバーを持ち急傾斜の雪壁を頂上へと快調に進んでいる。

彼の姿を見て「どうしたものか。どうすればいい」と頭の中は混乱状態となり登攀中の篠原の姿にシャッターを切れなかった。

後を追って行きたい。しかし、「もう時間がない、無理だ。せめて、2時間早かったならば」と思う。

‘肩のコル’に立ち尽くし「篠原さ〜ん、篠原さ〜ん。無理だ、無理だ。時間がな〜い」と大声で呼びかける。何度か呼びかけるが声は強い風にかき消されて届かない。

後ろを振り返り2人の姿を見つけた篠原は、自分の後に続けと何度も何度も腕を大きく振って合図をしている。

しかし、森口、吉賀は足元から切れ込む急峻なナイフ・エッジに足を踏み出すことができなかった。‘ルビコン川’を渡るか否かとは真にこのことであろうか。

立ったまま動こうとしない2人に業を煮やした篠原はUターンし雪壁からナイフ・エッジを駆けるような速さで渡り‘肩のコル’に引き返して来た。

       
                引き返す(肩のコルへ)

そして、気迫に満ちた表情で「頂上に立てる。行くぞ!」と強風で雪粒の飛び交うなか大声で二人を促す。風がヤッケの風防を激しく揺らし互いに言っている事がよく聞き取れない。

3人で顔を寄せ合い協議をする。吉賀、「俺の力ではこれ以上無理だ!」・・篠原、「多少の無理をしなきゃぁ、ジャヌーは登れんぞ!」・…吉賀、「いや、無理だ。もう時間がない!」森口も同意。・・篠原、「分かった!諦める!」

13時すぎ、登頂を断念し下降と決定。ジャヌー頂稜に背を向けて下降を開始する。

向きを変えて南稜を下りはじめると左手にカンチェンジュンガの大きな姿がすぐ近くのように迫って見える。

登頂できなかったばかりでなく下降中に事故というような最悪の事態にならないよう慎重に下ることを心掛ける。

日没までの時間は充分にある。焦る事はない。岩場の1ピッチ(40m)を懸垂下降した以外はノーザイルである。このような登山ではほんとうに必要とする箇所でないのにザイルを結ぶと逆に危険を招く事になる。

前を行く森口が南稜を下降する姿をカメラに捉える。篠原の姿はすでに雪壁の下りにかかっておりもう見えない。
  
           
                           下 降(南稜)

下降中は登りよりも写真を撮る場合に身体のバランスがとり難い。風にあおられると大事だ。ビバーク地までは撮るのをやめることにする。

南稜からビバーク地点までの高度差は約500m。この白い滑り台をまだ余力を残している篠原はスタ、スタと前傾姿勢で下って行った。

森口、吉賀は場所によってはバックステップを交えて慎重に下降する。まだ、陽がある明るいうちにビバーク地点に帰り着く(17時前)。そして、すぐにベースキャンプとトランシーバーにて交信する。

       
                 
ビバーク地(6850m付近)

すかさず “SUCCESS?、SUCCESS?” とチャンダラ(リエゾン・オフィサー)の弾んだ声が飛び出した。…・・数呼吸おいて “NOT SUCCESS” 喉からしぼり出すように返事をする。

(後で聞いたところ彼らは南稜を下降開始直後の私たちを双眼鏡で発見し成功したと思ったという)

ツエルトをかぶり白湯、スープを作りできるだけ水分を摂る。まだ、食糧(外国製のドライ・フーズ)はあるがここにある物では白湯とスープ以外のものは喉を通らない。

旨い雑炊が喰いたい。いや、雑炊でなくとも良い、飯にみそ汁をかけたのが喰いたい。

その昔幼少の頃、冬のある晴れた日家の陽だまりで祖父と二人ご飯にみそ汁をかけて食べたことが思い出された。

とにかく、水分は充分に補給しなければならない。これを怠ると体調に重大な支障をきたす。陽が沈み暗くなるとまた風が強くなって来た。セミ・シュラフに下半身を入れて3回目の夜を迎える。

3ビバーク目ともなるとこの風にも慣れてきたのか、吹き飛ばされるかも知れないという不安な気持ちはなくなっていた。(つづく

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