Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第18回)
          
                       吉賀信市
 

15.ラッシュ攻撃(その1)

1018日 晴れ(風あり) 起床:4時 気温:−14℃

ザックに荷物を詰め込み、6時半に出発する。昨日は休養して体調の調整に努めた。しかし、いまひとつ身体が重くピリッとしない。

足の運びは一昨日よりも速くはなったがやはり苦しい。休憩してザックに腰をおろせば苦しさは感じないのだが行動すればきつい。まだ、高度順応が不充分なのか?。

一昨日のトレールを追い‘レースの山稜’の幾つかの小ピークを乗り越えて王座氷河にさしかかる。

細いトレールがすこし蛇行しながらジャヌーへと続いている。そのトレールをうつむきかげんに黙々と追う。

3ビバークの予定でラッシュ攻撃に出発したのだ。登頂を果たすまではC3には戻れない。

氷河の中ほどにて立ち止まり正面に聳え立つジャヌーを見据える。

       
                 
待ち受けるジャヌー

快晴無風、頂稜から雪煙はたなびいていない。ジャヌーは挑戦する私たちを静かに待ち受けているかのようである。

あの頂上までの道はこの氷河を登り詰め、そこから右側の南稜へと続く巨大な滑り台のような雪壁を登攀して稜線(南稜)に達す。

その稜線を辿って進むとその先が頂稜の鞍部となる。そこが‘肩のコル’である。

ここからの上部がジャヌーを‘ヒマラヤの怪峰’と形容する所以の‘頭’頂稜の登攀となる。そして、ここからがジャヌーとのほんとうの戦いである

一昨日のデポ地点には11時ごろに着く。荷物のパッキングをやり直し、さらに重くなったザックを背負い氷河に攀じ上がる。

後ろを振り返り登って来たルートを眺めるとトレールがくっきりと‘レースの頭’まで続いている。その右下のプラトーにC3の天幕が豆粒よりも小さく見える。

上から見ると高度をあまり稼いでいないのが良く分かる。まだ、こんな位置かとガッカリした気分となる。

気を取り直して王座氷河を源頭へと歩を進める。登って行くと何ヶ所か氷の断層が出現し行く手を阻まれる。その都度、左右に迂回路を探して高度を上げて行く。

           
                              目の錯覚か

この辺りから正面のジャヌー頂稜部が歪んで見えはじめた。「あれっ、高度の影響で目がおかしくなったのか」と一瞬思う。

いや、右傾斜の雪面を左肩下がりの姿勢となり横断、且つ登高しているためにこのように見えるのであろうと思い直す。

源頭から南稜への雪壁にさしかかると徐々に傾斜がきつくなって来た。一歩一歩確実に雪面をキックして高度を稼いで行く。

登高する速さは相変わらず2030歩ほどで立ち止まり「ゼイ、ゼイ」と喉を鳴らしながら荒い呼吸を整える。辛くて我慢できずに斜面に倒れ込む時も多々ある。スピーディーに登る事ができない自分自身が腹立たしい。

       
                   雪壁の登攀 

スピードは遅いが前には進んでいる。時折、顔を上げて上部を見やると雪の斜面は果てしなく紺碧の空まで続いているように見える。

空には雲ひとつなく風もなし絶好の登攀日和である。この雪壁を日本の山を登るような速さで進めたならばどんなに楽しいだろうかと思う。

とにかく、出来るだけ高度を稼いでおきたいと歩数を数えながら斜面のキックを続ける。

15時半頃クレバスの裂け目にビバークできそうな所を見つける。

高度は約6700m。ほぼ予定の位置である。他を探しても適当な場所はない。

ビバーク地と決めピッケルで硬い雪と氷を削りはじめる。なんとか3人が横になれる広さを確保することができた。

           
                           つかの間の休息
            

天気の変化は特になく風もない。靴を脱いでマットに座り西に傾いた午後の陽を全身に受けて本日の疲れを癒す。

明日はさらにこの雪壁を登り南稜に抜けて肩のコル付近の7300m付近まで到達することができるであろう。

「予定通りだ」と本日の行動に満足する。そして、念願していたジャヌーの登頂が近づいて来たと思えた。

ところが夕食を終え西の空が淡いオレンジ色に染まり、夕闇が迫る頃から周辺の様子が手のひらを返すように変わった。急に風が強くなり斜面の雪を吹き上げ始めたのである。

マットに座り遠方を見た時、見えるはずのマカルー(8463m)が地平線に湧く白い雲に隠れていた。

       
               夕暮れ

しかし、このように天候が急変するとは思いもしなかったのである。

急を突かれ脱いでいた靴を急いで履き天候の急変に対処し始める。対処すると言っても風を防げる場所に避難できる訳でもない。風を防いでくれるのは1枚のツエルトだけである。

靴を履いたままセミ・シュラフに足を突っ込んでツエルトを被る。そして風が止むまで耐えるしかない。

しかし、風は何時間経っても収まる様子はなく、押さえているツエルトは何度も飛ばされそうになる。とても眠るどころではない。

「ジャヌーが息を吹けば後には何も残らない」といったと言うテンジンの言葉が脳裏に浮かぶ。

つい先程までの「予定通りだ、何とかなるだろう」という楽観的な気持ちは吹き飛んでしまった。

ビバークサイトは狭く身体がずり下がると足先はサイトの外に出てしまう。

その足に斜面を吹き上げる突風が当りツエルトを捲くり上げる。

その度にツエルトを身体に巻きつけて吹き飛ばされるのを必死で防ぐ。ツエルトを剥ぎ取られたならば大変なことになる。

もし、身体ごと飛ばされるような突風が吹けば斜面を転がり落ちる。いや、スノーバーを打ち込みビレイを取っている。身体は吹き飛ばされることはないであろう。しかし、ツエルトが無くなればお終いである

いままで高所でこのような経験をしたことはない。とにかく、3人で固まりツエルトを身体の下に敷き込み夜明けまで耐えなければならない。気が狂いそうとはこのような状況のことであろうか。

吹き付ける突風にツエルトをめくられ身体が風にさらされる。厳しい状況のためか寒さは全く感じない(気温は推定-20度ほど)。この時の精神状態は寒さどころではなかったのであろう。

森口は「4人なのに3人しかいない。1人足りない、1人いない」などと大声で叫ぶ(朝波Drを含めて隊員4人)。予想もできないような最悪のビバークとなった。

こうなったらなる様にしかならないと思いポケットに持っていた睡眠薬(朝波Drの処方薬)を口に放り込む。

しかし、ツエルトを風に持って行かれないように押さえて続けなければならない。

1019日 晴れ 風強し

風は一晩中吹き続け睡眠薬で少しは眠ったのか、眠れなかったのか定かでない。

風にツエルトを剥ぎ取られるのをなんとか凌ぐことができた。ツエルトを飛ばされていたならば本当に最悪の事態となっていたことだろう。

明け方近くになるが風はまだ弱まらない。この風では明るくなるまで待たなければ登る準備もできない。風が止むのを期待してツエルトに包まりしばし待つ。しかし、我々の希望するようにはならない。

外は薄明るくなって来た。いつまでもこのままではおれない。風に吹き上げられた雪の舞う中で登攀の準備をはじめる。3人共顔には生気がなく惨めな状態である。風との戦いに体力を奪われてしまったようだ。

風が強いとツエルトのなかでガスコンロが使用できない。ガスの火でツエルトを焼けばこれまた大変なことになる。雪を溶かして水分を補給することさえもままにならない。

睡眠不足で頭が重くて思考力はなくまた、瞼が重く目を開けるのが辛い。食欲もなし。

水分と食べ物を摂ったのか、登攀準備をどうしたのか、うつろな状態であったため定かでない。また、何時に出発しのかも定かでない。

斜面を這うように吹きつける風が雪を舞い上げる。天気は良いが風に吹き上げられる雪で視界は悪い。また、頭の中も霞みがかかったような感じで何も考えられない。

それでも「とにかく登らなければならない」と身体にムチ打ってと言うか惰性で南稜へと続く雪壁を登攀しはじめる。

本日の予定は南稜の7300m付近までである。しかし、動きはカタツムリよりもっと遅い。

どうしようもなく身体が重く動かないのである。10歩ほど登っては雪面に頭をすりつけ「ゼイゼイ」と喉を鳴らして乱れた呼吸を整える。

登っている時間よりも、動かずに斜面にへばりつている時間の方が長い有様である。

また、絶え間なくブリザードのような風が吹き続けると捲き上げられた雪で視界が遮られてしまう。時折、どこを登っているのか分からなくなりいわゆるホワイト・アウトの状態になる。

それに風が吹き上げる硬い雪の粒が顔に当る。特に自分のアイゼンが砕いた雪や氷の破片が突風と共に舞い上がり顔を直撃するのが痛い。

いま、かけているゴーグルがサングラス型のため突風が来たときには目を開けておれない。

スキーヤーが使用するタイプがザックのなかにあるが今はどうしようもない。

睡眠不足で頭も身体も機能停止状態となってしまっている。夢遊病者のような朦朧とした状態となり登攀すると言うより彷徨っているようである。

一晩眠れなかっただけでこんな状態になるとは体力がないと言うことだ。

この状況のなかでもノーザイルで行動をしている。それは技術的にはアンザイレンする必要性がないからである。

体調の良い者が先頭を進み他の2人はそれに遅れないようについて行くことになる。

このような厳しい状況では人は本能での行動となり体力のない者が最後尾となってしまう。

各自、自分の事で手いっぱいなのである。そのことはクライマー自身がよく理解している

困難な登山での極限に近い状況では弱者をいたわりながら行動するようなことはむずかしい。

後尾の者が離れ過ぎて前の者を見失うと進退窮まり遭難ということにもなる。

したがって、自分の生命は己が責任を持って守らなければ誰も守ってはくれない。

もし、仮に厳しい状況下でメンバーの一人が動けなくなった場合は助けるすべはない。

置き去るか、仲間のためにメンバー全員が犠牲になるかのどちらかである。

相変わらず風に吹き上げられた雪の舞う斜面。前を行く2人を見失わないように歩を進める。

キャラバン開始以来、昨日まで写真を撮らなかった日は1日もなかった。

しかし、今日だけはカメラのシャッターを押す意思も気力もない。それでもジャヌーの頂上に立ちたいという意思はまだ萎えてはいない。

12時すぎ頃、雪壁の中にビバークが出来そうな窪地を見つける。吹き上げられた雪で下部は見えなくどの位置にいるのかよく分からない。高度計は約6850mを示している。

ビバーク地点から僅かに150mほど高度を上げただけである。

風の合間に上部を見てもはるかに南稜まで急傾斜の雪壁が続きビバーク出来そうな場所はとうてい有りそうにない。

この朦朧としたような体調で重いザックを背負って明るいうちに稜線まで登るのは不可能である。

つまり、ここでビバークするより他に方法がないということになる。

7300m付近まで登る本日の予定が大きく狂ってしまった。この誤算は大きい。

まだ、時間は早いがスノーバーでビレイを取ると、窪地に倒れ込みツエルトを被って吹き付ける風を避ける。

とにかく今は眠りたい。その前に水分を補給しなければならない。雪をガスコンロで溶かし温かいスープを飲めるだけ冷え切った体内に流し込む。

ドライフーズ(高価な)もあるが口に入れても喉を通らず吐き出す。まずくてとても喰えるのもではなかった。

胃袋を水分で満たすとアイゼンを外し靴のままセミ・シュラフに入り窪地の雪面にごろ寝となる。ごろ寝の方が昨夜のビバーク状態よりも風当たりが弱い。そして身体も楽である。

この場所かあるいは荷物をデポしたクレバスの中に第4キャンプを設けるべきであったと思う。しかし、それは結果論であり今更もう遅い。

虚ろな頭でそのように思っているうちに眠りに落ちていった。

(つづく)

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