Jannu expedition '81

1981年秋の記録)

(第16回)
          
                       吉賀信市
 

13.第2キャンプ(5900m

 10月11日 晴れ 起床:3時30分

5時30分出発。どこにルートを取れば最適なのかは自分たちのルートファイディングにかかっている。昨日考えたように側稜の基部に沿って左側(下部)へトラバース気味に進む。

しばらく行くと傾斜が幾分ゆるやかになったクロアール状の雪壁が現れる。

ここならば登れそうだと森口がトップに立ち‘新参者の側稜’への登攀を開始する。

朝陽はまだこの場所までは届かず辺りには朝靄が、立ち込めており雪や氷は薄いレースごしに見るようで少しぼやけて見える。

セカンドは吉賀が続き、篠原は8mmカメラを回しながらラストを登る。アイゼンがよく利く雪壁をノーザイルで登り詰めて稜線に出る。この頃から朝陽が少し差し始めた。ここからはアンザイレンして尾根を進む。幾つかのコブを越した時、突然、尾根越しにジャヌーの頂稜が正面に現れた。

       
               
稜線に達す

ジャヌーの‘頭’を初めて目の当たりにする。肩から上の頂稜がまだ柔らかな朝陽を浴びて天空浮かんでいる。

あの‘頭’のてっぺんに立たなければならない。しかし、あの頂きまではまだまだ遠い。頂稜直下の王座氷河源頭部に達するまでには幾多の困難が待ち受けていることであろう。

そして、ほんとうに厳しいのは最後の登りとなる頂稜の登攀である。

フランス隊が‘新参者の側稜’と名付けたこの稜線の状態はきれいなスノーリッジではなく、巨大なカリフラワーに似た雪庇や氷の塊がコブのようなボコボコになって連なっている。

           
                      氷のカリフラワー

森口がトップとなりスタカットでの登高が続く。天気は快晴無風、絶好の登攀日和である。痩せたデコボコの稜線を順調に進む。目を後方に転じると眼下にヤマタリ氷河がよく見渡せる。その上部には登攀を断念したアイスフォール帯も見える。この痩せた尾根、風がないから良いもののもし風に吹かれたならばザイルはしなり厳しい登攀となるであろう。今は穂高の北尾根でも登っている感じである。しかし、稜線は次第に複雑な状態となって来た。尾根沿いに進んだり、右や左の側壁をトラバース気味に登るといった具合である。複雑なルートファイリングとなりザイルがスムースに流れない。氷の間にザイルが挟まり流れが止まる事も多々ある。

森口とトップを交代しながらカリフラワーの間を縫って進む。篠原は2人の姿を8mmカメラで追いながら登ってくる。快晴の空のもとジャヌー頂稜を前景にして複雑な稜線を登攀する2人のクライマー、さぞ良い写真が撮れていることであろう。

時折、ジャヌーの頂稜に目を向け位置により変化するジャヌーの姿を楽しみながら登高を続ける。

右側にはC1方面の氷河が良く見渡せる。しかし、C1の天幕は距離があり確認することができない。小さすぎて見えないのである。

           
                       C1方向の氷河

昼の太陽を全身に浴び暑くて汗が流れる。「快晴無風も良し悪し」だと贅沢な愚痴がでるほどの登攀日和である。ルートは相変わらずボコボコの稜線であったり側面を捲いたりと蛇行しながら徐々に高度を上げて行く。次第にジャヌーが良く見えてきた。紺碧の空を背景に頂稜が白く輝いている。言葉では言い表すことのできない、すばらしい眺めである。

           
                      白く輝くジャヌー

この姿に魅せられてここまで来たのだ。「なんとしてもあの頂まで辿り着きたい」という想いを酸素の薄い空気と共に胸に呑み込む。

14時すぎ頃、下部の氷河を見た状況から判断するとC2の上辺りの位置に達したようだ。

‘カリフラワー’の重なった稜線をルートにしたのでは時間と体力の無駄となる。この位置からC2に下降して明日からのルートを確保することにする。垂直に近い氷壁を数ピッチ懸垂下降で下ると後は幾分ゆるやかな傾斜の雪壁となる。アイゼンを利かせて慎重に下り16時頃C2に帰着する。

明日は下降したルートを登攀して固定ロープを張りルートを確保することにする。

 

10月12日 晴れ  起床:4時

昨夜は寒気がしてよく眠れなかった。起きると熱があり食欲もない。「どうしたものか、どうすれば良いか」としばし考え込んでしまう。ここに来て体調不良とは情けない。ここC2で休養するよりも高度を下げるべきであろう。思い切って一旦BCに下りた方が良いと判断し篠原、森口に申し出る。 両名は「なに、BCに降りるのか」と驚きの感じであった。

2人が出発するのを見送った後、BCに持って降りるシュラフなどをザックに詰め天幕内の整理を済ませてトボトボと氷河を下り始める。

身体が重く足に力が入らずおまけに痔も痛みがひどくなってきた。咳をするとなお痛い。

太陽が降り注ぐ氷河の中は暑く、熱のある身体はどうしようもなくだるい。雪に座り込むとこのまま座って居たい気持ちになる。その誘惑を振り払いクレバスの淵の蛇行を繰り返して高度を下げて行く。

氷河の様子は2〜3日前よりも変化している。照りつける太陽の熱で氷が溶けて通過するのに危険を感ずる箇所が多くなっていた。大きく口を開けているクレバス。「クレバスに誤って落ちれば永久に見つからないだろうなぁ」等と思ったりしながら注意して進み9時過ぎにC1地点まで降りる。

C1から下の氷河の状態はもっと変化が激しい。雪と氷が溶けて様子がガラリと変わってしまっている。変化の激しさに驚かされる。しかし、登攀ルートは氷河のなかを通過せず左端しであるために危険と思われるような箇所はない。普通であれば2時間も要しないところを3時間余をかけてヤマタリ氷河のモレーンに降り立つ。歩きにくいモレーンを痔の傷みに顔をしかめながら歩き13時すぎBCに帰着する。

天幕に入るとそのまま寝込んでしまう。シェルパの「YOSHIGAさん」の声で起こされ時間を見ると6時であった。シェルパは夕食を知らせに来たのである。

篠原、森口からの連絡の有無を尋ねたがなかったとのこと。こちらからも17時の定時連絡もしなかったようである。

体温:37.5度、脈拍:100、呼吸:20、熱は下がって来たようである。高度を下げたのが良かったのだろうか?。高度を下げることが最も効果があるはずである。

 

10月13日  晴れ

朝8時の測定では体温:36.4度、脈拍:84、呼吸:16。ほぼ正常に戻っている。

今日は一日休養するとし、様子をみて明朝C2に向かうとしよう。

篠原、森口の2人は上部キャンプでルート工作に頑張っている時に、自分は戦線を離脱している。2人には申し訳ないが食堂天幕内でお茶を飲みのんびりとしている。昼食後からは昼寝をして体調の回復に努める。夕方の体調は朝と変化なし、正常に戻っている。しかし、痔の痛みは良くなっていない。

今のところ出血はないが患部を指で触って診ると括約筋の左半分ほどが硬くなっている。これが痛む原因である。排便後はなるべく清潔にしようとぬるま湯をチッシュに含ませてふき取る。そして、その患部に座薬をそっと挿入しこれ以上ひどくなることのないようにと願う。

これから先自分の体調がどうなるか分からないがこのままで終わることはできない。とにかく早く前線に復帰しなければならない。17時の交信で明日C2に上がる旨を篠原に連絡する。

 

10月14日 晴れ  起床:5時30分

2度目になるアンテンバーによるラマ教のお祓いとお祈りを受けて6時半過ぎにBCを発つ。

モレーンの岩や石の上を歩くと尻に響き歩くのが嫌になる。C1までの慣れたルートを登り10時半頃にC1に着く。空は雲一つない快晴、氷河の中は暑い。このような良い天気が2週間ほど続いている。登頂に成功するまで続いてほしいものである。しばし休憩後、C2へと歩を進め始める。

C1〜C2間のアイスフォール帯やクレバス帯には何ヶ所か赤い布を付けた旗竿を立てて標識としている。

           
                      口を開けるクレバス

このように天候が良ければ旗竿も必要ないが悪天候となれば厳しい事になるだろう。旗竿だけではルートを見失う恐れが大である。ジャヌーのような地形が複雑で登るに困難な山の成否は天候次第で決まるといっても過言ではないと思う。したがって、天候が安定しているうちに登頂しなければならない。高度順応をしながら且つスピーディーな行動が求められる。

体調不良で一時、戦線を離脱してBCに退避してしまった。「ジャヌーと戦わずして白旗を掲げることはできない。また、このままでは自分のジャヌーを終われない。登頂すべく死力を尽くす」との想いを胸にひとりクレバスの淵に沿って蛇行を繰り返し前線へと登高する。14時過ぎにC2着。まもなく、上部のルート工作に行っていた篠原、森口が帰って来た。

今日は6200m付近までルート工作と荷上げをして来た。また、その付近のプラトーにC3予定地を確保し、C2上部の氷壁には7ピッチ固定ロープを張り終えたとのことである。2人の状態は森口が少し疲れ気味の感じ、篠原は体力、気力共にみなぎり獲物を狙う姿になっている。

明日はC2の天幕と共にC3へとキャンプを前進させることにする。

(つづく)

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